海の上の籠の中で 後編17








 大海原に浮かぶ一艘の船。その甲板に、ヒデローは神父らしく黒い服を着て立っていた。外は、この日を意識しているのか張り切りすぎた太陽の所為で、快晴中の快晴。
「あぢぃー」
 予定の時間より少し前にスタンバイしたヒデローは、その衣装の所為もあって太陽の光を一身に浴びているようだ。すでに袖は、神父らしからず捲り上げている。
 そこへ、トウヤがミヤを伴って顔を出した。
「来たな」
 ヒデローがにやりと笑った。けれどその声は、安堵が滲んでいた。
 ヒデローも二人のことでは随分気を揉んだのだ。
「ああ」
「お〜ミヤ、似合うじゃねーか」
「るさいっすよっ」
 ミヤの照れているのかなんなのか、乱暴な声がトウヤの背中越しに聞こえる。ミヤはトウヤの背中に半身を隠しているのだ。
 ミヤとしては、トウヤと相思相愛に慣れた事は嬉しかったのだが、やはりドレスを着て式をするというのに、非常に照れくささと抵抗を感じているらしい。第一、日に焼けた身体は細身とはいえ鍛えられているのだ。
「大体なんでこっちがドレスでそっちがそんな普段着なんだよっ」
「だってなぁ〜トウヤのめかし込んだのなんか見たって面白くもなんともねーだろ〜」
 ヒデローの言葉に、ミヤの額がピクっと動いた。俺はアンタの面白さを満たすためにドレスを着たんじゃねーという心の叫びと共に思わず、ふるふると拳を握り締めるたのだが、その拳を飛ばす前に、アオイとデュークが現れた。
「よう」
 こちらは余裕綽々な様子のデューク。
「へへ・・・」
「アオイ・・・、似合うなぁ」
 思わず呟いたトウヤにミヤが睨むが、確かにアオイは似合っていた。
 白のドレスは、お姫様の様な膨らんだスカートにちょうちん袖。肩を大きく露にしている代わりに露出しすぎないように7分袖なのがなんとも丁度良かった。所々にあしらったスパンコールは、太陽に光に反射してピカピカと光って綺麗だ。
 髪を束ねた髪飾りがピンクのお花も、アオイのふんわりした雰囲気をよく引き立てていた。
「かわいいだろう?」
 満足気なデュークが嬉しそうにのろけた言葉を吐く。
「ああ、男にしとくのは恐ろしいくらい似合ってるな・・・」
 そのあまりのハマリっぷりにヒデローがポツリと呟くと、今度はケイトが現れた。
「遅いぞ〜」
 少々ふてくされ気味のミヤの声に、ケイトが幸せを隠し切れない笑みを浮かべた。
「悪い」
「ナナは?」
 ヒデローの言葉にケイトは深い笑みを浮かべると、スっと道を開けた。その後ろから、ナナが姿を現した。
「―――――」
「!!」
「・・・・・・っ」
 一瞬、全員が絶句した。言葉にならない、それほどの美しさだった。
 髪をアップに結い上げ薔薇を挿し、ドレスについている華と一体感を持たせ、ホルターネック風になったドレスは肩のラインを大胆に見せてはいるが、大きな華とのバランスでナナのかわいらしさと華奢な感じを上手く演出している。それに、普段あんまり見る事の無い、綺麗にメイクされた顔。それはまるで、お人形の様な可愛らしさだった。
「綺麗だろう」
 全員の反応に満足そうにケイトが笑うと、1番最初に我に返ったアオイが両手を上げて声を弾ませた。
「ナナ、綺麗〜〜〜!!!」
「そんなっ、アオイだってかわいいわよ」
 頬紅でピンクにした頬をさらに赤らめてナナが言うと、アオイはううんと首を横に降る。
「ナナのほうが全然綺麗だよ〜。すっごく素敵!!!」
「そんな」
「いやいや、ほんと綺麗だよ。びっくりした」
「トウヤ!?」
「ナナ、おめでとう」
 デュークがアオイの肩に手を回しながら言うと、ナナはパァっと華が咲き誇るように笑みを浮かべた。
「ありがとう。アオイも、おめでとう」
「うん」
「ミヤも。想いが通じたのね?」
「うんっ」
「トウヤ、ミヤを幸せにしろよ?」
「ああ」
「・・・さっきから他の人ばっか見てるくせに」
「ミヤ!?」
「ナナ、おめでとう」
「おいおいトウヤ、大丈夫か?」
「大丈夫ですっ。〜〜ケイトもナナを幸せにしてくださいよ!」
「俺は大丈夫だ。なぁ?」
「ええ」
「うわぁ〜ラブラブ!!」
「あら、アオイは違うの?」
「え!?あ・・・」
 こちらは、ボンっと火を噴いたように赤くなって困ったようにデュークを見上げた。そのデュークは、静かに頷いた。
「さて、じゃあ皆様、そろそろお式を始めましょうか?」
 どうにもつきそうにない目の前の会話に、笑いを含んだヒデローの声が割って入るように響いた。
 こっちはこのクソ暑い神父服を早く脱ぎたいのだ。
 空は快晴、波は穏やか。
 全てが彼らを祝福しているような、穏やかな日だった。




