海の上の籠の中で 前編22





「アオイ、大丈夫?」
「・・・うん、ごめん・・・」
 ヘタり込んだアオイの背中にナナがそっと手を回しなだめる様に上下させていた。そうされながら、アオイはそっと頬に手を当てて目尻に触れる。
 外からは、ドン、ドーン!!と大きな音が繰り返し聞こえていた。
「大丈夫よ、みんな強いからね?」
「うん」
 ナナは、アオイがこの音と今の状況に驚いていると思ったらしい。励ますように声をかける。
「外、は・・・」
「なんだか岩陰から急に船が出て来たみたい。その船が行き成り撃ってきたからって」
「そう・・・」
「でも相手は一艘だし大丈夫だと思うわよ」
「ん・・・」
 アオイはぎゅっと自分を抱きしめた。
 船底でこの音を聞くのは、2度目だ。1度目はあの人に繋がれていて、そしてデュークと出会って、今ここにいる。
 アオイは顔を上げてナナを見つめた。
 胸がざわついて。
 苦しい。
「?」
「ナナは――――」
 口が勝手に開いた。
「ナナはケイトが、好きなんだよね」
「ええ。愛してるわ」
 ――――愛してる・・・
「じゃぁ・・・」

 "愛しているよ、ユーリ。私だけの、ユーリ"

