・・・4・・・


 その夜中、直人は帰宅した雅人を有無言わせず部屋まで引っ張って行った。その行動にびっくりしてる雅人に対しての第一声も「おかえり」ではなく、「どうなってんだっ」だった。それは大声を出して怒鳴ってしまいたいのを、夜中だからとぐっと堪えているような声色で。
 さっぱり訳のわからない雅人に、直人は苛立つ思いを抑えて、夕方の事の顛末を話した。
「家にまで来たんですか?」
 雅人は思わず驚きの声を上げる。
「ああ。ノート返しに来たとかだったけどな」
「・・・そうですか」
「俺にばったり玄関先で出くわしても、まったく慌てなかったぜ。すっげー落ち着いてて、かわいげのねー子供だったな」
「・・・・・・」
 可愛げのない子供だったという点では、直人も負けてはいなかったのではないだろうかと、口には出せない思いが雅人の脳裏によぎる。
「でさ、探りいれよーと思って夕飯に誘ったんだけど、さすがにそこは断られた」
「でしょうね・・・」
 誘う直人も直人だと思わなくもない雅人だが、二人の仲が一段と良くなっている事に、雅人は気が重くなるのを感じた。
「ったく、どういうつもりなんだか」
「わかりません」
 苛立っている直人とは対照的に雅人は冷静になろうとしていた。
 本当に何かしらでも綾乃を利用しようとしているのなら、それは絶対に許すことは出来ないと思う。ただ、その真意を、二人ともに測りかねているのも事実なのだ。
「・・・でさ、もう1個報告」
「なんですか!?まだ何か?」
 直人の言葉に、まだ何かあるのかと、雅人の眉根が寄せられる。
「ん・・・綾乃の事なんだけどな」
 綾乃の事、という言葉に、さっと雅人の顔色が変わる。
 ――――うわぁ・・・言いにくー・・・
 別に直人が悪いという訳ではないのだが、きっと雅人が激しく落ち込むだろうという事が分かっているだけに、それを口にする役目を自分がしなければならないのは、気が重いのだ。けれど、黙っているわけにもいかず。直人は夕方の事に絡んでの綾乃の態度や発言を、事細かに雅人に話をした。
 その話を聞くにつれ、雅人の表情が、苦いものへと変わっていく。
「・・・・・・・そんな事を。あの子は・・・」
 ため息のような、絞り出す声で言う。その口調があまりに苦しくて、聞いている直人までつらくなる。それでも、言わなければいけない事だから。
「ああ、やっぱまだ、な・・・」
「そうですね」
「でもさ、まだここに来てちょっとなんだし、これからだろ!」
 目に見えて、明らかにその顔が翳っていく雅人をなんとか励まそうと、直人はわざと明るい口調で言う。
「ええ。けれど、まだ不安定な綾乃に、今度は杉崎君ですからね」
「確かにな・・・・」
 それを思うと、かなり気が滅入ってくるのは事実だ。二人の間に重い沈黙が流れる。
「もしかしたら、もしかしたらですが、杉崎君は純粋に綾乃と友達になるつもりかもしれませんよね」
 それが、ほとんど可能性がなくても、雅人はそう願わずには言われない。透にも言外に否定された事だが、もしかしたらという事はある。そこに、もしかしたら望みがあるのではないかと、思ってしまいたい雅人なのだが、直人はそこまで甘くはなかった。
 いや、冷静だったと言った方がいいだろうか、その言葉は冷たかった。
「そんなわけねーだろ!そんなに兄貴だってわかってる事だろ。今、このタイミングでなんだぜ。そう思いたいのは勝手だけど、それでなんか解決すんの?」
「じゃあっ!じゃぁどうしたらいい?・・・・・・・何も知らない綾乃に、杉崎には近づくなとでもいうのか?」
「それは・・・・・・」
 そうなのだ。もっと早い時期に気付いていれば何かしらの手は打てたかもしれない。しかし、今となってはどうやったって、綾乃を傷つけないで切り抜けていく方法なんて、もうないだろう。それは、二人とも、認めたくなくても心の底ではわかっている事なのだ。
「いっそ、綾乃にちゃんと話したら?その方がいいかもしれなくない?」
「・・・その前に、杉崎君と直接話をしてみます。あちらから手を引いてくれるかもしれません」
「兄貴・・・」
「せめて彼が何を望んでいるのかさえわかれば、対処のしようがあるでしょう」
 そう考えを固めて顔を上げたその雅人の顔を見て、直人はゾクッと背筋が冷たくなるのを感じた。
 いつも笑みをたたえていそうな、穏やかな雅人しか知らない人からは想像も出来ないような、厳しく冷たい顔。その体からは、相手を力で捻じ伏せるような圧倒的な存在感がにじみ出ている。
 こういう時、直人は、これが南条家を背負って立つだけの男なんだと思い知らされる。こんな雅人を、ふと目にするたびに、自分は絶対敵わないな、と直人は痛感するのだ。
「どうしました?直人」
 急に黙り込んだ直人を、雅人は静かに見て言った。
 ――――めったに見せないその顔を、引き出したのは・・・・・・・
「なぁ、前から聞こうと思ってたんだけど」
「なんです?」
「兄貴、綾乃の事、どう思ってるの?」
 それは、絶対敵わないと思わしてくれる、この腹立たしい男の焦る顔が見たいという、直人のちょっとした仕返し気分から出た言葉だった。
「どう・・・とは?」
 けれど、雅人は焦るどころか、まったくその表情は動かなかった。
「しらばっくれんなよ。兄貴の態度、ただの親切を超えてると思うけど。・・・・・惚れてんの?」
 それが、直人の気持をさらに煽らせる。わざと、からかうような口調で言う。
 ――――さて、どうくる?
