海の上の籠の中で 後編11 ―――――あ・・・・・・ アオイは、いつもと何か違うなぁって思って、けれどこんな感じをなんとなく憶えていて懐かしくて嬉しくて、なんだか心が急いて、いつもより少し早く目が覚めた。 その原因の、その人は目の前にいた。 当たり前の様に、いた。 その人の身体が腕の温もりを覚えていて、身体が寝心地の良さを憶えていたのだ。 いつもと違う事が嬉しいって不思議だ。 「おはよう」 「・・・はよ」 ちょっと恥ずかしくて思わず伏せた瞼に、軽いキスが落ちてきてビクってしてドキドキして、アオイは頬が熱くなったのが自分でも分かった。 きっと顔は、真っ赤なのだろと思う。 なんだか心臓も忙しなくて、落ち着かない。 「へーきか?」 「え、何が?」 ビクっとした反応を別の意味で取られたとは知らないアオイは、きょとんとした瞳でデュークを見つめ返して、デュークはなんでもないと笑みを漏らした。 叔父の話をした後だから、もしかしたら隣で寝ないほうがいいかもしれないと思ったのは危惧だったかとデュークは内心ホッとして、受け入れられている自分が嬉しかった。 キスさえも、当然の様に受け入れられている事も。 そして、腕の中にその存在が本当にあることを嬉しく思って気持ちが逸って、それでいて朝起きたらいないんじゃないかという不安に駆られて、昨夜はあまり寝られなかったなんてアオイは想像もしていないだろう。 ドキドキする鼓動が、互いに相手に聞こえていたらどうしようなんて思っている事も。 「アオイ」 朝の日差しが心地良かった。寒いはずなのに、暖かく感じられた。 デュークがぎゅっとアオイを抱えなおして。 そうして、そっと囁いた。 「愛してる」 ・・・・・ お昼を少し回った時間だろうか、馬の蹄の音が少しずつ近づいてきたのを感じて甲板にヒデローが顔を覗かせた。するとやはり向こうから1頭の馬がこちらに向かって駆けて来るのが見えて、船の縁を掴んで目を凝らした。 しかし次第にその姿を鮮明に捉えるにしたがって、眉が険しく寄って顔つきが曇った。 「ヒデロー?」 「デュークだ」 後ろから掛けられたナナの声に振り返りもしないで、前を見据えたままのその声は固かった。その態度にナナは急に不安気な顔になってヒデローに並んだ。 「――――え・・・」 「ナナ?」 「ケイト!!」 ナナは、続いて現れたケイトに呼ばれて振り返って焦った声で恋人の名を呼んだ。その態度に、やはりケイトも慌てて眼下を見つめて、固まった。 「なんで――――」 「なんで一人なんだ!?」 掠れたケイトの声に、ヒデローの我に返った怒鳴り声が引き続いた。その下、デュークが馬上より片手を上げた。 「よう!」 「お前!!」 「ヒデロー!!」 殴りかからんばかりの勢いで降りて行くヒデローを慌ててケイトが追いかけた。しかし、止めるというよりはケイトもいち早く話を聞きたいと思っていたのだ。 アオイに告げた言葉は、届かなかったのだろうかと焦燥に駆られたのだ。もう帰ってこないのかと苦渋と後悔が胸を締め上げ階段を下りる間さえも惜しいと思った。 しかし、間近でみたそのデュークの顔は。 「一人、だよな?」 ヒデローもそのことに気づいたらしい。一応確認を取っている。 「ああ」 「なんで、一緒じゃねーんだ!!」 爽やかささえも感じる程あっさり認めたデュークにヒデローはやはりキレたらしい。怒号の様な声とともに、デュークの胸倉を掴んだ。それを慌ててケイトが割って止めに入る。 「ヒデロー、まぁ、待てって」 「ケイト!止めるな!!」 「デューク!何があったんだ?―――説明してくれ」 顔を真っ赤にしているヒデローを羽交い絞めにして止めながら、ケイトの顔は何かに縋るように必死な顔をしていた。 釈明してくれと。 いや、一人だなんて嘘だろう?とその瞳が語っている。 その二人に向かって、デュークはふっと笑みを浮かべた。 「アオイが世話になっていた家の奥さん、子供が生まれたのは知ってるよな」 「ええ」 「行ったら産気づいてたってやつか」 「そうだ。それで、体力的にもまだすぐ今までどおりってわけにもいかないし、色々しなきゃいけない事もあるらしい」 「だから?」 「アオイ自身も、すぐに放っていけないと」 「デューク!?」 「お前!!」 気色ばんだ二人に、そうじゃないとデュークはゆっくり首を横に振った。 