海の上の籠の中で 後編14








 山道に馬の足音が高らかに響き渡った。デュークが滞在していた日々、十分休んでいた馬はかなり元気が有り余っているようで、元気よく駆けていく。その背で、アオイはぎゅーっと力いっぱいデュークにしがみついていた。
 なんと言っても、アオイは馬に乗ったのが初体験なのだ。それがこの山道でこのスピードでは生きた心地がしないという感じだろう。
「大丈夫かぁー!!」
 少し笑いを含んだ声で言うと、アオイは抗議するようにぎゅっとしがみついた腕に力を込めてデュークを締め付けようとした。本当はもっと抗議を表したかったのだが、残念ながらそんな余裕は無い。
 そんな反応にデュークはクスクス笑ってさらに馬に鞭を入れると、アオイの、声にならない悲鳴が上がった。
 その声の木霊が戻ってくる前に、馬は山道を疾走して過ぎ去っていった。


 その頃船では着々と出航の準備が進められていた。
 真新しい水が運び込まれ、食糧に保存食、嗜好品に酒類と旅慣れた男達の準備にはぬかりも余念も無い。
 一方で、ナナは天日に干された布団を甲板で叩いて、ケイトは操舵室の最後の点検をしていた。誰もがアオイの戻ってくる事に嬉しさを感じ、出航できることへの逸る気持ちをあらわしていた。
 一人を除いては。
「今日、帰ってくんだよね」
 食糧を貯蔵庫に詰めながら、ミヤがポツリと言葉を吐き出した。その声に、トウヤは思わず苦笑を漏らした。
 そして、ミヤには気づかれないようにそっとその背中に視線を向けた。その視線がおかしそうに笑っていたのをミヤは当然知らない。
「嫌か?」
「っ、別に・・・」
 不貞腐れた声が、貯蔵庫に響いた。
「ちゃんと笑顔で出迎えてやれよ」
「――――」
「ミヤ?」
「わかってるよっ」
 ボスっと荒い音を立てて手にした袋を置くと、"荷物取って来る"と小さい声で言い残しぷいっと顔を背けたまま貯蔵庫を出て行った。
 その荒々しい足音といったら。
「―――ぶっ、くくくっ」
 その態度に、トウヤは思わず笑い声を上げた。
 ミヤはまだ知らない。
 そう思うと、なんだかあの態度も妙に可愛くて楽しくて、ついついもうちょっと虐めてみようかなと思うのを止められないのだ。見当違いなヤキモチも、妬かれるのは後少しだけかと思うともう少し楽しみたいな、と。
 好きだよ、そう告げたらあの顔はどんな風に笑うのだろう。
 そう思うだけで、それを想像するだけで、胸がじんわりと暖かくなる。
「ばかだな」
 ―――――いや・・・・・・
 呟いた言葉は、返って来た。ばかなのは自分だ、と。




