海の上の籠の中で 前編2
少年を乗せた船が、豪華客船から離れてゆっくりと動き出した。相手はボロボロで、追ってくる事も攻めて来る事も出来ないのだから悠々とした船出だ。 その豪華客船を、少年は船内の窓からじっと眺めていた。 遠ざかっていく、船。 みるみるうちに、小さくなった。 「――――」 ――――さようなら・・・ 「ん?何か言ったか?」 「え?」 声をかけられて、我に返った少年は慌てて振り返った。今船内は奪った荷物の仕分けで忙しいらしく、誰も少年にかまっている余裕は無いらしい。デュークに、ここでおとなしくしていろ、そう言われて今はダイニングの片隅にいたのだ。 そこに人がいるなんて、気が付かなかった。 「えーっと・・・」 「俺はトウヤだ。ここの料理番」 「ああ・・・」 本当だ、いい匂いがして来た。 船を見送るのに気を取られて気付かなかったが、今室内には食欲をそそるとても良い匂いが漂っていた。 「ご飯?」 「ひと働きした後だからな。しかも、えらく立派な食材が手に入った」 「うん」 トウヤはしゃべりながらも、華麗にフライパンを使って料理を作り出していた。少年はそれを、人が料理をしているところを見るのは何年ぶりだろうかと思いながら眺めていた。 なんだか、ああそうだ。生きてる、そんな感じがすると思った。 人が動いて、風が吹いて。 自分の足で今、ここにいる現実が。 「おい、そこの棚からでっかい皿を取ってくれ」 「え、あ・・・棚?」 「そう。それ、その中にあるでかい皿だ」 少年は言われて立ち上がって、棚の扉を開け中から1番大きなお皿を慎重に取り出した。少年の細腕にそれは少し重かった。 「これでいい?」 「ああ。ここに置いてくれ」 少年はトウヤの指し示した場所に皿を置くと、男は今作っていた料理をフライパンから皿に移し盛った。それはどうやら野菜などを炒めたものらしいが、長い船旅では日持ちのしない野菜は貴重だ。 「美味しそうっ!!」 少年の嬉しそうな声に、トウヤは嬉しそうに笑う。 「これをテーブルに置いて。それから棚から取り皿を6枚出して並べてくれ」 「わかった」 少年はまた慎重にそっと大皿を持ち上げて、大きなテーブルの真ん中にそれを置く。テーブルにはいつの間にかサラダも並んでいた。 少年はそれを涎が垂れそうなほどに見つめながらも、ツマミ食いをする事は無く再び棚の扉を開けた。しかし、そこで困ってしまった。 「・・・取り皿って、どれ?」 「取り皿だよ。その小さめの」 「これ?」 「違うっ。それはぐい飲みだっ。それじゃなくてその上の左の」 「これ?」 ぐい飲みってなんだろうと思いながらも少年は言われた皿を取り出して掲げると、男はそれだと頷いた。 「6枚6枚・・・」 これが取り皿というものかと少年はぶつぶつと呟きながら6枚取り出してそれをテーブルに置く。 「後、ナイフとフォークもな。それからグラスもだ」 「はい」 少年は言われるままにナイフとフォーク、グラスを6つずつ取り出して全部テーブルに置いた。その後も、次々と出来上がる料理を並べて、テーブルは瞬く間に料理で一杯になった。 部屋中、最高に食欲を誘ういい匂いが漂う。 そこへ、男達がやってきた。 「腹減ったぁー」 「おお〜うまそうっ!」 「丁度良かったぜ。今出来上がったところだ」 「ミヤ、酒出して」 「飲むぞ〜」 口々にしゃべりながら入ってくる男たちを少年はただじっと見上げ、勢いに押される形で部屋の隅に身を置いた。自分に比べれば皆が上背があり体躯も良い。その上ミヤ以外の二人は知らない顔で、少年はどうしたらいいのかと視線を泳がせた。 ――――あ・・・ そこへデュークもやってきた。少年はなんとなくホッとして、助けを求めるようにその男を見つめ、まるで子供の様に自身の服をぎゅっと掴んだ。 「こっちへ来い」 その様子を目の止めたのか、デュークは少年を手招きして呼び寄せた。 「お前、名前は?」 「え・・・」 改めて見ると、その眼光は鋭くて少し怖い様な色をしていると少年は思った。けれど、穏やかな顔で見つめてくる視線には、不思議と怖さを感じる事は無かった。 「おい?」 「え?」 「だから、名前だ」 何を聞いてると、苦笑を漏らす顔を見つめながら少年の口が呆然と動いた。 「名前・・・」 ――――僕の、名前。・・・名前は―――・・・・・・ 『ユーリ、わたしのかわいいユーリ―――・・・』 「名前は、無い。