海の上の籠の中で 前編8





「ねぇ・・・、誰がハートの5を持ってるの?」
 夕飯の後。ダイニングの床に並んだトランプを前にアオイは周りの顔をじとっと見た。手にはまだ5枚のカード。
「アオイ、パスするなら早く」
 無表情でそう告げるミヤの頬が、僅かにヒクっとしている事にアオイは気づかない。
「だって・・・じゃぁ、クローバーの11は?」
「・・・・・・」
 トウヤもヒデローも黙秘。
「うー・・・じゃぁコレ」
「なんだ、持ってんじゃん」
 アオイが出したのはダイヤの3。唯一アオイが止めていた場所なのだがそれを出せばもう切り札がない。
 結局サラっと一巡して。
「・・・パス」
 もう手が詰まった。
「ハイっと」
「あ、クローバー11ヒデローだったんだ・・・」
「ほい」
「んじゃぁコレで、アガリ。いっちば〜ん」
「ハイ」
 やっとカードを出せた、と喜んだアオイだが。
「はいっと、アガリ」
「ってことは俺はコレかな」
「・・・えぇ!?じゃコレ」
「さんきゅう〜アガリ」
「えぇ!?」
 はっと気付いて回りを見れば、全員がカードを出し終わって寛いでいた。
「・・・負け?」
「うん」
「う〜〜っ、もう七並べなんかヤダ!!」
 アオイはむくれた顔でカードを投げ出した。
「って、アオイさっきド貧民だったよな。ページ1もダメだったし、ブタのしっぽでも負けたよな」
「う〜〜〜」
 そうなのだ。今日は外の天気も良くなくて、ずっと中に篭ってトランプカードに興じていたのだが、アオイは初めてやるトランプのゲームで負けに負け。1度も勝っていない。
 どうやらビギナーズラックも無かったらしい。
「子供の頃、やんなかった?」
 そのあまりの弱さに、トウヤが尋ねたのも無理は無い。
「・・・無い」
「アオイってさ、子供の頃一体何して遊んでたんだよ」
「・・・・・・っ」
 しまった、とアオイが思ってみても仕方が無い。
 ミヤの、質問はどうかんがえても自然なもので、周りのその興味に乗っかる構えだ。アオイにはどう答えればいいのか上手い言葉が浮かばず一瞬嫌な汗が背中を流れ落ちた、その時。助け舟のような声がかかった。
「何してる?」
 それは、ケイトだった。
「おー、七並べ。ちなみにアオイがドンビリ」
「う・・・」
「なるほど。ところで、私も是非知りたいな」
「え?」
「お前は、今までどういう過ごし方をして来たんだ?」
 ――――かかった声は、助け舟じゃなかったのか。
 アオイの顔に、なんとも言えない色が浮かんで、内心がっくりと頭を落とした。助け舟どころか、形勢が余計に不利になってしまった。
「答えられないのか?」
「・・・っ」
 微かに、口を開く。けれどその先は、音にはならなかった。
 その時、デュークが慌てた様子で中にやって来た。
「おい、嵐になりそうだ」
 外の様子を見に行っていたらしい。デュークの言葉に全員が顔色を変えて、慌てて外に出て行く。その後ろを、いまひとつ状況のわかっていないアオイも付いて行った。
 とりあえず、助かったと思いながら。
「うわっ」
 甲板に出た途端、ミヤが声を上げる。
「本格的に来たな」
 トウヤも厳しい声だった。
 さっきまで確かに雨が降っているといえども荒れてはいなかったのに。一気に暴風の渦が近づいたらしい。波が高く、雨が強くなっていた。
「これはまだ酷くなるかもしれん」
「ああ」
「とりあえず、点検に回ってくれ」
「わかった」
「中の戸締りを見てくる」
 トウヤはそういうと来た道を取って返した。
「アオイ、お前はトウヤを手伝え」
「わかった」
 ミヤとヒデローは甲板に置いてある荷が崩れないように縄をきつく縛りなおすために走って行く。ケイトとデュークは舵を取るために船頭付近へ行った。
 そうしている間にも暴風の中心へ向かっているのか、嵐はどんどんひどくなる。
 波が高くなり、船が大きく揺れる。跳ね返る波が甲板へも打ち付けて、雨で視界が悪くなった。
