海の上の籠の中で 前編3
デュークはそのままアオイを自室まで引っ張って行った。そこには、確かに一人で寝るには大きめのベッドと、物を書くための机。本や酒を収めた棚や衣服が納められているクローゼットがあった。 きょろきょろと見回してみると、そこは思ったりも落ち着いた室内になっていた。金銀財宝が山積みでもなく、とりたてて豪華でも悪趣味でもない。シンプルながらも、品良く作られていた。 「とりあえず、当面寝起きはここでしろ。服は―――俺のを貸してやる」 「いいの?」 苦りきった顔に見えたその表情に、アオイは思わず言葉を零す。 「仕方ないだろう」 「う、うん。あの、ありがとう」 「いい」 ぶっきらぼうな言葉に、アオイはちょっと顔を下へ向ける。その様子にデュークは一瞬決まりの悪そうな顔をしたが、掛ける言葉を見つけられないのか一瞬の逡巡の後、諦めたように違う言葉を吐き出した。 「ちょっとそこへ座れ」 デュークは戸棚から酒を取り出しながら、アオイにベッドに座るよう促した。 「うん」 デューク自身は椅子を引き寄せてそれに座り、机の上に酒とグラスを置いた。おずおずと向けられる視線に、笑ってやれればいいのにデュークは不器用だった。 「ここは海賊船だ。みんな何かしらの物を抱えて乗っている奴もいるから、取り立てて詮索するつもりはないんだが」 「うん」 「俺がこの船の頭である以上、多少の事は知っておきたい」 デュークの言葉はもっともな事だった。アオイにもそれは分かってはいたが、何を聞かれるのかと内心はドキドキしていた。 言える事は、―――――あまり無い。 「何故、あんなところに?」 デュークの質問は、心の準備をする間も無く単刀直入、簡潔だった。 「それは、――――僕は、売られるらしくて・・・」 アオイは咄嗟にそう言った。 「売られる?」 「・・・よくは、わからない。気づいたらあの場所に」 「お前を売ったのは?」 「――――それは、・・・えっと・・・」 俯いたアオイは、目の前の膝頭をじっと見つめていた。 「親か?」 その問には、首を横に振った。 「親は?」 「・・・いない」 「いない?」 「――――死んだ、から」 僅かばかり、声が震えたのにデュークはハッとなってアオイを見た。 「そうか」 「うん・・・」 しばらくデュークはじっとアオイを見つめていたが、諦めたようにそっと息を吐いた。 船底でのあの状況が通常では考えられない事はデュークにも分かっていた。また、罪人を運んでいる状況ではない事も。ただ、あの船は奴隷を売る船で無い事もまた事実だったのだ。 あれは金持ちを乗せる、ただの豪華客船でしかない。 「アオイ・・・」 「迷惑をかける様な事はしないっ!だからっ――――だから、僕をここに置いて欲しい・・・」 顔を上げて吐き出した言葉は、デュークの視線に晒されて尻すぼみに小さくなった。確かに、デュークから見ればアオイは得体が知れなかった。 名前さえ、名乗ろうとしない。 ――――もしかしたら、あの船の乗客の慰み者だったのか・・・ もしそうならば、それが嫌で逃げ出したくかった。それならばその過去を言いたくないのもわからなくはない。ああいう連中の中にはSM 好きもいて、もしかしたらそういうプレイの途中だったのかもしれない。 「あ、あの・・・」 何も言わない沈黙に耐えかねたアオイが、小さく声を発しておずおずとデュークを見つめた。それは随分と可愛くて、庇護欲を掻き立てられずにはいられない容姿。 「お前は、男に抱かれた事があるのか?」 何故、そんな事を聞いてしまったのか。言葉を発したデューク自身が、驚いてしまう。 「っ、・・・貴方も、僕を―――抱く?」 咄嗟に強がった声を発したが、サッと顔色の変わったアオイにデュークは苦笑を漏らして首を振った。 「いや、俺には男を抱く趣味は無い」 「・・・そう?」 「ああ」 不安そうなアオイに、デュークはしっかり頷いた。デュークは今まで一度も、男にその気になった事は無かった。今までその手の男に誘われたことももちろん1度や2度ではなかったが、1度も相手をした事も無い。 「じゃぁ、なんで?」 何故、そんな事を聞くのか。その問にはデュークさえも明確な答えがなかった。 「わからん、なんとなく聞いてみたかっただけだ」 たぶん、そういう事なのだろうとデュークは自身で結論付けた。珍しく、他人に興味が沸いたのかもしれない。 