海の上の籠の中で 前編15





 その日の夕飯は宿のビストロでミヤとトウヤと、ケイトを抜いた3人で取った。女将の料理は、昼間嗅いだ匂い通りとても美味しいものだった。そのメニューもグラタンにブイヤベースとアオイ好みだったのも良かったのかもしれない。二人の夕飯は飲むのが中心になるので、料理は食べる方専門のアオイの好きな物を頼んでくれたのだ。
 アオイはぷりぷりの海老に、昼間感じた痛みなどすっかり忘れてご機嫌だった。お魚もスープが染みて凄くおいしい。食べれるだけ食べてお腹を一杯にしたアオイはその満腹感に、昼寝したにも関わらずまた眠気が襲ってきた。
 ふわぁっと欠伸をして横を見ると、ヒデローとでデュークはまだ全然普通の顔で酒を飲んでいる。
 そこへ、ケイトとナナがやってきた。ナナは本来ここで働いていないといけないのだが、ケイトがいるという事で特別に休ませて貰っているのだ。
「よう」
 ヒデローが手にしたワイングラスを軽く掲げると、ケイトも視線で挨拶を返し隣の席に座った。
「今から食事か?」
「いや、それはもう済ませたんだが、飲みたい気分になって」
「なるほど」
 そこへナナがグラスとワインを1本持って来てケイトの隣に腰掛けると、ヒデローの身体が完全にそちらを向く。
「乾杯」
 ワインを注がれるとすぐさまそう言って、二人のグラスを鳴らした。
 結局そのまま静かな酒盛りが始まって、アオイの欠伸の数が10回を数える頃には、ヒデローとデュークはアオイに背を向けるような格好で4人で輪になるような形で飲んでいた。
 ―――――つまんない・・・
 アオイの頬がぷくっと膨れる。
 4人にはどうも4人の積る話があるらしく、最近船に乗ったアオイにはそれについて行く事は到底出来ない。目の前で、まさに話しに華が咲く状態を黙って見ていたアオイはあまりにも手持ち無沙汰で、そこにあった瓶を手の取った。
 それは、白ワインのボトル。
 ――――ちょっとだけ・・・
 アオイはそう思って、自分のグラスにワインを注いで、こちらを向いてる格好になっているケイトやナナに気付かれないうちに、サッと口に運んだ。
「・・・まず・・・」
 グビグビっと喉を流れ込んだ液体は、苦くて辛くて熱かった。
 船の中でも、アオイは飲んじゃだめと言われていたその液体は美味しそうに思えたのに、アオイには美味しいとは感じられなかった。
 ――――でも、みんな美味しそうだし・・・白いのが不味いのかなぁ・・・あっちの赤い色の方は美味しいかも・・・・・・
 アオイは僅かグラス半分のワインで目をトロンとさせながら、赤い色のワインが入ったボトルをじっと見つめる。
 が―――――徐々に頭がぼーっとしだした。
 さっきよりももっと眠気が襲ってくる。
「アオイ、・・・アオイ?」
 その様子に気付いたのは、やはりデュークだった。
「・・・なにぃ?」
「お前顔が赤いぞ?―――まさかワイン飲んだのか?」
「んー。それ、まずい・・・」
 なんとなく熱くなってきた頬を押さえながら、アオイはぼやぁっとデュークを見上げた。
「まずいって、誰が飲んで良いって言ったんだ。ったく・・・アオイ、ほら立って。もう部屋で寝た方がいい」
「んー赤いのも飲みたいっ」
「バカか。そんな事許すはずがないだろう。ほら、立って」
 デュークはイスを鳴らして立ち上がると、頬をぷくっと膨らませてグズるアオイの腕を取って立たせた。
「う〜〜」
「アオイ」
「だって・・・、一人で戻るのいやだ」
 立たされたアオイは、俯き加減できゅっと唇を噛んだ。
 昼間、一人取り残された部屋で感じたえも言わぬ不安感が、アオイの頭を過ぎるのだ。なんだか心細くて。その上今は夜。暗闇がなお不安感を煽る。
「アオイ」
「・・・・・・っ」
 ちょっと怒った声のデュークにアオイの瞳に涙が込み上げる。
 ――――だって、寂しいんだもん。
 不安で、叫びたくなる。
 怖いよって。いつあの人に見つかって連れ戻されるか、怖くて怖くて仕方が無いって、泣いて縋ってしまいそうになる。
 言えたら、どんなに楽だろうと思うのに、何故か言っちゃいけないっ気がして言えなくて苦しい。
