海の上の籠の中で 前編1





 僅かな光さえも差し込まない真っ暗な世界の中、目を凝らしてみれば何かが"いる"のが分かる。僅かな身じろぎの音と共にジャラ・・・と金属の引きずられる音が響いた。
「はぁ・・・」
 ため息の様な音が壁に反響する。
 ここは真の暗闇。ここにいれば、外で何があったのかはまったくわからない、音さえも届かない。今この船が、動いているのか止まっているのか、外の世界が朝なのか夜なのかさえもわからない。ただ、1日3食出される食事の数を数えて、その時間とその日数を数えるだけ。
 彼、がこの船に乗せられて7日が過ぎたことだけはわかっていた。
 行き先は、当然知らない。
 連れ込まれたこの船で、自分がどこへ連れて行かれるのか、そこで何が待っているのか。彼には自分の運命さえも自分の手の中にはないのだ。
 暗闇で見る事の叶わないその瞳に、一体何が写っているのか。薄着の上から1枚の布に身体を包めて、ただ待つしかない。身体を震わせる事はもう無くなった。そんな感覚は、とうの昔に捨ててしまった。そうでなければ、生きてはいられなかった。
 その静寂の中、不意にコツンと何かが転がった様な音が響いた。
 ――――な、に・・・?
 そう思った瞬間、ドン!!と大きな音と共に強い衝撃が押し寄せて、船体が大きく揺れた。
「――――っ!!・・・な、に?」
 漏れた声は、若い少年のもの。続いてジャラジャラという音と、ガシャンという、こちらも金属音。彼は暗闇の中身を起こして、目の前の鉄格子を掴んだのだ。
 けれどもその音を掻き消してしまう、ドン!!ドン!!と立て続けに響く大きな音。
「ちょっ・・・、誰かー!!」
 船を大きく揺れ続けて、大きな振動も響く。
 ――――何?・・・何が起きてるんだ?
「誰か、誰かいないのか!?」
 少年は、ガシャンと金属音をさせながら強く鉄格子を握って暗闇に向かって闇雲に叫んだ。
 もしかしたら外は嵐で、船は沈む寸前なのかもしれなし、何か事故でもあったのかもしれないと、少年の頭には最悪の想像が沸きあがる。もしそうならば、誰かにここから出してもらわなければ自分は船と一緒に沈んで死んでしまう。
「おーい!!おーいってば!!!」
 焦りと恐怖に、必死で叫ぶけれど外からはまったく反応が無い。
 船は相変わらず、揺れ続けている。音もまだ聞こえているた。
 ――――嫌だ。まだ、死にたくない・・・っ
 自分の人生は大して面白くはない、いやむしろ苦痛と絶望の中にしかないと思うけれど、生きていれば抜け出すことも出来るかもしれない。死ねば、何も出来ない。
 本当は、死んだ方がマシな人生だったとしても。
 それでもまだ少年は死にたくは無かった。
 僅かばかりの、蜘蛛の糸より細い希望だとしても、未来へ希望を持っていたから。
「お願い・・・」
 少年は、暗闇の中で必死に目を凝らす。1週間もここにいたのだ、いい加減闇に目は慣れている。けれど視線の向こうにあるらしい扉は開かれる様子も無くて、目の前の鉄格子はびくともしない。
 1分、1秒が果てしなく長く感じられ、焦れた思いで少年は扉の方をじっと見ていた。どれぐらいそうしていたのか、気づいてみると、船の揺れが収まっていた。
 ――――嵐を、通り抜けたのだろうか?