「なにそれ」 「さぁな」 ――――それに、主人がいたにしては口の利き方がなっていない・・・ 結局アオイがどこからどうやって来たのか、経緯はさっぱり分からなかったが、アオイを見ていると本人に何かしらの悪意や作為があるようには見えなかった。 今は、そのこれまでに養った勘と言うヤツを頼りにするしかない様だと、開き直った。 「とりえず、今日は疲れただろう。もう寝ろ。明日からは色んな事を憶えていってもらう事になるからな」 「うん」 デュークの言葉に、あからさまにホッとした顔を浮かべるアオイに苦笑を禁じえなかった。 気になる事はあるが、とにかく今はそのままにしておこう。追々、聞き出していけばいいとデュークは考えた。 「じゃぁ僕こっちの端で寝るね」 さっそく布団を捲って、身体をそこに忍ばせた。 久しぶりのベッドに嬉しさを隠しきれないアオイの様子は、なんというか、無邪気と言うか子供っぽいというか。 「アオイ」 「なに?」 「お前、歳はいくつだ?」 「・・・17」 ――――・・・17!? 「嘘だろう!?」 デュークは思わず驚いた声を上げた。 「ううん、間違いないよ。17になったばかりだけど」 「見えねー・・・」 デュークは、参ったというように呟いた。 17にしては男っぽさも、体躯もその雰囲気も。言動も、そう全て何もかもが足りなかった。 何故足りないのかは、その時はそこまで考えなかったが。 ・・・・・ 次の日から、アオイの海賊下働きの日々が始まった。 豪華客船を襲ったばかりなので、当分はのんびりと航海するらしい。その間に出来るだけの事は憶えろと言われていれ、アオイはわかったと頷いた。 「で、剣は使えるのか?」 朝食を食べ終わった後、トウヤの片づけを手伝っていたアオイにデュークが聞いた。海賊である以上、人を斬りつけ、人に斬りつけられるのは当然の事である。 しかしアオイは、大皿を棚に直しながら言葉に詰まった。 「えー・・・と」 「剣を持ったことは?」 「無い・・・」 「1度も?」 「うん」 アオイはコクンと頷く。しかしそれは、アオイの生まれがそう身分のある物でなければ当然かもしれない。貴族の生まれなどで無ければ、中々剣を取る機会はないだろう。 「じゃぁ甲板においで。とりあえず教えてみる」 「え、頭?こいつに剣を教えるんですか?」 今まで黙って成り行きを見ていたトウヤが口を挟んだ。その顔には、ちょっとばかり驚きが滲んでいる。 「教える、というところまで行かないだろうがな」 「それ以前に剣持てるんですか?この細腕で」 そう言われてアオイは思わず自分の腕を眺めて、情けない顔になる。そこには、骨と皮と、わずかばかりに肉しか付いていない。筋肉など、あろうはずが無い。 「まぁ・・・、とりあえずな」 デュークもそれは分かっているのか、苦笑を浮かべながらアオイを手招きした。その仕草にアオイはトウヤの顔を見る。言われた皿は全部直し終わったものに、このまま行っていいのかお伺いを立てているのだ。 「ああ、ここはもういいから。怪我しないようにな」 キョロっと動く小動物のような瞳に思わず笑みを漏らしてトウヤはそう言うと、アオイは笑顔で頷いてデュークの後に付いて行った。 その二人が消えた方向を見つめながら。 「・・・面白そうだから俺も見学に行こ」 トウヤは思わずそう呟いて、大急ぎで残りの鍋を片付けてそこら辺を拭いてから、甲板へと上がっていった。 しかしそこでトウヤが目にした光景は、予想以上だった。 「あれー・・・」 「ダメだろ、あれは」 驚いた顔で立っているトウヤに、ミヤが声をかけた。こちらも、甲板を掃除でもしようかと思っていたところに現れた二人を見学していたらしい。 「まさか剣も構えられないとはな」 「な?」 そうなのだ。アオイは予想外に重かった剣を握り締めて、それだけでふらふらしているのだ。しかし、握らされているのはデュークの剣で、こちらはこれまた大型の剣であるから当然と言えば当然だろう。 「わかった。――――まあ、そうだろうとは思っていたからな」 デュークはため息をついて剣を取り上げ、横で見ている二人に声をかける。 「練習用のやつ、置いてたか?」 「無いっす」 それはそうだろう、海賊船にそんなものは必要ない。 「軽い剣・・・、ふむ、困った。なんか変わりになるような物は無いかな」 「それなら俺の予備を貸そう」 |