月夜の夢・・・前


 ルシアンは、正直ここまで来られるとは思っていなかった。迷いの森を出たらきっと憲兵が待ち構えていて、自分は囚われるだろうと思い、城に近づけば城の警護にあたる衛兵に捕まるだろうと思っていた。
 それなのに、ここまで何事もなくやってきてしまった。
 初めて目にした城は、首が痛くなるほど見上げなければならないくらいに立派で大きかった。壁や柱、天井などに施された細かい装飾や絵は、見事の一言しかない。
 全てが物珍しい。
 深夜に近い時間にたどり着いた城は、それこそ静まり返っていて少し怖いくらいだったのに、ルシアンの心は意外に冷静だった。  これはもう開き直りの境地だろうか。
「はい、到着」
 ぎゅっと握られた手に引かれて長い廊下を歩いて行き着いた場所は、これまた立派で大きな扉の前。
「ここは?」
「俺の部屋。さ、どーぞ」
 ケイはそう言ってにっこり笑うと、ルシアンを招き入れるために扉を開けた。
「うわぁ・・・」
 開けられた扉から、ルシアンの目に毛足の長い気持ちよさそうな絨毯が広がっていき、さらに一歩中に入るとその豪華さに言葉を失くしてしまった。
 目に飛び込んで来たのは自身の家が丸ごと入りそうな広々とした部屋。そして立派なテーブルや重厚なソファ。今はカーテンで仕切られているが、きっと大きな窓があるのが想像された。壁にも、よくは分からないが高そうな絵画がかけられてある。
「お、サンドイッチがある」
 ケイはテーブルにあった膨らみの布巾を抱えてにっこりと笑った。それは、この城内でケイの数少ない本当の味方であるアル爺が用意した物だった。
「腹減ったろう?食おうぜ」
「え・・・」
 部屋に見とれていたルシアンは呼ばれて振り返って、テーブルに盛られていたサンドイッチとフルーツに目に止めた。
「座って」
「・・・はい」
 ルシアンはケイに導かれるままに、引かれた椅子に座った。なんだかまだ呆然としていて、ルシアンに思考は通常には戻っていないようだ。昨日から色々ありすぎている。
 そんなルシアンの様子にケイは面白そうに嬉しそうに笑って、水差しから水を汲んで渡す。
「こんな時間だからお茶もなくて、ごめんね」
「いえ・・・、あっ、すいません。私が・・・っ」
 水を受け取ったルシアンがそこでようやくハっとした様に顔を上げた。皇子にやらせて自分が座っているというのは、明らかに間違っていると思ったのだろう。
「いいよ、そんなの。それより、疲れただろ?」
 普段馬になんて乗らないルシアンが、長時間馬に揺られていたのだ。疲れていないはずはない。慣れている自分ですら、少しくたびれたと思っているのだから。
 さらにルシアンの顔色も少しすぐれないから、ケイは一層心配になってしまう。
 ケイは自分にも水を汲んで、ルシアンの横にグッ椅子を近づける様に引き寄せて座って、テーブルの皿も手元に引き寄せる。
「こっちが・・・チキンで、こっちが野菜かな?」
 ケイはそう言うと、チキンの方を一切れ掴みとって口に運ぶ。少しスパイシーに味付けられているそれはケイの好きな物の一つで、うん、うまいなどと言いながらもぐもぐと食べると、じっと自分を見つめているルシアンに気づいて、笑みを向ける。
「食べねーの?」
「え、あ・・・はい」
 ケイに笑われて初めて、自分がぼーっとしていた事に気づいたルシアンは、慌ててサンドイッチを一つ掴んで口に運ぶ。しかし、ケイと違って味はあまり感じられなかった。
 疲れと緊張と、いきなり目の前に広がった見たこともない世界に、ルシアンは戸惑う気持ちの方が強くて、食べ物を味わう余裕がないのだ。
 正直、そんなに食欲も沸かなかった。
 そんなルシアンを心配なのか、ケイは傍らに盛られたフルーツにも手を伸ばした。
「りんごにバナナ・・・マンゴーか。何がいい?」
「え・・・」
「んーバナナかな。栄養価も高くて、剥くのも簡単っと。―――はい」
 返事を待たずに渡されるバナナをルシアンは少し眺めて、ケイと見比べて、なんだか少し困った様に皮を剥き始めた。
「もしかして、バナナ嫌い?」
「いえ」
 ルシアンはケイの言葉に首を横に振った。
 そうじゃない。ルシアンは、少しアダルトな想像をしてしまって、きっとそんな事まったく考えないで渡したらしいケイが少しおかしかったのと、戸惑ったのだ。
 期待しているのは、自分だけなのだろうか?そんな想いにも囚われて、期待しているのかと少しため息がでる。
 皮を3分の2ほど剥いて、そのまま口に咥えてもぐもぐと食べると、くすくすと笑う声が聞こえて視線を上げた。
「・・・なんです?」
「んー・・・やらしぃーって思って」
 にやって笑ったケイの顔に、瞬間的にルシアンの顔に朱が走った。
「な・・・っ」
 自分が渡したくせに!
