海の上の籠の中で 前編9
明かりの下、ヒデローはそっと意識の無いアオイの衣服を直した。そしてゆっくりと布団をかけてやる。 「どうなんだ?」 先ほどよりは幾分ましとはいえ、まだ青い顔をしたまま息を詰める様な声でデュークはヒデローの顔を見つめながら問うた。何故今、身体が震えるのかデュークにさえも理由がわかっていなかったが。 「骨に異常は無い様だ。ただ、しばらくは動かすのは無理だろうな。それと今夜は熱が出ると思う」 「分かった。――――大丈夫なんだな?」 「ああ、大丈夫だ。無防備だったのが返って良かったのかもしれねーな」 ふっと、ヒデローらしいにやけた顔を見せたのにデュークもホッとした様に息を吐いた。 「水を持ってきてくれるか?冷やすのに必要だ」 「それならトウヤに・・・」 持ってこさせようという言葉の前に、ヒデローが軽く首を横に振った。 「ミヤがキッチンにいる。声を掛けてやってくれ」 「ああ・・・、ああ――――そうか。そうだな」 アオイが心配で頭から抜け落ちていたが、今回の原因はミヤだ。デュークはヒデローに言わんとするところを察して頷いてから、部屋を出て行った。 それを待っていたように入れ違いでケイトが入ってきた。 「よっ」 「容態はどうなんだ?」 ケイトも流石に厳しい顔をしていた。 あのロープが上から力任せに振り下ろされたのと同じ事がアオイの身に起こったのだ。 「ああ、大丈夫だ。今は眠ってるし、身体に問題も無い」 「そうか・・・」 「それよりデュークの方が真っ青だったぜ」 「・・・そうだな」 それはケイトにも嫌でもわかってしまった。 「なんつーか。本人は認めてねーけど、――――――ありゃぁ、マジかもな」 「こんな得体も知れない少年を・・・」 「しかしデュークにはタイプってのがねぇのか?」 「どういう意味だ?」 「だってさ、アオイとアイツとじゃあタイプがまったく違わねーか?」 ったく、どういう好みなんだかとヒデローが苦笑を浮かべる。 その視線の先には、少し熱が出て来たのか苦しそうに眉を寄せ出したままに眠るアオイの横顔があった。それをケイトも、言葉少なに見つめていた。 確かに、全然似ても似つかないと思いながら。 「頭」 カチャリとキッチンの扉の開く音とともに、トウヤが座っていた椅子から腰を上げてデュークを見た。その横には、顔を上げられないのか項垂れたままのミヤ。 その身体も少し、震えていた。 「大丈夫だ。骨にも異常は無い。まぁ、当分は絶対安静にはなるがな」 軽く頷いたデュークに、トウヤはホッと肩の力を抜く。しかし、その視線は直ぐに隣に立つミヤへと向けられた。やはり弟の事が心配なのだろう、視線がデュークとミヤを忙しなく動いている。 「ミヤ」 ビクっとミヤの身体が震えた。 「――――はい」 「今回は事なきを得たが、ああいう状況ではちょっとした気に緩みが命取りになる」 「はい」 「今回はロープを落としたわけだが、もし足を滑らせていたらどうなっていたと思う?」 「――――」 「そうなったとき、俺達がどれだけ悲しむのか苦しむのか。わかっているな?」 「はい」 「今度は、無いぞ」 口調はきつかったが、その瞳はミヤをいたわる様な大切に思うような瞳で見ていた。ミヤにはそれは分からなかったが、顔を上げていたトウヤにはわかって。トウヤは思わず頭を下げた。 デュークは怒ってるだけじゃなく、ミヤの身を心配してくれていると分かったからだ。 「はい。すいませんでした!!」 ミヤも、項垂れて下がっていた頭をさらにガバっと下げた。 船を降ろされるか、もっときつく叱責されるかと思っていただけに、ミヤにとってもデュークの言葉は暖かかった。 心底、ホッとして。