 もし事故で沈没などになるのなら、既に沈み始めていなければおかしい。ここは、船底なのだから。
 少年はそれでも、じっと扉を見つめて。鉄格子を握り締めた手にはじっとりと汗をかいていた。
「っ!!・・・っ」
 その少年の瞳に、溢れんばかりの光が、唐突に差し込んだ。
 扉が、開かれたのだ。
 少年は、強い眩しさに目を細めたその先に浮かぶシルエット。そのシルエットは、ゆっくりとこちらへと近づいてきた。
 少年はなんとか目を開けて、目の前に立つ人物―――男を見上げた。
 見たことも無い男だった。
「―――」
 スラっとした体躯に、こげ茶だろうか?・・・髪を、長めに肩までたらし、キツイ眼光で少年を見下ろしていた。その瞳は、萌ゆる様な綺麗なグリーンだった。さらされた肩は、筋肉がついて、腰には偉く立派な剣がさしてあった。
「・・・なんだ?」
 その男は、少年を目にして驚きに目を見開いた。こんなところに人がいるとは思わなかったのだろう。
「・・・助けて」
 何故、その男に向かってそう言ったのか。
 ただ、考えるより先に口から言葉が滑り落ちていた。
 目の前の男が、どこの誰とも知らない。何物かもまったくわからないのに。
 敵か味方か、この船が今どういう状況なのかも、何一つわかっている事は無かったのに。
「――――」
 喉が、からからに渇いた。沈黙が重くて。
「お願い・・・」
 掠れた声に眉を顰めた男は、何も言わずそのままきびすを返して、来た道を戻っていこうとした。
「待って!お願い、助けて!!」
 少年は慌てて腕を伸ばして、男のマントを掴んだ。
 ――――行かないでっ
 見開いた瞳で、すがるように男を見つめた。
「助けてやる。だから、待っていろ」
 声が、低く響いた。
「ほん、とに?」
「ああ、だから離せ」
 強い口調に、少年の指が解けてマントが風に揺れる。
 男はそれを見ると、足早に立ち去ってしまった。
 ――――行っちゃう・・・
 何故指を離してしまったのだろうか。きっとあんなのは嘘だと思うのに。きっとあの男は戻って来ない、そう思いながらも少年は鉄格子にしがみついて、扉を見つめていた。
 もう1度開かれる。
 開けて、戻って来てくれる。
 そんな言葉を呪文の様に心の中で繰り返す。
 たぶん、待っていたのは僅かな時間。
「あ―――っ」
 扉は再び開かれた。しかし、一人ではなかった。もう一人は、どこか怪我でもしているのか、歩き方がおかしい。しかも、何かをぐずぐずと話している。
「いいから、とっとと開けろ。それともお前、死にたいのか?」
 鋭利に響く言葉。
 もう一人は脅されて連れ来られた、少年の鉄格子とその足についている足かせを外す鍵を持っている男。よく見ると、少年に3度の食事を運んで来る男だ。かわいそうに、その喉元には剣を突きつけられ、顔にも殴られた痕があった。
 少年の前にやって来て、もう一度窺うように男を振り返ると、男は焦れた様に剣をさらに突き出した。
「・・・ひっ」
 恐怖に観念したのか、喉を鳴らして冷や汗を流しながら鍵穴に鍵を差し込む。震える所為か、なかなか開かない鍵が、不意にカチっと音がして。
 扉が開かれた。
「あ・・・」
 少年は一瞬の間の後、転げるように中から出て来た。その足にはまだ鎖がついたまま。男の指図で番の男はその鎖を外す。
「歩けるか?」
「あ、うん」
 少年は慌てて立ち上がったのだが、鎖に繋がれていた足が痛んで顔を潜めた。何日も座り続けていた所為か、船が揺れる所為なのか足元もおぼつか無い。その少年の様子に眉を潜めた男は左手を伸ばして、少年を抱えるように抱いて歩き出した。
 右手には冴えた光を放つ剣。僅かにまだ血の香りがする。
「――――」
 横目で盗み見た男の横顔からは表情は読み取れず、少年の顔には不安そうな翳が差した。
 ――――本当に、この男に助けを求めて良かったのだろうか・・・?
