海の上の籠の中で 前編24





 次の日から、また海は穏やかに過ぎた。
 あの後目覚めたアオイは、今まで何も無かったかの様に普通に振舞い、デュークもまた何も言わなかった。
 互いが互いに胸に秘める想いを乗せて、船は順調に目的地に向かって進んで5日が過ぎた。
 ただ一つ、デュークには決めた思いがあった。
 あいつの墓前でちゃんと報告して、そしてアオイに全てを話そう――――――そう、心に決めたのだ。そう決めたら心が随分楽になって、早く目的地に着きたいと気が急いているのだから苦笑を禁じえない。
 今も、甲板でアオイを後ろから見つめている。
 ただ、デュークは知らない、アオイが既に全てを知ってしまっている事を。
「また、港に向かってるんだよね?」
 アオイは、傍らに立つミヤに尋ねた。
「ああ。あそこに寄ると、後はしばらく陸とはおさらばになるからな、満喫しといた方がいいぜ」
「そうなの・・・!?」
「ああ。大体最近陸が多すぎだろ?いつもならこの後はずっと西に向ってまだ見ぬ海を目指すわけだ」
「まだ、見ぬ海・・・」  その響きに、アオイの胸が一瞬跳ねる。なんてワクワクする響きだろう。
「ああ。でもそうなるとドコで寄港出来るかまったくわからなくなるからなぁ。前の時はなんか危ねー国ばっかでさ、全然陸に上がれなかったからなぁ。今回だって、下手したら1回も寄港出来ないって可能性もあるぜ」
「そう、なんだ・・・」
 ――――そうか・・・・・・
 少し得意になって話すミヤの声に、アオイの顔はどんどん沈んでいく。ここにいる事が分かってしまった以上、ここには長居は出来ない。そして船旅の先が見えないという事は、必然的に今度の寄港が――――――
 アオイはぎゅっと唇を噛み締めて一面の水面を見た。今は夕日が反射して、綺麗な色を放っている。
「たぶん、明日の午後には着くと思うぜ」
「え!?」
「・・・な、なんだよ?」
 思わず驚いた声あげたアオイに、ミヤが驚いた。
「だって・・・そんなに、早く・・・?」
「ああ。なんだよ、陸が嫌なのか?なら船で留守番してろよ」
 アオイは思わず泣きそうになって、ミヤからフイっと顔を逸らした。その態度にミヤがムっとした顔をしたことには気づかなかった。
 ただ、ショック過ぎた。
 まだ、もう少し。この場にいられると思ったから。
「アオイ、トウヤの晩ご飯の用意手伝って来なさい」
 突然かけられた後ろからケイトの声に、アオイは弾かれたように振り向いた。
「あ、はい。もうそんな時間か」
 アオイはケイトがやっぱり苦手なのか、慌てて身体を翻す。
「ごめんねミヤ。また後で」
 そう言って中へと入っていった。
 その後ろ、やっぱりミヤは面白くなさそうな顔をしていた。そんなミヤに、ケイトが苦笑を浮かべた。
「・・・むかつく」
「ミヤ」
 不貞腐れた口調のミヤを、ケイトが嗜める。
「だって・・・、あいつが来てからトウヤと過ごす時間、減ったし」
「それはアオイの所為じゃないだろ」
「・・・っ・・・」
「アオイに当たるな」
 ケイトの言葉にミヤは思わず悔しそうな顔をして、アオイに続くように甲板から中へ小走りに入っていった。


 そんな会話が交わされている事はまった知らないアオイは、素直にキッチンへと入って行った。
「ごめん」
「ああいいさ」
 キッチンで材料を切っているトウヤは、別に怒るでもなく笑顔で迎えた。その隣にはナナの姿もある。
「今日の夕飯は何?」
「釣った魚のソテーに、ベーコンときのこのパスタだ」
「うわぁーおいしそうっ」
 アオイはそれを想像して、嬉しそうに笑ってキッチンを覗き込むと、ちょうどトウヤはマッシュルームを刻んでいた。
「アオイ、眺めていないで用意してくれ」
「あ、はいっ」
