手錠 -3- 


「まさか、東城との仲を疑われるとは」
 圭は少しゲンナリしたような顔で、呟いた。
 それは、ナツが怒って自分の部屋へと戻った後。とっくの昔に家に戻っていた圭は、リビングの隣室で二人の会話を盗み聞きしていたのだ。
「盗み聞きちゅうのも関心せーへんけどな」
「何を言ってるんです?私が帰ってきてるだろう事はわかっていたくせに」
 圭が春哉に冷たく言うと、春哉は苦笑を浮かべて肩をすくめた。
 春哉は家に帰る前に、家につく直前に圭の携帯に電話を入れていた。今日、今すぐ帰ることを伝えるためだ。その時圭が近所のスーパーに来ていることを知っていたのだから、そこから時間を逆算すれば、圭の帰る時間など簡単に分かることだ。
「東城って、あの?」
 ナツにジュースを入れてあげたくせに、春哉は自分には圭にコーヒーを入れさせて、それをテーブルですすりながら傍らに立つ圭に視線をなげかける。
「ええ」
「ふーん。帰って来てたんや?」
「みたいですね。全然知りませんでしたけど」
 ちょっと面白がっている感もある春哉とは違い、圭は少し気の重そうな声を発していた。
「しかも、譲くん隣に住んで、さらには随分親しげなんですよね。一体何を考えているんだか・・・」
「へ?冬木クン家の横に住んでるんは偶然ちゃうん?」
「そんな偶然あると思いますか?」
 圭の疑わしげな言葉に、春哉はちょっと考えるような顔になる。しばし空を見つめて、うーんと唸りながら、自分の知る遠い記憶を手繰り寄せる。何年も前、1,2度見たその姿と話た印象。
 ナツにはああ言ったが春哉は、東城の事をちゃんと知っているのだ。
「確かに凄い偶然やけど、東城ってそんな深い行動取るタイプには思わへんけどなぁ。それに、彼があの恋人と別れたんは圭にはまったく関係ないんやろう?」
「ええ、直接は。それ自体もまったく知りませんでした。海外に行くと春哉様からお聞きするまでは」
 東城は大学時代付き合っていた恋人と別れて、――――性格にはフラれて、結構いいところにも就職していたにも関わらずそれも蹴って、一人海外へと旅立った東城。
 確か、海外協力隊かなにかに入って行ったはずだ。
 真剣に愛していて、その将来までも考えていたのだろう東城。けれどそんな思いは届くことは無くて。
 だが、その事に圭は、まったく関与することはなかった。
 少なからず、因縁はあったとしても、圭には与り知らぬ事なのだが。
「そーそー俺が国際電話かけてんもんなぁ〜」
「はい」
 なぜなら圭も、その時日本にはいなかった。留学していたから。留学している間に東城とその恋人との別れがあって。海外に行く前に家に訪ねて来た東城からのことづてを頼まれた春哉が、その事を圭に告げたのだ。国際電話で。
 だから、本当に久しぶりの、再会。
 それなのに、東城はなんでもないような、何もなかったような態度だったけれど。圭には返ってそれが怪しく見えてしまう。
「そんなに気になるんやったら、東城に直接会って話せばいいやん」
「――――」
「まぁ、もし、圭がらみで近づいたとかになってたら、困るやろうけどなぁ?」
 にやにやする春哉を、圭は睨みつけた。
「それを確かめたくないんやろ?」
 圭の顔がより一層険しくなった。図星だったからだ。
 どうやら何かあったらしいナツと譲。その譲に近づく東城和弘。今のこ状況で十分大変なのに、これ以上ややこしくなってナツや譲を傷つけたくなかった。
 もっと平たく、正直に言えば、ナツに自分の過去を知られたくなかったのだ。あまり褒められたものではない過去だから。
「――――」
「圭?」
 押し黙ってしまった圭に、春哉は少し真面目な顔をして見つめる。
「・・・怖いんです」
「怖い?」
「東城から、私の昔の事がバレるのが・・・、ね」
 怖い。
 ナツには知られたくない。
「ああ〜でも、ナツは知りたがってるな」
「ええ・・・」
 部屋まで勝手に入って来てまで知ろうとしたナツ。あの頃の写真なんてもともとない。写真に残しておきたい様なそんな大切な思い出なんてものはない。
「恋する男は大変やな」
「――――さっきから、完全に面白がってるでしょう」
 イライラが隠せない声で圭は言う。きっとこんな圭を見たら、ナツは無条件で謝ってしまいそうなくらい、怖い空気を纏いながら。
 けれど、春哉には通じないらしい。
「自業自得やん」
「っ!――――夕飯は、にんじんづくしにしますか?」
「止めて」
 にんじん嫌いの春哉。なんとも小さ過ぎて子供っぽい嫌がらせなのだが。圭はにんじんに毒でも盛りそうなくらいの勢いだ。
「あのなぁー。東城は偶然かもしれへんやん。それに、そんなことでナツはお前のこと嫌いになったりせーへんと思うで?」
 くすくす笑いを引っ込めて、ちょっと諭すような春哉に圭は悔しそうに唇を噛み締める。そんな事はわかってる。でも、知られたくはないんだ。
 ナツの、ちょっと尊敬するような憧れるような色をも含む眼差し。そんな視線があって、そんなナツの思いが嬉しくて切なくて、精一杯いつも大人ぶってる自分がいるから。
 いつまでも、かっこつけていたいのに。
 優しくてカッコよくて、ちょっと大人なままのイメージでいたい。
「はぁ・・・」
 不用意に漏れたため息。
 重なるように、愉快そうな笑い声が響いて。
 苦々しい圭の顔。
「絶対、にんじんにしてやる」
「ははははは」