――――無いんだ」 引き攣った顔で困ったように首を横に振る少年の言葉に、デュークははっきりと不可解そうに眉を寄せた。 「名前が無い?」 「うん」 小さな子供ならまだしも、少年はどう見たって14,5歳くらいには見えた。それくらいにまで成っている子供に名が無いというのはあり得ない話なのだが、その時デュークは追求しなかった。 「じゃぁ、なんと呼べばいい」 ただ、それだけを尋ねた。 「あ・・・っと――――、お好きな様に?」 しかし、少年はさらに困ったように首を傾げた。その仕草は、随分幼くデュークの目には映った。 「お好きな様に、な―――――ならば・・・・・・アオイ。アオイでいいか?」 デュークはしばらく逡巡したのち、その名前を口にした。 「アオイ、ね。うん、いいよ」 少年―――アオイはホッとした様に笑って頷いた。 「じゃあ決まりだな。俺はデューク。こっちの黒髪がケイト。その隣がヒデロー。こいつは医者なんだ。後で見てもらえ。それからこいつがミヤで、料理をしているのがトウヤ。トウヤとミヤは兄弟だ」 「・・・よろしくお願いします」 アオイは、自分を見ている男達にペコリと頭を下げた。こんなに大勢の前に立つことも、身も知らぬ人々と触れ合う事も少年にとってはかなり久しぶりで、その所為かアオイの顔には緊張の色が浮かぶ。 「じゃぁ、そういう事で早く飯にしようぜっ!」 だが、ミヤはさっきアオイと少ししゃべった所為か他の者よりもアオイに興味がないらしく、それよりも目の前の食事が先と椅子に座った。 「そうだぜ、暖かいうちに食おう」 それにトウヤも習って、まだ興味のありそうな二人を促す。結局最後までアオイに視線を向けていたのは、不機嫌そうな顔つきのケイトだった。 「何をしてる?お前も座れ」 「あ、うん」 アオイは言われるままにデュークに指し示された、デュークの隣の椅子に腰を掛けた。 「んじゃ、今日の成功に乾杯!」 「こらっ」 ミヤの音頭にケイトが眉を潜める。 「かまわねぇーよ」 ケイトとしては頭であるデュークが音頭を取るべきと考えたのだろうが、デュークはかまわないと首を軽く横に振った。それが少しケイトの機嫌を損ねるのだが、デュークはそういう事に拘らないタチだった。 ケイトもそれは分かっているのだろう、ため息を一つついただけでそれ以上は何も言わなかった。 そしてそれから雪崩の様に食えや飲めやの騒ぎになって。はっきり言ってアオイはこの雰囲気に飲まれていた。食いっぱぐれない様にとデュークが料理を勧めてくれなければ、アオイはもうちょっとで食事すら食べ損ないそうだったのだ。 彼らが海賊なのは、船に連れてこられて直ぐにミヤに聞いた。アオイにとって海賊は、小説の中でしかお目にかかる事もなかっただけに、本当にいたんだなぁーと感心するや驚くやら。 ――――けど・・・・・・ アオイは密かにため息をついた。あそこから出られたのは、喜ぶことだ。それはもう絶対間違いないのだけれど。彼、デュークはどういうつもりで自分を助けてくれたのだろうかと、アオイは逆に不安になっていた。 そのままいつしか皆がテーブルから離れ、ソファ席で酒メインの宴会が始まった。彼らが特別なのか、普通はこうなのかアオイには分からなかったが、彼らの飲む量は半端では無かった。酒が水でも飲むように喉に流し込まれる様をただ唖然と眺め、自分は部屋の隅で水をちびちび飲んでいた。 話の中心には、デュークではなくミヤがいて。ミヤの話にヒデローやトウヤが絡んで笑いを起こし、ケイトやデュークがそれを見ているようなそんな空気。ミヤはその背中をべったりとトウヤに預けていた。 ――――いいなぁ・・・、兄弟かぁ。 アオイは、体育座りをしてその膝小僧にあごを乗せるような格好で、彼らの姿を見つめていた。話の内容はあまりよく分からなかったけれど、その楽しそうな空気を見るだけでアオイの頬も緩んだ。 「あ、どこ行くんだよっ」 その時、トウヤが不意に立ち上がって、ミヤが不満そうな声を上げた。その顔はだいぶ酒に酔ってトロンっとしていた。 「ちょっと片付けだよ。あのままじゃぁな」 トウヤはそういうと、ミヤの頭をくしゃりと撫でてキッチンへと向かった。夕飯の後の片づけがまだ半分ばかり残っていたのだ。 「手伝うっ」 「いーよ。今のお前じゃぁ皿を落として割りそうだ」 「あ、じゃぁ僕が手伝う」 二人の会話に、アオイが立ち上がった。 