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「お前っ、連絡もしてこないで今まで何やってたんだよ!!」
 剛の怒鳴り声が、駐車場内に反響して響き渡る。響と顔を合わした瞬間、安堵と驚きと怒りにつかみかかろうとした剛を咲斗がなんとかなだめ、3人は駐車場まで移動してきていたのだ。
「ごめん!色々あってさ」
 響は顔の前で両手を合わせて謝る。
「色々って、お前っ・・・俺がどれだけ心配したと思ってんだ!?」
 剛は身体全身で怒っていた。長年バスケをやっている事もあって、その体格は綺麗に筋肉がついていて引き締まり、背も咲斗より少し高いくらいの長身。髪は短かめに切ってあり、少し焼けた肌とも合わせて、爽やかな青年といった印象だ。
 その剛が今、肩を怒りに震わせている。
「まじで、本当にごめん。俺も連絡だけはしようと思ったんだけど、色々あってそれも出来なくて」
 確かに、剛の立場なら当然怒鳴りたくもなるだろう。明日から一緒に住む予定の友人がいきなり消えて、行方不明になったのだ。そして、それっきり連絡ひとつ無い。
 剛にとって、苛立ちと焦りだけが過ぎた2週間だった。それが突然本屋でのんきに買い物なんぞをしてるところに遭遇すれば、怒らずにはいられない。
「だからその、色々ってのはなんなんだよ!!」
 その姿はまるで大型犬が唸り声をあげているかのようだ。もし、どうでもいいような理由なら今すぐにでも飛び掛かかってやると言わんばかり。
 が、響とて中々言いにくい事情だ。
「ん――・・・その、ちょっと説明しにくいというか・・・」
 響の曖昧な言葉に、ギラっと剛の目が輝く。
  ―――――ん〜〜〜困った・・・
 説明を求められても非常に困るのが、今の響の状況なのだ。響は一体どう説明したらいいのかと、救いを求めるように横目で咲斗を見たが、その咲斗は横目で剛を観察していた。それも、物凄く不機嫌そうな顔で。
 ―――――まずい・・・
 あっちもこっちも不機嫌らしいこの状況に、響の口から自然とため息が洩れる。
「なぁ、響。ところで、この人は?」
「あ、えっ・・・と、咲斗さんって言って、俺―――今この人のところに住んでんの・・・」
「は!?え・・・住んでるって、どういう関係!?」
 剛からすればどう見ても不釣合いに見えた二人。しかも自分は初対面で、その名が響の口から聞かれたのも今の今が始めて。
 それが一緒に住んでいると言われれば、声くらい裏返る。
「うんっ・・・と、それはちょっと複雑で今説明しにくいんだけど、でも、ちゃんとやってて、大丈夫だから」
「大丈夫って・・・お前・・・」
 その説明の何が大丈夫なのかと、突っ込む気力も失せる。
「ほんと、なんか色々あってこうなっちゃってさ、剛には凄い迷惑かけちゃって、本当申し訳ないと思ってる。一緒に住むつもりで部屋まで借りたのに・・・」
「ああ、それは別に大丈夫だから気にすんな」
「気にすんなってだって・・・俺、お金とか払ってないし・・・」
「とにかく今はそれは置いとけ。それより、一緒に住んでるって」
「・・・うん」
 どう見ても納得出来てない剛の顔に、響は変な汗が滲んでくる。
「・・・一緒に住んでるって・・・・・・実は響はゲイで、この人は恋人なんですとかってオチじゃねーよな?」
「は!?な、何言ってるんだよっ、そ、そんなわけないじゃん」
 響は剛のイキナリの言葉に思い切り狼狽してしまう。まして、微妙に今の状況にかすった直球なのだ。間違いなく自分はゲイでもないし、咲斗は恋人でもない。ただ、そういう関係だけはあるわけで。それを友人にはやはり、知られたくはなかった。
「そ、そーだよなぁ。お前女好きだったしな!」
「おい!!」
 ―――――余計な事言うなっ!!
「だってこの人俺の事睨むし」
 しれっとした顔で咲斗を指差す剛の態度に響は焦る。
「この人って、だからっ」
 咲斗さんだっ―――そう言おうとして、思わず見上げた咲斗の顔に、響が一瞬怯んでしまった。
 ―――――えっ・・・な、に・・・っ・・・・・・
 そこには響が今ままでに見た事もない、完璧に無表情の咲斗が自分を見ていた。そのあまりに冷えた視線に、響の背中を嫌な汗が流れ落ちる。さっきの不機嫌な物とは全然違うその視線を、響は正面から受け止める事は到底出来なくて、思わず俯いてしまった。
 ―――――どうして?何・・・・・・何怒ってんの・・・?
