手錠 -5-
「ナツ!?」 3,4歩よろめいた足をなんとかコケずに踏みしめて、自分の身体にひっついているモノを目にした途端声を上げてしまった。だって、それはこの世の中で、何よりも大切な人。 ぎゅーっと腰あたしにしがみついている。 「アカン!!圭は俺のモンや。元カレなんかにはやらへんっ!!!」 「元カレ!?」 「元カレ!?」 「・・・ナツ」 その発想、春哉にたしなめられたのに。まだ諦めていなかったんですね。 「譲・・・っ」 「あ・・・」 公園の入り口付近から聞こえた声に、俺よりも先に反応を返した東城は少し驚きの声を上げる。譲くんは部屋で大人しくは待てなかったらしく、それはナツも同様だったのだろう。二人して公園に来ていたのか? 「元カレ、だったの!?」 譲クンが少し青い顔をして、ふらふらと公園内に入ってきた。瞳だけが、驚愕に大きく見開かれる。 「ちょっ!誰が誰の元カレやねん!?」 「あんたがっ!圭の!!」 ナツ・・・ ナツは相変わらず俺の腰にしがみついて、威嚇するように東城を睨みつけている。興奮しているのか、頬が赤らんで叫ぶ姿が、まるでお猿の様でなんともかわいらしいじゃないか。 でも――――その発想は・・・・・・ 「おい!?」 「いや、なんか誤解があるらしくってね」 東城。気持ちはわかるが俺に怒るなよ。 「ゴカイもロッカイもあるか!!なんで俺がお前みたいなんを押し倒さなアカンねん。きしょくの悪い!」 「ちょっと待て。なんで俺が押し倒される側なんだ?押し倒すなら俺だろう?」 お前の下に組み敷かれる姿なんか、一瞬たりとも想像したくない。 「アホか。俺の方が背ー高いやんけ」 「たった1.5cmだろ」 「それでも俺の方が上じゃ」 「〜〜〜〜〜っ!!」 本気で、殴り飛ばしてやろうかコイツ。1.5cmくらいでそんな胸張って威張るんじゃない。それっぽちでお前の下にされてたまるか。 「・・・元カレじゃないの?」 「違うっ」 「違います」 「へっ?――――そうなん?」 「そうですよ」 俺はため息をついて、腰に絡み付いているナツの腕を解いて正面を向かせて顔を見つめる。 あーあ。寒い中を走ってきたのか、鼻の頭が少し赤くなってるじゃないですか。頬もこんなに冷たくして。 「私と東城は、大学時代の顔見知りです。それだけですよ。お願いですからそんなおぞましい想像をしないでください」 「・・・だって」 きゅっと、ナツの眉が切なそうに歪んだ。こういう顔の時は、泣きそうなのを堪えている顔だ。そんなにも、心配させていたのだろうか? 正直、あり得ない発想だと思うんですけどね・・・ 「だって?」 「だって、圭――――その人が現れた途端なんか、慌てたし。様子変になったし・・・」 それは――――まぁ、昔色々ありましたからね。なんて、言えないけど。 ああもうお願いですから、そんな泣きそうな顔しないでください。 「それは久しく会っていなかった大学時代の知り合いが、譲クンのお隣さんって聞いてその偶然に驚いただけですよ」 「・・・ほんま?」 「ええ」 「ほんまにそれだけ?」 「ええ」 俺はそう言うと、ナツをぎゅーっと抱きしめた。これ以上不安にさせないためと、これ以上質問されないために。強く抱きしめて、ゆっくりと身体を離してにっこり笑う。それだけでナツは安心するって知っているから。 案の定、ナツはちょっと目じりを赤くしながら、照れたように笑った。ナツの操縦法は完璧なのだ。これで優しくキスでもしたら、もうきっと、ナツの頭の中から東城なんて追い払えるだろう。 「佐々木?」 「はい」 「やっぱりお前が佐々木か」 東城がいきなりナツの名前を呼んで、頷いた。 「・・・」 譲クンがその東城を見つめて、ハッとした様に唇を噛み締めた。 ――――なに? 「で、佐々木が好きなんが、お前か」 「ああ・・・」 「なるほど。―――――またか・・・」 しまった。バレた。 俺は最後の東城の"またか"という小さな呟きで、譲クンが誰を好きで誰に失恋したかが、東城にわかってしまったことに気がついた。 「はぁー・・・っ」 東城はそのまま脱力したようにその場にしゃがみ込んで、うなだれたように頭を抱え込んでしまう。 「どうしたん?」 わけのわからないナツが声を上げて、ちょっとオロっとなる。 俺は譲クンが心配でそちらに目をやると、なんというか。泣きそうな顔で、しゃがみこんだ東城を見つめていた。手を、ぎゅっと握り締めて。 いつの間にか。俺の知らないうちに、あんな風に悲しい顔をするようになっていたのだと思うと、ナツにばかりかまけていた自分が、少し腹立たしくなった。ナツとは違うけれど、大切に思っていたのに。 「東城」 俺はたまらず声をかける。今、たぶん、譲クンが1番不安そうだから。だから、お前が落ち込むな。抱きしめてやってくれ。きっともう、譲くんが求めているのは俺じゃないんだ。 「うるせー」 けれど、東城は自分の事でいっぱいいっぱいらしく。顔を上げない。 「前とは、違う」 俺は出来ればナツの前ではあまり言いたくなかったことを口にした。それしか、方法がみつけられなかった。 譲クンの顔が、どんどん不安そうに歪んでいくのに。 