海の上の籠の中で 後編13 「ジャジャーン!」 ジェシカがそう言って、それを取り出したのはいつもより少し豪華だった夕飯の最後だった。 「うわぁ!!どうしたの??」 「空けて空けて」 ジェシカの声に、トルタスはテーブルの皿を簡単に寄せて真ん中を空ける。そこへジェシカが、丸い大きなケーキを置いた。 「すごーい」 生クリームたっぷりのケーキ。リンゴやみかん、洋ナシなどのシロップ漬けされた果物もたくさん乗せられていた随分豪勢なケーキだった。 「どうしたのこれ?」 アオイは久しぶりに見るケーキに目を丸くして、とっても嬉しそうな顔でトルタスとジェシカを見た。 「作ったんだ。僕が生地を作ったからケーキ屋さんみたいにふんわりじゃないかもしれないけどね」 トルタスが少し照れた様に言う。 「この子の誕生と、アオイちゃんの旅立ちを祝ってね」 「え・・・」 想像もしていなかった言葉に、一瞬アオイが言葉を無くした。 「・・・ジェシカさん、トルタスさん・・・」 「リンゴ、いっぱい使ったんだよ。アオイちゃんリンゴ好きみたいだったからね」 「リンゴ?」 いぶかしむデュークの声。けれど。 ―――――あ・・・・・・ 海に流れたリンゴ。 そして、リンゴの匂いに目を醒ました。 リンゴは――――――――――― 「アオイちゃんはリンゴだけ持って来たんだもんね。普通家出っていうと、お金とか着替えとか持ってくるものなのにね」 くすくすと笑うジェシカの顔を、デュークはじっと見つめた。その言葉の意味を、汲み取りたいと思って。そしてアオイに視線を向けて、情けない顔で笑みを浮かべた。 「そうか」 「・・・うん」 「そうか・・・」 「ん」 「ちょっとちょっと、そこ見つめ合ってないで!鬱陶しいわよ」 「ジェシカ!!」 「あは」 焦ったトルタスの声に重なるように照れて浮かべたアオイの笑み。その瞳が少し濡れていたのは、誰もが気づいてみんなが胸に収めた。 幸せにしてやってよ?ジェシカがしっかりそう瞳で語れば、デュークはわかっていると、強い視線を返した。言われるまでも無い、絶対に幸せにする。そうデュークは改めて誓っていた。 「ささ、ケーキ食べよう」 「うん!!」 「アオイちゃんには大きくカットしてあげるね」 「わぁーい」 「あなたは、・・・甘いもの食べそうな感じじゃないわね?」 「ああ。申し訳ないが、少なめで」 「じゃあ、こんなもんね」 「ジェシカ!?」 「うわぁ、薄っ!!」 「・・・・・・」 「何?文句ある?」 「・・・いや」 「デューク、僕のちょっとわけてあげようか?」 立つことも出来なくて、ペランと倒れたケーキを見てアオイが思わず言うと、デュークは苦笑を浮かべて首を緩く横に振った。 「いや、いいよ。俺にはこれで十分だから、アオイが食べろ。船に乗ったらケーキなんて当分食べれないぞ」 「うん!」 中にもたくさんフルーツを挟みこんだそれは、トルタスが謙遜していたがスポンジも十分美味しくて、アオイは満面の笑みでパクパク食べた。 「おいしぃ〜っ」 「そう?良かったわね」 「うん」 とっても大きくカットされたそれを、食べ切れるのか?とデュークは少し思っていたのだが、その思いは見事裏切られ、全てが綺麗にアオイの胃袋に収まった。 甘い甘いケーキは、まるでトルタスとジェシカの甘く温かい心を反映しているかのようで、優しくアオイの心を包んだのだった。 その夜中。 何故か唐突にアオイの意識が浮上してその瞼を開けた。当たり前の様に、横にはデュークが眠って抱きしめられている体勢。 間近に見た顔は、少し日に焼けた精悍で男らしい顔。アオイはしばらくその顔を見つめた後、僅かに首を巡らした。すると、その視界に天窓が入った。 瞳に映る、濃紺の空。そこに無数の星が散りばめられていた。 ―――――空は、繋がっている。 そう感じて無性に寂しくて悲しくて、訳も無く泣いた日々があった事を思い出す。海も繋がっているんだと、無意識に感じて身を進めたあの時。 なんだか随分前の事のように思えて、実はつい最近の事なのだとアオイは思った。 今、温もりが傍にいて、好きだと言ってもらえた奇跡がなんて凄いんだろうと改めて思って、アオイはそっとデュークの腕の中に潜り直した。 ずっとここにいれたらいいと、思いながら。それでも隠し切れない不安も胸に抱えているのも事実だった。 "もし" その言葉が頭の片隅から離れない。 もし、叔父に見つかってしまったら。 その時自分はどうしたらいいのだろう―――――――― アオイは無意識にぎゅっと強く瞼を閉じた。 捕まる位なら。 みんなに、 迷惑をかける位なら・・・・・・・・・ 僕は―――――――――――――― ・・・・・ 新たな旅立ちの朝は、冬の訪れを告げるかのように昨日よりも冷えた朝だった。冷たい空気の所為か、いつもより空が澄んで見えた。 