 たぶん、っていうか絶対すっごい怒ってるんだろうって事はわかる。でも、それが女好き発言の所為なのか、剛の存在に怒ってるのか、もっと違う理由なのかが響にはわからない。
 けど、そんな風にそんな視線で見られたくない。
 ―――――怖い。
 え?俺今、怖いって思った・・・?―――なんで・・・・・・
 わかんない。
 でも、痛いよ・・・・・・
「おーい!響!聞いてるのか!?」
「えっ、あ、ごめん・・・・・何?」
 慌てて顔を上げる響の反応を見て、剛は盛大にため息をついた。
「わかった。とりあえず、お前が無事ってわかっただけでも良かったし」
「あ、うん」
「じゃぁこれから連絡するときはどうしたらいい?お前携帯も繋がんないだけど」
「あぁ・・・携帯は、そのどっかやっちゃって」
「新しいのは?」
「まだ、なんだ」
「は?ったく。じゃぁーえっと、待って」
 剛は制服のポケットからメモとボールペンを取り出して、電話番号とマンションの住所を書いた。
「どうせお前の事だし、覚えてないんだろ?携帯新しいの買ったら即電話して」
「わかった」
「で、響の今の住所も教えておいてくれよ」
「あ・・・、ごめん」
「――――明後日バイト休みなんだよ。ちょっと会えないか?」
「ごめん、無理・・・」
 その返事に何故か剛はチラっと咲斗を見てから、わざとらしく息を吐いた。
「理由も言えない、電話も無い、住所は言えない、明日は会えない――――ね」
「・・・ごめん」
 剛にしては珍しい嫌味っぽい口調にも、響は謝るしか出来なかった。
 でも、剛には凄く申し訳ないと思いながらも、響の心を占めていたのは咲斗の冷たい視線。
「わかった。でも、絶対電話はくれ。いいな」
「・・・うん、わかった」
「じゃぁ、俺もう行くわ」
 剛はそこで、やっと本来持ち前の人懐っこい笑みを浮かべた。
 それに響もホッと息を吐く。
「絶対!連絡しろよ!」
「・・・ん」
 響の自信無げな返事に剛は眉を潜めながらも、案外あっさりと響に手を振って駆けて行ってしまった。その姿を笑顔で手を振って見送った響だったが、その姿が見えなくなった途端咲斗の方へ向き直る。
「ごめんね。なんか・・・」
 勇気を出して見た先の瞳は、さっきよりは少しばかりマシになっていた・・・気がする。
「別に。ここへ来たのも俺だし。会ったのだって偶然なんだろ?」
「もちろん。剛がここでバイトしてるなんて知らなかった。あいつは大学受験の為にずっとバイトはしてなかったし・・・」
「そう」
 咲斗は、荷物を車の後ろに乗せる。
「その前は、近所のコンビニでバイトしてたしっ」
 言い訳する必要も無いのに、慌てて紡いだ言葉は咲斗の背中に弾き返された―――――様に、響には感じられた。
「ねぇ・・・・・・咲斗さん、なんか怒ってる?」
「別に」
「咲斗さん・・・それ、別にって顔じゃないよ」
 響は泣きそうになる。声が違う。いつもの声じゃない。優しいときとも、ちょっと意地悪な時とも全然違う。普段怒ってるっぽい時ともまったく違う。
 今、初めて分かる、あれは怒ってるふりの声なんだ。本当に怒ってるのは今。
 それはあまりにも冷たい響きで。
「さっさと買い物すませちゃおう」
「咲斗さん!?」
 怒ってるくせに、何も無いような顔をするく咲斗に響は声を荒げた。
 理由なんかわからない。でも何か無性に腹が立って、悔しくなった。なんで悔しいのかわからないけど、でも悔しい。
 けれど咲斗は響の真っ直ぐな瞳を避けるように視線を逸らして、さっさと一人歩き出した。その後を、響は無言で見つめていた。別に逃げ出そうとかそういう事を考えていたわけじゃない。ただ単に足が前へ出なかったのだ。そのまま少しづつ小さくなる咲斗の背中を響は黙って見つめながら、ただ立ち尽くした。
 振り返ろうともしない、背中。
「ばか・・・、逃げるぞ」
 呟いた声は小さすぎて、随分向こうにいる咲斗へは届くはずもない。そのまま、とうとうその背中は車の陰に隠れて見えなくなってしまい、響はそこにずるずると座りこんでしまった。追いかける気力など全く無い。
 ただよく分からない感情が胸の中を渦巻いていた。名前をつける事の出来ないその想いの正体が、響にはわからない。ただ、悲しくて悔しくてもやもやして、イライラした。
