海の上の籠の中で 後編16








「ふぅー、終わった」
 トウヤは思わず額の汗を拭って、ベッドに寝ているその姿を見下ろした。完全に脱力しきっている身体から衣服を脱がせて、さらに構造のよくわからないドレスを着せるというのは中々の重労働である。途中何度か、"うーん"とか"んん・・・"とか声を発して、起きたのか!?とヒヤヒヤしたが、流石に昨夜の深酒はそう簡単には冷めないらしい。
 それにしても。
「襲っちまいそうだな・・・」
 純白ドレスで、こうすやすやと眠られると――――そう思って、トウヤは思わず苦笑を漏らした。決心したらなんて事はなかったなと、思ってしまっている自分がいたのだ。
 しかし今襲うのはまずい。とりあえず手順を踏まなければならないし、なんと言ってもそろそろ集合時間なのだ。
「ミヤ」
 もう少し眺めていたいと思ったがしょうがない。トウヤはミヤに声を掛けて肩をそっと揺らした。しかし、そんな事で起きるはずが無い。
「ミヤ!」
「―――っ、・・・」
「ミーヤ!起きろっ」
 トウヤはそう言うと、ミヤのほっぺをふにーっと引っ張った。
「ふがっ!?」
 これには流石のミヤも反応を返し思わず声を上げ、やっと薄目が開きトウヤを見上げた。
「起きたか?」
「ふーひゃっ」
「ははは」
 ふがふがとした口調が面白くて笑ってしまうと、完全に覚醒したのかミヤの両手に手が払われてしまった。
「トウヤ!!痛っ」
「んー?」
 勢い良く状態を起こしたミヤを、トウヤはやっぱり笑顔を浮かべたまま見下ろしていた。ちょっと牙を剥いた、そうポメラニアンがきゃんきゃん言っているようなその愛くるしい様を見つめていたのだ。
「二日酔いかぁ。だいぶ飲んでたからなぁ、大丈夫か?」
 トウヤはそう言うと、グラスに水を入れてミヤに差し出した。
「ありがと・・・、―――――なんだこれ!?」
 グラスを受け取ろうと差し出した腕が何故か何も身に着けてなくて、あれ?と視線を下ろしたらその先の様子を見つめて、ミヤは思わず声が跳ね上がった。
「な、な、な・・・なー!!!」
「はははは!!」
「ト、トウヤ!!!」
 驚きにベッドの上に仁王立ちになったミヤは、自分の姿を見て顔を真っ赤にしてトウヤを見た。けれどどうも、まだ状況がわかっていないらしい。
「なんだ?」
「なんだじゃねーよ!!なんだよこの格好っ」
「なんだよって、ドレスじゃねーか」
「ド、ド、ド、ドレスじゃねーよ。こ、これ」
「ああ」
「ウエディングドレスじゃねーか!?」
「ああ、そうだな」
 トウヤは仁王立ちの花嫁を、フッと目を細めて見つめた。その顔が、さっきとは違う意味で朱に染まっていった。
「そ、そうだなって・・・なんでこんなのっ」
「ん?」
「―――――っ」
 どうしていいのかわからず見つめたトウヤの顔が、穏やか過ぎてミヤは思わず言葉を飲み込んだ。
 からかわれてるんだ、なんという悪ふざけになんだろうと思っているのに、思わず瞳が泳いでしまうのはもっと違うものを期待しているからだろうか。
 もしかしたら?そんな想いが隠し切れない。
「・・・トウヤ・・・?」
 逡巡の果てにミヤは頼りない声を発した。
「ん?」
「なんで、俺は、――――こんな格好をしてるんだ?」
 緊張の面持ちと共に、ミヤの喉がゴクっと鳴った。
「今から結婚式なんだ」
「結婚式?」
「ああ、3組合同のな」
「それ――――・・・・・・」
「ミヤは俺の花嫁になるんだ。嫌か?」
 ハッとミヤの顔が変わった。けれど、まだ趣旨がよくわからないのだろう口ごもった。
「よ、嫁って俺、男だし」
「ああ、知ってる。お前がまだちーさい時一緒に風呂も入ったしな」
「なっ、ばっ!!」
「おいで」
 まだまだこの百面相を眺めていたい気もしたけれど、そろそろ時間だ。
 トウヤは腕を伸ばして、そっとミヤを抱き上げるとベッドから下ろした。
「トー、ヤ?」
 緊張と期待と、不安に揺れる瞳をトウヤは笑みを浮かべて見つめた。
 決心はもう迷う事無く固まっているけれど、その顔を見て改めて気持ちが強くなった。
「ミヤ」
「――――ん、だよ」
 ―――――照れると口調が乱暴になるクセは誰に似たのか。
 その何もかもが愛おしい。
 待たせて、悪かったな。
「好きだ」
 その分、――――――――――――
「――――!!!」
「変な顔だな」
「!!!トウヤ!!!」
 ミヤの、思わず振り上げた拳をトウヤは軽く受け止めて、今まで浮かべていた笑みを引っ込めた。これだけは、きちんと伝えておきたかったから。
「兄弟だとか、男同士だとか、色々拘ってお前を待たせてごめんな」
 浮かべたのは、真摯な瞳と真剣な顔だった。
「この気持ちは、恋じゃない、兄弟愛なんだと俺はずっと自分に言い聞かせてきた。そんなんじゃないと、随分前からわかっていたのに認めるのが恐かった」
「・・・トウヤ」
「俺がこんなで家を出ちまったから、お前だけはいつか帰さなきゃいけないんだって思ってた。じゃなきゃあ申し訳無くて。でも――――――それもこれも全部、言い訳だよな」
 少し自嘲気味にトウヤが笑うと、ミヤはそんな事は無いと精一杯首を横に振った。
「違うっ、俺が―――俺が、好きになったから・・・っ」
「うん」
「だからっ」
「俺も、お前が好きだ。この関係が禁忌な物でもかまわない。世間に認められなくても、後ろ指を指されても。――――ずっと、傍にいてくれ」
「あ、当たり前だろ!!」
 ミヤはそう叫ぶと、まるで体当たりするかのような勢いでトウヤの身体にしがみついた。そして、ぎゅうぎゅうとありったけの想いを表すようにしがみついた。
「こら、せっかくのドレスが皺になるだろ?」
 笑いを含んだ声でそういいながらも、トウヤはミヤの身体を離そうとはしなかった。
「トウヤが、好きなのは」
「ん?」
 肩口に顔を埋めたミヤの、くぐもった声に耳を寄せた。
「―――アオイ、なのかもって本気で、思ってた・・・」
「―――――ばかだな。本当に思ってたのか?」
 トウヤがミヤの背中に腕を回すと、ミヤがコクンと小さく頷いた。
「俺が好きなのは、ミヤだけだぜ」
「ん」
「どうしてそう思うかな」
「だって、・・・優しかったし」
「そりゃあ仲間だからだろう。それになんとなく、何かあるなぁとは思ってたからな。でも、それと恋愛感情は別だろうに。バカだな」
 トウヤはそう言って笑ったけれど、トウヤがミヤから逃げる口実にアオイを使っていたのもまた事実だった。けれど、少し卑怯だけれどそれは口にはしなかった。
「さぁ、顔を上げて。行くぞ」
「行く、って?」
 涙に濡れた瞳と、赤くなった鼻で顔を上げる。その目尻にトウヤは、ちゅっと軽くキスをした。唇は、まだだめだ。
「結婚式さ」
 神聖なキスが、もうすぐなのだから。