 仕掛けたいたづらの成果を確かめる時のように、直人はわくわくしてた気持でその返事を待った。
「そうですね」
「・・・・・・・・・え?」
「ですから、直人の言うとおり、私はあの子を、愛してます」
「え・・・・・・って、認めんの?」
 まさか、肯定の言葉が出てくるとは思ってもみなかった直人は、逆のそのあっさりさに慌てる。否定するだろうと考えていたのだ。
「直人に隠しても仕方ないでしょう?」
 一方、雅人は、そんな直人の反応を逆のおもしろがるように笑った。
「っ、いつからだよ!?」
 自分が仕掛けたいたづらのはずが、自分がはめられていってる様で慌てる直人は、なんとか反撃に出ようとする。
「・・・・・・いつからでしょうねぇ、最初、陽子さんから綾乃の話をもちかけられた時、正直困ったなと思いました。あの子は南條家とはまったく血の繋がりもない子どもですし」
「ああ」
 それは、直人も同じだった。
 最初その事で雅人から相談をうけた時、なんとか断れと直人は言ったのだ。面倒事は困ると。
 ――――今となっちゃ、綾乃には聞かせられない事だけどな・・・・
「初めて会った時、あの子は全てを諦めたような顔をしていました。身辺調査から浮かんできたあの子のこれまでは、幸せとはほど遠いものでしたから、それも仕方ないのかと思いましたが、何故かそれがつらいと思ったんです。愛情というものをまったく知らないのだと分かった時、抱き締めたいと思いました」
「・・・・・・」
「いつも遠慮して、おどおどして、こちらの顔色を伺ってばかりで」
 ――――ああ、そうだったな
「そんなあの子に、ただ笑っていて欲しいと願うようになるまで、時間はかからなかった。一度も笑わないあの子の笑顔が見たくて、どうしても見たくて。けれど、どうしたらいいのか分からなくて、悩みましたよ」
 ――――知ってる。兄貴が、苦しんでたの・・・・・・
「初めて笑ってくれたあの時、私は言葉では言い表せないほどうれしかった」
 ――――うん
「その時はまだ、どうしてこんなにうれしいと思うのか、それさえもわからなかったんですけどね」
 ――――そっか・・・
「高校へは行かないというあの子を、なんとか口説き落として。少し卑怯な手でしたけど、なりふりなんてかまってなんていられなかった。あんなに必死な思いで誰かを口説いた事なんて、今までなかったので、どう言えばいいのか悩んで、柄にもなく緊張しましたよ」
 その時の事を思い出したのか、雅人がくすりと笑う。
「それなのに――――――私が傷つけてしまった。わたしの至らなさで、あの子の思いをめちゃくちゃにして――――あの・・・・拒絶された時・・・・・・・・っ思い出したくもないっ、あの日々」
 ―――― 知ってる。兄貴がその事でどんなに苦しんで、自分を責めてたのか、俺は知ってる・・・
「そして、気が付いたら、恋をしていました。小さな色んな事を積み重ねていくうちに、気がついたら好きになっていました。もうどうしようもないくらい好きになっていて。ただ、ただ愛しくて、たまらなくなっていました」
 ――――うん
「あの、受験の答案用紙を見た時、わたしは愕然としました。その答案用紙から、あの子の心の迷いが手に取るように伝わってきて、胸が掴まれるほどに苦しかった。どれほどにあの子を苦しめてしまったのか、突きつけられました。それでも、私は受かってくれた事に感謝しましたよ。もしかしたら、それはあの子の望む結果じゃなかったのかもしれないけれどね」
 ――――そんな事ねぇよ。綾乃は、ちゃんと自分の意思で受験したんだからさ
「私はうれしかった。うれしくて・・・・・・初めて神に感謝しましたよ」
 笑う雅人の笑顔は苦くて。