 そんな、切羽詰ったようでいて、どこかのどかなような会話が階下で繰り広げられていたなんて知らないのはナツ一人。
 一人、もやもやは溜まる一方だった。





・・・・・





「圭?」
 何故かよくわかんないけど、夕飯ににんじんが多めに並んだ昨夜から一夜明けた、28日の昼。
 昼ごはんを食べ終わってふと見回したら圭の姿がなくて、慌てて部屋を出て見つけたのは、玄関で靴を履いている姿。
「どっか、行くん?」
「―――っ、ええ」
 なんか、しまったって感じ?
 俺が声をかけた圭は、そんな感じでちょっと驚いて困ったような顔して振り返った。もしかして、俺にバレへんうちに出かけるつもりやった?
「――――」
 どこに?って、言葉がのどまで出てるのに、発することが出来へん。かわりに俺は、ぎゅって拳を握り締める。
 不安、不安、不安。・・・どこにも行かんといて。
 俺の視線の先で、圭はちょっとため息をついて、無理矢理な笑顔を向けてきた。
「すぐ、帰りますから」
「すぐって・・・っ」
 鸚鵡返しに発してしまった言葉に、圭は何も言わず、行き先も告げず。ただ黙って笑って、扉を開けて、一瞬の間に行ってしまった。
 バタンと、無常に閉まる扉。
 ――――東城って人のトコ?
 答えなんか言うはずのない扉に向かって、呟いて見る。
 じっと見つめた扉が霞んで見えて、俺の瞳に知らず知らず涙が込み上げている。マジ、かっこ悪い。けど・・・・・・
「ナツ」
 圭じゃない声に呼ばれても振り返る気にはならへんくって、俺は無視して圭が出て行った扉を見つめ続ける。もう1度開いて、やっぱり行くの止めるって言って帰ってくればいいのに。
 バコッ!
「痛っ」
 無視してたら、頭を叩かれた。しかもチョップで。
「何の心配してんねんな」
 呆れた声に、俺は渋々振り返る。
「兄ちゃん・・・」
「はぁ」
 振り返った俺の顔を見て、兄ちゃんは盛大にため息をついた。脱力って感じ?しかし兄ちゃん、そのスエットパンツにだぶだぶノースリーブって、大人に見えへん格好やな。
「圭はちゃんと帰ってくるやろう?大人しく待っとき」
 だって、そんなん・・・
「――――東城ってヒトんとこかな」
「かもな」
「っ!」
 ドキドキして尋ねた言葉。否定してあっさり欲しかったのに肯定されて。みるみる涙が込み上げた。
「やっぱ、あの人の事好きなんや!」
「はぁ!?」
 だって、あの人が現れてちょっと慌てて、冬木と親しくしてるって聞いて上の空になった。そんで、いそいそと俺に内緒で出かけていって。
 しかも、写真もない。
「失恋したら、恋人との写真捨てるってテレビで言うてた!!」
「・・・ああ」
「圭の部屋に、大学ん時の写真ないねん」
「ああ」
「俺の写真しかないねん。昔の、ないねん。昔、圭は家にも全然おらんかったし、――――好きな人とデートとかしてたんや」
「いやー・・・」
 俺はもう昨日1日中考えてたことが全部順不同に頭の中をめぐりめぐって、考えるより先に言葉が出ていく。だって俺の頭は中の中やねん。もうこんなに考える許容範囲ないねん。パンク寸前やねん。ちゅうかもうパンクしてる!!
「俺の事、捨てていくんや」
 相手が兄ちゃんや、とか。言うたらあかん事とか、良いこととか、もう全然判断出来へん。だって、頭ん中は48色絵の具が全部ごちゃまぜになったような感じやねんもん。
「はぁ!?」
 ただ、そんなん絶対嫌やねん。あん時みたいに勝手にアメリカとか行かれんの嫌や。元カレなんかに圭はあげられへん!!
 絶対絶対、俺の方が圭を幸せにしてやれるもん!
「奪ってくる!!」
「ええっ!?」
 俺はそう叫ぶと、靴を履いて。右と左が違う靴とか、もうどうでもええねん。早く行かな。俺は後で兄ちゃんが何か言うてたけど、もうどうでもえんねん。うるさいねん。そんな聞こえへんねん。
 俺は、圭と、かけおちしてやる――――!!

 俺は、玄関を飛び出した。









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