「じゃあ私が付いて行くわ」
「ナナ」
「・・・え?」
「ね?アオイさんとは始めましてだし、ゆっくり話した事も無かったから。二人で少しおしゃべりしましょうよ」
「いい、の?」
 アオイの鼻がグズっと鳴って顔を上げる。
「なんだ、泣いてたのか?」
 その音を聞いて慌ててデュークがアオイの顔を覗きこんで、困った顔になる。
「泣き上戸なのか?」
「わかんない」
「ったく、しょうがないなぁ」
 苦笑を浮かべたデュークはそのままアオイの頭を抱え込んで、よしよしと背中を撫でてやる。
「ナナ、悪いけど頼めるか?」
「ええ」
「アオイもいいな?」
「うん」
「寝れるか?」
 顔を離してデュークは少し心配そうに覗きこむ。他人がいれば眠れないのをデュークは知っている。自分だけが、特別な事も。
「女の人は、たぶんへーき」
 アオイは曖昧ながらも、頷いた。
 ――――女の人が近くにいたこと無いからわかんないけど・・・・・・
「後で、覗きに行くよ」
「うん」
「じゃぁ、おやすみ」
「おやすみ」
「おやすみ〜」
 二人のやり取りを黙ってみていたヒデローが、にやにや笑って手のひらを軽く振る。その横では、苦々しい顔のケイトも手を上げた。
「おやすみ」
「じゃあ」
 アオイはデュークに慰められて機嫌が直ったのか、へらっと笑ってナナと一緒に部屋へと戻っていった。
 その後、とてつもなく楽しそうな笑顔のヒデローと、複雑顔のケイトの間でデュークが居心地の悪い思いをしたのは、アオイの知らない事。

 そのアオイはといえば、多少ふらつく足つきでナナと共に自室の扉を開けた。
「―――っ」
 思わずアオイが息を飲んで足が止まった。暗闇に一瞬足がすくんだのだ。
が、次の瞬間ナナの手によって部屋の灯りが付いた。
「あ・・・」
「どうしたの?」
「え・・・ああ、ううん」
 なんでもないと、ぎこちなく首を振る。ドキドキうるさくなる心臓に、アオイは静かに大きく息を吸い込んだ。暗闇に全身の毛が総毛だって、酔いもだいぶ醒めた気がした。
 屋根の風力発電や、街から供給される僅かな電力では部屋を全部照らす灯りをつける事は出来なくて、壁にはナナの手によってランプに火がともされた。
「アオイのベッドは・・・」
「こっち」
アオイは奥の方のベッドを指差し、そこにパフっと腰を落とした。
「ナナもどうぞ?」
「ありがとう」
 ナナは笑みを浮かべると、アオイの隣に腰を下ろした。
 流れた沈黙にふと視線をめぐらせて、カーテンの隙間外を見つめていると、今夜は曇っているのか外は真に暗くて、なんだか再び不安感がまたアオイを襲ってきた。
「アオイはデュークさんに大切にされてるのね?」
「え?」
 ゾクっとした背中に気を取られていて、アオイはナナの言葉を聞き逃した。
「アオイはデュークさんに大切にされてるのね?」
「え・・・っと」
 今度は聞こえたけれど、返事に困ったアオイは小首を傾げた。その態度をナナは照れているととったらしく、少し寂しそうな笑みを浮かべた。
「うらやましいわ」
「え?・・・だって、ナナはケイトと恋人でしょ」
 その言葉に、ナナは曖昧に頷いた。
「どうかしら。・・・そう思ってるのは私だけだったりしてね」
「?」
 アオイは益々分からないという顔でナナを見つめた。
「でも、ケイトが僕を見る目なんて眉間に皺寄せて、キィッって感じだけど、ナナを見る目は優しいよ?」
「え?」
 アオイの言葉に驚いたナナが思わずアオイを見ると、アオイはきょとんとした顔でナナを見つめていた。アオイはただ自分の思ったことを言っただけだったのだが。
 そんな邪気のないアオイにナナの肩から力が抜ける。
「そう?」
「うん。本当あの目線は怖いから止めて欲しいよぉ」
「まぁ確かにあの人ちょっと無愛想なところあるけどね」
「ありすぎっ」
 子供っぽい言い様に、ナナはクスクスと笑いを漏らした。それで少し心が軽くなった気がした。だから、ナナは思い切って口を開いた、本来の目的の為に。
「アオイは船に乗って、日が浅いのよね?」
「・・・日が浅い?」
 それどういう意味?とアオイは首を傾げる。
 ――――日って、浅くなったり深くなったりするもの??