「いいのか?」 「うん」 トウヤは一瞬申し訳なさそうな顔をしたが、アオイは笑顔で頷いた。アオイは幸い酒も飲んでいないから酔ってもいない。 「じゃぁ、頼もうか。とりあえず、そこいらの皿をこれで拭いて棚に直してくれ」 「はい」 アオイはトウヤの指示で洗い終わってある皿をタオルで拭いて、慎重に直していった。同じ皿の上に皿を乗せるだけなのだが、アオイはいたく真面目な顔つきである。 「ミヤ、なに仏頂面になってんの?」 その様子を面白くなさそうに見ていたミヤの頬を、くにっと抓りながらヒデローがからかった。 「別にっ。――――頭、あいつどうすんの?」 「ん?」 ミヤの荒い声に、アオイはピクっと頬を揺らした。しかし、ミヤの言葉は諮らずしも全員の聞きたいところと一致していた。 「どうと、言われてもなぁ。とりあえず置いておくしかないだろう?ここは海の上だぞ」 その回答に、ケイトが口を開くより一瞬早く、アオイが口を開いた。 「それって。それって・・・僕も海賊の仲間ってこと?」 「なんだ、お前海賊になりたいのか?」 「なりたいっ!」 アオイの答えは即答だった。そのあまりにも深く考えてない言動に、デュークは苦笑を漏らした。 「なりたいと言われてもなぁ」 「じゃぁ、下働きからって事でどうや?」 これに乗っかったのがヒデローだった。ケイトの眉がキリキリっと上がったのもお構い無しだ。 「それでもいい!」 「ならそうしろ。で、仕事を教えてやるからちゃんと憶えて一人前になったら仲間だ」 「うん!」 ヒデローの言葉にアオイは笑顔になって、嬉しさのあまり思わずヤッタっと飛び跳ねた。 「おい」 「マジ?」 頭そっちのけで進む話に思わずデュークも驚いた顔をしたが、ケイトはヒデローに牙を剥きかからんばかりの恐ろしい顔をしている。その顔が、アオイからは死角で見えなかった事が救いだろうか。 「んーだよ。文句あんのか?」 ニヤニヤ笑うヒデローに、デュークは肩をすくめただけで言葉は返さなかった。 「でもさ、アオイはどこで寝とまりすんのさ!?」 「どこって、予備のベッドがあっただろう?あれを――――」 「あれこないだ壊したじゃないっすか。嵐に会って、船尾の補強にって。布団もそん時使っちまって」 「ああ!・・・そうだったな」 その事を思い出したらしいデュークが声を上げると、今度はミヤが肩をすくめた。 「・・・困ったな」 デュークが一瞬視線を彷徨わせ、その後にアオイを見つめた。 「あ、僕別に床とかで全然いいよっ。どこでも寝れるから」 慌てたように首を振るのはアオイ。 「床はまずいだろう?」 「でも、ずっと船底でごろ寝だったから平気」 「船底でごろ寝?ならなお更ダメだ。医者って立場から言わせてもらえば、そんなんじゃぁ身体を壊すぞ。それでなくてもお前は細っこくて貧弱そうなのに」 キッパリと言い切ったヒデローの言葉に、アオイは言葉に詰まったように口をつぐんだ。確かに、1週間のごろ寝で身体は多少痛んで疲れていたからだ。 「ん〜〜、じゃあデューク、お前のところで寝かせてやれ」 「!?」 ヒデローの言葉にデュークの眉がピクっと跳ねた。 「お前のベッドデカいんだし、いいだろ」 「えっ、・・・あの」 「ヒデロー」 これには今まで黙っていたケイトの思わず鋭い声を上げた。 「どこの誰ともわからぬ者を、デュークと同じベッドで寝かせられるわけがないだろう」 当のデュークも渋い顔になった。即答をしかねるのだろう、迷った顔でヒデローを軽く睨みつけている。 が、ヒデローは怯むどころか悪びれる様子も無く肩をすくめ。 「んな事言ったってデュークが拾って来たんだ。本人が責任取るのが筋だろう」 困ったように睨み付けるデュークとにやっと笑うヒデロー、そして後姿でもわかるケイトの不機嫌な様に険悪な空気を感じ取ったアオイは慌てた。 「あのっ、本当に僕床で―――」 その時デュークは黙って立ち上がって、アオイの腕を引いた。 「来い」 どうやらヒデローにやり込められて、勝手に少々キレたらしい。 「ええ!?」 強引に引かれる強さに、アオイは目を見開いた。 「あ、僕まだ後片付けが・・・え、あのっ」 そんな慌てた声は、既に廊下から聞こえて来ていた。 後に残されたのは、してやったり顔のヒデローと、ちょっと驚きに目を見張ったトウヤとミヤだった。もちろん、その後ケイトの盛大な文句が響いた。 |