「1週間」 「――――」 「1週間だけ、待ってほしいって言われたんだ。俺も、それはそうだろうと思うしな。世話になっておいて、放り出しては行けないさ」 「それでお前、アオイを置いてきたのか!?」 「ああ」 「ああって!!」 「大丈夫だ。俺もすぐ戻る。ただ、一応報告しておかないと心配するだろう?」 「・・・まぁ、だけど」 「そういうわけだから、1週間待ってくれるか?」 「それはいいさ。見つかるまで粘る予定だったんだからな。でも、向こうに戻ったらアオイはいなかった、なんてことないだろうな?」 この隙に、逃げられたなんて事は無いんだろうな?と二人して視線を向ける。しかしデュークはその視線さえも、笑みで答えた。 「ああ、大丈夫だ」 「――――」 「ちゃんと、色々話したんだ」 「・・・ええ」 「俺も、その話をしなきゃいけないと思ってな。全員揃ってる――――みたいだな」 甲板を見上げたデュークは、少し固い表情でそう言った。そこには、ナナとトウヤと、ミヤの姿があった。3人とも心配そうにこちらを見ている。 「デューク?」 「話は、上でするよ」 気遣わしげなケイトの声に、デュークはぽんぽんと肩を叩いて上へと上がっていった。大丈夫、きっと彼らは付いてきてくれると、デュークにはわかっていたから。 それだけの、信頼関係があると疑う気持ちも無く知っていた。ただ、トウヤとミヤはどうだろうかと不安があったのだが。 「追われてる!?アオイが!?」 「そうだ」 デュークはアオイから聞いた話を簡潔に、そして出来るだけ省いて話をした。10歳から監禁されていた事も、辱められていた事も出来るだけ省略して、ただアオイに執着している叔父がアオイを追っていると話した。 もちろん彼らは、言わなくてもわかっていただろうが。 「そういやあん時、アオイのやつ倒れたな」 「ああ。だいぶ、ショックだったらしい」 思案顔のケイトが、遠慮がちに口を開いた。 「アオイの本名はわからないまま?」 「聞いてないが、・・・なんでだ?」 「名前が分かれば、その叔父という男についても何か調べられるかもしれない、と」 「ケイト?」 「相手が分かれば、こちらも準備が出来るからな」 「確かに」 ケイトの言葉にヒデローは頷いた。もちろんその叔父が本当に力のある立場の男なら、だが。こちらも名前を知っているようならかなりの警戒が必要になってくるのは間違いない。 「あの船に乗ってたんですから、金持ちには違いないっすよね」 「そうだな。それも、その船底に人を繋いでおいて文句も言わせない程に、な」 ケイトの言葉に、全員が重く口黙る。となれば必然的に、―――――― 「あの!」 唐突に口を開いたのは、ずっと黙っていたミヤだった。 「なんだ?」 「あの・・・アオイですけど、連れて行かないって選択は無いんですか?」 「ミヤ!?」 ぎょっとして声を荒げたのはトウヤだった。しかし他の4人はどこか落ち着いていた。ミヤの発言を予想していたかのように。 「お前、何を言うんだ!!」 「だって!・・・別にどうしてもってわけじゃないし。事情だって、変わったっていうか・・・」 「ミヤ!!」 焦ったトウヤがミヤの腕を思わず掴むと、デュークは静かに声を発した。 「ミヤ、俺にとっては"どうしても"なんだ。悪いな」 「・・・っ」 「迷惑をかけることになるかもしれないが」 「す、すいません。こいつ」 「いいさ。ミヤにはミヤの思いがあって当然だ。そうだろう?トウヤ」 「―――っ」 デュークはミヤを責める気持ちはさらさらなかった。むしろ、はっきりしないトウヤに対してのほうが、思うところがあるのだ。その気持ちを、僅かに乗せた言葉はトウヤにもわかったらしい。顔色が変わった。 「とにかく俺は1度戻る。これからどうなるか分からないから、日持ちするものは出来るだけ買いこんでおいてくれるか?」 「準備はまかせろ」 「そうだ」 にやりと笑う二つの顔を見てデュークもほっとして、押し黙った二人に視線を向けた。けれど、今は掛ける言葉は見つけられなくて視線をさ迷わせると、ナナの大丈夫って笑う顔にぶつかった。 ―――――そうだな。 何もかも自分でしなくてもいい。ちゃんとフォローしていて、待っていてくれる仲間がいる。今は疑い事無くそう思える自分がいた。 「じゃあ、頼む」 デュークはそういい残すと、再び馬に跨ってアオイの待つ家へと颯爽と駆けていった。 |