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「ええ、いえそうじゃなくてっ、オフの壁紙じゃなくてキナリの方に変更してくれって先日ご連絡しましたよね!?ええ、そうです――――はい、わかってます。だから、それでいいって!――――じゃあお願いしますねっ、どうも」 いらいらとした調子で電話をしていた咲斗が、少し乱暴に受話器を置いた。 「どうしたの?珍しく荒れてるけど」 「・・・・ああ、いや、ちょっと変更したのに間違った確認してくるから、ついね。仕事の出来ない男は嫌いなんだよ」 由岐人に指摘されて、咲斗は少しバツの悪そうな顔をして軽く肩をすくめた。 「確かにね」 工務店はいつも使っている会社なんだけれど、最近入ったらしい新人がちょくちょくミスをしているのは由岐人も知っている。由岐人は、しょうがないよ、と軽く笑って、飲みかけのコーヒーに口をつける。 そうしながら、由岐人は上目使いで咲斗の様子を盗み見ていた。 今日の咲斗は、出勤したときから少しイラついているようだった。なんとか自分の気持ちを抑えて冷静でいようとはしているけれど。双子でずっと一緒にいた由岐人には誤魔化しようがなかった。それを工務店のミスの所為に装うとはしているけれど。 ――――昨日、響と何かあったのかな・・・? でも、それなら真っ先に自分に愚痴ってきていてもおかしくない。いつもがそうなのだから。しかし今回はそれもないので、由岐人としてはどういうことなのか、今一つ咲斗のイラつきの原因が分からなかった。 「あれ、今月の酒代の一覧どこだっけ」 咲斗は机の上に並んである紙の束を乱暴にばさばさとより分けながらも、目当てのものがみつからず。それでもなんとか苛立ちを抑えた声を上げる。 「それならさっきカウンターのところで見てなかった?ほら、バーテンの奥(オク)と一緒に数をチェックするとかって」 奥、というのは高崎同様この店を立ち上げたときからずっとバーテンをやってくれている男。 「あっ!そうだった。ちょっと行ってくる」 散らかした紙やら書類やらを、今度もまた無造作に束ねて、咲斗はため息混じりに部屋を出て行った。 「はぁ・・・」 ――――いったい何があったんだろ? 由岐人には相談はされないらしい。それがつまらなくもあり、おもしろくもあり、また心配でもあって。由岐人は手にしていたコーヒーカップを机に置いて、ジャケットのポケットから携帯を取り出した。 咲斗が口を割らなくても、響が剛にしゃべっているかもしれない。 そう思って携帯を見つめるのだが、中々開く勇気がなかった。あんな風に気まずく分かれたのは1週間ほど前の出来事。あれ以来連絡をよこさない剛。そんな相手に連絡をするのは、かなり勇気と決心のいる事ではあるのだけれど。 由岐人は大きく息を吐いて、携帯を開いた。 ・・・・・ 「ひっさしぶり」 「うん」 結局電話をした由岐人に、剛は勝手に待ち合わせを決めて一方的に電話を切ってしまった。電話だけで用件を済ませたかった由岐人の思惑ははずれてしまって、その後何度もかけ直したけれど剛は出る事はなく。 出勤前のこの時間、仕方なく由岐人は指定されたこの場所へとやってきていた。仕事先から少し離れた繁華街の裏通り。広い空間にまったりとした音楽の流れるカフェに、約束の時間に由岐人が行くと、すでに剛は来て待っていた。 「えーっと、このサラダセット、カフェオレで」 まだ、昼間はコートは必要ないような陽気。それでも冷たいものを頼む気にもなれなくて、由岐人は暖かいカフェオレを注文した。 「サラダセットって。昼?」 「うん。ついでにって思ったから、食べて来なかったんだ」 「そっか」 先に来ていた剛は既に注文をしていて、冷たい何かをすすっていた。 「っていうか、強引すぎ」 「こうでもしなきゃ、会ってくんないじゃん」 少し拗ねたような物言いがおかしかったのか、由岐人の口の端が持ち上がった。 ――――電話もしてこなかったくせに。 そんな言葉が喉まででかかって、慌てて飲み込んだ。それではなんだか、電話が来るのを待っていたようではないか。 「お待たせしました」 「どうも」 店内はすいていたので、由岐人の注文の品はすぐにやってきた。レタスにプチトマト、水菜がベースにカリカリのベーコンとブラックオリーブ、サラミが散らしてあるボリューム満点のサラダだ。 「昼それだけって、大丈夫か?」 「十分だよ。一週間分の繊維だね」 「えーっ?」 不摂生は生活をしているとは、由岐人も思っていた。適当な外食と、軽食と酒。たまに野菜が食べたくなる時は、こうやってサラダを頼んで補っていた。 「あんま不摂生してると、早死にするぜ」 「いいよ」 願ったりかなったりだ。長生きしたいだなんて、思ったこともない。 「ったく・・・・、で、今日はなんの用があったんだよ」 何を言っても無駄と諦めたのか、剛はため息混じりに本題を切り出した。どうせ、どうしてもの用がなければ連絡してこない事はわかっているのだろう。それでも、剛が何かの折の時には自分を思い出してくれている事をうれしく思っていることなど、由岐人は知りもしないだろうけれど。 「響と最近連絡とってる?」 「響?あーもちろん・・・なんで?」 「ん〜〜・・・、なんか聞いてる?」 「なんかって?」 珍しく歯切れの悪い様子に、剛はいったい何事なのかと肩をすくめる。 「んー、最近咲斗の様子が変なんだよね。仕事も順調なのになんかイラついてるし、となれば響絡みしか考えられなくて」 由岐人はグサリとトマトにフォークを刺しながら、顔を曇らせる。 「本人に聞けばいいんじゃなーの」 「誤魔化された・・・」 剛には顔を合わしたくなくて、あの後もう少し直接的に聞いてみた言葉は、咲斗にはっきりと誤魔化されてしまった。相談されなかった事がショックなのか、頼られなかったのがおもしろくないのか、由岐人は少し拗ねたような、落ち込んだような顔をした。 どっちにしても咲斗が心配でたまらないらしい。そんな由岐人の態度が、なんとなく剛にはおもしろくなかった。咲斗咲斗ってなんなんだよっ――――そんな感じだろうか。 それを胸の内にしまっておけないのが、若さなのかもしれない。 「あのさ、由岐人の話って全部奴絡みばっかじゃねぇ?俺に連絡してくる時とかさ。他に話題ねーのっつーか、例え双子とはいえ、ちょっとおかしいんじゃねーの、そういうの」 「・・・どういう意味?」 剛の言葉に、由岐人の口調にも棘が混じってくる。そこで止めれば良いのに、剛も今日はなんだか自制が効かなかった。 「べたべたしすぎっていうか、距離近すぎっていうかさぁー。いい大人なのに、変だろ。仲良すぎて気持ち悪りー」 割り込めない自分が悔しくて。割り込ませてくれない由岐人に腹が立つ。なにより、自分が不甲斐ないと思っているから、苛立ちを言葉に乗せてしまう。 「あん時だって、あいつの為に身体張るし――――普通そこまでしなくねぇ?絶対おかしいよ。それともなに?そこまでしなくっちゃいけない何かがあんの?」 そんな事、今まで考えた事もなかったのに、ふいに思いついた言葉を口にしてしまう。頭で考えるより先に言葉が口から滑り出して、いい加減にしておかなくてはいけないなんて事は頭の隅に追いやられる。届かない思いと拒絶される態度に、苛立った日々を送っていたからなのかもしれないけれど。 その言葉に、由岐人の顔色が明らかに変わった事にも、気付くのが遅かった。 「――――あったら、どうする?」 「え・・・っ」 自分で言っておいてなんだが、剛はまさかそう返ってくるとは思っていなかったらしく、一瞬言葉に詰まる。 由岐人の言葉は、怒っているというよりは、何かを押し殺したようなそんな感じ。それでいて、何かを試そうとしているのに、剛にはそんな細かい機微には気付かない。