海の上の籠の中で 後編10








 その日の夕飯は、なんだかとても変な感じだった。昨日まで3人だった夕飯が一気に5人に増えたのだ。それなのに、しゃべっているのはジェシカだけで、時々トルタスが取ってつけたように笑うのだが、アオイは塞ぎがちだしデュークはどうしていいのか分からない風だった。
 せっかくの夕飯もなんだか味がわからないままに終わり、アオイはジェシカの手伝いをしている間もデュークはじっとしていた。
 ジェシカに、もういいわよって言われてアオイはケリーにお休みって言って、トルタスにもお休みなさいって言って自室に上がった。もちろん、デュークも黙って付いてくる。
 冷えた自室に、灯りを入れて小さなストーブに火を入れた。その作業をもデュークはじっと見つめていた。
「す、座る?」
 手持ち無沙汰に立ち尽くした二人。先に口を開いたのは、アオイだった。ラグを指差して、アオイはそこに座るとデュークも隣に座った。僅か、30センチほどを開けて。
 その距離が寂しいと思うのは、少し身勝手だろうか?
 それがいまの二人の距離だろうか。
 僅かばかりの沈黙の後、今度はデュークが口を開いた。
「アオイ?」
「っ、なに?」
 ドキマギして、声は変な風に跳ねた。
「パン屋、楽しいか?」
 三角座りして前を見つめるアオイと、胡坐をかいて前を見つめるデュークの視線は交わらない。
「うん、楽しいよ」
「そうか」
「・・・うん」
 ふっと、デュークが息を吐いたのを感じる。
「海賊は、もう嫌か?」
「え!?」
 弾かれたように見つめたのは、デュークの横顔。その横顔はあまりにも無表情で、アオイには気持ちは読み取れない。  僅かな沈黙の後の言葉に、アオイの瞳が見開かれた。
「海賊は、嫌になったか?」
「違う!違うよ、そうじゃない!」
 思わず縋りつくように掴んだ腕に、力が入ってしまう。まるで溺れる子供の様に必死な顔で。
 だって、分かって欲しかった。
「そうじゃないからっ」
 それだけは――――――――
「――――アオイ・・・」
 視線が、やっと重なり合った。その瞳を、互いに切なそうに見つめあう。言葉は無力だというけれど、きっと今は言葉でしか伝え合えない。
 アオイはキュっと唇を噛んで、デュークの方へ向かうように座りなおした。その肩が、緊張で固まって、ラグを掴んだ指先は緊張に冷たく凍った。顔は、がんばったけれど上げられなくて、俯いたままやはりラグを見つめていた。
 ―――――言わなきゃ。
 逃げないために。
「僕ね・・・」
 今はそれしか出来ないし、きっとそれしか言葉を持っていないのだとアオイは思って言い聞かせた。その所為でもし、全てが終わったとしても――――――――――――
 ―――――それが僕の、運命・・・・・・・・・・・・
「ああ」
「僕は、ね・・・―――――人形だった」
 ピクっとデュークの眉が跳ねて瞳が僅かに見開かれた。
「10歳になる少し前に、両親が事故で死んで、後継人って言って叔父さんがやってきた」
「――――」
「その日から、僕は外に出られなくなって、自由も無くなって、部屋に閉じ込められた」
 アオイの肩が、その日を思い出すのか震えていた。
「真っ暗な部屋で・・・っ、明かりも入らない様にカーテンで閉められて。僕は過ぎていく日も、去っていく時間もわからなくなって」
 半狂乱で叫んだ日もあった。思い出したくも無い日々。
「それで・・・、―――――っ」
 昨日まで良い人だった、親切で一緒に笑った日もあった執事までもが態度を変えて、世界が一変したあの日。全てがわからなくなって、ただ音を立てて何かが壊れていった。
 外へ出してと暴れてひどく叩かれて、言う事を聞くまでそのままだと縛られた日。泣き叫んで声が枯れて、恐怖に身体が染まった。
 ただもう、膝を抱えて震えてる事しか出来なくなって。
「―――――叔父にっ――――」
 そして初めてベッドに押し付けられたあの夜。
「僕は、―――――あの人に・・・・・・っ!!」
「アオイっ」
 思わず、デュークの声が止めた。見るに耐えないほど青く白くなった顔が、もしかしたら体温さえもないのかもしれないと思わせた。
「いい。言わなくても、いい」
 言わなくても、わかるから。言わなくていい。もういいと――――デュークは心の中で囁いた。けれど、アオイは何かを吐くように言葉を続けた。
「・・・っ、く、僕―――凄い嫌で、嫌でいやでいやで。でも、どうしようもなくて。泣いても喚いてもどうしようもなくて、酷くされたくなくて抵抗しなくなって、でもそんな自分も凄くイヤで、汚くて―――っ、僕、汚くてっ」
「アオイ!」