「えーっと、最近、よね?」
「ああ、うん」
「・・・アオイは、何が得意なの?」
「得意?」
 またアオイは首を傾げた。
「剣とか、弓とか――――そういう事じゃないのかしら?もしかして船大工・・・なわけはないわね」
「船大工?って何かよくわからないけど、僕は剣も弓も出来ない。練習中なんだけど・・・こないだ怪我しちゃってそれも全然してないし」
「そう・・・」
「うん、・・・ナナ?」
 何か考える風なナナにアオイは、ますます首を傾げる。アオイには、ナナの言おうとしていることがまったくわからなかった。
「何かを買われて、船に乗ったのよね?」
「僕は何も売ってないよ?」
「・・・・・・」
「・・・・・・?」
 どうも話が噛み合ってこない。それもそのはずでアオイには遠まわしな言い方も、難しい言い方もまったく通用しないのだ。
 ただ、ナナはアオイとは初対面で、その事でアオイがかなり奇異な存在に見えたのは事実だった。
「あなた、―――いくつ?」
「歳?」
「ええ」
「17だよ」
「―――、そう・・・」
 その顔は明らかに、驚いていた。見えない、そう思っていたのだろう。その反応に、アオイは気を害する風でもなくただ首をかしげたままだった。
「ナナは、何が言いたいの?」
「え?」
「ごめんね、僕よくわからないんだけど・・・」
 申し訳なさそうな顔に、慌ててナナが首を振った。
「ううん、私の言い方が悪かったわ。えっと、率直に聞くわ」
「うん、そうして」
「――――私も、船に乗りたいのよ」
「うん」
 ナナが結構緊張して吐き出した言葉に、アオイはいと簡単に軽く頷いた。それに、ナナは内心拍子抜けしてしまった。
 それで、ナナの声から堅さが取れた。
「だから、アオイがどうやって乗ったのか知りたかったの」
 教えてくれる?と茶目っ気たっぷりに笑っていうナナが本来の姿なのだろう。
「よく―――わからないけど、乗りたいなら乗れば?鍵もかかってないし」
 その返事にナナは一瞬言葉に詰まったが、次の瞬間声を立てて笑出した。
「ナナ?」
「アハハ、ごめんなさい、ハハ・・・そうね、確かに乗ろうと思えば乗れるわね」
「うん。いつでもどうぞ、だよ」
「でも――――乗るだけじゃあダメなの」
「?」
「・・・私、認められたいの。みんなに認められるかしら?」
「そんなのナナなら大丈夫だよっ。僕なんかまだ見習いで、ケイトには認めないぞって怒られてるくらいだけど」
「そうなの?」
「そうだよっ。だから、ナナからも僕の事怒らない様に言って?」
「まぁ」
「へへへ」
 いたずらを見つかった弟の様に、アオイは笑う。そんなアオイにナナはふっと目元をほころばせた。
「私も乗ってもいいかしら?」
 そう言った時、もう、心は大きく舵を切っていた。
「うん、いいよ〜。一緒に船に乗ろう?」
「あの人、怒るかしら」
「ケイト?」
「ええ」
「どうだろう・・・、僕から見たらケイトはいつも怒ってるからなぁ。でも、船から放り出されたりはしなかったから、乗っちゃえばこっちのもんじゃない?」
「・・・っ」
「だってまさか、海に放り出したりしないでしょっ」
「そう―――、そうよね」
 やっと決心がついたのか、ナナは晴れやかに笑った。
「怒られたって、嫌がられたって、好きなんだもんしょうがないわよね。このままじゃあ、私だって諦めきれない」
「うん」
 うんうんと嬉しそうに笑うアオイはきっとナナの決意ほどは分かっていない。けれど、ナナにはそれで十分だったようだ。
 嬉しそうに背伸びをしてベッドの身体を倒して、本当に晴れやかに笑った。











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