海の上の籠の中で 後編12 「ミヤ!!」 デュークが去った船の中を、トウヤの声が荒々しい足音と共に響き渡った。逃げるように前を行くミヤの腕を掴んでトウヤがミヤを捕らえる。 「離せよ!!」 「ミヤ!!」 「なんだよ!!」 キッと睨みつけたミヤの視線がトウヤに突き刺さる。その力強く傲慢に見える顔の下に、どんな気持ちがあるのか誰もが知っていた。 そんなミヤに向かって、多少見当ハズレとも言える言葉がトウヤの口から発せられた。 「アオイの事、嫌いなのか?」 「っ!?・・・・・・トウヤはどうなんだよ!!」 ―――――"兄さん"と呼ばなくなったのは、いつだったかな。 やはりそんな見当違いな事を思って、頬を真っ赤に染めて噛み付いてくる顔をトウヤは何故か優しい気持ちで見ていた。怒っているのに、それを困ったとは思っていない自分がいるのだ。 「俺?俺は別に嫌いじゃないよ」 「――――」 生まれたての頃から知ってる、弟。我がままで勝気な性格になってしまったのは、自分が甘やかしたからだろうかと考えてみる。 本当に、大切に大切にしてきた気がする。生まれたての小さな手を握ったあの瞬間から。 「大切な、仲間だと思ってる」 「そ、それだけ?」 ―――――そういえば、小さいときから誰よりも俺に懐いていたもんな。 それは遠く懐かしい、幼い日々の思い出。目の前の顔と、あの押さなかった頃の顔はダブって見えるようでやはり少し違っても見えた。 「当たり前だろ?」 「・・・ふー・・・ん」 拗ねた顔も、変わらないな。 馬鹿だな、とも思う。アオイを、そんな風に好きなわけがないのに、この弟は本当にそんな事を心配しているのかと、トウヤは思ったのだ。 そう思うと、―――――もう、いいだろう?と自然と頭に言葉が浮かんだ。 「アオイが戻ってきたら、仲良くやれよ?」 「・・・っ」 「ミーヤ」 「・・・・・・わかっ、た」 不承不承の顔に、やっぱり苦笑が洩れた。 「よしよし」 「こ、子ども扱いすんなよ!!」 くしゃっと頭を撫でた手を思いっきり振り払われて、ミヤが牙を剥く。その顔にトウヤは困ったように笑った。 そうだ、もう小さな子供じゃないんだ。 バタバタと走っていくミヤの背中を見つめ、追いかける事も出来ずトウヤは見送ってしまう。遠ざかっていく背中を、寂しいと思っているのはどういう意味だろうか? 大人になっていく寂しさか、それとも―――――――――― 「どーすんだ?」 「―――っ」 後ろからかかった声に、トウヤはバツの悪い顔で振り返った。見られていた恥ずかしさと、言われるであろう言葉に身構えた。 自分でもわかっている。 「女、紹介してやろうか?」 「はぁ!?」 予想外の言葉に、トウヤの間抜けな声が上がった。 「そうしたらミヤも諦めるかも、な」 「ヒデロー・・・」 「それとも、ミヤに紹介してやろうか?案外うまくいったりなんか――――――、そんな顔で睨むなよ」 苦笑交じりに言われて、トウヤは思わず顔を背けた。顔が、こわばったのは自分でもわかった。ヒデローの、冗談だと分かる言葉に一瞬心がひやっとしたのだ。 そんな事、想像した事も無かった自分の甘さにも。 そうか、俺は甘えていたのかもしれない。真っ直ぐな、揺ぎ無い想いに胡坐をかいて。 「トウヤ?」 声に視線を向けると、笑った口元に反比例するようにヒデローのその瞳はマジだった。 その瞳に、もう逃げられないと悟った。 ―――――逃げてた?何から・・・ 「・・・許されると、思いますか?」 「何に?」 「え?」 切り裂くような、滅多に聞けないヒデローの冷たい声だった。それだけで、殺されてしまうんじゃないかと思えるほどの。 「何に、許されたいんだ?神か?親か?それとも――――お前の倫理観か?もしくは、世間様か?」 「――――」 「何に、許しを請うてる?」 ―――――ああ、そうだ・・・・・・ ナイフの様にひやりとする声に、トウヤはやっと見つけた。 「免罪符が、必要なのか?」 いや、と小さくトウヤが首を横に振った。 「ん?」 「違う、――――いや、そう、そうだ。・・・・・・許しなど」 「――――」 トウヤはぎゅっと拳を握り締めて、自分の心臓がガツンと叩いた。 親に悪いと思っていた。ミヤだけは、返さなきゃいけないんじゃないだろうかと、心の中のどこかで思っていて。でも、返せないともわかっていた。 わかっていたけれど、申し訳なくて。 きっと、世間は許さない。 自分達は、認められない。きっと、幸せになんてなれない。否、する自信が無い、そんな言葉で逃げ道を作ってきた。 逃げてきたんだ。 わかっていた。 もうずっと昔に、囚われていたのに。 それを認めるのは、恐くて。 「いや、許しは欲しい」 「トウヤ?」 でももう、いい。もう、十分だ。 ―――――父さん、母さん、ごめん。 