ただ、剛は言いようのない感情が、胸の中に押し入ってきた。 「僕と咲斗」 「・・・なんか、あんの?」 「だから、あったらどうする?」 由岐人の顔は、いつもみたいに皮肉ったような顔色なのに、その瞳だけが鋭く剛を射抜いていた。その黒目の奥に何かがあるのに、頼りなげに揺れているのに、今の剛にはそれがわからない。 「どうって・・・、何があんだよ。あ、もしかして近親相姦とか!?」 いつもと違う雰囲気の由岐人に、剛はとりあえず冗談みたいな言葉を口にしてわざとらしい笑い声をあげる。そうやって、この重い空気を軽く受け流して終わってしまおうとするのに、由岐人はクスリともしなかった。 「近親相姦してたら、どうする?」 「どうする、って・・・・いや、ありえないだろ」 「どうして?あり得るかもしれないじゃん」 由岐人の言葉が本当かどうかなんて、剛には当然まったくわからなくて。ただ真っ直ぐな由岐人の視線だけが痛くて、怖かった。 それはまずいだろうという言葉や、響のことはどうなるんだとかそんな思いも、何も浮かんでは来なくて。ただただ、剛は目の前の由岐人に飲まれていた。口をぱくぱくさせては見るものの、気の利いた言葉一つ出てこなかった。 2人の間を奇妙な沈黙が流れていく。たぶんそれは数秒の事でしかなかったはずなのに、剛にはそれが何分にも思えた。 すると突然由岐人が笑い出した。 「なーにマジでびびってんの?ばかでしょ」 「っ、おい!」 剛を指差して、げらげらと由岐人は笑い声を上げた。それはいつも通りの、人をどこかバカにしたような由岐人の態度で。いたづらが成功したことにただ喜んでいるようにしか見えないのに。 それでも、剛には今までの会話の全てが冗談には、どうしても思えなかった。そう思うには、由岐人の瞳の色があまりにも――――――――暗かった。 「こんな事でびびってんじゃねーよ」 ひとしきり笑った後、少し乱暴に言った由岐人の瞳は今度は恐ろしいくらいに冴えていた。冷たく、剛を突き放すように。何もかもを断ち切るように、凍えていた。 けれど、そんな冷たい顔なのに。今にも泣き出すんじゃないかと剛には思えた。今泣き出すのを、必死で堪えている小さな子供の顔に。 「由岐人――――」 それだけで、剛はひどく自分が由岐人を傷つけたのだと思えて必死で言葉を捜そうとしたけれど。 「もういいよ。響から何にも聞いてないんでしょ?ったく、役立たずだね」 そう辛らつな言葉を剛に投げかけると、まだ半分は残っているサラダをそのままに由岐人は立ち上がった。 財布の中から3千円を取り出す。 「由岐人、待てって」 そのまま立ち去ろうとする由岐人を捕まえようとテーブル越しに剛が手を伸ばしたのだが、由岐人の手によって軽くはたかれてしまった。 「こっちが呼び出したから、これお金」 「いらねーよ」 テーブルに置かれたお金をぐしゃりと剛が握って由岐人に返そうとしたのだが、由岐人はそのまま剛を無視して店外へと出て行ってしまった。 「待てって!」 剛は慌ててジャケットを手に後を追うとしたのだが、レジでお金を支払っている間に由岐人さっさと姿を消してしまっていた。店外に出たときには、その姿は跡形もなく。後姿を捉える事はできなかった。 「ちくしょ――――っ」 剛はその場で小さく言葉を吐き捨てて。手にしたジャケットが皺になるのも気にせずに握り締め、アスファルトに叩きつけた。 届かない想いに、苛立って焦って、つまらない言葉を投げかけた自分を悔やんでみても、今更その言葉を消してしまえるわけでもなくて。わけもわからないままに、傷つけてしまったことだけが真実。 ――――もう・・・無理、なのか・・・・? 遠すぎる由岐人の心に。そんな想いが剛を包み込もうとしていた。
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