 ぺろっと舌をだしたアオイは、そこに置かれていたダスターを手にテーブルを綺麗に拭いていった。
 隅から隅まで、いつも以上に丁寧に。気持ちを、込めた。
 短い間だったのに、ここには色んな思い出があるような気がする。あの屋敷では食べたことも無いものをたくさん食べた。たぶん食材はここの方が劣るはずなのに、この場所で食べた全てが、あの頃には味わったことの無い素晴らしい物に思えた。
 大勢で囲む食卓。笑いの絶えない空間。
 時には食べ物を取り合ったり、酒を奪い合ったり飲み比べたり。
 あの頃はただ生きるために行為の一つとして食べ物を口に運んでいたけれど、ここではまったく違った。食事ってそういうんじゃないだと、改めて思い出した。
 ―――――・・・ありがとう・・・
 生きてるって事を教えてくれた、そう思った。
 ―――――よし。
 ピカピカになったテーブルを寂しそうな瞳で見つめてから、アオイは今度は戸棚を開ける。
「大皿?」
「いや、今日は一人一人に盛るから、中皿を7枚」
「はーい」
「魚はこれでいいはね?」
 綺麗に切られて、小麦粉が丁寧にまぶされている。
「ああサンキュ。じゃあパスタを頼む」
「はい」
 キッチンではいつの間にか仕事分担が出来ていて、ナナも料理番の担い手になっていた。
 その姿を、アオイはじっと見つめた。
 いつか、ナナの場所に自分もいれたらいいなと思った事もあったけど。最近やっとジャガイモの皮剥きが出来るようになったアオイには、それは当分先の夢。
 今となってはもう、叶わぬ夢になってしまった。
 あまりにも、時間が足りなさ過ぎた。
 アオイは薄い笑みを浮かべて、ナイフとフォークを取り出して並べた。そして、いつも通りグラスも並べる。
 7つずつ綺麗に並ぶそれら。
 それを見つめていると、言いようの無い思いが胸を締め付けた。
 今度この船が港を離れて旅立つとき、ここには6つしか並ばなくなる、から。
「・・・・・・」
 ジュッっとイイ音がして、途端に物凄く良い匂いが漂い出した。トウヤがフライパンに魚を入れたのだ。ハーブとガーリックの匂いが立ち込める。
「パスタ上がったわ」
「ああ、重いだろうから俺が」
「僕が手伝うよ!」
 アオイはパッとキッチンに身を入れて、パスタを茹でていた大鍋の片方の取手を持つ。
「気をつけろよ!」
「へーき」
「じゃあいくわよ」
「うん」
 1,2,3で持ち上げて、火傷しないように注意して熱いお湯を捨てる。
「そこに置いておいてくれ」
「うん」
 トウヤはアオイたちに視線を向けながらも、手元のフライパンでは上手に魚をひっくり返していく。綺麗に焼け色の付いた魚の切り身は、なんとも食欲をそそった。
 それらを焼き上がった順に皿へと盛って、ボイルしておいたサヤインゲンも傍らに盛り付ける。
「並べるね」
「ああ」
 アオイは一皿ずつテーブルに運ぶと、1番大きくて綺麗なのをデュークの席へと置いた。その指が、僅かに名残惜しそうに皿から離れる。
「アオイ、みんなを呼んできてくれ」
「わかった」
 トウヤに言われて、アオイは返事をして廊下に出た。
 その時、トウヤを振り返る事は出来なかった。思わず泣きそうになって、鼻がつーんとしたから、そんな顔を見せられない。
 アオイは廊下で手早く目を拭って、鼻をズズっと鳴らしてから駆け出した。
 きっと、こうやって走るのも、今日が最後。
 悲鳴を上げそうな心は、この際きっぱり無視をした。
「ん?どうした、ナナ?」
 アオイが出て行ったキッチンでた後で、ナナがなんとなく腑に落ちない顔で首を捻った。
「んー・・・なんかアオイ、変じゃない?」
「そうか?いつもと同じに見えるがな」
 トウヤはそう言って、手元にフライパンに視線を戻す。