 その音が聞こえてきたのは、一行が出航の準備を終えて、遅めの昼食を取っている時だった。
「あ・・・」
 最初に気づいたのは、ヒデローだった。
「なに?」
「今」
 首を傾げたナナに、トウヤも気づいた。
「蹄の音だ」
 ケイトの言葉が終わるかどうかというところでナナが部屋を飛び出して、その後をケイトが後を追い、継いでヒデロー、そしてトウヤが続いた。
「ミヤ」
 扉に手を掛けて、トウヤが振り返った。
「――――」
「おいで、大丈夫だから」
 反射的にミヤの口が開いたが、言葉を吐き出す前に閉じられて少し俯いたまま、トウヤの後に従った。
"何が、大丈夫なんだよっ"
 我慢しきれなかった言葉が、小さく洩れた。
「ん?なんか言ったか?」
「なんでもない!!」
 ミヤは怒鳴り声を上げると、トウヤを追い抜いて甲板へと荒々しい足取りで向かった。
 ミヤだって、アオイが戻って来るのは嫌なわけじゃないんだ。
 ただ、好きなだけ――――――――
「―――アオイ!!」
 勢いよくミヤが飛び出した甲板では、3人が身を乗り出して手を振りながら声を上げていた。
「おぉ〜〜い」
 ―――――やっぱ、帰って来たんだ・・・
 ちぇっとミヤは小さく呟いて、3人の方へと足を向けた。
 別にさ、嫌いってわけじゃないさ、と心の中で呟いてみる。嫌いじゃないけど、アオイがいるだけでトウヤと一緒にいる時間が減る気がして、なんか邪魔されてる気がして、トウヤはアオイのことが好きなんじゃないかって気がして面白くないんだ。
 好きだから、取られたくない。
「ミヤ、帰って来たぜ!!」
 振り返って言うヒデローにミヤは曖昧に笑った。
 別に、嫌いなんじゃない――――と、誰も聞いてないのにまた言い訳を反芻してみる。
 でも、面白くないとも思っていた。こっちは報われない恋をずっとしてるのに、アオイはぽっとやって来てちゃんと想いが叶った。しかもみんなにこんなに心配されてる。それが、面白くなくて腹が立つから、嫌いなんだ。
 そんな風にしか思えない自分が嫌だと思うから、余計に嫌になるんだ。
 自分が、惨めに思えて。
「アオイ!!」
 ナナの声に反応したように、馬の蹄の音が止まった。そっとミヤが下を見ると、デュークは腕を上げて手を振って、その腰にアオイの腕がしっかり回っていた。
「アオイ?大丈夫か?」
 さすがにちょっと心配になったデュークが視線を向けると、ゆっくり上げられた視線にじとっと見つめられた。
「ん?」
「・・・恐かった・・・」
 少し青い顔色に多少恨みがましく聞こえる声がして、デュークはくすっと笑ってアオイの髪をくしゃっと撫でた。
「降りられるか?」
 デュークがそう声を掛けてアオイが文句を言ってやろうと口を開きかけたとき、ちょうどケイトが降り立って来た。
「お帰り」
「よう」
「た、ただいま・・・」
 途端に緊張した面持ちになって、こそっとデュークの背中に隠れるような仕草でアオイは言葉を返した。
 さっきの威勢はどこへやら。
「ん?」
「・・・ごめんなさい・・・」
 消える様な声に、アオイが何を心配しているのかケイトにも分かった。迷惑をかけたと思って、面倒を掛けて申し訳ないと思って、どんな顔をしていいのかわからないのだ。
 まるで、叱られる子供の様に。
「帰って来てくれて、ありがとう」
「ケイト」
 驚きに声を発せ無かったアオイに変わって、デュークが声を上げた。デュークも、ケイトの言葉には驚いていた。ケイトがそんな風に思っているとは思っていなかったのだ。
 もちろんケイトもアオイに戻って来て欲しいと思っていたとはわかっていたが。
 けれど、アオイには。
 ケイトのあの時の言葉を聞いたアオイにはその気持ちがわかった。わかって、嬉しかった。
「うんっ」
 気持ちが、あったかかった。改めて、戻って来て良かったんだと思った。
「さ、降りて」
「うん」
 アオイはこわばった身体をゆっくり動かして、デュークの身体から自分の身体を離してそっと降りた。その身体をデュークが支えて手伝ってやる。
「ありがとう」
「いや。―――馬はどうする?」
「ああ、ひとっ走り行って返してくるさ。礼はもうしてあるのか?」
「ああ」
「わかった」
 デュークはそういうと、素早く再び馬を走らせて行った。
「さぁ、行こう」
「うん」
 アオイは改めて見上げると、甲板にはナナの顔とデュークの顔とトウヤの顔とミヤの顔があって、嬉しくて顔をくしゃりと歪めた。
 ―――――ああ、帰って来た。
 これで良かったのかどうなのか、まだ分からない。これから先どうなってしまうのか、それもまったく見えない。
 けれど。
 行けるところまで、行って見よう。
 生きれるところまで、生きてみよう。
 この場所で。
 みんなと一緒に。
 デュークの傍で。
「アオイ!!」
 甲板に立った瞬間、ナナに抱きつかれた。その力は強すぎてちょっと痛かったけど、それは嬉しい痛みだった。
「ごめんね?」
「ばか!!」
「アオイ」
「ヒデロー・・・」
 ヒデローは、相変わらずにやけた顔を浮かべていたけれど、その顔が、今はほっとしているんだとどうして思うんだろう。
「お帰り」
「・・・ただいま」
「おかえり、アオイ」
 右手から腕が伸びてきて、くしゃっと頭を撫でられたそちらを見ると、トウヤが笑っていた。
 ―――――ああ、良かった・・・・・・
「うん、ただいま――――ただいま、ミヤ」
 その後方にいたミヤにも、アオイは笑いかけた。








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