・・・11・・・ 「薫っ」 綾乃が慌しい昼食を取って、生徒席へ戻ろうと歩いていると、ちょうど前を行く薫の背中を発見した。 「あの、さっきは、ごめんね?急に走って行っちゃって」 「ううん。ちゃんと、理事長と話した?」 「うん。あ、その事で、今度話があるんだけど、いい?」 まだ、さっき雅人が言った言葉をちゃんと綾乃は信じられなくて、理解できていない。だから、話がまとまらないどころか、って話なんだけれど。 ―――でも、薫にはいつかちゃんと聞いて欲しい。 「うん、いいよ」 いつでもどうぞと、と薫は笑う。それはちょっと、全部わかってるっぽい笑顔で、話もしていないのに、綾乃はなんだかホッとしてうれしくなる。 「そういえば、綾乃、理事長が結婚すると思ってたの?」 「・・・・・うん。まぁ、色々僕なりに考えてね、そう思ってたんだけど。違ったんだよね?」 「うん」 当たり前でしょって顔で頷く薫に、綾乃はちょっと悔しくなる。 「じゃぁさ、なんで薫はあんなに杉崎君のこと嫌いがってたの?」 ―――だからてっきりそう思ったのに・・・・ と、その責任をちょっと人にも押し付けてもみる。もちろん心の中でだが。 「うーん、彼がどうして綾乃に近づいてきたかはよくわかんないんだけど、でも、その事絡みなのは間違いなかったからね」 「やっぱり、そうだよねぇ・・・でも、なんでなんだろ?・・・・・・・・やっぱし、友達にはなれないかな?」 「酷だけど、諦めたほうがいいね。彼はそういうタイプじゃないよ」 「・・・・・・・・・・・薫、もしかして前から杉崎君のこと知ってた?」 薫の言葉になんだか含みを感じて、綾乃はもしやと思って聞く。いや、むしろどうして今までその考えにいたらなかったのだろう。2人ともずっと桐乃華の生徒なのだから、今までに接点がある可能性は十分あったのに。 「うん、まぁ、ね」 やはりというべきか、薫は曖昧に笑って言葉を濁す。それは、なんとなくそれ以上の言葉を拒否しているようで、綾乃は自分の鈍さに軽く落ち込んでため息をつく。 その時。 「あぁー薫に綾乃!こんなとこにいた!!」 「翔」 廊下中響き渡るような大きな声を上げて、翔が前方から走りよってきた。 「昼終わったらリレーのバトン、最終チェックするって言っただろ!」 「あ・・・・・・っ!」 「すっかり忘れてた」 「薫はまだいいとして、綾乃っ!お前は絶対つれて来いって言われてるからな」 ビシっと翔は言うと、その腕をしっかりと掴む。 「・・・・・・・・ひど・・・・」 翔の言葉に、綾乃はがっくりと肩を落として、薫は苦笑を浮かべた。 けれど、翔はすぐに走り出すようなことはしないで、何かを逡巡するように綾乃を見る。 「あのさ、綾乃、なんかあった?」 「え?」 「いや、最近なんか様子変かもってちょっと思ってさ・・・・・・・俺、体育祭で浮かれてたけど、その、大丈夫かなって」 首を傾けてちょっといいにくそうに翔が言うと、一瞬の間の後、薫が盛大にため息をついた。綾乃も思わず、笑ってしまう。 「えっ、何!?」 2人の反応に、翔は慌てる。 「ううん、なんでもないの。なんか・・・・・・・翔っていいよねぇ!ずっとそのままでいてよね」 ―――なんだか、悩んでたのがばかばかしくなる。 「はぁ〜なんだよ、それっ」 「いや、綾乃、このままはちょっとまずいと思う・・・あまりにも、それは・・・お気楽すぎでしょ」 「なんだよっ、薫!お前っ」 一人わけのわからない翔なのだが、バカにされているのは分かる様で、顔を真っ赤にして怒鳴る。 「ったく、綾乃!むかつくやつは置いといて、先行こうぜっ」 「あはっ」 翔はぷんぷん怒って、薫にべーっと舌を出しながら綾乃の腕をひっぱって走り出す。 ―――うん、やっぱりここがいい。これでいいんだ。 