海の上の籠の中で 前編10
結局アオイはほとんど身体を動かすことが出来ず、デュークの手によって衣服を取られて、しかも身体まで拭かれて再びベッドの横になった。 「大丈夫か?」 少し疲れたように見えるアオイに気遣いの言葉をかける。 「うん・・・」 アオイは少し困ったように目を伏せて小さく頷いた。 裸を見られることも、その身体を触られることもアオイには恐怖に近い感覚があった。実際、その身体は少し震えてさえいた。けれどその手を跳ね除けることも拒絶する事も、声を上げることも無くやり過ごせた事は、アオイ自身ホッとしていた。 良かった、純粋にそう思えた。 「少し寝ろ」 「うん・・・、あ」 「ん?」 「・・・、ありがと・・・」 アオイは頬を少し赤らめながら笑みを浮かべていた。それは照れているのか、それとも熱の所為なのかデュークにはわからなかったが、ただハッとするほどに綺麗に見えた。 「いや、・・・」 何かを言おうとしたけれど、デュークの口からはそれ以上言葉が続かなかった。 なんだか戸惑う思いが多くて、珍しく口篭ってしまった。それを誤魔化すように、アオイが今脱いだ衣服と空いたグラスを手にベッドの傍から離れた。 「あ・・・っ」 衣服はダッシュボードに、グラスには新しい水をと思ったのだが。 「ん?」 小さな声に振り返ってみると、まるで縋りつくような瞳でアオイが見ていた。 それには思わずデュークの苦笑が洩れた。だってまるで、置いていかれる子犬の様な瞳。 「ここにいない方が寝れると思ったんだが?」 つい昨日まで、人が傍にいたら寝付けなかったはずなのに。 「・・・・・・っ」 「わかった。寝付くまでここにいるよ」 そう言うと、途端にホッとした顔にやはり笑みが零れてしまう。たった一日で、何かが変わったのか。それとも単に、熱の所為で気弱になっているだけなのか、それはデュークにも分からなかった。 たぶん、アオイにもわかっていない。 デュークはただせっかく持ち上げた服を床に置いて、空のグラスもサイドテーブルに置いて、ベッドサイドの椅子に再び腰を掛けた。 「おやすみ」 「・・・ん」 返事をしながら、瞼を閉じようとしないアオイ。 「どうした?寝ないと、熱が上がるぞ」 「ん・・・」 「どうした?」 「・・・怖い夢を・・・ね。見たから」 正確には、嫌な夢。 「大丈夫、ちゃんといるから」 熱の所為か、潤んだ瞳がデュークの中の何かを、揺さぶる。 「安心して寝なさい」 長く忘れていたような、何かを。 「うん・・・あのね・・・」 「ああ」 「手を・・・」 握ってて、という言葉は真っ赤な顔とともに小さく呟かれた。けれどデュークの耳にはちゃんと聞こえた。 「いいぞ」 触れていて平気なのかとちょっと驚いたが、デュークはそんな気持ちをまったく出さずににっこりと笑ってやる。すると、もぞっと布団が動いてアオイの手のひらが顔を出した。 その手を、指を絡めてぎゅっと握り締める。 「うなされていたら起こしてあげるよ」 「うん」 「おやすみ」 「―――おやすみ」 その言葉にやっとホッとしたのか、ぬくもりに安心したのか。その後、アオイの瞼がゆっくりと閉じられて、規則正しい寝息が聞こえるまでそう時間はかからなかった。 当然デュークはずっと傍にいて、手を握り締めていた。 甘いな、と思いながら。 そして沸きあがる、その顔に触れてみたいと思う衝動は懸命な理性を持って自制した。自分には、そんな資格は無いと言い聞かせながら。 ・・・・・ 「・・・退屈・・・」 幸いな事に、アオイの熱もそう長くは続かず。翌昼には熱も下がってぱっちりと目も覚めた。しかし、さすがに動くと痛みが身体を走り、腕を上げたり下ろしたりするのもキツかった。特に、利き腕の右手の方が動かしづらいのが苦しい。本当に何も出来ないのだ。 しかし、頭は元気で身体もしんどいわけではないのだからベッドで大人しく寝ていろと言われても。 「うー・・・、暇っ」 な、わけだ。 そこへタイミングよく、扉がノックされた。 「はい?」 アオイの声が、ちょっと嬉しそうに跳ねた。 「いい?」 「トウヤ。全然いいよ〜入って入って」 ニコニコと笑顔を浮かべて言う。もう暇でしょうがなかったアオイにとっては、話し相手になってくれるならそれだけで嬉しい。 「一人じゃないんだが、いいか?」 「いいよ〜。誰?」 「ほら、入れよ」 扉の影に誰かがいるようで、アオイは誰だろうと首をチョコっと傾げた。その視界に、トウヤに腕を引かれて姿を現したのは。 「ミヤっ。―――ん?どうしたの?」 ミヤの姿に話し相手がもう一人、と喜んだのもつかの間、その様子の違いにやっぱり首を小さく傾げた。 「ミヤ」 「ごめんなさい!!」 「え・・・?」 