海の上の籠の中で 前編4





「ケイト」
 ケイトの手には細身の剣を持っている。ケイトはデュークと違い比較的細い剣を巧みに使うタイプなのだ。
「これは予備だから長さもそこまで長くない」
「いいのか?」
「ああ――――ほら」
 ケイトは傍らで、所在無げになっているアオイに剣を渡す。
「ありがと」
 アオイはそれを受け取りながら、ケイトの顔を見上げて笑おうとしたのだが、その頬が強張ってしまった。ケイトの視線が、想像していないほどに冷たかったからだ。
「・・・っ」
「ケイト。そんな怖い顔で睨むなよ。アオイがビックリしてる」
「これが地だ」
「あのな・・・。アオイもそんな顔をしない。練習するぞ」
「はい」
 そう言って構えてみたものの。剣が変わったくらいで急に何かが変わるわけではない。
「打ち込んでみろ」
 そう言われて剣を出しても、へろりとした切っ先では軽くあしらわれてしまう。それ以上に、あしらわれた反動でふらついて、ぱしっと肩口を叩かれて甲板に尻餅を付いた。
「アオイ。もう1回」
「はい」
 言われて立ち上がってまた剣を突き出すけれども、なんとも威力がない。軽く打ち合わせてみる事も出来ない有様。完全に腰が引けて、危ないから避けるという事も出来ない様だ。
 この有様には流石にデュークも眉を寄せわざとらしいため息をついた。
「だってっ!・・・当たったら怪我するよ!」
 いや、剣というのはそもそも相手を怪我、もしくは死に至らしめるためにある物である以上、その主張は受け入れられないだろう。案の定、デューク他一同は深いため息をついた。
「お前に怪我などさせられるほど鈍くは無い。自分が怪我をしたくなければちゃんと構えて」
「う・・・」
 泣きそうな瞳でふるふる首を振る姿にデュークは諦めた様にため息をついた。どうやら、刃物をもっているという恐怖が先にたつようだ。
「・・・分かった。じゃぁとりあえず素振りから始めるか・・・」
「素振り?」
「そう。剣を握って、こうやって」
 デュークはアオイに見本を見せて、自分の真似をさせる。とりあえず剣をまったく握った事も無ければ、触れる機会も今まで一度も無かった事がこれで証明されたアオイは、初歩の初歩から始めるしかない。しかもどうやら、剣技に向いているタイプでは無いようだ。
「こう?」
「ああ、そう――――もっと腰入れて」
 かといって、この船に乗っている以上自衛すらまったく出来ない様では困る。
「もっと、振り下ろす」
 デュークの声が飛ぶ。
 海賊という職業柄、こちらが襲う気が無くても向こうから襲われる事はあるかもしれない。そう悠長にやっている時間はないのだ。
「本気でやってるのか?」
 その時、後ろで傍観を決めていたはずのケイトが口を挟んだ。デュークが振り返ってみると、そこで見ていたはずのミヤとトウヤの姿がなくなっていた。あまりのダメっぷりに退屈して、中に入ってしまったのだろう。
「ケイト?」
「あまりにへっぴり腰だ。素振りもなってない」
「初めてだったら当たり前だろう」
「子供の頃、ちゃんばらゴッコもしなかったのか?」
 かばい立てるようなデュークの言葉を、無視するかのようにケイトはさらに言葉を繋ぐ。
「えー、っと・・・」
 ちゃんばらごっこって何だ、とアオイは内心首を傾げたのだがケイトの顔が怖くて口を開けなかった。
「本当に、・・・お前は何者だ?」
「え!?」
 てっきり剣の腕が無いのを攻められているのだと思っていたアオイは、唐突なその言葉に驚いて目を見開いた。
「どういう、意味?」
「そのままだ。名も無いような相手を、俺は信用出来ない」
「・・・っ」
 ケイトは綺麗な顔立ちの男だった。それ故に、無表情で端的に繰り出されるその言葉は、とても冷たく響いてアオイに届いた。
「僕は・・・、何者でもない」
「口の利き方も知らぬ」
「え?そう?えっ―――変?」
 これにはアオイも慌てて、ケイトとデュークの顔を交互に見比べた。自分にその自覚は無かったらしい。けれどデュークは苦笑を浮かべて暗にケイトの言葉を肯定したことで、アオイはみるからにシュンっとした顔になった。
「礼儀がなっていない」
「ごめんなさい・・・」
「ケイト」
「――――何者だ?」
 アオイは俯いて、小さく首を横に振る。
「何故、デュークに助けを求めた?」
「そこに、デュークが来たから。―――あそこから助け出してくれるなら、僕は誰でも良かった」
 その言葉の真意を探ろうとするように、ケイトは真っ直ぐに視線を向ける。
「今はそれが、デュークで良かったって思ってるけど」