 背中に悪寒が走り抜けた。
「アオイ?」
「っ、ナナも、・・・ああいうこと、するの?」
「ああいう事って?」
「身体と身体を繋げる、あれ」
「――――っ!!」
 一瞬にして、ナナの頬が火でも付けた様に真っ赤になった。普通、こういう事を女性に尋ねるものでは当然ないのだ。
 しかしアオイにはどうも、そういう観点が少々欠落している。ナナの反応に、肩を落として呟いた。
「やっぱり、する、んだ・・・」
「ア、アオイ?」
「どーしてああいう事、するの?」
 アオイには他意はまったくなかった。それは、小さな子供がお母さんに、子供はどうやって生まれるの?とただ不思議に思って聞く感覚と同じだったのだ。
「どうしてって・・・、好きだから」
 それがわかるのか、ナナは困りながらもちゃんと答えようと口を開いた。それそれで、ナナには膨大な力で羞恥心を抑える必要があったのだが。
 けれどその答えでは、アオイは分からなかった。
 知らなかったから。
「でも、あれは凄く、嫌だ。気持ち悪くて吐きそうで、耐えられない」
 その答えに思わずハッとナナが息を飲んだ。
 そうだ、アオイは普通に恋愛をしてきたわけでも、普通に育ったわけだもなかったのだと思い至って、思わずその膝にそっと手を置いた。
「アオイ、――――――アオイはそれは、好きな人と、だった?」
 アオイは目一杯首を横に振った。
 好きなんかじゃなかった。大嫌いだった。
「望んだものでもなかったのね」
 今度はアオイは目一杯頷いた。あれを、望んだことなんて無かったから。
「そう。それは、辛かったわね」
 ナナは堪らなくなって、ぎゅーっとアオイを抱きしめた。
「私だって、好きでもなんでもない人とあんな事したくない。絶対嫌よ。・・・アオイは辛かったのね。そうね」
 泣き声になっているナナに、アオイはきゅっと唇を噛んでコクンと頷いた。
 分かってもらえた。
 それが純粋に嬉しくて、がちがちだった心がゆっくり溶けていく気がした。
 だって、物凄く嫌で辛かった。けれど、そう叫ぶ事は許されなかった。絶対言えなかったから、言えずに溜めた言葉がどんどん身体に溜まっていた。
 そしてどんどん心が、淀んだ。
 言葉を無視しようと、耳を塞いだ。心も塞いで、あの人の言葉の意味も自分の中にある感情も全部何もかも塞ごうと必死だった。
 本当に、感情も何もかも亡くしてしまいたいと思った。壊れたくないと抗いながらも、自分の中で何かをどんどん亡くして壊れている気がした。
 だから、ナナの温もりと言葉が染み渡った、嬉しくて。
「でもね、好きな人とは全然違うのよ」
「――――え?」
「全然、違うのよ」
 にっこり笑って言うナナの言葉に、アオイは自身無げに首を傾げた。いつの間にかナナに回された指先を震わしながら、何が違うか分からないと瞳で訴える。けれど、ナナの言葉や顔はいやに自信に満ちていた。
「大丈夫。アオイにも分かる時がくるわ。好きな人と触れ合える喜びを、ちゃんと」
「・・・そー・・・かな」
「ええ」
「全然違う。好きな人と抱き合えるって事がどんなに、嬉しくて切なくて愛しくて、歓喜に満ちてるかね」
 ―――――そんな日が、来るのかな・・・だってデュークは僕じゃない。他の人が好きなのに・・・・・・?
「それって、僕が相手を好きで、相手が僕を好きじゃない場合は?」
「それはダメよ」
 ―――――ダメ・・・・・・・・・・・・・・・
 キッパリと言い切りナナの言葉が胸に突き刺さった。
「ちゃんと好き同士じゃなきゃ」
「・・・・・・・・・・・・そ、っか・・・・・・」
 ―――――じゃあ、ダメだ。
「アオイ!?」
 ボタっと大粒の涙が零れ落ちた。
「どうしたの?」
 ―――――だって、デュークは僕じゃない人が好きなんだもん。
 デュークとはそんな風にはなれない、それがアオイを打ちのめした。自分は好きな人とそんな風に抱き合って、ナナが言うみたいな気持ちは味わえないんだと思った。
 そう、思ったら。
 暗闇からやっと抜け出してここに来たはずなのに、また暗闇に逆戻りした気がした。結局自分は、そこから抜け出せないのかと、諦めがアオイの心を襲った。
 自分は結局、そうなのかと。
「ごめ、・・・なんでもない、から」
 無理矢理笑ったら、もっと涙がこぼれた。
「アオイ・・・?」
「大丈夫」
 でも、笑うしか無かった。
 それ以外に何が出来るのかわからなかった。
 気がついたら、外はいつの間にかシーンと静まっている。
「・・・終わったのかな」
「アオイ」
 無理矢理の明るい声に、ナナはが苦しそうな声を発した。泣いているのは、アオイなのに。
「出ても、へーきかな?」
「ダメよ。誰かが呼びに来るまでは」
 立ち上がろうとしたアオイの腕をナナが掴んで止める。確かに外はさっきまでの大きな音は消えて、ここでは音が何もしないように感じられる。
 そうなればそうなったで、外がどうなっているのかひたすらに気になった。
 一体誰が仕掛けて来たのか、結果はどうなっているのか。誰も怪我せずに済んでいるのか、それとももしかしたらと、考えてはいけない事にまで頭が巡る。
