海の上の籠の中で 前編12





 穏やかな波をアオイは甲板から眺めていた。ようやく身体の自由が利くようになって、自由の動いても良いとヒデローからお許しが出たのだ。
 ただし、重いものを無理して持ったり運動したり、剣の稽古はまだダメという事で。アオイとしては剣の稽古をしないで済むのは嬉しいかぎりなのだが、それ以外はあまり嬉しくないお達しだった。自分だけが何もしていないようで、心苦しいのと、つまらないのだった。
 それでもようやくこうやって外に出て風を感じられるようになったのは、嬉しかった。
「アオイ、外に出ていて大丈夫なのか?」
「うん、もう寝てなくても良いって」
 声に振り返るとトウヤがいて、アオイの返事にほっとしたように笑った。
「良かったな」
「ごめんね、迷惑かけちゃった」
「そんなのいいさ。ミヤも心配していたから、安心するだろうよ」
「うん」
 へへと照れたように笑うアオイ。くすぐったそうに肩を揺らすその態度に、トウヤは目を細めた。
「なに?」
「いや・・・、アオイは17だっけ?」
「うん、そうだよ。・・・そういえば、トウヤは?」
「俺は24だ」
「えぇ!?本当に?」
 あっさりと言ったトウヤにアオイは思わず目を見開いた。それに驚いたのはトウヤだった。
「ああ・・・なんだ?」
「見えないっ。トウヤ、落ち着きすぎ・・・」
「おいっ」
 老けてると暗に言われてトウヤは思わず苦笑を漏らして、怒った顔を作って軽くアオイを小突く。
「へへ〜・・・、じゃぁミヤって」
「あいつは19だよ。俺とは5つ違いだ」
「そーなんだ」
 それはなんとなくそうかな、と頷くアオイにトウヤは呆れた様な顔で海を見つめた。水平線の広がる世界。穏やかな波に光りがキラキラと反射していた。
「で、なに?」
「え?」
「さっきの質問。僕が17なのがどうかした?」
 ん?と小首を傾げる仕草は幼くて。フッとトウヤの口元が歪む。
「いや、思い出すなぁと思って」
「・・・?」
「子供の頃のミヤをな」
「僕を見て?」
「ああ」
「僕17歳だよ?」
「ああ。今聞いた」
「なのに、子供の頃?」
「ああ。小さくて、俺の後を付いて。俺が振り返ったら嬉しそうに笑う顔が無垢で真っ白で。かわいかったぜ」
 大きな瞳が顔から落ちるんじゃないかと、本気で心配になった。小さい時は風邪をひきやすくて、よく熱を出して。頬を赤くして寝てる姿は苦しそうで、それを見ているだけで守ってやろう、そう思えた。
「もう一人の弟と俺は年子だったからな。あんまり可愛いとか思わなかったけど」
 学校に通うようになってすぐ、虐められたとかで泣いて帰った時は頭が沸騰するくらいにむかついて。相手の子供をけちょんけちょんに泣かせて怒られたな。
 それは懐かしい甘い思い出。
「アオイはなんとなく、似てるんだよな」
「それなんか・・・複雑」
 嬉しそうに語るトウヤに対して、そんな小さな子供と一緒って・・・と言葉どおり複雑そうな顔を作ったアオイにトウヤは思わず声をたてて笑った。その、無邪気さというか素直さがまんま似てる、そう思えたからだ。だから、つい甘く接してしまうんだろうとも思っていた。
 そんな二人の後ろ姿を、ミヤが物陰からそっと見つめていた。アオイよりもずっと複雑でいて、切なそうな苦しそうな瞳で。
 話の内容はミヤの耳にまでは届かない。ただ、楽しそうにしゃべっている後ろ姿だけ。それだけで胸が焼け付くような気がしていた。
 しかし、それも長くは続かなかった。
「アオイ」
「デューク」
「頭」
 アオイの顔が一際嬉しそうに輝いた。その顔を、デュークも優しそうに見つめる。
「そろそろ部屋で休んだ方がいいんじゃないのか?」
「えぇー」
「えーじゃない。無理してまた痛めたら大変だろうが。それにこの日差しだ。日射病になったらどうする」
 むむむっとアオイの眉が寄せられる。
「日射病になって倒れた拍子にまた背中でも強打したらそれこそベッドに逆戻りだ。そうなりたいのか?」
「・・・日射病になんか・・・」
 ならない、とは口が裂けても言えない。言えるはずが無い。そんな事を言おうものなら、何回日射病で倒れたか、さらにやかましく言われる事は目に見えている。
「気づかなくて、すいません」
「いや、トウヤが気にする事は無い。自覚の無いアオイが悪い」
「げ・・・」
「アオイ」
「ぅー・・・はーい」
 不承不承の物凄く嫌そうな返事に、横にいたトウヤのほうが苦笑をかみ殺すのに苦労した。こんな口を、仮にも船の頭に利くとは。
 しかも、それをデュークが憤慨している様子もない。それどころか、どこか楽しそうにしているのだから驚いてしまう。しかし、甘い顔をしても折れてやる様子は無い。
「トウヤ、悪いな」
 話の邪魔をした事に軽い詫びの言葉を述べて、デュークはアオイを連れて中へ戻っていった。
 その後姿を、トウヤは楽しそうでいて、どこか眩しそうに目を細めて見送った。




