新年早々6
「ところで、夕飯どうする?――――咲斗さん?」 「――――」 「咲斗さんっ!」 「えっ・・・ああ」 咲斗は響に呼ばれて、ハッと悪い夢から醒めたような虚脱感とともに、脳がいきなり目の前のものを受け止めた。 人々と光の渦が七色の光を放ちながら、押し寄せて通り過ぎていった。 「――――え?」 駅前でたこ焼きを食べていたはずなのに、気づけば繁華街にいた。人々が元旦だというのに溢れかえり、あちこちでSALEの声が上がり、今度は目にその赤い字が飛び込んでくる。 黄色や白や黒やピンクなどの色とりどりの紙袋が動き、それを目で追えば色んな色と交わって悪酔いしてしまいそうである。 「大丈夫?気分悪い?」 「ああ、ううん。大丈夫」 咲斗は、自分が随分ボーっとしていたのか考えに囚われていたのか、ともかく現実からは乖離してしまっていたことを知る。 その原因は―――――――――― でも何故、今になってこんな事が気になるのだろうか。響が淡白なのも、ある意味薄情なのも知っていたのし、元カノと遭遇するのも初めてでは無ければ憶えていないのも初めてではないのに。 でも、思ってしまったのだ。 何故こんなに、あっさりとしてしまえるのだろうか、と。それに、少しばかり人数が多すぎやしないかと。 「本当に大丈夫?なんか、顔色悪いけど」 「大丈夫だよ、ちょっとぼーっとしてただけでえっと――――なんだっけ?」 とりあえず浮かべた笑顔は、響には疑われなかったらしい。少しまだ納得はしていない感じの顔をするけれど。 「夕飯。どうするって聞いたんだけど?」 「ああ」 夕飯。 そうか、そんな時間か。でも、正直、あまり食欲が無いな。 「ごめん、まだお腹減ってないし・・・。家で、でもいい?」 「え?やっぱり具合悪い?」 「違う違う、そうじゃなくて、朝しっかり食べたし、たこ焼きも食べたしさ」 「そう?でも・・・」 大丈夫だよってもう1度咲斗は笑顔を浮かべたけれど、この笑顔は響にはやっぱり信じきれないものがあったらしい。 眉根を寄せて「帰ろう」と、宣言するように言うとくるりと身体を駅のほうへと向けた。その優しさが、嬉しいと純粋に思うけれど今まで付き合っていた彼女達にはどうだったのだろうと、咲斗は気になった。 どんな風に接したのだろうと、それは今まであまり考えた事が無い事だった気がする。 彼女達はどれくらい本気だったのだろう。響は彼女たちをどれくらいの想いだったんだろう。それは、今に自分に対する気持ちとどれくらいの違いがあるんだろう。 「咲斗さん?」 振り返る響の顔。 心配そうで気遣う優しい、大好きな響の顔。自分はこの顔を生涯見続ける事が出来るのだろうか? ・・・・・・ 「はぁーあ」 響はキッチンで人知れず深いため息をついた。目の前では餅が網の上に乗っている。今日は4人で新年会(?)だ。 メニューはブリしゃぶ。中にお餅も入れようと先に軽く炙っているところなのだが、その餅よりも先に響の頬が膨れそうである。 だからといって別にむくれているわけではないのだが。 「なんかなぁ・・・」 新年早々、昔付き合っていたらしい女とばったり出会うとは運の無い、と思う。しかもそれを咲斗が気にしている風なのがまた気が重くなる。 まさか、気にするとは思わなかったのだ。 憶えてもいない女の事など。 「・・・はぁーあ。あっ」 落ちてくるため息に嫌気がさしたのか抗議するように餅がプクっと膨れて、慌てて響は皿に取る。いつもならそこで見ているはずの咲斗はここにはいず、部屋にいる。 年賀状や年賀メールを確認しておきたいから、と言われた理由は尤もだけどなんだかそれだけじゃないものを感じて心にしこりは残る。 残り、居座る。正直、昨日声をかけてきた相手に恨み言を吐きたいぐらいな気分だ。許されるなら、呪詛の言葉を吐きたい。 「もうっ」 抱えきれなくなった不満を声に出してみたちょうどそこへ、ピンポーンとチャイムが鳴った。 ―――――来た!! 響は火を止めて、パタパタとスリッパの音を立てて玄関に向う。この音に気づいて咲斗が出てきてくれないかな、なんて心の隅で期待しながら。 でも、ドアにたどり着く方が、早かった。 「おめでとう」 「おめでとう」 「おめでとう――――あれ、咲斗は?」 「ああ、部屋。年賀メールとかのチェック中で」 言った言葉も態度もいつも通りで変じゃなかったはずなのに。流石双子というべきか、由岐人は美しい眉を器用に上げて、意味ありげな視線を響になげかけてきた。 けれど響は、返す言葉を持ち合わせていない。 「・・・そ。挨拶してこよう」 言うなり、響を押しのけるようにして上がりさっさと咲斗の部屋へを向ってしまう。 「あ、どうぞ。もう用意終わるし」 「手伝うぜ。これ土産の酒と、言ってたあんこう」 由岐人が人からあんこうも貰ったらしく、鍋にそちらも入れることになったのだ。その包みを響は受け取ってキッチンへと向かう。 冷蔵庫には切られて盛られた野菜や豆腐、器に綺麗に並べられたブリもスタンバイ済みなのだ。響はその中にアンコウも加えるべく、包みを開ける。 「――――で?」 「え?」 目の前をあんこうを、どの皿に盛るか考えている不意だった。間抜けな声を上げたな、と我ながら思う。これじゃあ、何も誤魔化しきれそうに無いではないか。 「何があったんだよ」 「・・・何も」 「んなわけねーじゃん。