 願うは愛しい人の無事ばかり。
 1秒1秒が、随分長く感じられる静寂だった。
「――――あ・・・」
 アオイがパッとドアのほうへ顔を向けた。
「今・・・」
「うん」
 僅かに何か、音が聞こえた。
「誰か、来る・・・」
 コツコツっと階段を下りてくる足音が聞こえた。
 ナナとアオイの身体に、無意識に緊張が走って堅くなる。思わず手に手を取って握り締めあって、ドアを凝視した。
 足音が、止まる。
「・・・ナナ、アオイ?」
 その声に二人の身体から、ふにゃぁっと緊張が抜けた。
「ミヤっ」
「もー終わったから鍵開けて」
「うん」
 アオイはまるで転げるように這いながら扉へ向かって、もたつく指で鍵を開けた。
「よっ」
「―――無事!?」
「当たり前だろ。ナナも、へーき?」
「ええ、平気。ちょっとホッとしたら気が抜けちゃったわ」
「立てないなら、手ぇ貸そうか?」
 まだ座り込んでいるナナに、イタヅラっこの様な笑みを浮かべたミヤが言うと、ナナは軽く睨んだ。
「大丈夫です」
 そういうと、ナナはすくっと立ち上がった。それにくらべれば、アオイの方がよっぽど腰が引けていて、扉につかまってようやく立ち上がった。
「みんな、無事?」
「だーかーら、当たり前だっつーの。そんなに心配なら自分の目で確かめて来いよ」
「うん!」
 ミヤの言葉にそれもそうだとアオイは大きく頷いて、またも転げるような勢いで階段を駆け上った。
 真っ暗だった下から、どんどん日の光が当たる場所へと駆け上がる。廊下を曲がれば、もっと外から日が射していた。廊下にはさしたる傷も争いの跡も見られない。アオイは急く心を押さえつけて、甲板へと出る扉に手を掛けた。
 ――――ああ・・・・・・っ
 そこには、ヒデローとケイトと、トウヤと、デュークの姿があった。
 甲板には多少の傷は見られるものの、そんなに大きな損傷の跡も無い。ましてや4人に怪我の痕跡も見られなかった。
 ――――良かった・・・、デューク、無事で・・・・・・
 アオイの瞳には、デュークの姿だけが映し出された。甲板に真っ直ぐに立って、海のほうを見つめる横顔。いつも腰に下げている剣をまだ手に握っている。風に髪と衣服が棚引いていた。
「デュー・・・ク」
 アオイは一歩甲板へと足を踏み出した。
 その途端、横から吹きぬける風を自分の顔にも感じた。
「アオイっ」
 その存在に先に気付いたのはヒデローだった。その声にハッとしたようにデュークも振り向く。
「バカ!まだ中にいろ!!」
「え・・・」
 ――――もう終わったんじゃないの?
「アオイ」
 アオイの1番近くにいたヒデローが咄嗟にアオイに近づいてくる。その気配に押されて、アオイは今踏み出した一歩を戻すべく後ろへ下がろうとした、その時。
 僅かに横を向いたその視界に、遠ざかる船が映し出された。
「―――――っ!!!!」
 息が、一瞬止まる。
 アオイの瞳が、目一杯見開かれた。
「・・・・・・あぁ・・・・・・」
 喘ぐような声が洩れて、身体が、震えた。
「アオイ!?」
 ――――ああ――――――!!
 目の前が真っ暗になった。
 息が、苦しい。
「おい!!」
 身体から力が抜けたアオイが床に打ち付けられる寸前、ヒデローに抱きとめられた。
「どうした!?」
 ヒデローの焦った声が耳元に響く。
 ―――――ああ、何故・・・・・・っ
 後悔しても、もう遅い。
 もう少し後で中から出てきたら、きっと顔を合わせないで済んだのに。
 身体の震えが止まらない。
「アオイ?大丈夫か!?」
 デュークの声が響いて、ヒデローの腕の中からデュークの腕の中へと移動する。けれど、身体に力が入らず、震えはやはり止まらない。
 ―――――神様・・・・・・っ!!
 見つかりたく無かった。
 まだ、もう少しここにいたかったのに。
「アオイ!?」
 ぎゅーっと抱きしめられる腕が、温かすぎて。身を切られるほどに痛い。
 あの、遠ざかっていく甲板の上。
 あそこにいたのは、間違いなくあの人の側近。
 見間違いようも無い。
 何度も顔を合わしたことがある。
 その瞳に。
 目が、合った。
 合ってしまった。
「・・・・・・っ」
 アオイは自分を抱きしめるデュークの腕にしがみ付いた。
「アオイ」
 見つかってしまった。
 ここにいることが、あの人に伝わる。
 逃げなきゃ。
 あんなところに戻りたくない。
「アオイ!!」
 ああ。
 もっとここにもっといたかったのに。
 この船に。
 この陽の当たる、優しい暖かい場所に。
 大好きな。
 大好きな。
 この人の傍に。
 愛されなくてもいい。
 違う人が好きでもいい。
 苦しくても、辛くてもいいから。
 もっと傍で。
 もっと一緒にいたかったのに。
 もっともっと、一緒にいたかったのに。


 もう、ここにはいられない――――――――――


 アオイは指先が白くなるほどデュークの腕に縋りつきながら、その意識を暗闇の中に落とした。












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