 中に戻ったアオイは、デュークについて廊下を歩きながらもまだその顔は不満そうだった。大丈夫なのに・・・、とそういうところだろう。
 そこへヒデローが奥から出て来た。
「アオイ、どうだ?背中」
「全然大丈夫っ」
 思わず力を込めて言ってしまった口調に、デュークは苦笑を漏らした。その様子に察するものがあったのか、ヒデローも笑みを漏らす。
「まぁ、無理は禁物だからな。――――ところで、外にケイトはいたか?」
「いや・・・」
「あれ?・・・部屋かな?」
「ケイトに用か?」
「ああ――――」
「じゃぁ、僕が見てくるよ!」
「は?」
「おい」
 ヒデローの言葉を聞いてアオイは嬉しそうに笑って。二人の続きの言葉も制止の言葉も発する前に、ぴょんと跳ねるように駆けていった。
「アオイ、走るなっ」
 思わずあげるデュークの声は、アオイの届いたのか。角を曲がったデュークには確かめる術もなく、ただ横で声を漏らして笑うヒデローをじろりと睨みつけた。
「いやぁ、悪い」
 デュークは苦虫を噛み潰した様な顔になっている。
「そこまでなら、もういい加減認めたらどうだ?」
「その話はいい」
 まるで言い捨てるように言うと、デュークは立ち去ろうとヒデローに背中を向ける。その背中、ヒデローが慌てた様に声をかけた。
「おい、お前も探してたんだって」
 無言で振り返るデュークに、ヒデローはいつもの飄々とした笑みを浮かべている。
「進路。風でちょっと流されてねーか?」
 ピクっとデュークの眉が上がる。
 そういうまともな話があるなら先に言え、とその顔が語る。
「それでケイトを探してたんだが」
「操舵室に行ってみる」
「ああ」
 二人はそう言うと、そのまま無言で操舵室へと向かった。その一方、アオイはといえばケイトの部屋の前で深呼吸をしていた。
 あのまま部屋に帰ってしまうのが嫌で、考え無しにケイトを呼びに来たのだが。アオイとて自分がケイトにあまり好かれていないらしい事は知っている。その人の部屋をノックするのは、少々気が重かったのだ。
「・・・よしっ」
 大げさにも気合を入れて、ケイトの部屋の扉をノックした。
「・・・・・・あれ?」
 気合をせっかくいれたのに。
 アオイは再度、先ほどよりも大きめな音を立てて扉をノックするが―――――
「もしかして・・・、いない?」
 部屋の中は、うんともすんとも言わない。アオイは小首を傾げながらも、扉に手をかけてそっと回すと鍵はかかっていなかった。
 扉がゆっくりと開く。
「・・・いない」
 部屋にはやはり誰もいなかった。
 だったら、素早く扉を閉めて自分の部屋に戻れば良かったのだが。初めて他の部屋を見たアオイは、好奇心に負けて一歩足を踏み入れてしまった。
 室内は、デュークの部屋と同じくらいの広さ。ただ違うのは、ベッドがセミダブルくらいでデュークのものよりやや小さめなのと、デュークの部屋のものよりもちゃんとした机と本棚があった。
 机の上はきちんと整頓されて、少々大雑把なデュークとは違う。ふらふらと近寄った机の上で目にしたのは、"航海日誌"と書かれたノート。
 そして。
「・・・誰・・・?」
 写真立てに収められた、鮮やかに笑う可愛らしい女の人の写真。その写真立てを手に取ろうとして失敗して、カタンと音をたてて倒してしまった。
「っ!!」
 ドキン!!っと、心臓が跳ねた。
 やばいっ。そう思って慌てて立て直して振り返ったが、そこには誰の姿もなくて思わずホッと息を吐いた。そこでやっと我に返ったアオイは、自分の行動が誰にも見つかる前にと慌てて部屋を後にしたのだった。
 もしケイトに見つかりでもしたら、何を言われるかわかったものじゃない。
 アオイは当初ケイトの部屋に来た目的も忘れてそそくさと自室に戻ってベッドに潜り込んだのだ。
 小さな子供がする様に、頭から布団を被って身を潜めて。

 その後、やはり久々に動いて疲れていたのか、知らない間にうとうと惰眠の波にのまれたアオイは夕飯までの時間を、ベッドの中でまどろんで過ごしたのだった。











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