 けれど今更そんな事を思ったところでもう遅い。少年は無言のままの男に抱えられて、船底から甲板までの道のりを歩いた。
 少年は乗り込む時、目隠しをされて抱えられて気づけばあの鉄格子の向こうに放り込まれていたから、船内を見るのは初めてだった。その船内は、ところどころが損傷しているものの、ふかふかの絨毯の敷かれた廊下、高そうな絵画が壁に掲げられて天井からは綺麗なシャンデリアがぶら下がっているから、かなりの豪華客船なのだろう。
 甲板に近づくにしたがって、海風が吹き込んで。少年は久々に嗅ぐ新鮮な風の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。
 ドアの向こうに垣間見られる、青い空に、ドキンと心臓が高鳴った。久しぶりの、空。久しぶりの、蒼。
「――――ひっ・・・!」
 甲板に出た途端、少年の喉が鳴って足が止まった。
「何、これ・・・」
 そこには、血を流した人々が累々と横たわり、中には縄で縛られて転がされている人もいる。甲板は、激しい攻防の後を物語るように大きく壊れ、そして血で濡れていた。
「頭!?なんです、そいつ」
「船底で見つけたんだ。ミヤ、連れて行ってくれ」
 頭と呼ばれた男は、甲板で手持ち無沙汰にしていた男―――ミヤに少年を預けた。
「ふーん・・・、男っすよね?」
 ミヤは少年を腕に抱いて、少年の顎に指を添えて上を向かせる。少年は嫌そうに抗うのだが、ミヤの腕はびくともしない。
 背はそんなには高くなくて、茶色い髪も肩あたりで切り揃えた普通の青年に見える体躯なのに。
「ミヤ」
「はいはい」
 頭のたしなめる様な口調にミヤは肩をすくめて、隣の船に掛けた板の方へと近づいていく。そこへ、また違う男が現れた。こちらはサラサラの黒髪をした男。ボブショートとでも言うのか長めの前髪を横に流した中から見える顔は、冷たそうだ。右手には男よりは細めながら立派な剣を持ち、背も"頭"と同じくらいに高い。その男が、少年を目に止めて僅かばかり驚いた顔になった。
「デューク?」
 少年を助け出した、"頭"と呼ばれた男の名前はどうやらデュークと言うらしい。
「何かめぼしいものはあったか、ケイト」
 ケイトの少しとがめる様な呼びかけはサラっと無視して、デュークは言う。
「お宝と食料は全部運び出した。それ以外はさしてめぼしいものは無いな」
「そうか」
「けど、流石に豪華客船。食いモンは豪華だったぜ」
 これまた新しい男の登場だ。コチラの髪も黒で、それを無造作に後ろで括っている。括っているといっても、毛先は3センチほどしかないのだから、降ろしても肩までだろう。それに、ちょっと猫目の瞳がキラリと光る。
「ヒデロー。お前が調達するのは食べ物じゃなくて薬だろう?何かあったのか?」
「ああばっちり。これでしばらくは安心して病気にでもなってくれ」
「なら、引き上げるか――――トウヤは?」
「さっき食料とともに船に乗り込んだぜ」
 そう言ってヒデローが自分達の船を指差すと、ちょうど少年が甲板の上に降ろされていた。
「なんだあれ」
 どうやらその存在に今気付いたらしい。
「船底で拾った」
 デュークはそう言うと、もうこの船に用は無いとばかりにマントを翻して、軽やかな足取りで船に戻っていった。
 その後ろ、思わずケイトの顔を見たヒデローに対し、ケイト軽く首を横に振った。
「男・・・だよな?」
「ああ」
「あいつが、男を、ねぇ」
 ヒデローの口調はどこか面白がっているような笑いを含んで聞こえる。それが、ケイトの気には召さないらしかった。
「人を連れ込むなんて、一体何を考えてるんだか」
「しかも、頂けちゃう女じゃなくて、なぁ」
「ヒデロー!?」
 不謹慎だぞと、荒げた声にヒデローはにやりと笑った。
 何やら面白いことになりそうだと思ったのだがこれ以上ケイトを怒らすのは得策じゃない。ヒデロー殊勝にも口には出さず心の中で思うに留めたのだった。







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