「何が」 「全然違うんだ」 確かに、敦は俺が捨てて。譲クンも俺がフッたけれど。根本はまったく違うから。けれど東城にはそれがわからない。 「だから何が!」 イラだって顔を上げた東城に、俺は視線だけで譲クンの方へと目配せをすると、ハッとしたように東城が譲クンに目をやった。 「あ・・・、どうしたん?そんな顔して」 「・・・・・・」 「譲?」 力のない声で呼びかける東城は、その腕を伸ばして譲クンを抱き寄せようとはしない。譲クンは、ただ立ち尽くしているのに。東城の手を待っているはずなのに。 「よく、わかんない。圭と東城の間には、何かあったの?」 「あ・・・、いや」 「・・・なに?」 「――――別に、なんもない」 「嘘」 「譲」 「嘘つかなきゃいけないような事なんだ?二人の間にある事って」 「ちゃう。そうやない・・・」 泣きそうな声と、力の無い声。東城、しっかりしろ! 「じゃぁっ、言って―――」 「ごめん。今は、うまく言えそうにないねん。――――――俺もなんか、混乱して・・・ごめん」 東城はそう言って、力なく笑うと、ふらりと立ち上がって譲クンの横をすりぬけて一人公園の出口へと向かう。 どうして――――ばかか!! 「東城!?」 俺は思わず呼び止めた。けれど、東城の足は止まらない。冗談だろう?こんな顔をした譲クンを一人置いていくつもりなのか!?今にも倒れそうなのに? 「ナツ、待ってて」 俺は、腕にしがみついているナツの手を振りほどいて、東城を追いかけてその肩を掴んだ。 「触んなっ」 「いい加減にしろよ!」 東城の声を無視して俺は無理矢理振り向かせた。場所は公園の入り口。二人からはそう遠くない距離で。声も聞こえてしまうかもしれない。 けれど、このままでは終わらせられなかった。 「あんな不安そうな譲クンを置いていくつもりなのか!?」 「お前が抱きしめたったらええやん」 投げやりに言い捨てる東城の態度。昔のことを考えるとわからなくもないが、それでも無性に腹が立った。 「ふざけんな!お前は好きなんだろうが」 「でも、向こうはそうちゃう」 「どうして分かる?」 「言われたんや。嫌いやない。でも好きでもないって。―――――譲はお前が好きなんやろ?」 「でも、俺はナツを愛している」 「昔みたいな遊びなんやろ、どうせ」 「違う」 「はぁっ」 鼻で笑われて。カッとなって俺は東城の胸倉を掴んで締め上げた。 「―――っ」 「俺は、ずっとナツが好きだった。俺が生涯求めているのはナツだけだ。敦も、その他も全部変わりでしかなかった。身代わりだ。いや――――身代わりにすらなれなかった。だから、本気にはならなかったんだ。正直、遊びにもならなかった。どうでもよかった」 「――――」 「ただの、はけ口だ」 「・・・譲も、か?」 俺の言葉に、ギラリと東城の瞳が光って、声が尖った。 「譲クンとそういう関係は一切ない」 「・・・」 「だから、全然違うんだ」 「・・・それでも、譲がお前を好きやったって事実に変わりはないやろっ」 「東城っ!」 「うるさい!!」 東城は焦れたように乱暴に俺の腕を振りほどいた。その反動で、お互い2,3歩後をよろめく。 「敦もお前が好きやった。でも、お前に捨てられて、俺は格好悪いけどチャンスやって思った。傷ついて落ち込んでるあいつの心の隙に入り込めるって思って必死になって口説いて。――――俺らはうまくやれるって思ってた。でも・・・、結局アカンかった」 もう忘れ去った遠い記憶が、蘇る。必死で好きだと言ってくれた敦。けれど、ナツへの届かない思いの変わりに付き合っていた程度に過ぎなかった俺にとって、その思いは重たくなるだけで。俺は冷たく敦を捨てた。 最低に傷つけて。 それを、東城がどんな思いで見ていたのかなんて、あの時の俺には考える余裕なんかなかった。 「・・・・・・東城」 その敦をずっと好きだった東城。必死で敦を口説いて支えて。あの頃俺は、東城に最低最悪に嫌われていたな。 「おんなじ事の、繰り返しや――――」 そんな東城を、敦は、捨てた。 東城じゃぁ、ダメなんだと言って。 「あ・・・譲?」 公園入り口で睨みあっていた俺たちの横を譲クンが通り過ぎようとした。 「帰る、ね」 「譲くん!?」 「もう、いいから」 譲くんが、東城に向かって笑った。痛々しい笑顔で。 「譲?」 「そうだよ。僕は圭が好きで、でも圭には他に1番の人がいた。それが、なに?それが嫌?他に好きな人いるって言ったじゃん。失恋したって知ってたくせに。それでも好きって、それでもいいって言ったくせに!」 俺にも東城にも視線をよこさないで、進む前を見つめて声をあげた。その横顔に見える瞳に、みるみるうちに涙が溜まっていく。 「っ・・・・・・それでも、好きって・・・」 譲くんの頬に、涙が流れ落ちた。 「・・・でも、ダメなんだ・・・」 微かに呟かれた声が、風に乗ってかろうじで聞こえた。 「譲・・・っ」 「そんな程度で、そんなんで、・・・好きとか言うなっ!!」 譲くんは悲鳴の様な声でそう叫ぶと、その場から全力で走り出した。 全てを振り切るように――――――― |