海の上の籠の中で 前編27





 二人がそんな時間を過ごしていた頃、船では宴会が催されていた。
「なんでお前らがここにいるんだ?」
 ケイトの不機嫌な声が出す。それもそのはず、今夜はナナと二人っきりの夜を、そう思っていたのにまったくあてが外れてしまったのだ。
「そーいうなって。しゃーないだろう?」
 こちらは既に酔っ払っているヒデロー。
「何が?」
「だって、この港には美味い飯屋は1軒しかない。当然アオイとデュークはそこにいくだろ?」
「ああ」
「こんな夜だ。二人っきりにさせてやりてーじゃねーか」
「・・・・・・」
「でも、マジでアオイと頭はそうなるんすかね」
 これは当然のようにトウヤにもたれかかって座る、ミヤ。
「なるだろう。アオイがデュークを好きなのはバレバレだけど、デュークがアオイを好きなのだってバレバレだぜ」
「まーね」
「しかし、今夜どうこうって事は無いんじゃないかな」
 ヒデローの盛り上がりとは別に、ケイトは冷静だった。
「どうして?」
 ナナは大いにアオイを応援しているのでケイトの言葉には少々不満気味だ。そんなナナにケイトは苦い笑みを漏らした。
「ここには、ミドリが眠っている。毎年墓参りをするために戻ってくるんだ」
 ハッとナナが息を飲み込んだ。
「もし、デュークとアオイがそういう事になるにしても、デュークの性格上明日以降だと思う」
「あのー、どういう事っすか?」
「ああそうか、ミヤとトウヤは詳しい事は知らないんだったな」
「ええ、まぁ」
 きょとんとしたミヤに、遠慮がちに頭を下げるトウヤ。そんな二人を見つめて、ケイトが息を吐き出した。
「勝手に言っていいのかわからんが――――まぁいいだろう。お前達だって船の一員なんだからな。あのな――――ここには、デュークが最も愛した女が眠っているんだ。毎年ここに寄港するのもその為だ」
「そうだったんすか!?いや、なんかあるんだろうとは思ってたけど・・・」
「デュークにとってそれは、心に深い傷を残した。それから長く抜け出せなかったが・・・ようやく前を向いてくれる気になった。その点では、アオイには感謝はしているが―――――」
「何?」
「アオイが自発的に自分の事を語っていない事に変わりは無い。それが、・・・少し気になってるんだ」
 ケイトはそういうと、手にした酒を一気に流し込んだ。
 もしそこに何か秘密があったとしたら、そしてそれがデュークを傷つけるような事になったら今度こそどうなってしまうかわからない、そう思うと不安になるのだ。
「気にしすぎだろう」
「なら、いいがな・・・」
 見上げれば、満天の星空。風は穏やかで、嵐の前触れなどまったく感じさせない。
 その穏やかさが、ケイトには返って不気味に思えたのだ。
 何も無ければいいと願いながら、どうしても胸騒ぎが収まらなかった。


 その船での宴会で皆が完璧に出来上がっていた時間になって、ようやくデュークはそっと宿に戻って部屋へと入った。
 アオイは奥のベッドに横になって背を向けている。
 デュークは手前のベッドに身体を横たえ、瞳を閉じた。
 デュークはこの時間まで、ただ港の端でじーっと海を眺めていたから、その頭は冴えきっていた。
 何か考えていたわけでもなかったのに、気付いたら随分時間がたっていたのだ。明け方まではそう時間は無いが、色々考えて疲れたのかデュークからはしばらくすると規則正しい寝息が聞こえてきた。
 その奥で、アオイがゆっくり瞳を開けた。アオイは寝ていなかったのだ。
 そのままゆっくりと身体を回してデュークのほうへ視線を向けた。残念なのかそれで良かったのかわからないが、デュークはアオイに背を向けていたので、顔を見る事は叶わなかった。
 近づいて触れたかったけれど、それは出来なかった。
 海賊であるデュークが、そんな気配に気付かないはずはない。きっと、起きてしまうとわかっていたから、ただ背中を見つめるしか出来なかった。
 ―――――好き・・・
 声すら出せなかった。
 その瞳にはみるみるうちに涙が込み上げる。
 アオイは声を殺して泣く事は、9年の間の中で何度もあった事だからその術は上手で。デュークには気付かれる事はなかった。
 その涙で枕がぐっしょり濡れて、外が僅かに白くなってくる頃になってようやく、アオイはその意識を手放して眠りにつく事が出来た。