・・・・・




 昨日に引き続いて、海賊船の甲板が呑めや歌えやの大騒ぎが繰り広げられた。もし今襲われたらどうするんだという危機感もまったく見られないほどの大騒ぎは、深夜まで繰り広げられた。
 幸せすぎて嬉しすぎて、なんだかみんながみんなこの場をお開きにするのが寂しい気になっていたのだろう。けれど、そろそろ誰かが見張りに立たないとなと言い出して、その役は今日は当然独り身のヒデローになって、その場はお開きになった。
 その時刻は、魚も鳥もぐっすり熟睡中の時間になった頃だった。きっと海上のどんちゃん騒ぎを近所迷惑に思っていた事だろう。
 部屋に戻ったアオイは、とってもご機嫌な気分のままベッドにドスンとダイブした。ぶわぁっと埃が舞う。
「へへへ〜」
 しかし、アオイの頬は緩みっぱなしなのだ。
「ん?」
 デュークはベッドに腰掛けて、アオイの頭を撫でた。赤い顔なのは、お酒が少し回ってるらしい。
「デューク、だ」
「ああ」
「デュークだぁーっ」
 アオイはそう言うと、身体を動かしてデュークの腰にぎゅっとしがみついた。酒の所為か嬉しさの所為か、少し態度が子供っぽくなっていた。けれどそんな仕草さえも愛おしそうにデュークはアオイを見つめた。
 アオイはくすくす笑うデュークの声を聞きながら、もぞもぞ身体を動かしてデュークの腿に頭を乗せて見上げた。
 見つめた視線と見下ろさせる視線が甘く絡み合って、デュークがどうした?と笑いかけた。
「ううん」
「そうか?」
「うん」
 デュークの手のひらが、優しく頬を撫でた。
「なぁ」
「なに?」
 甘えるような声が、幼さを感じさせた。それでも、デュークは言葉を止めなかった。
「キスしていいか?」
「え?」
 もう、不安なんかにさせない為に。
 そして、新しい一歩をちゃんと今日、踏み出すためにも。
「キス」
 身体が全てだなんて言うつもりは無いし、無理強いするつもりも無かった。ただ、何も求めない事で、不安にさせたくなかったのだ。
 誓いのキスはした。
 けれど、ベッドの上で今交わそうとしているキスのほうがデュークにはずっと、神聖な気がしていた。アオイにとっても。
「うん」
「いいか?」
 もう1度優しく囁いたら。
「うん」
 込み上げてきた涙をアオイは必死で止めて、笑った。笑ったら、うれし涙が目尻から零れ落ちた。
 デュークはゆっくりと顔をアオイに近づけて、そしてそっと、アオイの唇にキスをした。僅かに震えていたのは、緊張からというよりも、喜びに心が震えていたから。
「アオイ」
 僅か3センチ唇を離して名前を呼んで、再びキスを落とした。
 チュッと音がして、離れようとすると腕にアオイの指の感触があるのに気づいた。アオイが、デュークの腕をぎゅっと握り締めていた。
「大丈夫」
 安心させようとデュークが言うと、小さな声がアオイの口から洩れた。
「ん?」
「・・・ちが、う・・・」
 思わずデュークがアオイを見ると、アオイはきゅっと唇を噛み締めた。切なげに寄せた眉に、瞳が潤んでいたけれど、目を逸らす事はしなかった。
「アオイ?」
 デュークがそっと頬を撫でて、髪を優しくすくい上げた。身体の下に感じる、アオイの温もりを愛しいと思っていた。
「無理するな」
 だから何も、今無理強いする気はなかったし、アオイに無理もして欲しくなかった。
 一緒に寝る事にビクついていて、先に眠る事も出来なかったアオイが、いつしか一緒に眠ることに抵抗を無くして、抱き合って眠れるようになって。
 好きだという気持ちを、ちゃんと知った。
 そして今、ここでキスも出来た。
 それがアオイにとって、どれほど階段を登る必要があったのか、どれほど心を強くしなければならない事なのかデュークには分かっていたから。
「無理って、なに?」
「え?だから・・・」
 ベッドの上でのキスも、階段を一つ登ったのだ。今はそれでいいと、思っていたのに。
「僕、言ったよ?」
 泣き顔は、なんとも言えず。このまま抱きしめて、閉じ込めたくなる。
「抱いてください、って」
「アオイ」
 頬がピンクに染まったアオイよりも、言われたデュークの方が慌ててうろたえた声を出してしまった。その声に、アオイの瞳にみるみる涙が溜まった。
「やっぱり、・・・いや?」
「アオイ」
 アオイの言葉に、吐息のようなデュークの声。それは、そんなはずないだろうという響きで。
「だって」
「そんなわけないだろう?」
「ならっ」
 デュークは自分の身体が熱くなっていくのを感じた。それをもう、止められそうにない事も。愛している相手が目の前にいて、誘われてその気にならない男なんていない。それでなくても、その姿だけでその気になってしまうほどなのに。
「本当にいいのか?」
 それでも最大限の理性を掻き集めて、デュークは聞いた。
 アオイを、傷つけるような事だけはしたくなかったら。
「途中で止められないぞ」
 そんなデュークに、アオイの瞳からはとうとう涙が零れ落ちた。
「シテ・・・」
 小さな声は、すぐに荒々しくなったデュークのキスに飲み込まれた。








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