綾乃は、ちょっと焦ったりした気持に流されたりも、本当はしてた。友達が欲しくて、焦って空回ってたのかもしれない。自分の居場所を、ちゃんと確固たるものにしたくて。 ちょっとしたひっかかりも違和感も、とりあえず横に置いて。自力で友達作って、僕は大丈夫って雅人さんに言いたかった。その所為で、みんなに心配かけたり、自分もつらくなっちゃったりしたけど。 でも、そのおかげで1番大事な事、見失わないですんだのかもしれない。と、今はどこかさばさばした思いが、綾乃の心を満たしていた。 ―――あんなに落ち込んで、もう先行き真っ暗だなんて思ったりしてたのに、たった一言でこんなに浮上してるなんて。 なんだかあまりにも現金な自分に、綾乃は思わず苦笑してしまう。 ―――結構僕って、お手軽だったんだな・・・・ 「翔、廊下を走るところぶよ!」 「るせー!子供扱いすんじゃねー」 翔が振り返って、怒鳴り返す。 「前見てっ」 薫の声が飛んだ瞬間、廊下の角から姿を現した人と翔はぶつかりそうになる。 「翔っ」 「すいませ―――――――っ、杉崎君」 そこには、怒りを全面に押し出した杉崎が立っていた。 「夏川君、理事長になんか言った?」 「え・・・・・言うって何を?」 出会い頭にいきなり言われて、綾乃はなんの事かわからないと首を横に振る。 「姉さんとの結婚の事だよ」 「結婚って・・・・・・・・・・僕はなにも言ってないよ。ただ、雅人さんからは、その話は断って終わってる事だって聞いたけど」 「え!?結婚ってなに?なんの話だよ」 自分の目の前で始められた話に、わからない翔が吃驚して声を上げると、薫が「シッ静かにして」と、翔を黙らす。 「それに、その話自体知ったのだって2日ほど前なんだし・・・・・・第一僕が何を言うっていうの?僕には、なんの関係もない話だよ」 ―――本当はもう、関係なくもない話。でも、それを話すわけにもいかない。 「僕だってそう思ってたよ。君には関係のない事だって。理事長と姉さんの婚約話が持ち上がったときだって、特に君と話そうなんて思ってもいなかった。入学当初、夏川君は理事長の親戚とか騒がれたけど、まったく関係ないんだってわかってたし」 「うん」 「理事長が姉との結婚を断らなければ、僕だって君とこうやって話すことなんてなかったんだ」 「・・・・・・・・」 「姉は以前にパーティーで理事長と会った時からずっと慕ってた。だから、この話が持ち上がった時、姉は凄く喜んでた。それなのに、理事長は姉に1度も会う事もなく断ってきたんだ。父の銀行から融資を受ける話が進んでいたのにだよ!?・・・・・・ばかにしてるっ!!許せないって思った」 硬く握り締めた杉崎の拳が、微かに震えていて、杉崎が憤って、やるせない思いを抱えていた事は、綾乃にも伝わってくる。 「だから、僕は君に近づいた。僕には何故か理解できないけど、理事長が君をとても気にかけているのを知ったからね。そこからなんとか機会を作れないかと思った」 「え・・・・おい、それって!!綾乃を利用しようとしたって事かよ!!」 「うるさい!!朝比奈君には関係ないんだから黙っててくれ!!」 「なっ!!」 「翔、黙って」 「な、なんなんだよっ。薫までっ!」 「いいから、後で説明する」 ―――翔が、すっごい怒ってる。 翔は、顔を真っ赤にして怒っていて、怒って暴れ出そうとする翔を薫がなんとか宥めていて。綾乃の心に、じんわりとうれしさが込み上げる。 ちょっと卑怯だけど、2人は僕の味方だから大丈夫なんだって、思わせられて。そんな風に思えるようになった自分にもちょっと感動する。 ―――雅人さんのおかげかな・・・・・・ 雅人がずっと勇気をくれてた。いつも見守っていてくれていたから。 「杉崎君は、お姉さんが好きなんだね。好きだから、役に立ちたっかんだ?」 