海の上の籠の中で 前編26
1度部屋に戻って荷物を置いた二人はまたその足で、外に出た。夕飯を食べるためだ。この宿にはレストランなどは併設されていないため、他の場所を探さなければならないのだが、ここでもやはり行き付けというのがあるらしい。 デュークは迷う事無く海岸沿いに立つ、レンガ作りの店へと入った。 「いらっしゃい」 「どうも」 中には、髭のおじさんが一人いるだけだった。 「ああ、もうそんな時期だったか」 デュークの顔を見て、ふっとそう呟いた。 デュークは聞こえたのかどうなのか、軽く頭を下げて隅の席へと腰を下ろした。 「俺たちが1番乗りらしいな」 「?」 「ここら辺で、ここは1番の美味い店だからな」 「そうなんだっ。じゃぁ何食べようっ」 アオイは嬉しそうに笑って、メニューを開いた。 「デュークは何にするの?」 「まずは海老だな」 「海老?」 アオイはメニューを目で追って探す。 「ああ、海老を茹でて特製のタレに付けて喰うんだが、これが美味い。後は魚介のスープかな。アオイは・・・リゾットなんかどうだ?グラタンでもいいな」 「うう〜ん」 アオイはメニューを睨んで悩む。リゾットもグラタンも美味しそうすぎる。 「親父、とりあえず海老とスープとビール。こっちは水で」 「はいよ。――――今日はいい牡蠣が入ったから、それのリゾットがお勧めだ」 ぼそっと呟く声は、ちゃんとアオイに届いたらしい。メニューを見つめていた頭がぴょこっと上がった。 「じゃあそれもお願いします!」 「はいよ」 「牡蠣好きなのか?」 「うん、大好き!冬には何度か食べるよ」 「そうか」 そこへさっそく茹で上がった海老と、ビール、水が運ばれてきた。 「じゃあ乾杯」 「乾杯」 カチンとグラスを鳴らしあった。 二人きりの晩餐。 「海老美味しいっ」 ぷりっぷりの海老の甘さが口一杯に広がるのがなんとも言えない。 「ああ」 手を伸ばせばそこに、大好きな人がいる空間。 それを思うだけで、胸が一杯になって食欲が失せそうになる。けれど、これが最後だと思うから、いつも通りにしようとアオイは心がけた。 「ビール、一口ちょうだい?」 イタヅラに手を伸ばして、パシっと叩かれる。 「ダメだ」 ――――大好き。 「なんで?」 ――――本当に、大好きだよ。 「子供の飲むもんじゃない」 ――――貴方に出会えて、良かった。 「僕、もう子供じゃないよっ」 ――――それだけは、神様に感謝する。 「十分、子供だ」 ――――それ以外は、あんまり神様に感謝する事はないけど。 「ちぇーっ」 ――――でも、かけがえの無い大切な時間をくれた。 宝物をくれた。 ふっとデュークが笑う。 その笑顔が、大好きだった。 「デュークは、何歳からビール飲んでたの?」 「・・・16」 その流れる髪も。 「あーずるい!じゃー僕飲んでもいいじゃん」 綺麗な瞳も。 「アオイはダメ」 優しいことばっかり言う口も。 「むーっ。海老一杯食べてやるっ」 ぎゅって抱きしめてくれた手も。 「はは。いいよ、たくさん食べてもうちょっと育て」 何もかもが、大好きだった。 「むむーっ!!」 「はいよ、スープとリゾットお待ち」 「ビールを」 「はいよ」 「美味しそう!!」 アオイはぷりぷりの大粒の牡蠣に目を輝かせる。スープにも、魚や貝、蟹などがたくさん入っているスープだった。 「熱いから注意してな」 「うんっ」 アオイはスプーンに取って、ふーふー息を吹きかけてから口に入れた。 「オイシィ!!」 味は見た目に違わなかった。 アオイはそのリゾットをゆっくりと口に運んでいった。直ぐに食べるのは勿体無くて、もっともっとこの今を大切にしたかった。 1分も、1秒でも長くいたかった。 話は、随分たわいも無い事だったと思う。 アレが面白かったとか、こないだのナナとの会話とか、どんな色が好きだとか、本当にどうでもいいような話だった。 言えない事が多すぎて。 聞きたいことが多すぎて。 それなのに何も話せなくて、そんな会話しか出来なかったのだ。 