海の上の籠の中で 後編19








「アオイ、身体平気か?」
「平気っ。もう、何回聞くの!?」
 アオイは顔を赤らめて、デュークに小声で怒鳴った。
 朝、というか昼に目覚めて、みんな昨夜は――――とデュークに言われて思わずいたたまれなくなったアオイは、デュークが引き止めるのも聞かずに起きだしたのだ。
 その後を、心配顔でデュークがくっついてくる。
「だって心配なんだからしょうがないだろう?」
「〜〜〜〜っ」
 臆面も無いデュークに、アオイは言う言葉を無くして唇をきゅっと結んだ。
 アオイは、キッチンには誰の姿も無くて甲板に出ようとすると当然デュークも後から付いて来た。そんなデュークに、アオイは嬉しさよりも気恥ずかしさと戸惑いを感じていた。
 チクンと、心が痛んだ。
「あ・・・?」
 甲板には、ヒデローの姿があった。それも―――――
「釣り・・・?」
 一人竿を垂らし、だらしない姿勢で縁に寄りかかっている。全身から、その退屈加減が窺えるというものだ。ヒデローは二人の姿を見て、あからさまに嬉しそうに笑った。
「よう!なんだ、起きたか?」
「うん。ヒデロー、何してんの?」
「釣りだぜ。だ〜れも起きて来ねーしさぁ、腹減ったしつまんねーし。魚でも釣って喰うか思ってな」
「なるほど」
 デュークが納得した様に頷いて、傍らのバケツを見るが特に何も入っていない。ということは。
「釣れてないんだな」
「まぁー、な」
 まぁ本気で釣る気があるのかどうかも微妙だが。
「しょうがない、トウヤを起こすか?」
 船の台所を握るのはトウヤだ。そのトウヤがいないとなると、腹を空かせたまま食いっぱぐれてしまうか勝手にキッチンを使うかだが、トウヤはたぶん食材を計算して使っているだろうから、出来れば勝手に使うのは避けたいところだった。
 使うにしても一言断ってからにしたいのだが、しかし。
「なんかなぁー」
「そうだよなぁ」
 起こすのも忍びないか、と二人は同時にため息をついた。トウヤに、というよりはこの日を随分長い間待ったであろうミヤに申し訳なく思うのだ。
 さてどうしたものか、と二人が考えあぐねていると。
「ぁ、トウヤ・・・」
 アオイがなんとなく人の気配を感じて後ろを振り返ると、ちょうどトウヤが廊下をこっちに歩いてきたのだ。
 悩み損?
「トウヤ」
「お、まじ?」
 ヒデローは釣竿を放り出して、船の中へ視線を向けた。
「おはようございます。・・・あの、どうかしました?」
「いや」
「あ・・・」
「あのね、お腹減ったんだって」
「アオイ」
 そう言っちゃあ元も子もないだろうと、ヒデローが少々慌てた声を上げた。腹をすかせて困って待っているのが、自分でも子供じみて思えたのだろう。
「ああ、すいません。すぐに」
 しかしトウヤはハッとした様にそう言うと、慌ててくるりと身体を反転させた。その背中を、思わずデュークが呼び止めた。
「トウヤ」
「はい?」
「あ、いや・・・その」
 呼び止めたはいいが、なんと言っていいのかわからず言葉を見失う。いいんだ、というのもちょっと苦しい。出来ればなにか作って欲しいからだ。しかし、そう逡巡したが結局は頭に浮かんだ事をそのまま口にするしか出来なかった。
「ミヤは・・・いいのか?」
「ああ、いえ、そのために出て来たんです。喉渇いたっていうから」
 そう言ったトウヤの顔は、満面の笑みが浮かんでいた。
 どうやら随分と、幸せな夜を送ったらしい。これにはヒデローも呆れたような顔をした。
「なるほど」
「起きてこないのか?」
「ええ、起きれないみたいで―――――アオイ・・・」
 そこで、ふと気が付いたのかアオイに視線を向けた。その顔には、言葉にしないでもわかる、"平気なのか?"と少しの驚きが浮かんでいた。
 ミヤは今もその身体が痛くて、ベッドに沈んでいるというのに。
「なんだ?」
 しかしアオイは返事をしないで代わりにデュークが聞き返すと、トウヤはいえ、と首を横に振った。
「すぐ、何か用意します」
 そういうとトウヤはキッチンへと急いで行った。
 その後を、待ちきれないとヒデローが追いかけるとデュークも続いた。
 けれど。
「アオイ?」
 付いてこないアオイに、デュークが振り返るとアオイは慌てて笑みを浮かべた。
そしてゆっくりなんでもないと首を横に振って、デュークの後に従った。
 やっぱりアオイの心が、チクンと痛んだ。
 平気な、自分が――――――――――――
 昼は、トウヤの手によって簡単なサンドイッチが用意されたが、トウヤはそれを片手にいそいそと再び部屋へと戻って行った。サンドイッチを作っている間も落ち着かなかったから、部屋のミヤが気になって仕方が無いのだろう。
 そのトウヤと入れ違いにして、ナナとケイトが姿を現した。 
「おはよう」
 キッチンで3人の姿を見て、ナナは少し頬を赤らめた。
「おはよう」
 その肩にはそっとケイトの手が回っていた。
「はよ。いまさっきトウヤがこれ作ってくれたけど、食う?」
「ああ、いいな。食べようか、ナナ」
「うん」
 まだ少し照れていた様だけれど、それでもにっこり笑ったナナの顔は、昨日と同じはずなのに昨日よりも1段と綺麗に輝いて見えた。
 それが、愛のちからというものだろうか。
 アオイはフッと瞳を細めてそんなナナを見つめた。
「で、トウヤは?」
「部屋」
「?」
「なんかミヤが起きれないってさ」
 にやっと笑ったヒデローに対して、ナナは思わず顔を赤らめた。ケイトは苦笑を浮かべている。
「トウヤのやつ、えらくまた」
「ケイトっ」
 強く見えてもそこは女の子。ナナは思わずケイトを諌める。すると、ヒデローがクスクス笑って、デュークもフッと笑みを漏らした。
「・・・アオイ?」
 その中で、浮かない顔のアオイにナナの視線が止まった。
「なに?」
「大丈夫?」
「え?大丈夫だよ」
 アオイは普通に笑った顔をナナに向けて、ナナも笑い返したけれどナナは密かに気になって内心眉を寄せた。
 その顔に、少し陰がさしていたから。
 本当なら、満面の幸せを浮かべていると思ったのに。



