海の上の籠の中で 前編7





 次の日からも、アオイは変わらない日々を送っていた。朝トウヤの手伝いをし、その後はミヤを手伝い、空いた時間には剣の練習に励んだ。
 時折やはり日射病になったり、ふらついたりする事があったが、それも2回目3回目となるにつれ周りも本人も慣れて来たらしく、最初の頃の様に慌てる事は無くなった。
 ただ、どれほど日々を過ごしても剣の腕は中々上達する事はなかったが。
 それでもアオイは少しずつ海賊船の中での生活を覚え、自分の出来る事を憶えていき、なんとか順応しようと努力をしていた。ただ、17歳にしては背も小さく体格も細いアオイの身体には、筋肉と言うものがあまりにも付いていなく、力仕事はまったくといっていいほど役には立たなかった。
 今も、下の食料粉から油缶を持ってきてくれと言われて運んでいるのだが、その足取りはかなり危なっかしい。
 船が揺れる度に、右へ左へとふらついている。
「アオイっ、貸せ。持ってやる」
 そこへ通りかかったデュークがあまりの危なっかしさに思わず声をかけた。
「いい。僕が頼まれたんだから」
 けれどアオイはブンブンと首を横に降る。その横に振った反動でまた足が大きくふらついた。
「危ないっ―――いいから、貸せ」
「あ・・・」
 デュークは有無を言わせずアオイから油缶を奪い、それを軽々と持ち上げた。
「僕の仕事なのに・・・」
「その様子じゃぁトウヤに渡す前に落とすのがオチだ。それだけならまだいいが、もし中身でもこぼれ出したら大変だろうが」
「・・・うー・・・」
 確かに木造の船の中で油などひっくり返したらしゃれにならない。アオイだってそれくらいは分かっていたのだが、油缶一つ満足に運べなかった自分が情けなくなってうな垂れた。
「アオイ?」
 ――――役立たずだ・・・
 出来る、とトウヤに言い切って任されたのに。
 そんなアオイを促して、デュークはキッチンへと足を向ける。
「こんな事くらいで落ち込むなよ?」
「だって・・・」
「ん?」
 早く一人前になりたいのに。
「なんでもない」
 アオイは緩く首を横に振った。  早く役に立てるようになりたくて。早くちゃんと一人前になりたくて頑張っているけれど中々上手くいかない。
 そんなアオイの様子にデュークはくしゃりとその頭を優しく撫でた。
「―――」
 その仕草が新鮮だったのか、アオイは弾かれたように顔を上げた。髪を撫でられた感触が優しくて、なんとも言えず嬉しかったのだ。
「自分に出来ることと出来ない事をちゃんと判断して、出来ることをちゃんとやればいい」
「・・・・・・」
「出来ない事を出来ないという事は、恥ずかしい事じゃない」
「・・・うん」
「恥ずかしいのは、それを自分でちゃんと認められない事だぞ」
「ごめんなさい」
 アオイは、くしゃりと撫でられた髪に自分の指を絡めながら、コクンと頷いた。
 デュークの言おうとしている事は、アオイにもちゃんとわかったから。
「あれ、頭。―――あ、油缶」
「ああ、危なっかしい足取りだったんでな」
 デュークがキッチンにそれをガタンと音を立てて置く。
「すいません」
「いいさ、別に。それより、お茶をくれるか?」
「はい。アオイ、カップを取ってくれ」
「うん」
 デュークに運ばせたことに何か言われるのかと、入り口で所在無げに立っていたアオイにトウヤは声をかけた。その態度を見れば、もう何も言う必要は無くなったのだろうか。
 アオイもほっとしたような笑みを浮かべて棚からカップを取り出した。
 そこへ、ヒデローもやって来る。
「俺もお茶が欲しいなぁ〜」
「はい」
「あ、カップね」
 アオイは今度はヒデローのカップを再度取り出して、トウヤがお茶を入れるのをじっと見ていた。
 その後ろ、ソファに座ったデュークの横にヒデローがにやにやした顔で腰を下ろした。
「随分、可愛がってるなぁ?」
「そうか?」
 二人の視線はそのままアオイの後姿に向けられる。
「十分そう見えるぜ。ああいうのが好みだったとは知らなかったが」
「バカか。そういうんじゃない」
「へぇ?じゃぁ、――――なんだ?」
 ヒデローが、笑顔の下で試すような瞳を向けた。
「・・・何って。―――――あんまり何にも出来ないから、ついな」
「そうか?出来ないなら降ろせばいい。それだけの事だろう?」
 実際今までも海賊志望で乗り込んで、見込みの無さに降ろしたことが無いわけではない。その時だって、ここまで丁寧に接してなかったくせに、と。ヒデローの顔はそう語っていた。
 その視線を、デュークは困ったように曖昧な笑みを浮かべることで誤魔化そうとしたのだが。
「デューク」
 逃げることを、ヒデローが良しとしなかった。
「・・・、何っていうか。自分でもよくわからないんだが、あの必死な感じがさ。なんとかしてやりたいと思ってしまうのかもしれん」
 必死で縋るような、しがみつこうとする瞳。
「何か、を抱えているらしい」
「ああ」
「それが、何なのか―――――ただの、興味かもしれないな」
 あの白く細い身体とひた向きな瞳の中に、一体何を抱えているのか。今までどんな風に生きてきたのか、アオイの事を何も知らないから知ってみたいと思うだけかもしれん。そう思って、その自分の考えにデュークは思わず苦笑を漏らした。
「興味、なぁ」
 しかし、ヒデローの声はその答えを信じてはいない風だった。
 そんな事じゃないだろう、と。
「ああ」
 だが、デュークは案外それだけなのかもしれないと思っていた。ただ、知りたいだけなのかもしれない。
「じゃぁ、もし全部分かったらどうする?」
「え?」
「知ったらそれで、もうお終い。その後は、ポイ、か?」
 ――――知って。
「――――」
 そしてその後・・・・・・?
 その事を、考えた事も無かった。
 確かに、知ってどうしたいと言うのだろう。正直、アオイが今のままであるならば、海賊でいられる確立は少ないだろう。剣も使えず自分の身も守れず、かといって力仕事が出来るわけでも何か得意な技能があるわけでもない。
 置いておくメリットが無い。
 しかし。
 追い出す事を、考えた事も無かった――――――
 デュークはヒデローに言われて初めて、その事に考えがいたった自分に、驚いていた。