 そう言って顔を上げて微笑んだ顔には、それ以上の気持ちも、何か含むところがあるのかどうかもまったく読み取れない。言えば、言葉どおりの顔をしていたのだ。
「残念だが、その言葉をそのまま受け取る事は出来ないな」
 けれど、ケイトも頑固だった。
「どうして?」
「俺達はどこで恨みを買うかわからない。お前が、敵がよこした者じゃないとは言い切れない」
「・・・敵って。潜り込ませてどうするの?」
 この時、アオイはとぼけていたわけでは決して無かった。本当にケイトの言おうとする意味が、わからなかったのだ。
「俺達を殺す」
「っ!!」
 冷たいケイトの瞳がアオイに突き刺さって、アオイは慌てて首を横に振った。
「そんな事!!第一僕は剣だって握ったことないのにっ」
 その姿はあらぬ疑いを振り払おうと、必死に見える。そう、それは普通なら大層庇護欲を掻き立てられる仕草なのだが、ケイトはピクリとも反応を示さなかった。
「剣などなくても、毒でも盛ればいい」
「そんな!!」
 アオイはなんとか分かってもらおうと、首を激しく振りながら精一杯否定した。
「そこまでにしておけ」
 デュークが口を挟んだ。
「あんまりアオイを虐めるなよ?ほら、泣きそうじゃないか」
 デュークはそう言うと、アオイの頭をポンポンと撫でて、ケイトを軽く睨む。その瞳には、相変わらず苦笑の色が浮かんでいた。
「今日はもういいから、中で少し休んでおいで」
「いいの?」
「ああ」
「うんっ」
 アオイはデュークの言葉にほっとして、逃げるように中に入っていった。まぁ、ケイトの前から逃げれるという事以上に、剣の稽古が終わった事にほっとしたのかもしれないが。
 その背中を見送って、デュークはケイトに視線を向ける。
「あんまりアオイを虐めるなよ?」
「デュークこそ、どういうつもりなんだ?まさかあの子供の言う事を全面的に信じたわけじゃないだろう?」
「・・・・・・」
「それも、名前だって」
「咄嗟にそれしか浮かばなかったんだよ」
 ケイトの言葉にデュークはちょっとバツの悪い顔で眉をしかめる。口出しするな、と言っているように。
「それに、俺達があの船を襲ったのは成り行きだぜ?それなのに敵の間者だなんてあるはずがないだろう?」
「――――」
「とりあえず、様子を見よう」
 ケイトはその言葉に、あからさまなため息をついた。
「だいたい、どうして拾ってくるかな」
 その呆れた様な言葉には、デュークは苦笑するしかなかった。
 一瞬、似て見えたんだ、などとは口が裂けても言えないだろう。ああやって、明るい日差しの下で見た印象はまるで違う、かけ離れている。
 けれど、あの暗闇で見たあの縋る顔。必死でマントを掴む手が弱弱しかった事。それがあの時のあいつに、似て見えたんだ。
 だから、見捨てていけなかった―――――――
 それは、デュークの苦い感傷で。
 口にする事は到底出来無い思いだったが。




 アオイが中に戻ると、ダイニングルームにトウヤの姿だけがあった。一人、ご飯の準備なのか、椅子に腰掛けてじゃがいもの皮を剥いていた。
「なんだ、今日は終了か?」
「ん。あ・・・お水ちょっと飲んでもいい?」
「ああ。待って」
 トウヤは手にしていたジャガイモを置いて立ち上がった。
「あ、自分でやるよ?」
「ああ」
 けれどトウヤは立ちあがって、グラスに水を注いでアオイに渡してやった。
「お疲れ様」
「ありがと」
 アオイは受け取ったグラスを一気に煽って、久しぶりに身体を動かした後の渇きを潤した。そして、トウヤの隣に腰掛ける。
「ここでは、トウヤがご飯係り?」
「ああ。俺が食料からみんなの胃袋管理までしてるぜ」
 そういいながら、器用に皮を剥いていく。小さなナイフをジャガイモの表面に滑らせるだけで、見る見るうちに皮が剥けて行く様は、アオイから見れば素晴らしい技の様に見えた。
 だから、考え無しにふと疑問を口に乗せた。
「トウヤはなんで海賊になったの?・・・料理人じゃなくて」
「ん〜・・・」
「―――――こんなに料理が上手で美味しいのに」
 勿体無いよ、そう続けようとして瞳を上げたその先にあるトウヤの顔を見て、ハッとしたように目を開いた。
「あ、ごめん。立ち入ったこと聞いた。―――ごめん」
 アオイは咄嗟に恥じ入るように俯いた。
「いや、まぁ別に隠してるわけじゃない」
 その様子に、トウヤは苦笑を浮かべた。
「俺はさ、中の上クラスの貴族の家の生まれでな」
「・・・へぇ」
 日に焼けた肌に、筋肉のついた身体つき。ランニング姿が似合うその姿からは、貴族という物から随分かけ離れて思えた。