今度こうしたいとか、ああしたいとかも切な過ぎて言えなくて。 それでもアオイは幸せだった。 2度と無いこの時間が、かけがえが無さ過ぎて。 お腹が一杯になって、サービスだと出してもらったガトーショコラがまた美味しくて。それをゆっくり味わって食べ終わる頃には、すっかり夜になっていた。 「誰も、来なかったな」 「そーだね」 夜道の風が気持ちよかった。 「おい、足元大丈夫か?」 酒も飲んでいないはずなのに、アオイの足元がおぼつか無い。ビール3杯にワイン1本を空けたデュークの方がしっかりしているのだから世話が無い。 「へーき」 きゃはははっと、笑った声をアオイが上げる。空には、満点の星が輝いていた。 「静かにしろ」 「えー」 ふらふらあるくアオイをデュークの腕が捉えて引き寄せた。 「飲んでないのに酔えるとは、便利な身体だな」 「便利だよー」 風が吹く。 「まったく」 「便利、なんだ」 アオイの足が止まった。 宿屋まであと3歩ほどの場所。 「どうした?」 「ううん。早く部屋へ行こう!」 アオイが急にデュークの腕を取って引っ張った。 「おい」 そのまま部屋へと駆け上がる。 「アオイ」 バタンと荒い音をさせて扉を閉めた。 「便利で、いいから」 「?」 アオイがデュークに抱きついた。 「おい?」 心臓が、どくどく鳴った。 「だから」 アオイはぎゅっと目を閉じた。 それは、アオイなりの一世一代の告白。 「――――抱いてください」 たった一度でいいから。 「アオイ!?」 「お願い」 便利遣いでいい。ただ快感を得るためだけの道具でもいい。 愛なんて無くていい。 好きじゃなくてもいい。 きっと気持ちよくなくておぞましい感触かもしれないけれど、でも一生に1回くらい、好きな人に触れてもらいたい。 「お願いっ」 「アオイ!」 デュークがアオイの腕を振りほどいた。その顔は、さっきまでの表情を引っ込めて、驚愕と苦悩が浮かんでいた。 ―――――・・・ああ・・・・・・ ダメなんだ、そう思うと心臓が、変な音をたてた。 「・・・お願い」 デュークはゆっくり首を振った。 「どう、しても?」 「アオイ」 「そっか・・・うん。ごめんね」 「違う、そうじゃない」 「いいんだ!男を抱く趣味は無いって、言ってたもんね、それなのに僕――――」 「そうじゃないっ。そうじゃないんだ!」 アオイの言葉を途中で遮るデュークの声に、アオイがパッと顔を上げる。 「じゃぁー・・・」 それならば、と口を開いてその言葉は途中で途切れた。 デュークが、視線を外したから。 ――――そっか・・・ 「ごめん」 「アオイ・・・」 あと1日時間を、そう呟こうとした声も音にはならなかった。 アオイが、何も聞きたくないと首を横に振ったから。 「変な事言って、ごめん。何も、・・・何も聞かなかった事にして?」 にこっと笑う顔が青くて。 「アオイ。もう少し――――時間をくれ・・・・・・明日になったら俺は・・・」 ――――ああ・・・ それがデュークの精一杯の優しさなんだと思えた。 「うん」 しょうがないね。 「ありがとう」 僕じゃあ、ダメなんだもんね。 「こっちこそ」 ――――ありがとう・・・ 「じゃあー僕は、寝るね」 アオイはデュークから一歩身体を離して、精一杯笑った。 「ああ。俺は少し――――飲んでくるよ」 「うん」 互いに、互いの存在がそこにあるのに。 笑顔を浮かべてその距離を離した。 アオイは手を振って見送って、デュークは軽く笑って扉を閉めた。ギシっと音がしてデュークの足音が遠ざかる。 ぼとっと、声もなく泣くアオイの涙が床を濡らす。 ―――――行かないで・・・・・・ 何の音もなくなったその場所で、ポタポタと涙が落ちる音だけが聞こえて数秒後、アオイはその場にしゃがみ込んだ。 涙を止める術は無い。 ただ一人、声を殺して泣いて泣いて泣いて。 抱きしめて。 傍にいて。 僕を見て。 僕を好きになって。 僕を。 僕を――――― 僕を――――――――――――― 声にならない想いをただ抱えるしかなかった。 |