「役?違う。姉の横には、理事長がお似合いだって思っただけだ。姉は本当に凄い人だよ。語学だって5ヶ国語話せるし、頭だっていい。綺麗だし、料理だって出来る。そんじょそこらの男じゃ勿体無い。でも、理事長なら・・・・・・・いいって思った。許せるかなって。それなのにまさか断るなんて思いもしなかった」 「・・・・・・・・・・シスコン?」 「だね」 薫と翔の会話が耳に入ったのか、杉崎は凄い目でにらみ付けて、綾乃は不謹慎だと思いながらも思わず笑ってしまう。 杉崎は、ただ大好きな姉のために、一生懸命だっただけなんだ。 「姉に会いさえすれば、理事長だって自分が話を断った事に後悔するって思った。間違いに気付くだろうって。それなのにっ!それなのに、姉には目もくれず、走り去った君を追いかけるほうを選んだんだ!!南条家にとってなんの役にも立たない一般人の君を!」 「・・・・・・」 ―――そっか。雅人さん、すぐに追いかけて来てくれたんだぁ。 杉崎から知らされるその言葉に、綾乃はちょっとスキップでもしたいくらいにうれしい気持が溢れてくる。あんなに綺麗な人より、自分なんかを選んでくれたんだと改めて知らされて。 「何うれしそうにしてんの?君は、親に捨てられて親戚の家からも疎まれてたらしいじゃないか」 「・・・・・っ・・・」 その言葉に綾乃の顔色が変わる。初めて動揺したように唇が震える。 ―――そのことは、誰も知らないって思ってたのに・・・・・・・・っ 「知られて無いとでも思ったの?そんなのみんな知ってるよっ!理事長は同情してるだけだって事もね!―――それなのに、そんな人が姉の邪魔するなんて、許せないっ!」 「許せないのはてめぇーの方だ!!」 とうとう我慢できなくなったのか、翔が薫の制止を振り切って綾乃と杉崎に間に割って入ってくる。綾乃をかばうように、立ちはだかって。 「綾乃の事利用するために友達になって挙句、よくそんな事言えるな!いい加減にしろよ、杉崎!!」 「友達になったんじゃない、フリをしただけだっ!それに、朝比奈君そんな事僕に言えるの?自分だってそうじゃないか!」 杉崎は吐き捨てるように言い放つ。 「なっ!?」 「朝比奈君だって、樋口君だって、元々理事長に頼まれて仕方なく夏川君と友達になったんじゃないか」 「杉崎っ!お前っ!!」 思わず杉崎に掴みかかろうとする翔を、綾乃がすんでのところで押さえる。 「君が入学して騒ぎになって、困った理事長が生徒会長に頼んだんだよ。それで生徒会長が弟の朝比奈君とその友達の樋口君に依頼して、二人は君と友達になったわけ。別に友達になりたかったからってわけじゃないよ―――理事長に言われては断れないからね」 どこか、勝ち誇ったように杉崎は言い放つ。自分の言葉で綾乃が打ちのめされることを信じて疑わない、強者な瞳。 それを綾乃は冷静に見つめ返していた。 ふと視線を落とすと、凄く焦ってかわいそうなくらい慌ててこちらを窺ってる翔の顔があって、横に目をやると、相変わらずのポーカーフェイスの薫がいる。でも、ちょっと息をつめてて、薫も緊張しているのがわかる。 ―――うん、大丈夫 どこからか、どうしてかわからないけど、綾乃の心に自信が沸いて来る。ただ、大丈夫だなって思える。 「知ってるよ」 「「えっ!?」」 綾乃の、どこか笑いすら含んだような余裕の返事に、杉崎と翔が思わず声を上げ、驚きの表情を浮かべる。ふたりとも、まさかって顔していて。 「2人と仲良くなってすぐの頃かな、薫にね、聞いたんだ」 「なっ、薫!お前!!」 「そりゃぁ、最初はショックだった。やっぱり、僕なんかには友達なんて出来ないのかなって思ったし。雅人さんに押し切られるみたいにココに来たけど、やっぱり僕とはみんな全然住む世界が違うって実感してたとこだったし、落ち込んだ。