「もうなぁ、親がうるさいわけだ。あれしろこれしろとさ。そのくせ、俺のしたい事は何一つ認めない。そんな家が鬱陶しくなって、16の時家を出た。かといって、行くあてがあるわけじゃない。ただそこら中の町をぶらついていてぐーたらな生活をしていたんだがな、ある時辿りついた酒場にどういうわけか俺は勝手に居座った」
 その過去が懐かしいのだろう。トウヤの瞳がすっと細められた。
「いい親父さんだった。何も聞かず置いてくれて。俺はそこで料理の作り方とか、こう人生につーかなんつーかそういうのも色々学んだんだが、そこの客の一人に海賊あがりのジジイがいてな。色々眉唾ものの冒険話を聞かされたわけだ。けどなぁ、その顔がさぁ、あんまり楽しそうで嬉しそうで。――――憧れちまったってわけさ。で、決意して船に乗ろうと思った」
「そうなんだ。へぇ〜いいな、そういうの」
「そうか?」
「うん。かっこいい」
 素直な賛辞の言葉にチラッとアオイに視線を向けると、アオイは本当に羨ましそうな顔でトウヤを見つめていた。
 その、あまりの真っ直ぐさにトウヤの方が気恥ずかしくなって視線を反らした。
「あ・・・でも、ミヤは?その頃からずっと一緒だったの?」
「ああ、いや。――――俺がとうとう船に乗るって時になってな、最後に一目だけと家を見に帰ったんだ。船に乗ったら最後、もう戻る事は出来ないだろうと分かってたからな」
「うん」
「でも実際、親に顔を合わせられるわけじゃないから、遠目からと思っていたのに、ミヤに見つかっちまって。事情を話したらついてくると言って利かない。随分説得したんだが・・・で、しょうがなく、な」
 トウヤはそう言うと、何故か苦い顔で笑った。
「へぇ。仲良い兄弟だったんだね」
 そう言いながら、アオイもジャガイモを一つ手に取った。自分も皮を剥いてみる気らしい。
「ああ―――剥けるか?」
「やってみる。――――でも、お家は大変なんじゃない?跡継ぎいなくなっちゃって」
「いや、俺とミヤの間にもう一人いるから。あいつが継ぐだろう。なんだか、押し付けたみたいで申し訳ないけど」
「・・・帰りたいとか、思うことないの?」
「無い。それだけは、思ったことが無い」
「そ、っかぁ」
 きっぱりと、後悔は無いと言い切るトウヤの横顔をアオイは羨ましそうに眺めた。羨ましそうでいて、どこか切なそうに。
「でも、お父さんの事もお母さんの事も好きなんだよね」
「え?」
 断定的に問われた言葉に、トウヤは再びアオイの顔に視線を戻した。
「だって最後に家を見に行くって、そういう事でしょ?」
「――――ああ、・・・ああ」
 トウヤは、一瞬の躊躇いの後素直に頷いた。認めるのは恥ずかしいが、否定はしたくなかった。
「一緒には、生きていけなかったけど。望みどおりに生きてやる事も出来なかったけどな。今となって思えば嫌いだったわけじゃない」
 トウヤは少しその言葉を噛み締めるように呟いた。その脳裏に、両親の顔が浮かんでいた。この道を選んだ事を後悔はしていないが、やはりあの二人を悲しめたのかもしれないと思うと、その事だけは心に小さなしこりは残していたから。
 もうどうしてやることも出来ないが、幸せで暮らしてくれていたらいいと思う。
「お前は?―――アオイの親は―――・・・」
 トウヤの言葉が、最後まで言わずに空気に溶けた。
 横顔が、質問を拒否して見えたからだ。
「ん?」
 子供っぽい顔しか見たことが無かったのに。ハッとするような、冷めた顔だった。
「僕の親は―――――ずっと昔、死んだよ」
 声は、何の感情も含んでいなかった。
「・・・・・・」
「痛っ」
 そのアオイの口から、声が漏れた。
「え、あ、大丈夫か!?」
「痛ぁいっ」
 甘えた声を出したアオイの空気が、またいっぺんに変わる。さっきまでの、ピンと張り詰めていた空気が霧散した。
 トウヤが慌てて手を取って見ると、親指から血が流れていた。しかも、少しザックリ切ってしまっている。
「大丈夫か?」
「・・・うん」
 これは何ミリあるのだろう、というくらいにぶ厚く皮を剥いていて何故指を切るのかトウヤには甚だ理解出来なかったが、指を切ってしまったのは事実だ。
「ヒデローのトコロ行って来い」
「そーする。あ、後でちゃんと手伝いに来るから!」
 アオイはそう宣言して、パタパタと走っていった。
 その後、トウヤは思わず苦笑を漏らす。この調子だと、野菜の皮を剥く事は到底出来そうに無いのだから、何か違うことを考えてやらなければと思いながら。
 第一、野菜が勿体無い。







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