喧嘩?」 「違う」 「んーじゃあ年越しセックスしくじったとか?」 「――――っ」 「まじ!?」 「ちがっ、しくじってないっ、よ」 「じゃあなんだよ」 剛の目が容赦の無いものになっていく。昔から変なところで口下手というか、しゃべらなくなる響の口を開かせてきたのだ。 もう、視線だけで威嚇は十分。 「別に、なんでも無いし」 「んーなこと言ってたら解決策見出せないぜ?」 「・・・・・・」 「悪いのは、響?咲斗」 響は剛の視線を逃れるべく背を向けて、視線はあんこうに集中させる。けれど、意識は背中の方へがんがん向いているのだからしょうがない。 「どっち?」 むむっと、あんこうを睨んだら、あんこうが可哀相だ。 釣られて皮を剥がれて、さばかれた上に、煮られる前に睨まれるとは。 「どっちでもない」 「どっちでもない?」 響は口を開いた。どのみち、響も聞いて欲しかったのだろう。相談出来るのは二人しかいないのだから。 「・・・昨日、初詣に行ったんだ」 「へー」 「女に会った」 「誰?」 「俺の、元カノ・・・らしい」 「らしい?」 「憶えてない」 フっと響にはわからない程度に剛が息を吐き出した。 「じゃあなんで元カノ?」 「向こうがそう言った」 「まったく覚えねーの?」 「なんとなく・・・は。でも感じが変わったらしくて。その、お姉系になってたし」 「で、喧嘩した?咲斗と」 「喧嘩はしてない、でも」 「でも?」 「あの後からなんか咲斗さん、様子変っていうか」 「変?」 言いにくいのか菜箸であんこうを突いている。今から食べるのに。しかも、最高級ランクのあんこうなのに。 きっと、このあんこうもどうせなら高級料亭に貰われたかったと思っているだろう。 「変って?」 「・・・んか、ぼーっとしてる、考えてるし、テンション低いっていうか」 「それで?」 「・・・昨日、は、しなかった」 「ほお」 「別にっ、毎日したいとかじゃないけど」 「ああ」 「なんか、全然するきゼロで。なんか、ぎゅってする時もぎこちないっていうか」 言いながら響はなんだか情けなくなって、泣きたくなってきた。 やっぱり自分が悪いんだろうか。でも、今更過去は変えられないのに?それとも、女の趣味が悪いと思われたのだろうか? でも、憶えてないってことは、タイプじゃなかったって事だし、きっと。 いや、覚えて無いのはいつもかな。嫌々そんな事は無い、覚えている人もいる。初めての人とか、知らない間に二股になってて修羅場になった相手とか。 だから―――――――― 「ああもう、どうしよ・・・」 咲斗は誰とも違うのに。 たった一人の人なのに。 涙を堪えてきゅっと唇を噛んだ響に、剛がしょうがねーなとため息を吐き出した時、由岐人と咲斗はというと、まったく同じような会話がなされていた。 「どうしたのさ、ぶーたれた顔して」 由岐人は苦笑を浮かべて、パソコンなんか全然眺めていない咲斗言う。何がメールのチェックだか。まぁ、もちろんそれもしたんだろうけれど。 「別にぶーたれてねぇよ」 珍しく口調が荒れていた。もたれた椅子を押すから、ギシギシと鳴る。 そんな咲斗に、懐かしさと共に痛みを由岐人は感じた。蘇ってくる過去の記憶。由岐人の沈黙に、咲斗もバツの悪そうな横顔で、"悪い"と小さく呟いた。 なんて、脆いのだろうか。 由岐人も、―――――――――自分も。 今の4人は、結局は危ういバランスで、ちょっとした事で崩れ落ちる氷細工の様なものなのだろうか。 「響と、喧嘩した?」 「喧嘩っていうか、俺が一方的に気にしてるだけなんだ。でも」 由岐人は無言で先を促す。 「うまく笑えなくて、ね」 「何があったの?」 由岐人は閉じたドアにもたれていた背を起こして、ふかふかのラグが敷かれている床にクッションを置いて座る。 「なんてことはない。響の昔の彼女に会っただけ」 「また?・・・前もあったよね」 「ああ。別にそれがどうってわけじゃないんだ。色々遊んでたらしいのは聞いてるし」 言いながら心がチクンと痛んだ。これは理性じゃあどうしようもない感情。 「うん」 「たださ、響があまりに淡白でさ」 「淡白?」 「そ。昔の彼女、覚えてないって言うんだ」 「へぇ〜」 それは付き合った期間が短いか、興味が無かったかなんだろうけどねぇ、と由岐人は思う。響が昔少々荒れていたらしいことは、剛を通じて聞いた事もあったし。 「前の時もそんな事言ってたし。―――――なんかなぁーって」 「それで何が気になるのさ?」 「・・・・・・俺も、そうなるのかなって」 「―――――――バカバカしい」 この一言には、由岐人は強烈な脱力感を感じた。この兄は、本当に本当に本当に、そんな事を気にしているのだろうか? 「由岐人!?」 「そんなわけないじゃん。考えたらわかるだろ?」 由岐人は付き合いきれないな、と呆れた顔で立ち上がった。 「早くリビング行こうよ。お腹減ったし」 まったくあんなに愛されてて何に不満があって不安になるんだか、ちっともわからないなと由岐人は思うのだが、それは自分にだって言えるんだぞ、ということがわかっていないらしい。 所詮、恋は盲目。 「ほーら!行くよ」 「うん・・・」 咲斗も、いつまでも篭ってられるわけがないのはわかっている。 由岐人が強く呼んでくれるのを助けに、咲斗はようやく椅子から立ち上がってリビングへと足を向けた。 |