新年早々4




「――――」
 新年最初の目覚めは、ふっと唐突に咲斗に訪れた。夢を見ていたわけではない。ただ本当にパッと目が開いたのだ。
 斜光カーテンに遮られて、外の明かりは室内に入って来ていないけれど、既に十分お日様が昇った時間なのだろうな、と思う。なんせ寝たのが遅かった。
 甘い時間を少しでも引き延ばしたくて、少しばかりしつこかったかなと反省する気持ちが無いわけではないが、だからといって今後の行動が改まるのかと言えば決してそうではないから、反省は無意味なものでしかない。
 腕や肩にかかる見知った重みに視線を向ければ、響はまだすやすやと寝息を立てている。
 ―――――新年、か。
 だからといって、朝のこの光景が変わるわけではない。ただ、心穏やかに1年を過ごして行きたい、と改めて思う。
 既存店は色んな風営法の改正や世間の景気には左右されてはいるが、おかげさまで堅調な経営が出来ているし、優秀なスタッフにも恵まれている。
 緩やかに右肩上がりで推移していくのが一番である。自分は頭の切れる実業家肌の人間では無いと咲斗は思っている。小心者で、些細な幸せをただ守っていきたいだけの人間で、危険よりも安定を好む、堅実な普通の人間なのだ。
 臆病で、弱い。だからこそ、必死になれるのかもしれないが。
「ん・・・」
 視線に気づいたのだろうか、響が小さく声を漏らした。
 まだもう少し寝かせておいてあげたいきもするけれど、少々空腹も憶えてきたし、それに初詣も行っておきたい。
 それに、
「響?」
 その瞳に自分を写して欲しいとも思う。
「ん・・・っ」
「響。起きて。もう昼だよ」
「う・・・ぁあ?――――ああ、・・・咲斗さん・・・」
 寝ぼけ眼間瞳が咲斗を見る。
「おはよう」
「朝?」
「昼」
「んん〜」
「眠い?」
「いーさ」
 "さ"に、誰の所為さ、という意味が込められていたのを気づいたが、咲斗はさっくり無視することにする。
 響はんんーっと布団の中から両腕を伸ばした。年末から冷えた所為できっと外は寒いのだろうけれど、室内は暖房が効いているので温かだ。
 響が、ぱちぱちと2度3度瞬きをする。
「おはよう」
 目が醒めたらしい。さっきよりしっかりした声で、しっかりとした眼差しで響が言う。
「おはよう。起きようっか」
「うん。お腹減ったし、あ」
「何?」
 ベッドに半身起こしたところで響がはたと声を上げて、咲斗を見る。
「忘れてた。あけましておめでとうございます」
「ああ。あけましておめでとう。―――――今年もよろしく」
「こちらこそ」
 ベッドの上で座り合って、目が合って、なんとなく笑ってしまう。でも日本人に生まれたからには礼を重んじてちゃんとするべき挨拶はしなくては。
 なんて、正月だけは思ってしまう。
 ほぼ全裸の体で言うのはなんだか滑稽な気がしないでもないけれど。
 今年こそ規則正しく襟を正して、なんて思ってみたりする。
「朝ごはんは昨日と似たような感じだよ」
「うん、いいよ」
「鯛の半身と、お雑煮と煮物と栗金団」
「だし巻きが食べたい」
「はいはい」
 正月最初の咲斗のリクエストは、響の穏やか笑みとともに容易に受け止められる。そんな些細な事に幸せを感じているのを響は知ってるだろうか。
 いや、たぶん知っている。だって、響も同じに違いないから。そして、咲斗が響の作る出汁の効いただし巻き卵が好物なことも。
「あ・・・」
「どうした?」
 携帯に目を向けた響がクスっと笑う。それだけで、誰からメールなんだろうかと気を揉んでしまうのは、まだまだ器が小さい。
「美紀さん。晃さんと一緒の写メで、おめでとうメールだ」
