海の上の籠の中で 後編23
"―――とうとう、外海だな" ガタっと音がして、扉を背にぶつけるように閉めてしゃがみ込んだ。 "しかし、きっとこの海図にはない場所まで行ってみせるさ" 「ガイ、カ、・・・イ」 そういえば船を降りる前、そんな話をしていたのをアオイは思い出した。デュークが、船のみんなが行きたいと望んだその場所。 ―――――そういえば、誰かから手紙を貰って・・・・・・ すっかり忘れていたけれど、アオイはその内容を聞かされていなかった。けれど、どこか遠いらしいのはなんとなくわかる。 「じゃぁ・・・」 もしかしてこのまま、逃げ切れる? あの人の手の届かない遥か遠い場所に行って、そのまま逃げ切ることが出来るんだろうか。 それはあまりにも希望的観測かもしれなくても、アオイには何よりの嬉しく甘い響きだった。いつか来る恐怖に怯えなくてもいいのだ。 ―――――でも・・・ もしそこまで追いかけてきたら? もしそれまでに、見つかったら? ―――――恐い―――――!! アオイは思わず自分の身体をぎゅっと抱きしめた。目を見開かれて、僅かに開いた口からは吐息が漏れる。 その脳裏には、いろんな可能性がぐちゃぐちゃに混ざって渦巻いていた。考えなんて、中々まとまらない。 デュークの行きたい外海。 どこまでも逃げたい自分。 デュークの夢。 自分の望み。 それは綺麗に一致して、符合する? でも もし、たどり着く前に見つかったら? デュークの行きたい外海には行けない? 望みは叶わない。 もし、外まで追いかけてきたら? デュークの夢の、邪魔になる? 「―――――」 はぁ・・・っと震える吐息を吐き出した。身体の中に渦巻いた不安と恐怖の思いを吐き出そうとするかの様に。 けれど、そうは上手くいかなくて。 今まではただ恐かった。 でも、ここまでリアルに感じていなかった。 デュークを好きになって、思いが叶ったからこそ怖くなった。失いたくなくて、幸せになりたくて。その思いが強くなればなるほど、影が濃くなるように恐怖が強くなる。 それなのにアオイはどうする事が1番いいのかさえも、中々見つけられないでいた。 ただ、座り込んだ床からお尻がじんわりと冷たくなっても、じっとそこにしゃがみこんでいた。 ・・・・・・・ お昼を過ぎて、アオイは甲板へと出て来た。外は残念ながらどんよりとした曇り空で、快晴には程遠い。今にもその雲いっぱいに溜め込んだ雫を吐き出そうと、機会を窺っているようにさえ見える。 「んー・・・」 甲板から四方を見回してみて、アオイは小さく声を発した。 ―――――海ばっかり・・・ アオイの視界には、陸地らしき面影はまったく見えなかった。 「どうしたの?」 そこへナナがエプロンを風に揺らしながらやって来た。 「ナナ」 「こんな天気じゃ洗濯は出来ないわね」 「・・・ナナっていつも洗濯してる?」 「何言ってるの!こんな男所帯じゃあ当たり前よ。目を離すとすぐ汗臭くなるんだから」 「そう!?」 アオイは思わずクンクンと自分を嗅いでみた。自分では自覚なかったけれど、汗臭かったのだろうか? 「アオイは大丈夫よ」 「そーなの?」 何がどう大丈夫なの?と浮かんだ疑問をそのまま視線に乗せてナナを見つめたが、ナナはクスクス笑うだけだった。 アオイはよくわからないなと首を傾げながら、再び海に視線を戻した。どうも女の子は時々わからないな、なんて思いながら。 「眺めてて楽しい?」 「んー・・・。あっねぇ、今ってどの辺か知ってる?」 「えっとね、パザン地方の端のほうよ」 「・・・・・・・・・パザン?」 「アオイ、地理わかる?」 すっごい間の後に、顔中に疑問符をつけたアオイにナナは一人納得顔でアオイに尋ねた。当然、アオイは首を横に振る。残念ながらアオイは、地図というものを見た記憶が無いのだ。 「やっぱり。地図見に行こう」 「行こうって、どこに?」 「操舵室よ。あそこには地図があるわ」 ナナはそう言うと、アオイの腕を引いて駆け出した。 「あ、勝手に入って怒られない!?」 「――――バレばきゃ大丈夫よ」 間の後、ナナはなんでもないわと笑って言う。その言葉に疑問を挟む暇もなくアオイは引っ張られて操舵室へと向かった。 パタンと扉を閉めて見回したそこは、少し小さめの部屋に舵、地球儀、大きな地図などが置いてあった。 「アオイ、こっち」 「うん」 ナナは壁に貼ってある地図を指差し、その横にアオイは立った。そこには大きな大陸と海の絵が描いてあり、ところどころに丸印やピンが指してあった。 「いい、今ここをこういう風に来て、ここら辺にいるの」 ナナは地図を左から右へ指差しながらアオイに説明した。確かにそこには、パザンという文字が読み取れた。 「へぇー・・・、?」 ナナの指の動きを遡るように視線を動かすと、左下の海の上に小さな印があった。なんでだろうか、ピンと来た。 ―――――ぼくと、会ったところ・・・・・・ アオイはそっと指を伸ばしてそこに触れた。そして視線をゆっくり動かして、周りを見るとそこから少し右へ行ったところにも同じような印があった。 ―――――これ・・・、なに? それが何の印か、アオイにはわからず小さく首を傾げた。 それは、アオイの乗っていた船の出発点だった。アオイは知らなかったが、あの船は首都プダハから一番近い港で、そこからニト島を結ぶ直行フェリーだったのだ。リゾート地へ休暇に向かう、そんな船の船底にアオイはいた。 「アオイ?」 「あ、ううん。そっか、今ここにいるんだ。で、こっちに向かってるの?」 「ええ、この地図が切れてるところ、そこから先へ向かうのよ」 雲が描かれた右上。そして地図はそこで終わっている、その先。 「地図の無い、場所」 「そうよ。どんなところか想像も出来ないわ!わくわくしちゃう!!」 ナナはそういうと、楽しさを抑えきれないという顔でアオイを見た。ナナの口元は、にっこりと横へ伸びて結ばれている。 「アオイはワクワクしない!?」 ―――――ワクワク・・・・・・ 「うん。―――――うん、ワクワク、するねっ」 地図も無い場所なら、きっと逃げ切れるに違いない。 ナナの嬉しそうな瞳と期待に満ちたその顔を見ているうちに、アオイもそんな気持ちになってきた。 それだけで胸が嬉しさに膨れ上がる。 「ね!!」 そうだ、間違いない。 あの人も、追って来ないに違いない。 「うん!!」 ――――――僕はきっと、このまま自由だ!!! |