・・・5・・・


 ・・・・体育祭まで今日を入れて後3日。


 学校全体は気合が入りまくっている。その波に綾乃はどうもついていく事が出来ず、少し一人になりたくて、学校のはしにある普段誰にも使わない階段の途中に腰掛けていた。その階段は、非常時のための非常階段の役割もかねているので、校舎の外側に設置されていて、そこに座っていると風が吹き抜け心地良いい。綾乃のお気に入りの場所だった。
 そこで、一人ぼーっと空を見上げる。

「疲れた・・・・・・」

 誰に言うとはなしに、その言葉が口から洩れる。
 翔は体育祭にかける意気込みが凄く、クラスの体育祭委員や応援団と一緒に練習したり作戦を考えたりと日々忙しそうで、最近は中々一緒にいる事が出来ず、薫も生徒会に呼ばれている事が多く、なんだか綾乃は自分一人が取り残された様な、居場所がない様な気がしていた。
 そして、それ以上に2人が側にいない事で、綾乃は自分が二人にどれだけ守られていたのかを痛感していた。二人がいない時、回りのその視線があまりにダイレクトで、二人が一緒の時は気にもならなかった、ひそひそ話すその態度まで、自分の事を噂されているのだろうかと、綾乃は気になってしまって。
 こういう時、いつもどっちかが『気にしすぎ』と、笑って言ってくれるのだが・・・・・・・・・・
「・・・・・・はぁ」
 綾乃はそのまま鉄柵にもたれかかって、ぬぐいされない想いを全てを遮断するように、目を瞑る。

 ――――それに・・・・・・・・

 薫と杉崎の間に流れる変な空気も綾乃を悩ませていた。杉崎は薫が苦手だとは言っていたが、薫もどうやらそうらしいと綾乃が気付くのに、そう時間はかからなかった。
 薫がいると、妙によそよそしい杉崎の態度に、にこりともしない薫。4人でいても、会話をするのは薫と綾乃、薫と翔。杉崎と綾乃、杉崎と翔で、薫と杉崎が言葉を交わす事などほとんどない。



「綾乃っ!?」
「・・・・・・・・・薫っ」
 突然の声に、綾乃がびっくりして目を開けると、薫が少し額に汗をかいて立っていた。
「ああ、なんだ寝てただけ?ごめん起こしちゃって」
「ううん、寝てたっていうか、目を瞑ってただけだから。どうしたの?」
「ああ、ううん。ふっといなくなるから、どうしたのかと思ってね」
 その言葉に、薫が自分を捜しまわってくれたのだと、綾乃は知る。たぶん、色々捜してくれたに違いない薫。額の汗と、少し乱れた呼吸がその証拠だから。
 実際、薫が気付いた時に教室内には杉崎も翔もいるのに、綾乃の姿だけがなくて、何かあったのか、もしかして誰かに呼び出されでもして一人で行ったんじゃないかと思い、慌ててその姿を捜したのだ。
「っごめん、心配かけちゃって」
 綾乃は薫の言葉に素直に謝った。
「いいけどね。一人になりたい時は誰にだってあるし。じゃぁ授業までには戻っておいでよ」
「え、薫、行っちゃうの?」
「何言ってるの。一人になりたかったから、ここにいたんでしょ?」
 自分でここに来ておいて、薫を引きとめようとする綾乃に、薫は苦笑を浮かべる。
「それは、そうだけど・・・」
「じゃぁね」
 薫はいつものように、少し笑みを浮かべてそのままきびすを返す。
「薫っ」
 思わずその背中を綾乃は呼び止める。
 その声に、薫は無言で振り返った。その瞳は何かを待っている様にも思えたが。
「・・・・・・あ、ありがとうね」
 その言葉に、薫はもう1度笑顔を見せて戻って行った。

 綾乃はといえば、その背中を見つめ、ほっと息を吐く。本当は呼び止めて、聞きたかった事があった。
 『薫は杉崎君の事、なんで好きじゃないの?』
 聞きたくて、聞けずに飲み込んだ言葉。

 ――――なんで?

 薫は理由もなく人を嫌ったりしないと思う。
 薫は色々知ってて、色々考えてて、きっと自分の知らない事を知っているのだろうと思う。だから、何かを知ってて、何かがあって、杉崎の事を嫌いなんじゃないだろうか、とふと考えたのだ。でも、もしそうならば、どうしてそれを自分に話してはくれないのだろうかと、綾乃は考えてしまう。
 確かに頼りないし、なんの力にもなれない自分だけど、話してくれないって事は、なんだか信用もされてないような気もして。