 咲斗が覗き込むと響は当たり前のように携帯を見せる。そこには、満面の笑みというか酔っ払いの笑みというかのカップルが写っていて。
 ―――――・・・やっぱり面白くないな。
 彼氏がいるし、響とはもちろんなんでもないとわかっていても、この顔を見ると面白くない気持ちが咲斗には沸きあがってしまう。
 自分の知らぬ時間知っている者にも物に、嫉妬してしまうのだ。
「剛からはまだだから、寝てるのかもね」
 響は言うと携帯を閉じて、洗面所に向かう。
 ぬるま湯で顔を洗って歯を磨いて、ササっと部屋着に着替えてキッチンに立った。湯を沸かして、とりあえず雑煮にかかろうと餅をオーブントースターに二つ入れたところで、咲斗もやってきた。
 ラフなTシャツに綿ニットのカーディガンを羽織って、下はおしゃれなスエットパンツ。あくびをしているその横顔を見つめると、襟足が寝癖にハネていた。
「すぐするから」
「じゃあ準備しとく」
 外からの日差しは暖かではあるが、きっと寒いのだろうなと思う。冬らしい晴れ空に一時目をやってから、咲斗は取り皿や箸をテーブルに並べた。
 正月だし、お屠蘇でもと思わないでもないのだが、
「響、初詣行くだろ?」
「ああ、行く?」
 フライパンに目をやりながら返事を返す響に、
「行こうよ。明日は行けないし」
「いいよ。でも時間も時間だし、近場でね」
「うん」
 時間があれば、車でドライブがてら遠出してもいいのだが、しかし今は正月。もしかして車が混んでたら、年始早々渋滞でイライラしたくはないものだ。
 ここはやはり電車でいけて直ぐのところがいいだろう。幸い、有名な神社も電車で直ぐ行けるのだから。
「鯛、出しとく」
 咲斗は卵焼きの焼ける良い匂いに鼻をひくひくさせながら、冷蔵庫から鯛を取り出して、昨夜からの煮物も一緒にテーブルに並べた。
「卵焼き完成っと。これもお願い」
「はいはい」
「アチチ」
 オーブントースターでこんがり焼けた餅を熱そうに取り出して椀に置き、大根と柚と三つ葉の入ったすまし汁をかけた。
「出来た」
「持ってく」
「ご飯普通でいいよね?」
「うん」
 ほかほか湯気をたてるキラキラと輝く白い米をお茶碗にふっくら盛って。
「お待たせ」
「お腹減った」
「じゃあ、いただきます!」
「いただきます」
 静かな部屋に、二つの元気な声が重なって。窓が風にガタっと揺れる。
「外寒そうだね」
「日本海のほう、凄い雪降ったんだろ」
「ひゃぁー。やっぱ冬だねぇ〜」
「あったかくして行かなきゃ。――――ああ、出し巻き美味しい」
「そう?良かった。煮物も良い具合に味染みてる」
「こういう時、日本人で良かったって思うな」
「確かに。朝はやっぱりご飯だもん」
 そういう響の口にはパクパクとご飯が運ばれて、咲斗の口にもどんどん運ばれて。鯛はみるみるうちに骨だけになっていく。
 彼らは眠っただけではなく、十分すぎるほど体力を消費したのだからエネルギー補給は必要なのだ。
「初詣行って、夕飯どうしよ」
「響、今から夕飯の心配しないでくれる?」
「だって」
「食べて帰ってもいいし、買って帰ってもいいし」
「家で食べるなら適当に作るよ。明日鍋だし、今日も鍋は嫌だろ?」
「そうだねぇ」
 というか、朝ごはん食べながら夕飯の心配をしなくてもいい気はするが。
 そうこうしているうちにテーブルの上に並んだ料理は綺麗に平らげられて、一合だけ炊いたご飯もちゃんと売り切れてしまった。










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