室内に入ったかと思うと、ミヤが行き成り頭を下げて。アオイはビックリして目を見開いた。 「俺の不注意で、アオイに怪我させて・・・本当にごめん」 「え、そんなの全然。だってミヤの所為じゃないし。僕だって、よろけて転んでてちゃんと避けれなかったし。だからそんなのっ」 顔を上げないミヤにアオイは慌てたように言い募り、さらには助けを求めるようにトウヤを見たのに。 「俺も兄として、申し訳ないと思っている。すまなかった」 トウヤまでもが頭を下げたのだ。 「え、ちょっと本当に止めてよ。そんな事しないでよ!?ね?――――お願いだから顔上げてっ」 これに心底慌てたのはアオイだ。あまりに困って、思わず起き上がろうとして背中の激痛に声を上げてしまった。 「アオイ?」 「アオイ!?大丈夫か?」 「――――ったぁ・・・」 思いっきり顰めた顔に、二人が青くなって近寄って。そっとアオイの身体を支えてゆっくりと身体を寝かせた。寝かせたといっても、枕を二つたてて背もたれにしているから正確には上体は起きているのだけれど。 「痛たた・・・」 「大丈夫か?」 トウヤの顔が引きつったものへと変わる。これで悪化でもさせたら今度こそ船から放り出されるかもしれない。 船の上ではそれくらい、不注意には厳しかった。それが命取りになる事があるからだ。 「うん、へーき。そんな顔しないでよ」 けれどアオイにはそんな事はわかっていない。ただそんな風に謝られたく無いだけだった。ただその行為だけで、なんとなく距離を置かれた気がして寂しいと思う気持ちの方が大きかった。 「それよりもさ、もう暇で暇で退屈で。なんか話してよ。ね?」 「ああ。わかった」 アオイの態度にようやく笑みを浮かべたのはトウヤだった。トウヤはベッドサイドに置かれた椅子に腰掛けて、アオイの請われるままに昨日の嵐の結末などを話し始めた。 その傍で、ミヤはホッとした表情を浮かべながらもどこか複雑そうな顔をしていた事には、アオイは気づかなかった。 それからどれくらい時間がたったのか。 途中トウヤがお茶を運んできて、そこからも話が続いていたその室内に、ヒデローが顔を出した。 「元気そうだな」 「うん。元気だよ」 「ならいいが――――ちょっと触るぞ」 ベッドの上で触られることが苦手だと知っているヒデローは一言声を掛けて手を伸ばした。アオイが本人にも気付かないうちに、それが平気になっているとは知らなかったのだからしょうがない。 「うん」 「―――ちょっと熱いな」 軽く額に触れ、首筋にも手をやったヒデローが顔を顰めた。そのまま身体を少し起こさせて、背中の打ち身にも衣服の上から触れる。 「二人とも席を外してくれ」 「はい」 「じゃぁ、またな」 「うん。ありがと、付き合ってくれて」 二人が出て行くと、ヒデローが少し厳しい顔をした。 「絶対安静だと言ったよな?」 「うん。ちゃんと寝てたよ?」 「こういうのは寝ていたとは言わないんだ。ちゃんと身体を横にして休めないと。せっかく下がったのにまた少し熱が出てるぞ」 「う・・・」 「服、後ろだけめくってもいいか?」 「うん、いいよ」 あっさりと頷いたアオイにヒデローは若干勝手の違う思いを感じながらもそっと衣服に手を掛けて捲った。そこには、生々しい痣が広がっている。 「触るぞ」 「―――うん」 ――――なるほど、ここら辺が境目か・・・? アオイの間を敏感に感じ取りながら、ヒデローはそっと打ち身に触れる。腫れているという事は無い様だが、しかしもう一度冷やしておいた方がいいかもしれないなと思った。 そのまま服を直して、身体を支えてやりながらゆっくりと寝かせた。今度は完全に横にする。 「後でまた来るから、大人しく横になってる事。いいな?」 「はい・・・」 ちょっと不満そうな残念そうなアオイの顔は無視してさっさと部屋を出ると、そこにはケイトの姿があった。 「どうだ?」 その顔にヒデローはからかう様な笑みを浮かべる。 「そんなに心配なら自分で覗けよ」 「・・・・・・っ」 ケイトは無言で睨みつけた。今までの経緯を考えると、どうも一人では入りにくいらしい。 「ちょっと熱が上がってるな。軽い興奮状態で本人は気付いてなかったみたいだが。食後に解熱剤と痛み止めをもう1度飲ませるよ。打ち身自体は日にちが治してくれるとは思うぜ」 「そうか」 ホッとした顔に、さらにヒデローは呆れた顔でケイトを見上げた。 ――――つくづく不器用な男だ。 心配なくせに、疑う気持ちも隠せずにあんな態度しか取れない。 そんな事は隠してしれっと付き合えばいいものを、とヒデローは立ち去っていくケイトの背中を見つめながらため息をついた。 ったく、あっちもこっちもなんでこうも不器用な男ばっかりいるかね、と思いながら。 |