 心の悲鳴の様に聞こえる声に、デュークは思わずアオイを抱きしめた。もういいと、もういいからとそんな思いを乗せて強く抱きしめた。もう、言わなくてもいいからと、髪に指を絡めて抱き寄せ、そっと背中をさすった。
 その指先に、アオイの震えが伝わってきたてデュークはぎゅっと瞼を閉じた。出来ることなら、忘れてくれればいいと思うけれど出来ない。その過去を抜きにして今のアオイは、いないのだろうから。
 しばらく嗚咽が聞こえて、どれくらいそうしていただろうか静寂を破るようにアオイがポツリと言葉を紡いだ。
「海賊に、なりたかった」
「・・・・・・アオイ?」
 僅かに自嘲めいた笑みが洩れたのが、息遣いでデュークに伝わる。
「デュークと、ケイトとナナとヒデローとトウヤとミヤと、ずっとずっと、ずっとずっと一緒にいたかった」
 アオイの声が、震えていた。
「船の中は、凄く凄く楽しくて、嬉しくって・・・!」
「ああ」
「ずっとずっと、一緒にいたいって・・・っ!!」
「ああ」
「ここにいたいって、思った」
「・・・ああ」
「あそこにいたいって、思ってたよっ」
「ああ」
「デュークが、好きなのっ」
「ああ」
「汚くて、僕は汚くてどうしようもないけど」
「アオイ!」
 デュークはアオイの顔を覗き込んだ。デュークのその顔は声の鋭さとは対照的に、泣きそうだった。まるで、自分が傷つけられて汚されたみたいにさえ見えた。
「アオイは汚くなんかない。絶対に、汚くない」
「・・・っ、ぇ・・・」
「アオイはずっと綺麗だ」
 頬に流れる涙を拭いもせずにアオイが緩く首を横に振ると、デュークはそれをそっと止めた。そうしてまっすぐ、瞳を見つめた。
「俺はアオイを、愛してる」
 再びデュークはアオイをぎゅっと抱き寄せた。
「愛してるから」
 胸が、アオイの涙で濡れていく。
「だから、そんな風に言ってくれるな。な?」
 腕の中で、アオイの嗚咽が聞こえて震える背中を感じる。
「傍に、いてくれ。――――いて、くれるよな?」
 耳に寄せた唇で、確信に満ちて囁きかけた声。その声に、アオイは首を横に振る。
「アオイ?」
「ダメ・・・」
「――――」
「行きたいけど、ダメなの・・・っ」
 すがり付いて泣くくせに、アオイの口からそんな言葉しか漏れない。けれどもう、額面通り言葉を受け取って引き下がれるはずもなかった。
 攫ってでも連れて行く、そう心に決めたから。
「なんで?」
「うぇ・・・、っ・・・」
「アオイ?なんで、ダメ?」
 泣きじゃくる顔の頬に手をあてて、無理矢理上を向かせて視線を合わせた。もう、逃がさない。もう、言い訳も聞かない。
 もう、離さない―――――そんな決意の視線でアオイを見つめながら。
「ひ・・っ、く・・・」
「アオイ」
「ダメなのぉ・・・っ」
「ああ」
「っ、・・・つかっちゃった」
「ん?」
「見つかっちゃったからっ!」
「誰に?」
「叔父さん」
「――――いつ!?」
「船が襲われて、っひ・・・でも、ぐず・・・、襲っても来ないですぐ逃げたって」
「・・・こないだの?」
「そう」
「あの船に、乗ってたのか!?」
「ちがっ、あの人の、・・・手先。僕も、顔・・・知ってる、から」
「――――」
「あの人、力とかあってなんか、逆らえないって。見つかったから、絶対、来るから。っしたら、みんなに迷惑、かけるしっ。僕、そんなの嫌だし。それに―――――」
 それに本当は、知られたくなんか、無かった。僕が、こんなのだって事――――――――――
 僕が人形で―――――――
 汚くて。
 汚れてる事。
「アオイ」
 デュークがぎゅっと抱きしめて、互いの鼓動を感じた。指先から伝わる切なさと、憤りと悲しみと、どうしようもないほど込み上げる愛しさを、感じる。
 きっとあの日から、アオイは想像を絶するほどの不安の中にいたのだ。それもただ一人で、どうしていいのかもわからない迷子のままで。
 ただ、膝を抱えて蹲っていたんだ。
 デュークの顔が、ハッとするほどに変わった。それを抑えきれない怒りと、変えがたい決意。
「守ってやる」
 俺が。
「俺が何に変えても、守ってやる」
「・・・ふっ、ぇ・・・っ」
 ―――――例え全てを、敵に回しても。この命尽きる一瞬まで、全身全霊で守ってやるから。
 アオイはまだ緩く首を横に振るけれど、もうそれを聞く気にはなれなかった。
「だから」
 だから。
「アオイ」
 頼むから。
「――――傍にいて」
「デュー・・・ク」
 泣き顔も好きだけど。
 出来れば傍で。
「笑っていてくれ」
 ―――――いつもいつも、笑っていて欲しい。
 その想いをありったけ込めて、デュークはアオイに笑みを向けた。









次へ    短編へ    小説へ    家へ