 アオイは船内でトウヤの指示に従いながら、窓ガラスが割れないように用意してある板で覆いながらきっちりと締めていく。明かりも、この揺れで倒れて火事にならないように全てを消して回った。  その頃には、普通に立っているのも困難なほど船が揺れていた。
「大丈夫か?」
 危なっかしい足取りのアオイに、トウヤが手を差し伸べる。
「うん」
 アオイは意地を張る事無くその手を取って、なんとか倒れこむ事無く踏ん張って歩いた。
「―――船、大丈夫かな?」
 暗がりの中、アオイの不安そうな細い声にトウヤは安心させるようにその肩をぎゅっと抱いた。途端にアオイの身体が引き攣るようにビクッと震えたのだが、それよりも船体の揺れの方が激しくてトウヤには分からなかった様だった。
「心配するな。こんな嵐、何度も経験している」
「うん――――」
 人に触れられているのに、そのトウヤの優しい言葉にアオイの身体の震えが止まった。大丈夫、そう思えた。
 船が大丈夫なのか、それとも触れられていることへの緊張感への言葉なのか、その時のアオイはそこまで考えている余裕は無かったけれど。
 ただ、抗う事無くアオイはそのままトウヤに抱えられるようにして、再び甲板へと急いだ。
 甲板へと続く扉は風で開けられ、中へ雨が吹き込んでいた。
「出るぞ」
「うん」
 アオイはぎゅっと拳を握り締めて、不安に揺れる気持ちを抑えて頷いた。
 トウヤの手が扉にかかってそれを押さえ、甲板へと身体を乗り出した。
 その姿を、マストの途中まで登っていたミヤの視界が捕らえた。
「――――っ」
 アオイを抱きしめるようにして出て来た二人の姿。
 ミヤの心臓が、ギリっと悲鳴を上げた。
「ミヤっ!!」
 余所見をしたミヤに、ヒデローの声が飛ぶ。前方にいたケイトも、その声に振り返った。
「あっ!!」
 慌てたミヤの手から、ロープが離れた。それは、今帆を縛っているロープだけでは不十分かもしれないと思い、さらに縛り付けるためにと持っていたもの。
 それが風に煽られて、強い力を持って甲板めがけて舞い落ちる。堅く結いあげてある強固なロープだ。そのまま甲板に激突したら甲板を傷つけかねない。
 トウヤは咄嗟にアオイから手を離し、そのロープを掴み取ろうと腕を伸ばした。
 その時、船が大きく傾いて、アオイはその場にしりもちをついて倒れこんだ。
 ロープは空中でばらけて、まとまりを失くす。
 それは1本の自由の利かない、凶器とかす。
「トウヤ!?」
 その端をなんとかトウヤは掴んで、手繰り寄せようと試みた矢先、突風が吹いてロープの先端が大きくしなった。
「危ない!!」
 トウヤがロープを引いたことで、動きがかわり。
「アオイ!!」
 デュークの叫び声が、雨音に掻き消された。
「アオイ!!」
 トウヤの声も、間に合わなかった。
「――――っ!!!」
 悲鳴は洩れなかった。
 倒れこんでいたアオイが上体を起こそうとしたその背中めがけて、重力と風の遠心力で強い力を盛ってしまったロープの先が音もなく振り下ろされた。
 予想もしなかった、強烈な衝撃と痛みに、アオイの口からは声にならない呻きが漏れて。
 ―――――痛・・・っ
 激痛が走った。
 目の前がちかちかして。
 後はもう、闇だった。
「アオイ」
 真っ先に駆けつけたのはトウヤだった。
 身体を起こそうとして、触れた時にはアオイの意識はそこにはなかった。
「アオイ!?」
 次に駆けつけたデュークは、意識のないアオイの身体を抱えあげ船内へと運び入れた。
 その顔は、血の気を失って真っ青になっていた。それは、そばにいたトウヤさえ闇の中で気付かれなかったけれど。
 もしかしたら、倒れたアオイよりも顔色を失っていたかもしれない。







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