・・・・・



 それから、2・3日が過ぎただろうか。
 船の中のなんともいえない浮き足立った空気もなんとか収まって、また前の様に穏やかでいて活気のある空気が船の中に満ちていた。
「なんて言うか」
 フッとヒデローが笑みを浮かべて傍らに立つケイトを見上げた。風はやはり穏やかに吹いていた。
「ん?」
 甲板には、海賊船に似つかわしくない様な、白いシーツが干されて風になびいていた。
「日常だなぁと思ってな」
「?」
 よくわからないとケイトが僅かに眉を寄せる。
「朝、誰かの声がして目を醒せばメシの匂いも漂って、元気の良い声が聞こえてくる。前まではさ、もっと静かだったなって思って」
「――――」
「アオイが来て空気が変わって、ナナが来て船の中が華やいで、アオイがいなくなってえらく沈んで、そしてまた空気が変わった」
「・・・ああ」
 そうだな、とケイトが頷くと、どこからともなく駆けて来る足音が聞こえてきた。
「今度はもっと、明るくなったよな」
「そうだな」
「これが、俺達の日常になるんだよな」
 ヒデローの声はそれを喜んでいる様でもあり、またそれを望んでいるようでもあった。そのヒデローの言葉にケイトは静かに頷いた。
 ケイトもまた、それを願ってやまない一人なのだ。
 そこへ、足音の主――――アオイが甲板に姿を現した。
「お?」
「あ、ケイト、ヒデロー」
「どうした?」
「ナナがシーツ取り入れて来てって。それで」
 アオイはそう言って笑うと、少し背伸びして手を伸ばし、甲板に張られたロープに干されたシーツを下ろしていく。
「手伝おう」
 ケイトは、そう言うと縁に凭れさせていた背を起こしてアオイに近寄っていく。そしてアオイよりも高い身長で楽々とシーツを外してはアオイに渡してやった。
「ありがと」
「いや。―――――そうだ、アオイ」
 最後の1枚をアオイに渡した時だった。ケイトがフッと思い出して。
「何?」
「いや、・・・・・・教えてほしいんだ」
 何を?とアオイは小さく首を傾げた。その顔を、ケイトは一瞬迷うように間を開けたが、それでもそれを聞かなければと、思い切って口を開いた。

「アオイ、本当の名前はなんて言うんだ?」













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