「・・・ばか」
 コンクリートの上にペタリと座り込んで車に頭を凭れさせる。シーンと静まり返った空間は寒々として、このまま世界から取り残されてしまうような錯覚に、急に怖さがやってきて自分の腕をぎゅっと掴む。
 どれくらいそうしてたのか、たぶんそれはほんのちょっとの時間に違いないのに、響には永遠に感じられた。永遠の孤独に。けれどその静けさは、足音によって掻き消された。
「響!?どうしたの!?」
 その声にビクっと身体が反応して、のろのろと視線を向けた。
「・・・・・・」
 反射的に何か言おうと口を開いてはみたが、響の口からは何も言葉は発せられない。
「響?え・・・、どうしたの?気分でも悪くなった?」
 物言わぬ響に、さっきまでの不機嫌な顔はどこへやら咲斗は慌てた様子でおろおろとして、しゃがみこんで響の顔を覗き込む。
「・・・違う」
「え?」
「怒ってるから・・・」
 それが悲しくて。理由も言ってもらえなくてわからなくて。せっかくの楽しい気分がしぼんでいくのが苦しくて。そう思うと足が前へ出なかっただけ。まるで、何かに怯えるように立ち尽くしてしまっただけ。
「・・・咲斗さん、怒ってるから」
「うん」
「咲斗さんの、瞳が・・・冷たくて・・・」
 怖かったんだ。
「怖かったんだ。もう、嫌われたのかなって」
 好きも嫌いもないはずの関係なのに。
「響・・・」
「・・・あの人の・・・義父の、俺を刺すような冷たい瞳。それが、怒ってるときの瞳の色と、ちょっと似てて」
 幼かった頃、嫌われる理由もわからずただ泣き続けた夜があった。その夜を何日も何日も越えて、こんな気持ちはどこかに置いてきてしまったはずなのに。
 嫌われることも憎まれることも慣れたと、何も感じないと思っていたはずなのに。何故こんなに苦しくなるんだろう。
「ごめん。ちょっと怒りすぎたね。―――ごめん」
 咲斗は、震える手でを優しく響を抱き寄せた。大好きで、愛して止まない人をこんな風に傷つけてしまった、やりきれない後悔と切なさが咲斗の心を締め付けた。
 目一杯否定された、恋人という言葉にただ一方的に腹を立ててしまったのだ。恋人ではないのは、間違いようの無い現実なのに。
「怖すぎだよ・・・」
 ちょっと拗ねた声に、ホッとする。
「・・・ごめん。ごめんね?」
「なんで、怒ってたの?」
「もう、いいよ」
「よくない。俺、また同じ間違いするかもしれないし。また怒らすかもしれないし・・・・」
 あんな瞳で見られたくない。
 それは聞こえるか聞こえないかくらいの、小さな小さな声。でも咲斗の耳にはちゃんと届いてさらに咲斗を落ち込ませた。
「本当いいの。ちょっと八つ当たりだから。ごめん。・・・ね?許して?」
 そこで響は初めておそるおそる顔を上げた咲斗を見た。
 そこにはいつもと変わらない様に笑ってる咲斗がいて、いつもとかわらないように優しい目で。あまりにホっとして、響は思わず咲斗にぎゅっと抱きついた。
「響!?」
「良かったぁっ。いつもの咲斗さんだ」
「・・・うん。ほんとごめん」
 一緒に住んでる理由が説明できないのも、自分が恋人じゃないのも、それを思いっきり否定されるのも、自分との関係を知られたくないのも当然なのに、いらだつ気持ちを抑えられなかった。そんなに怖い顔してたつもりじゃなかったけど、自分の気持ちの整理がつかなくて。
 ―――――まだまだ修行が足りないなぁ・・・
 咲斗は響を優しく抱き締め、そっと立たした。そして、その目の端にキスをした。
「ちょっ、ダメだよ。こんなところで!!」
 途端に響は身体をひねって逃げようとする。
「何さ、自分から抱きついてきたくせに」
「それはっ」
 少し頬を赤らめ、途端に抗って身体を離そうとする反応はいつもの通りの響で、咲斗はホっとして笑みを漏らす。
「さ、買い物しに行こう。もう6時だ。早く済ませてご飯を食べに行こう。おなか減っちゃった」
「うんっ」
「何、買おうっか?」
「ん−、ピーマン以外」
 その、お子様発言に咲斗は思わず大笑いして、真っ赤になって拗ねている響の耳にそっとキスをした。






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