・・・・・




「ねぇ。今ってどっか向かってるところあるの?」
 アオイはベッドの上で膝を抱えて座りながら、隣で本を片手に横になっているデュークに声をかけた。
「ん、ああ」
「どこ?」
「んー・・・」
 退屈なのか声をかけるアオイに、その視線が本に向いたままのデュークからは生返事しか返って来ない。
 もっと近づいて本を取り上げてしまえばいいのだが、アオイがベッドの上で他人と近づける距離が、今の50センチがギリギリらしくそれ以上は近寄れなかった。
「ねーってばっ!」
 だから、アオイは精一杯焦れた様に声を上げた。
「ん?」
 しかし、それでもどうやら通じたらしく、デュークが苦笑を浮かべながら顔をアオイに向けた。
「だから、今ってどこへ向かってるの?」
「オーリズ港だ」
「オーリズ港?」
「ディスマン大陸の西にあるところで、小さな町ながら港は栄えているし海賊の寄港にも好意的なところなんだ」
「へぇー・・・そこで何するの?」
 アオイは首を傾げた。食料も水もあるし、酒もある状態で何のための寄港なのかアオイにはわからなかったのだが、デュークは何故か含み笑いを浮かべた。
「ちょっと野暮用でな」
「野暮用?」
「ああ」
 野暮用って何だろうと、これまたアオイは首を傾げたのだがそれにはどうやら答える気がしないらしい。
 その時、アオイに一抹の不安が過ぎった。
「ん?どうした?」
 それが顔に出たのだろうか。デュークが少し驚いた様な心配そうな顔になった。
「・・・それって僕には関係無い?」
「ん?」
「僕、・・・そこで船を降ろされる・・・?」
 アオイはもしかしたら寄港は役に立っていない自分を船から降ろすためなのかと思ったのだ。その顔も、瞳も不安そうに歪められている。
「なんだ、降りたいのか?」
「降りたくないっ!」
 イヤだ、と珍しくはっきりと自己主張するアオイに、デュークは苦笑を漏らす。
「なら、そんな事言うんじゃない」
「ん・・・」
「着けば分かるんだから、そんな顔しないで早く寝ろ。俺もすぐに寝るから」
「わかった」
 頷いたアオイの顔がそれでもまだ不安気で、デュークは慰めてやろうかと思わず伸ばしそうになった手を、ハッとして引っ込めた。
 ベッドの上で、よしよしと慰めようものならアオイがどんな反応を示すかわからない。
 しかしそれ以上に、自分が抱き寄せて慰めてやろうとしていた行為そのものに、デュークが驚きと戸惑いを感じずにはいられなかったのだ。考えるより先に腕が出そうだったとはいえ、一体自分はどういうつもりなのか。
「おやすみ」
 アオイは布団の端を捲って、いつもの様にギリギリ向こうに身体を滑り込ませる。
「ああ―――おやすみ」
 デュークの動揺には、幸い気付かなかった様だ。
 見つめた背中はいつも通り。規則正しく肩が上下しながら、身じろぎ一つしない。
 しばらく見つめた後、その視線を本に戻したのだがデュークは結局その後は1行も読むことも出来ず。
 本当は今夜中に読んでしまいたかった本なのに、自分が寝ないと寝付けないアオイの為だと言い訳をして、早々に明かりを消して眠りについたのだった。

 寝付けに飲んだ酒に、胃を焦がしながら。







次へ    短編へ    小説へ    家へ