・・・・・でもね、薫が言ったんだ。きっかけなんてどうでもいいって。問題なのは、その先に進めるかどうかなんじゃないかな、って」 「・・・・・・・・っ・」 笑って告げる綾乃に、杉崎は奇妙に顔を歪める。 「薫はね、きっかけはどうあれ、僕と友達になれて良かったって言ってくれたんだ。僕も薫や翔と友達になれて良かったって思ってる。それで、僕はちゃんと先に進みたいって思ったし、二人もそう思ってくれてると思う」 ―――だから、大丈夫。 「――――――信じてるんだ?」 「え?」 「そんな言葉、信じてるの?二人とも、南条家に恩売りたいだけに決まってるだろ!」 苛立ちに任せて吐き捨てるように言う杉崎に、ぜんぜん余裕がなくて。綾乃は腹も立たなかった。それよりも―――頑なになっている杉崎が、少し悲しく思えて。 「――――――信じてるよ」 なんの迷いもなく、その言葉がスルっと口から出た。 「っ!」 「うん、信じてる。たとえ・・・・・・・・・たとえ裏切られても、信じてる。・・・・・・誰の事も信じられなくなるよりは、ずっといいって思うから」 ずっと誰のことも信じられなかった。 あの日、父に捨てられてから、誰のことも信じなかったら裏切られることもないって事を学んで。ずっとそうやって自分を守って生きてきた気がする。 けど、今ならわかる。それは、間違いなんだって事。 ―――こんなにも、簡単な事だったんだ。 「ありがとう、杉崎君」 「―――――はっ!?」 「僕は君に色んな事、教えてもらえたから」 綾乃は笑顔を浮かべて杉崎に向かう。それは、作り物でも見せかけでもない、心の底からの笑顔。 「綾乃っ」 翔が綾乃の腕の中で反転して、抱きついてくる。 「俺だって、俺だって、綾乃と友達になれてよかったって思ってるぜ!!」 ぎゅーって力入れて羽交い絞めにしてきて、ちょっと泣いてるらしいその声に、綾乃はもっともっと幸せな気持になる。 信じていたから、信じてがんばろうって、前へ進もうって思えたから、手に入れられたもの。 それがうれしくて、それを、その機会を与えてくれた雅人に、綾乃は思いっきりお礼を言って、抱きつきたい気持に駆られた。 ――――気持をちゃんと、伝えなきゃ。 今なら、ちゃんと言えるって思えるから。 「・・・・・・・っばかじゃないの!?僕は・・・・・・僕は絶対君なんか、認めないからなっ!!」 顔を赤くして杉崎は言い捨てると、踵を返して走り去った。 「あ・・・・・・行っちゃった・・・」 友達になれたらって、薫には無理といわれたけれど、綾乃はここから始められるんじゃないかなんて、本当はまだ淡い期待も持っていたのに。 綾乃が微かな落胆と感傷に浸っていると。 「裏切り者・・・・・・」 「なんで?」 「言うなら言うで、俺にも相談しろよ!」 「だって翔・・・・・・すぐ顔にでたり動揺したりするでしょ?」 「うっ・・・」 「ほらね」 「だからって!俺にだって準備ってもんが!」 「準備?なんの準備?」 「だ、だからっ、心の準備だろ」 「心の準備って・・・・・翔には一番遠い言葉だよね。直情型のくせに」 「なっ!―――薫!!」 「ははっ」 自分の面前で繰り広げられる・・・痴話喧嘩(?)に、綾乃は思わず声を立てて笑ってしまう。感傷に浸る暇もない。 でも、こういうの、幸せって言うのかも、なんてちょっと思いながら。 ――――ああ、早く帰って、雅人さんに会いたい。 伝えたい。 信じてる気持を。 感謝の思いを。 綾乃が、こしょばいくらいうれしい気持でいっぱいになって、幸せに浸っているその頭上、場内アナウンスが、激しく怒った声で3人を呼び出して。 時計を見ると、昼休みを大きく過ぎていて、3人は慌てて走り出したのだった。 綾乃の嫌いな、翔の好きな、薫にはどうでもいい、リレーのために。 |