・・・・・




 ふっと意識が浮上して、寝返りを打った瞬間ズキっと頭が痛んだ。
 ―――――・・・ん・・・っ、・・・・・・
「あ・・・・・・」
 ゆっくりと瞼を開けていくと、明るい光が目に沁みた。
 ――――朝・・・?
 いつの間に眠っていたのだろうと思いながら、アオイはゆっくり身体を動かして視線を巡らせる。
「・・・っ、デューク」
 ――――いない・・・
 隣のベッドはもぬけの空。誰もいなかったのだ。
 アオイは弾かれるように起き上がって、デュークの寝ていたベッドに手をあてる。
 ――――冷たい・・・
 外を眺めてみると、日が真上に昇ろうかとしている。アオイは慌てて扉を開けて2階のヒデローの部屋の扉を叩いた。  しかし、中からはうんともすんとも音がしない。扉に手を掛けてドアノブを回してみても、当然開かない。アオイは隣のトウヤとミヤがいるはずの扉を叩くが、こちらも中は静まり返っていた。
「・・・どこ、に?」
 アオイはそのまま1階に下りて外へと飛び出した。
 顔もまだ洗っていないことに気付かなかった。後ろ髪が寝癖でくねってることも、衣服が部屋着のままなのも忘れていた。
 そのまま港の方の通りに出る。
「―――アオイ!?」
 声に、弾かれたように振り返った。
「ヒデロー・・・」
「どうしたんだ?そんな格好で」
「あ・・・っ」
 言われて初めて自分の格好に気付いたのか、その頬が真っ赤に染まる。
「デュークが、いなくて・・・それで」
 慌てて何も考えずに出て来てしまった。
「デューク・・・、ああ。あいつならたぶん――――」
 そこで言葉を区切って、ヒデローが山のほうへ視線を向ける。
「ああ・・・、教会・・・」
 つられて視線を向けたアオイが、ぼそっと呟いた。
 ――――そうか。もう、行っちゃったんだ・・・・・・おはようって、言いたかったのにな。
「アオイ。とりあえず、宿に戻って待ってようや」
「ん」
 待つって、何を?とは言わなかった。言えなかった。
 アオイはヒデローに続いて宿に戻った。
「俺の部屋で、なんかして遊ぶか?それとも船の方へ行ってるか?全員あっちで酔い潰れてるけどな」
「ううん、いい。とりあえず顔洗って着替えて、散歩してくる」
「なら、一緒に行こうぜ」
「ううん、いいよ。だってヒデロー寝てないでしょ?お酒臭いし。朝の爽やかさ台無しだもん」
「んーだよ、それっ」
 笑って憎まれ口を叩くアオイに、ヒデローもほっとしたように笑っていつもの軽い口調が戻って来た。
「じゃーね、ヒデロー」 「ああ」
「―――ありがと、ね。色々」
 ―――――いっぱい助けてくれて。
「ばか、くだんねーこと気にすんな」
 ヒデローはちょっと照れた顔で笑うと、扉をバタンを閉めた。
 その閉まった扉をアオイはしばらく見つめてから、ゆっくりと視線を外して3階へと上がっていった。
 アオイが部屋の扉を閉める頃には、徹夜明けのヒデローはベッドに倒れこんで眠りについてしまっていた。アオイの言葉どおり、明け方まで飲んで寝ていないのだ。それでも戻って来たのは、二人のことが気になったから。
 けれどアオイの笑顔を見て、ホッとしてしまったのだろう。酒びたりの頭では、笑顔の奥までは考えが及ばなかったとしても、ヒデローを責める事は出来ないだろう。
 アオイは部屋着を脱ぎ捨て、長袖の裾の長いTシャツ着替え、ベージュ色のパンツに履き替えた。そして着ていた部屋着を綺麗に畳んで、自分のベッドも綺麗に整えてから着ていた衣服を上に乗せた。
「・・・デューク・・・」
 アオイはそっとデュークの寝ていたベッドに指を滑らせる。
 もう温もりは感じられない冷えたシーツ。そのシーツにそっと頬を寄せてみると、僅かばかりのデュークの香りを感じた。
「・・・ありがとう・・・」
 涙が落ちそうになって、慌てて顔を離した。シーツを濡らすわけにはいかない。
 そして、デュークのベッドも綺麗にベッドメイクした。そうして見渡すと、人の気配がまったく無くなってしまうから不思議だ。
「さよなら・・・」
 おはようって、最後に言いたかったけど。
 言えなかったのもまた、運命かもしれない。
 この場所が最後だなんて、それもまた皮肉な運命だろうか。
 壁に掛けておいたストールを手にとって肩に掛け、最後に昨日買ってもらった林檎を持ってから静かに扉を開けてもう1度振り返った。
「・・・・・・」
 言葉を、そう思うのに何も出てこなくて。アオイは振り切って扉を閉めた。そして、そっとそっと廊下を歩いて1階まで行き、また静かに扉を開けて外に出た。
 外の通りは人通りが無くてシンっとしている。
 アオイは人目を避けるように、昨日行った大通りとは逆の方向へと足を向けた。
 数歩行ったところで、1度だけ宿を振り返った。けれど、教会の方へ視線を向ける事はしなかった。もしそちらを見てしまったら、決心が鈍って足がそちらへ向いてしまうとわかっていたから。
 そのまま人目につく事無く町の外れまで歩き、そこから山沿いの道へと足を踏み入れた。それはもちろん、あの教会の方とは真逆の方向。
 一歩、一歩足を踏み出して、緩やかな坂を上っていく。
 さよなら、と心の中で呟きながら。
 ありがとうと、一緒に。
 大好きだったよ。
 みんなが。
 大好きだった。
 何も出来なくて。
 迷惑ばかりかけて。
 それでも優しく接してくれて、どれだけ嬉しかったか。
 本当にありがとう。












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