良かったとミヤの肩から力が抜けた。 その肩をトウヤがぎゅっと掴んで、ぽんぽんと叩いた。そんな二人の姿デュークもフッと目を細めた。 「トウヤ、悪いが桶に水をもらえるか」 怒りにまかせて怒鳴る事は出来るけれど、今はそうすべき時じゃないとわかっていた。 デュークは、この船の頭なのだから。 「はい。―――アオイですか?」 「ああ。どうやら熱が出そうなんだ」 「わかりました。すぐお持ちします」 「頼む」 デュークはそういうと、踵を返してアオイの眠り自室へと戻っていった。その背中、ミヤはずっと頭を下げたままだった。 ・・・・・ 真っ暗な闇の中、身体が暑くて苦しくて、背中がじんじんと痛んだ。 「ふ・・・、っ・・・・・・」 ――――暑い・・・・・・ アオイの顔が、苦しげに歪んだ。 "ユーリ。いい子にしてたかい?" ―――――嫌・・・ "こっちに来なさい。――――そう、いい子だ" 「うっ・・・、ふぅ・・・っ」 ――――嫌だ・・・・・・いや・・・・・・触らない、で・・・・・・っ 「・・・オイ・・・」 "ユーリ・・・、ああなんて綺麗な―――・・・" ――――いやぁ・・・っ! 「・・・アオイ」 "ほら・・・ここはこんなに・・・・・・" ―――――いやぁぁ・・・っ、お、ねが・・・だれか・・・・・・ 「アオイ」 "誰も来ないよ。お前は一生・・・・・・" ―――――・・・たすけ、てぇ・・・っ、いやだぁ・・・・・・っ 「アオイ!」 ――――っ・・・?・・・アオ、イ・・・? 「大丈夫か?」 ――――だ、れ・・・・・・ 「―――っ・・・」 「大丈夫か?アオイ?」 "・・・ユーリ・・・" 「アオイ?苦しいのか?」 ――――アオイ・・・ 「・・・・・・ぁ・・・」 ひやりとした感触を額に感じた。 「アオイ?気がついた?」 ぼんやりとした光が、目に差し込んだ。 「―――−ふ・・・っ、え?」 ――――違う・・・、ああそうだ。・・・・・・ここは、あそこじゃない・・・ 「うなされてたぞ」 ――――僕は、アオイ、だ。 「・・・熱い」 「ああ。熱が出てるからな。怪我をしたの、憶えてるか?」 怪我? 「嵐の中、甲板で。ミヤが持っていたロープを離してしまって。それがアオイの背中に直撃したんだ」 ――――ああ、そうだったんだ。そう、あの時の背中からの衝撃は・・・・・・ 「骨に異常は無いが、酷い打ち身だから。当分痛む事になる」 「うん」 「今はその所為で熱が上がってるんだ」 「うん」 「水飲めるか?」 「ん、飲みたい・・・」 アオイは言われて自分が喉がからからなのに気がついた。熱に所為で汗をかいて身体から水分も出て行ってしまっているのだろう。 「起きれるか?――――支えるぞ?」 背中の打ち身の所為で、自力では身体を起こすことの出来ないアオイに、デュークは声をかけて慎重にその身体を抱き起こした。 「・・・?」 けれど、いつの様に怯えた仕草を身体が返さなかった。 ――――熱の所為で、感覚が鈍ってるのかもしれないな・・・ デュークはそう思い直し、それならそれで看病しやすくなるとホッと息を吐いて、アオイの口元にグラスを持っていった。アオイは手を動かす事も出来ないのか、自分でグラスを支える事も出来ないようでデュークがゆっくりグラスを傾け、アオイは水を飲んでいった。 「アオイ、このまま服を着替えられるか?」 抱き起こした身体は汗でぐっしょりと濡れていたのだ。 「え?」 「このままでは良くないんだ。――――着替えさせてもいいか?」 デュークの問いかけに、アオイは小さく頷いた。その身体は少し緊張にこわばって見えたけれど、真摯なデュークの瞳の前では、拒絶することの方がアオイには困難だったから。 |