 少し時間は遡った、ケイトの部屋ではナナがウエディングドレスを抱きしめて泣いていた。
「ナナ」
 しゃがみこんだナナの前に、ケイトも同じように腰を下ろしてナナの髪をゆっくり撫でていた。その顔が、嬉しそうな笑みを浮かべている。
「そんなにしたら、着る前にしわくちゃだぞ」
「っ、・・・ふぇ・・・って」
「ん?」
「こんなの、・・・っ思ってなかった」
 純白の、ナナに似合いそうなふわふわと何十にも薄い生地が重なり合ったドレス。胸元にあしらった大きな華がなんとも可愛らしいデザインのそれ。
「ドレス、気に入らないか?」
「まさかっ」
 ハッと上げた顔は、式の前から既に涙に濡れていた。その顔に、ケイトはそっと手を伸ばして親指でそっと涙を拭った。
「時間があまり無かったんだけど、ナナに似合うのを探したんだ。こっそり馬を飛ばして、二つ向こうの街でやっと見つけたのがそれ」
 見つけたとき、これだ!!と思って迷わず買った。これを着たナナだどれほど可愛いだろうかと想像しながら。
「全然、気づかなかった」
 グズっとナナが鼻を鳴らす。
「それは良かった。サプライズ、大成功だ」
 フッと笑みを漏らしたケイトの顔を、ナナはまじまじと見つめて、恐る恐るといった感じで口を開いた。
「ねぇ・・・・・・本当に私でいいの?」
「ナナ?」
 それはケイトには意外すぎる言葉だったけれど、ナナは、ずっと気がかりだったのだ。
「後悔、しない?」
 押しかけて、船に乗った事。もしかしてケイトは、本当は迷惑に思っていたんじゃないか、と。
 ナナは、心の奥底でずっとその不安を消せないでいたのだ。
「後悔なんかするわけないだろう?」
 けれどケイトは何の迷いも無く、あっさりと言い切った。
「・・・・・・」
「ナナのいない船になんか、もう俺は乗れない」
「ケイト」
「船に一緒に乗ってくれて、ありがとう」
 パサパサと音を立ててナナが首を横に振った。その身体をドレスごと、腕の中にぎゅっと抱きかかえた。
 本当はもっと言わなきゃいけない、伝えなきゃいけない言葉もあると分かっていても口下手なケイトは中々上手く伝えられなかった。それが少し、申し訳なく思えた。
 だからこれは意を決した言葉。きっと、生涯最初で最後だろう。
「これから先、良い時ばかりじゃないかもしれない。辛い思いをさす時も、喧嘩をする時もあるかもしれない。けれど、俺がナナを愛してる事だけは変わらないから。どんな時だってそれだけは変わらないから、信じてついて来てくれ」
 それは、ケイトが初めて口にした、プロポーズの言葉だった。
 デュークに遠慮して言えなくて、その後はきっかけがなくて照れくさくて、ちゃんとは言ってやっていなかった言葉。その、想い。
 アオイがいなくなってからは、それどころじゃなくて。
 でも、絶対に言わなきゃいけない言葉だった。ずっと待って、傍にいてくれたナナを愛しているからこそ。
「一生、傍に」
 抱きしめたナナが僅かに身じろいで、顔を上げた。その顔は涙に濡れていても、なんと晴れ晴れしい笑顔を浮かべている事か。
 ケイトは緊張していた顔を、ほころばせた。
 ナナはその頬を赤く染めて、小さくけれどはっきりと言った。
 "はい"―――――と。











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