 瞬間にそう思って思わずにらみ付けた視線を無視して、頬にキスをされた。
「すっげー信じらんない。俺の部屋に、ルシアンがいるっ」
 改めて言われる嬉しそうな呟きに、ルシアンはなんと答えていいのかわからなくて、もぐもぐと残りのバナナを口に運ぶ。
「俺の部屋で、バナナ食ってる」
「っ、それは・・・」
「もう1本食う?」
「いりません!」
 食べ終わった皮を取り上げながら、さもおかしそうに尋ねてくる言葉に、ルシアンはキリキリした瞳を向けて言い返した。
「じゃぁーサンドイッチをもう1個くらいは食べて」
 そういうと、残っていた二つのうちの一つを手渡した。そしてケイは最後の一個をペロリと平らげる。
「これも食べていいですよ?」
 まだ全然食べれそうなケイに、手にしたサンドイッチをルシアンは差し出そうとすると、ケイがちょっと怒った顔になった。
「だめっ。ちゃんと食べて」
 その顔にルシアンはちょっと困った顔をしたけれど、文句は言わずに口に運んだ。食欲はなくとも、ケイが心配してくれているらしいことはわかったからだ。
 少し水で流し込むように食べ終わると、じっと見つめていたケイと目が合って、どうしようもない恥ずかしさに俯いた。
「簡単に汗流そっか」
「・・・はい」
 半日以上を馬で揺られて、確かに身体は汗と埃で身体は汚れていた。べとべとする。
 ルシアンはケイに腕を控えるままに奥へと進むと、そこにはケイ専用の浴室があった。そこも見事な細工を施された大理石の柱が立っていて、同じ大理石で作られた中央に丸い形の湯船があった。
「・・・お湯?」
 こんな時間にもかかわらず、暖かな湯がなみなみとある光景に思わずルシアンが呟やいた。
「ああ、温泉が沸くんだよ」
 こともなげに言ったケイの言葉にルシアンが首をかしげた。
「温泉?」
「あーっと、温泉わかんないか・・・、んー湧き水のお湯バージョンみたいなもんだな」
「はぁ・・・」
 ルシアンはケイの説明に曖昧に頷いた。お水ではなくお湯が沸く・・・それはなんとも便利だなどと思いながら。
「では、背中を流します」
 ルシアンはケイの衣服に手を掛け脱がしながらそう言うと、ケイが少し嬉しそうに笑った。
「じゃぁールシアンの背中は俺が流すね」
「え・・・、いえ、そういうわけには行きません」
「なんで?」
 即答で返される疑問の言葉に、ルシアンの方が一瞬言葉に詰まってしまう。
「なんでって、貴方は皇子様なのですよ?そんな方が私などの背中を流せるはずがありません」
「世が世なら、ルシアンが皇子だ」
「皇子っ!」
 ルシアンは少し青い顔をして、鋭い声を発した。そんな発言、もし誰かに聞かれでもしたら大変な事になる。絶対口にしてはいけない言葉だ。
「そんな怖い顔しないでよ。ごめんって。ほら、ルシアンも服脱いで、早く一緒に入ろう」
 けれど、ケイは悪びれた様子がまるでない。
「だめです」
「ルー?」
「皇子と私が一緒に湯につかるなど・・・」
 許されるはずがない。本当なら、ば。そしてきっと、普通の皇子はこんな事言わないだろう。
「俺はルーが好き。ルーも俺が好き。それなのに、一緒にお風呂も入っちゃいけないの?」
 いつもそうだ、とルーは思う。いつもこうやって、自分の決心をケイは揺るがすのだと。
「皇子」
「ここには俺とルーしかないのに?それでもそんな風にしなきゃいけないの?」
「っ、・・・」
 どこに誰がいようとも、誰もいなくても、けじめという物があってちゃんとしなければいけないのに。拗ねた様な口調と、少し悲しそうな顔のケイに、ルシアンはそれ以上言葉を続けることが出来なくなる。
 ――――だって・・・
「ね?一緒に入ろう?」
 ダメ押しのような甘える声に、ルシアンは渋々頷いた。
 ――――だって、もしかしたらこれが最後かもしれないから。
「やったっ」
 無邪気に嬉しそうな声を上げるケイにルシアンがため息をつくと、そんな事は気にしていられないと、ケイはいそいそとルシアンの衣服に手を掛けて脱がしていく。
 少し翳りのある室内の明かりの下に、ルシアンの裸がケイの目の前に晒された。
 1日ぶりに見る裸。ケイはその肩に手を這わせた。
「綺麗だ」
 その呟きに、ルシアンは緩く首を横に振った。












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