「んー・・・」
 けれど、ナナはやはり気になるのか、どことなく不安な色を隠さずにアオイが消えた扉の方へ視線を向けていた。



「ヒデロー、ご飯」
 一方、アオイは元気良くヒデローの部屋の扉を開けた。
「おお、そんな時間かぁ?」
 ヒデローは丁度何かクスリを調合中だった。怪しげな茶色の粉によく分からない実らしきものをすり潰して混ぜている。
「何それ」
「ん〜イイモノ」
 にたり、と笑うヒデローの顔は薬以上に怪しげだ。
「ふ・・・−ん。いいけど。ご飯っ」
 それ以上聞くのは止めようと、明らかに警戒しながらアオイは言う。
「はいはいっと」
 ヒデローは軽く返事をしながら器に入っていた粉を瓶へとゆっくり移して蓋を閉め、書物で半分埋もれた机の上に置く。  相変わらず物凄く散らかった部屋だ。そこらじゅうに書物が積み上げられ、薬になる前の実や木の根から、よくわからない植物がぶらさがり、動物の化石みたいなものが転がりよく分からない瓶付けのものも並ぶ。
 しかし、戸棚の薬瓶が並ぶところだけは綺麗に整頓されていて鍵もかかっている。しかもあの鍵だけは失くした事が無いというのだから、アオイは尊敬するやら呆れるやらだ。
「ん?」
「ううん、あそこみたいに綺麗に出来るんなら部屋も片付けたらいいのに」
「るせーぞ。ほら、行くぜ」
 まったく、足の踏み場もないよとぼやくアオイに、ヒデローは頭を軽く小突いてから部屋を出る。どうやら散らかっている自覚はあるらしい。
「待って。―――あ、ケイト」
「?」
「飯だってさ」
「ああそうか。今日のメニューは何だ?」
「釣った魚のソテーさやいんげん添えに、ベーコンときのこのパスタ」
「うまそうだな」
「ああ」
「ナナとトウヤが二人で作ってたよ。僕はパスタを茹でたお湯を捨てるのだけ、したけど」
「賢明だな」
 ククっとケイトが笑った。
「―――むぅ!!」
 途端にアオイの頬がぷくっと膨れた。前にカレーを手伝ったとき、じゃがいもの皮が入っていた事をまだ根に持っているらしい。
「なんだ?」
「・・・いっとくけど、ナナの手料理がここでも食べれてるのは、半分は僕のおかげなんだからね!!」
「なっ」
「そいつは、ちげーねぇなぁ。アオイがけしかけなきゃ、今もナナはあの港で一人待っていたかもしれんしな」
「でしょ!?」
「アオイ、ヒデロー」
 痛いところを突かれたのか、ケイトが僅かに頬を朱に染めながらキツイ視線を二人に向ける。
「でも、そうだよ。ね?」
 にっこり笑って言うアオイに、ケイトは苦虫を噛み潰した様な顔をする。図星なだけに、顔を取り繕えない様だ。
 ヒデローは、笑うのを隠してもいない。
「ね、だからそれだけは憶えていてね」
 ―――――それだけで、いいから。
「アオイ?」
「デューク呼んでくる」
 アオイは嬉しそうに笑うと、くるりと踵を返した。
 その後姿をヒデローは可笑しくてたまらいと言うように見つめた。
「アオイも言うようになったなぁーな、ケイト・・・・・・ケイト?」
「あ、いや・・・」
「どうした?」
 もしかしてマジでアオイに怒ってんのか?と一瞬思ったが、ケイトがそんな事で本気になったりするはずが無いと思い返す。
「・・・いや、ちょっとな」
 ケイトは、ヒデローとはまったく違う風にアオイの言葉を受け取っていた。
 ―――――それだけは、憶えていて・・・どういう意味だ?
 その言い方がアオイらしくなくて違和感を憶えたのだ。
 本当に言葉通りかもしれない。ヒデローの言うような意味かもしれないけれど、ケイトには何か引っかかるものがあった。









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