アオイはここにいて毎日繰り返したのと同じように起きて、朝の挨拶をして用意をして階下のトルタスに朝ご飯を告げた。そこは既に、パンの焼ける良い匂いが漂っていた。アオイは、いつもより仕込が早いのに、どこかで予約注文でもあったのかなと考えて納得した。 朝の食卓はいつも通りでパンにハムエッグ、サラダに昨日のケーキが添えられていた。アオイはパンにハムエッグを乗せて塩を振ってかぶりついて、とろりと蕩ける黄身をペロリと舐めた。口の周りに付いたのもペロリと舐めて、手についたのも舐めようとしてジェシカに注意された。 トルタスはそんな様子をニコニコしながら眺めつつ、新聞にも目を通していく。それにも、ジェシカは消化に良くないのにとブツブツ言いながら、生まれたばかりの赤ちゃんを抱いて奥に消えていった。お乳をあげるのだろう。 「アオイ、生クリームついてるぞ」 「え?んー」 「そっちじゃない、こっち。ほら」 クスっと笑って口の端をデュークに拭われて、アオイはへへっと情けなく笑って最後の一口を口の中に納めた。 「朝からよくそんな甘いもんが食えるな」 「なんで?」 呆れ口調のデュークにアオイが小首を傾げると、トルタスはやっぱり笑っていた。3人が朝ごはんを食べ終えて、自分達の分を片づけをしているとジェシカが戻って来た。 「あら、ありがとう」 「いや・・・」 アオイとトルタスは、ジェシカに入れ替わるように階下に下りて、開店の準備を始めた。昨日綺麗に拭いた床はいいとしても、アオイは玄関を掃除して、入り口に飾られてある花に水をやる。それが終わる頃にはトルタスが焼き上げたパンをカウンタに置いて行くのでそれを中に並べていく。 本当に、いつもと変わらない朝で、もしかしたらこのまま店を開けて明日もそうして、明後日も明々後日もその先もまたその先のずっとずっと先も、そうしていくんじゃないだろうかという錯覚を覚える。 けれど、それは真実じゃない。 「あら、すっかり出来たわね。ありがとう、アオイちゃん」 「ううん」 声に弾かれたように振り返って、アオイは慌てて首を横に振った。すると、ジェシカの後ろからデュークが大きな籠を持って現れた。その籠にはふかふかの物が敷かれていて、布も被されていた。 「ああ、そこに置いてくれる?」 デュークは指差されたそのカウンタの隅の場所に籠を置いた。その中に、ジェシカは腕の中のケリーをそっと寝かせた。よく見れば、籠の中にはあやす為のものか玩具も入れてあった。 「――――」 それを目にした途端、アオイの心がキュっと鳴った。 デュークに会えた事が嬉しくて、好きだと行ってもらえた事が嬉しくて、またあの船に戻れるって事が嬉しくてそれだけで心がいっぱいだったけど。 「そんな顔しないの」 それはここを去っていくって事なのだ。 「だって・・・」 あの日海で、助けてくれたからデュークに会えた。 ここにいていいって言ってくれたから、生きてこられた。 「バカね」 あったかさと優しさを、たくさんくれたから頑張れた。それをどれだけ分かっていたんだろう。どれだけ、ありがとうが言えたんだろう。 ―――――僕はどれだけ、返す事が出来たんだろう・・・・・・? 自分の事だけで手一杯で、きっと何も見えてなかったんだ。そう、思えた。 「もう、会えない別れじゃないでょう?」 「そうだよ。いつでも帰っておいで」 それなのに二人はそう言って、トルタスは遠慮がちに腕を伸ばしてきた。アオイはそれを、逃げなかった。もう、大丈夫。 一番最初、恐くて逃げて怯えた瞳を向けてごめんなさい。 「いい子だ」 トルタスの大きな手のひらが、アオイの髪をくしゃりと撫でた。何度も何度も、いい子だねと撫でた。 「僕・・・」 きっと全然僕は、"いい子"なんかじゃなかったはずで、ごめんなさい。 「うん」 "ありがとうございました"泣き声で言ったその言葉は、小さかったけれどちゃんとジェシカの耳にもトルタスの耳にも届いていた。 "ごめんなさい"とは、言わなかった。その言葉は、飲み込んだ。何故かわからないけど、言っちゃいけない気がしたのだ。 でも。 このままここにいれなくて、ごめんなさい。 優しくしてくれたのに、それでも寂しいとずっと思っていてごめんなさい。 暖かく迎えてくれたのに、ずっとずっと心の底では違う人を待っていてごめんなさい。 何も言えなくて、ごめんなさい。 中途半端で、ごめんなさい。 いっぱいいっぱい、ごめんなさい。 「また、帰ってくるから」 ごめんなさいはいっぱいあるけれど、きっと言わないでも分かっているのだろうとアオイは思った。だから、今は言うべき言葉じゃないんだと、思ったのだ。 「うん」 「ああ」 アオイは両手で涙を無理矢理拭って、今出来る最高の笑みを浮かべて元気良く言った。 「いってきます!!」 |