ミヤを、返せないよ。 トウヤは真っ直ぐ、ヒデローも見た。 「みんなに、仲間に祝福されたい」 ヒデローの顔が崩れて、笑った。 トウヤの顔も。 「バカ!盛大に祝福してやる!!」 「ああ」 「なんならミヤにウエディングドレス着せるか?」 「ええ!?」 ヒデローの提案にその姿を想像して、それもいいかと少し思ってしまう。きっと、顔を真っ赤にするだろうけど、似合うだろうと思うから。 嬉くて怒る顔が、想像できるから。 きっと自分はその顔を、嬉しくて仕方ない気持ちで見つめると思うから。 「そうだな、アオイとナナの分も用意して、パァーっと行くか!!」 トウヤとヒデローの瞳が、最高のいたづらを思いついた子供の様に輝いて、二人は拳を合わせて鳴らした。 そして勇んで、ケイトを呼びに行ったのだった。 きっと幸せにするから、父さん母さん、親不孝を許してください。 ・・・・・ その日もいつも通りの何も変わらない日だった。トルタスが早朝から仕込みをしてパンを焼き、ジェシカはクルクルと動きながら家事をこなし、アオイはカウンターでお客の話を聞きながらせっせせっせとパンを売った。 デュークは何故か、子供をあやしていたりなんかした。それはそれでとても穏やかで、なんの変哲も無い当たり前の日常。そんな日々に埋もれて、こんなのもいいかもとアオイが思って幸せに感じられるのは、やっぱりそこにデュークがいるからだろうか。 あんなに長いと感じていた1日1日が嘘の様に早いスピードで過ぎ去って、1週間は瞬く間のあっという間だった。 パンが売り切れて閉店時間になって、closedの札を掛けたアオイは小さくため息をついた。灯りが半分落とされた店内は、なんともいえない寂しさをかもし出していた。 ゆっくり歩くと、静かな店内にアオイの足音だけが響いた。二つ、三つ売れ残ったパンをトレイに入れて、アオイはショーケースの中を掃除した。パンくずを拾って、タオルでガラスを綺麗に拭いた。もう、タオルをびしょびしょのままにして拭くなんてヘマはしない。一心不乱に磨いて、ピカピカにして、床も綺麗に掃除した。 ―――――これでいいかな・・・・・・ 光に輝いて見える床を、アオイは少し満足気に見下ろした。 「うわぁ、綺麗になってる!」 「ジェシカさん」 足音に気づかなかったアオイがびっくりした顔を上げると、そこには赤ちゃんを抱いたジェシカが立っていた。 「綺麗にしてくれたのね、ありがとう」 「ううん」 「さ、もうすぐ夕飯だから、手を洗ってらっしゃい」 「うん、すぐ行く」 アオイが笑顔を浮かべて言うと、ジェシカも小さく頷いて上へ上がっていった。アオイは慌ててバケツの水を捨ててタオルを洗って、手も綺麗に洗って上に上がった。 するとそこには、とても美味しそうな香りが漂っていて思わず息を吸い込んだ。 「お疲れ」 「うん、ってデューク、何してんの!?」 「何って、ハンバーグ捏ねてるんだ」 「彼、不器用ねぇ。本当料理はダメみたい」 キッチンに立つジェシカがからかうように言うと、デュークの顔がムッと曇る。確かに、デュークは料理などほとんどしてこなかったのだが。 けれどジェシカがドンドン用事を言いつけるから、昨日は人参の皮剥きに格闘していてアオイはちょっぴり笑ったんだ。自分とあんまり変わらない出来栄えに、ホッとしたりもした。 「船ではトウヤが料理係りで、デュークがする事なんて無いから」 「ふ〜んなるほどねぇ〜、彼、威張り散らしてるんでしょう?」 「そんな事ないよ。デュークはすっごく優しかったよ、最初っからね」 茶目っ気たっぷりなジェシカの言葉に返すアオイの素直な言葉は完全にのろけに聞こえて、横で聞いているデュークの顔が珍しく朱を帯びた。 「あら、ごちそうさま」 「?・・・ごちそうさま??」 「アオイ、いいから」 何が"ごちそうさま"なのかさっぱり分からなくて首を傾げたアオイに、もうこの話は切り上げたデュークが声をかけた。その様を、ジェシカはクスクス笑いながら聞いていた。 「どっちにしても、海賊の捏ねたハンバーグを食べれるなんて、こんな機会滅多にないわね」 「僕も、海賊だよ?」 「うーん、アオイちゃんは海賊っていうか、逞しくてそれでいて心優しい海賊に守られるお姫、って感じよねぇ〜」 「おい!これでいいか?」 完全に揶揄する言葉に、これ以上からかわれてたまるかとデュークが一睨みを添えて言葉を挟んだ。そんな態度に、ジェシカは一層笑みを深めた。 「ええ、いい感じね。ありがとう」 デュークが少し拗ねた様な顔つきで差し出したバッドには、捏ねて成型したハンバーグが綺麗に並べられ、それを見てジェシカは満足げに頷いた。ハンバーグの形が少々いびつでもそれはご愛嬌というものだ。 そこへ丁度、トルタスの帰宅を告げる声が階下から聞こえてきた。 |