『どんな形で始まったって、いいんじゃない?その先を作って行くのは、僕らでしょう?』



 薫はあの時、そう言った。
 それは、綾乃もそう思う。今は、そう思える強さくらいは身についたと思う。
 それでも、始められない程の『何か』が杉崎にはあるのだろうか?
 その事を翔は、きっと知らないと思う。知っていて、翔があんなふうに杉崎に接する事は出来ないと思うから。翔は、すぐ態度に気持が出ちゃうから。
 反対に、薫は自分の気持を隠すのがすごく上手い。
 ――――その薫が、隠そうともしないって事は・・・・・・
 それほどに嫌って事?やっぱり僕の知らない『何』があるのだろう・・・・・・・と、綾乃は考える。それしか考えられない。
 それを、薫に尋ねたら話してくれるのだろうか?
 でも
 もし、断られたら?
 関係ないと言われたら・・・・・・・・・
 聞けない理由は、拒絶されるのが・・・・・・・・・・怖いから・・・・・・
 誰かに嫌われる事なんて、慣れてた。
 誰にも愛されない事になんて、慣れてた。
 誰にも必要とされない事なんて、慣れてた。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ハズなのに、今はそれが怖い。
 嫌われたくない。
 拒絶されたくない。
 薫に
 翔に、
 雪人くんに、
 松岡さんに、
 直人さんに、
 ――――――雅人さんに。
 嫌われたくない。
 拒絶されたくない。
 そう、思うと僕は段々弱くなっていく。
 もっと強くあらなきゃって思うのに。これから先、一人で生きて行かなきゃいけない、その為にも一人でいられる強さを持っていなきゃいけないのに。
 それでも
 あそこが、僕の帰る場所でありたい。
 ここが僕の場所であってほしい。
 何もいらないから、それだけでいいから。
 そんな風に、望んでしまうんだ・・・・・・・・・・・・・
 夢を見てしまう・・・・・・・・・・・・・・・











「こうやってお話するのは、初めてですよね?」
 雅人は向かい合う杉崎に静かな口調で話し出した。雅人は、生徒会長である朝比奈透に、杉崎を放課後理事長室へ内々に連れてくるように頼んでおいたのだ。
「放課後にお呼びたてして申し訳ありませんでした。弟の直人から、杉崎君が綾乃と仲が良いと聞きましたので、1度話してみたいと思いましてね。個人的な事で申し訳ないのですが」
「いいえ、おかげでって言うとまずいですけど、体育祭の練習に行かないで済みましたから」
「そうでしたね、杉崎君も綾乃と一緒で体育が苦手のようですね」
「はい」
「樋口君や朝比奈君は運動が得意の様ですから、その二人とは違い同じように運動が苦手なお友達が出来た事があの子はうれしいようです。似たもの同士ですかね?」
 理事長室にある、大きな応接セットのソファに腰掛話していたが、雅人は、ゆったりと腰掛けているのに反して、杉崎は背を伸ばし緊張の色も隠せずに座っていた。
「どうでしょうか。似ているのはそこだけだと思います」
「そうですか?勉強の方も似てるんじゃないですか?」
「・・・・・・・」
「杉崎君は中等部ではかなり良い成績を残していますね。高校に入ってからはふるっていないようですが・・・先生方も不審がっておられましたよ?何か教えて方の問題でしょうか?」
「いえ、僕はどうも新しい環境に慣れるのlに時間がかかるタイプみたいで。2学期くらいからは、もう少し上位を狙っていくつもりです」
「そうですか。それを聞いて安心しました。もし教え方が悪いのであれば、先生の問題。ひいては私の責任ですからねぇ。では、そういう事でも綾乃と良いライバルになってくれるんでしょうね」
 雅人が杉崎に笑顔を向けて話す。きっと、普段の雅人を知っている綾乃が見たら、それは笑顔とは思えないような冴えた物だったけれど。
「そうなれればと思っておりますが」
「杉崎君なら十分でしょう。あの子も本当に良い友人を得られたようで良かったです。私にとって綾乃は、やはり特別な存在なんですよ。色々思い入れもあって、直人からは過保護だといわれてしまうのですが。心配になってしまうんですよね」
「・・・・夏川君がうらやましいです」
「何を言うんですか。杉崎君にだって素晴らしいご両親に、お姉様までいらっしゃるじゃないですか。私が綾乃の事を大切に思う気持は、きっと、ご両親やお姉様が杉崎君の事を大切に大切に思っているのと同じくらいの強さですよ」
「はい」
「だからこそ分かると思うのですが、私はあの子を傷つける事を絶対許しません。杉崎君だって、家族が傷つけられるのを許せないと思うでしょう?」
「・・・・・・・・」
 その時、杉崎の顔が一瞬こわばり、握り締めていた杉崎の拳にグッと力が入った。
「ああでも、子供のけんか程度には口を挟むきはありませんから、そういう事でしたら遠慮しないで存分にやってくださいね。時には、とっくみあいの喧嘩だって男の子には必要ですからね」
 雅人にも当然杉崎の変化はわかったが、そこはあえて触れず、今なら子供の喧嘩程度の扱いで済ませますよ、と言外に告げたのだ。それに対し、杉崎は何の反応も返さず、ただ返事を返しただけだった。
 ちょうどそこへノックの音がして理事長室のドアが開くと、男性が覗いた。それを見た雅人が立ち上がる。
「ああ、すいません、もっとお話をしたいのですが、時間が来てしまいましたね。お忙しいところをお呼びたてしてすいませんでした。お話できて良かったです。これからも、綾乃と仲良くしてやってくださいね」
「はい。・・・では失礼いたします」
 杉崎も立ち上がり、一礼してから理事長室を後にした。そこから、理事長室が見えなくなる廊下の角を曲がって、ほっとしたのか、杉崎の足は震えだした。出されたお茶に口をつける余裕はなく、外にでて初めて、自分の喉がからからだった事に気がついた。











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