 その、告白は、あまりにも淡々と語られて、それだけに嘘じゃないんだと直人には痛いほど伝わってきた。正直、ここまで本気だとは、思っていなかった。もし、わかってたら最初からこんな事聞けなかったけど。
 自分が知っている限り、雅人が誰かに本気になった事なんてなかったんじゃないだろうか?思いよりも立場があって、家があって、いつも、冷たく割り切って来た人なのに。
 だから、今度は違う事を聞かずにはいられなかった。
「・・・・同情じゃなくて?」
「直人?」
「哀れな子供に、ただ同情してんじゃないの?それを、愛情と履き違えているだけじゃっ」
 『ないのか?』と続く言葉を、直人は最後まで言うことは出来なかった。
「直人、殴りますよ?」
 ゆっくり笑ったその顔が、あまりに殺気を放ってて。それだけで、もう十分だった。もう、雅人はちゃんと自分の行く道への思いを固めてる。その険しさも苦しさもちゃんと考えて。
 ――――それでも、行くんだな。本当に本気なんだな・・・・・・
「ごめん」
 直人には謝るしか出来なかった。
「いえ」
「心配してくれたんですね?ありがとう」
 ――――ちぇ、全部お見通しかよ・・・・・・・・・
「なぁ・・・綾乃には、言わないの?」
 そこまで本気なら、覚悟もできているなら、何故その思いを伝えないのか、逆に直人は不思議に思った。掛け値なしの愛情を欲しがっている綾乃には、その思いはきっとマイナスにはならないはずだと、直人は考えたのだ。
 けれど、雅人はの反応は冷たかった。
「言えるわけないでしょう」
「なんで?」
「直人。いいですか?考えてもみてください。今あの子は南條家の庇護の下にいるんですよ。そして南條家が経営している高校にも通っている。その状況で私に愛をうちあけられたとしたら、あの子はどうなります?」
「・・・どうって」
「例え嫌でも、断る事は出来ないでしょう?」
「そんなっ」
「選択肢のない問題をあの子に押し付ける気ですか?そんな答えをあの子に強いるんですか?」
 強く言い放つ雅人に、直人は慌ててしまう。
「・・・・そんな、嫌いかどうかわからないだろ?」
「直人?」
「綾乃だって、兄貴に事、ちょっといいなぁなんて思ってるかもしれないぜ?」
 ―――綾乃を見る感じ、まんざら脈がないって事もないと思うぜ?
 そんな直人の言葉に、雅人は静かに首を振って否定した。
「私は一生言うつもりはないんですよ」
「はぁ!?なんで!?」
 ―――意味わかんねぇ!そんなにも好きなら――――っそこまで覚悟してんなら!
「直人。私はあの子にはなんでも与えてやりたいと思っています。でも、その見返りは何もいらないんですよ。何一つあの子に押し付けたくはないんです」
「押し付けるって・・・」
「綾乃には、普通に恋をして、結婚して、子供でも作って、誰にでも夢見る事のできるような、普通の幸せを手にして欲しい。家族を手にして欲しいんですよ。私では、世間で言う家族にはなれないし、結婚も出来ない。立場を考えたら当然、公にも出来ないでしょうしね」
 そんなものに、あの子をつき合わす事なんで出来ない
 そう言って、雅人は笑った。
「あの子とずっと関わりを持って、あの子が幸せになっていくのを少しでも手助けできたら、それでいいと思っています。だから、直人も何も聞かなかった事にしてください。本当は直人にも言うつもりなかったんですけどね。つい、挑発に乗ってしまいました」
< 「じゃぁ、さ、もし綾乃が兄貴に惚れたらどうすんの?」  
「直人」
「兄貴の言ってる事もわかる。その想いも覚悟もさ。でも、どう生きるのか、決めるのは兄貴じゃなくて、綾乃だぜ?」


 その言葉に、初めて雅人の顔が、歪んだ。  










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