海の上の籠の中で 後編25





 その日はなんとなく、風が生暖かい日だった。空は、曇天とまではいかないが雲が多く目立ち、重く感じる風とあいまって、デュークやケイトは雨の心配をしながら空を見上げていた。
 その風が、気持ち悪く肌にまとわりつくなとアオイは感じていた。見渡せば小さな小島が点在していて、どこか見晴らしも悪くて、そんな景色もアオイの心に陰を落としていたのかもしれない。
 アオイは早々に甲板から引き上げて、ダイニングリビングに足を向けた。
「なんか全然寄港しないな」
 扉を開けると、中からミヤの声が聞こえてきた。
「ああ、本当はローエで寄港するはずだったんだが、予定を変更してボーレンローまで行く事にしたからな。――――あ、アオイ」
「あ、ごめん」
 アオイに気づいたトウヤの声に、アオイは反射的に半歩下がってしまう。
「何が、ごめん?」
「いや・・・、お邪魔しちゃった、かな?」
 そのアオイの言葉にミヤの耳がちょっと赤くなった。
「別にそんなんじゃないよっ」
 ちょっと大きな声になってしまったのは、照れ隠し。そんなミヤに笑みを零しながらトウヤはアオイを手招きした。
「お茶入れるよ」
「あー・・・」
 立ち上がるトウヤ。それでもちょっと迷うアオイの仕草にミヤの瞳が猫目になった。
「なに?トウヤのお茶飲みたくない?」
「ミーヤ」
「ううん、飲みたい」
「じゃあいいじゃん」
 だったらさっさと座れば?と態度で示すミヤに、アオイはフッと息を吐いて笑ってしまった。ミヤがなんだか、幸せそうに見えたから。
「うん。―――――で、何の話?」
 アオイはミヤが開けてくれた横に腰掛けてきいた。
「ああ、ボーレンローまで寄港しないって話でさ、・・・でも食糧とか平気?」
 カップを手に戻ってきたトウヤにミヤが尋ねると、トウヤはカップをアオイの前に置いて紅茶を注ぎいれながら頷いた。
「大丈夫だ。ボーレンローはもうすぐそこだぜ」
「え、そう!?」
「ああ、明日の昼には着く予定だって聞いてる」
「え、もうそんなに来てたんだ!?」
「そこにはよく行くの?」
「ううん、初めて!!だってあそこは外海の玄関口って言われてる港なんだ!」
 ―――――ガイカイの、玄関口・・・・・・
 興奮に顔を紅潮させたミヤに笑みを零しながらトウヤはアオイに向き直った。
「誰もがあの港から通じる海峡を越えて、外へと出て行くことを夢見るんだ」
「うん」
「もちろん夢見るだけじゃなくて、実際に旅立って行く者もたくさんいるがな」
「うん・・・」
「ただ、帰ってこれるかどうかは――――――運と腕次第だ」
 そうトウヤが言った瞬間ミヤの顔には緊張が走り、それはアオイが浮かべているものとは少し違った。
 帰れるかどうか、その言葉の重みよりも何よりもアオイには、何事も無くそこを抜けて逃げ切れるかどうかの方が、ずっと重要だったから。
 無責任だけれど。
 そこを通過してしまいさえずれば、なんとかなるんじゃないかと思っていた。
 とりあえず、逃げたかった。
 安心できる場所で、ぐっすり眠りたかった。
「でもさっ、こっちには海図もあるんだし」
「なんだ、ミヤ。ビビったか?」
「っそんなんじゃないさ!!」
 ハハとトウヤは笑ってミヤの頭をぐしゃぐしゃっと撫で回した。何も緊張しているのはミヤばかりではない、トウヤも同じだった。それ以上に、逸る気持ちもあったが。
 本来ならばヒデローやケイト、デュークもそのはずなのだが、彼らには別の心配もあってそれだけに神経を集中している暇は無いのだ。
「ねぇっ、その港に寄ってすぐに出発?」
「いや、すぐってわけにはいかないだろうなぁ。やはりこれから先どうなるかわからないわけだから念入りな準備もあるし、あそこには外海の情報も集まるから、情報収集もするだろうしな」
「そー・・・なんだ」
「ん?どうした?」
「何日くらい、留まってるんだろう?」
「さぁ・・・どうかなぁ。たぶん1週間は――――」
「一週間・・・」
 トウヤの言葉を、アオイは小さく口の中で呟いた。その様子にさすがのミヤも眉を寄せて、怪訝な顔をアオイに向けた。
「アオイ?」
 ――――― 一週間・・・・・・
「アオイっ」
「え・・・?」
「どうした?」
「―――――ううん・・・」
 怪訝な顔つきのミヤに、アオイはなんでもないと笑って首を横に振った。けれど、その横顔には、不安と動揺がありありと浮かんでいて。
 肩を竦めて話を戻したミヤの声は、明らかにアオイの耳には届いていない様子だった。




・・・・・




 その夜、アオイはやはり中々寝付けないでいた。それでもデュークの腕に抱かれて、とりあえず瞼を閉じてしっとしているうちに少しずつ睡魔に覆われて、やっと眠りに落ち様としていた、のに。
 ゆっくり扉の開いた僅かな音にも気づいてしまった。その瞬間、待ち望んだ睡魔は瞬く間に霧散して、アオイの瞳がパチっと開いた。近寄ってくる足音に反射的に身体がビクっとすると、デュークの腕が宥めるように優しく絡んできた。
 どうやらデュークも起きていたらしい。
「なんだ?」
 ゆっくり身体を起こしたデュークの視線の先には、ヒデローがいた。
「ヒデロー・・・」
「悪ぃアオイ、起こしたな」
「ううん」
「ちょっといいか?」
「ああ」
「なに?何かあった?」
 デュークを呼びにきたらしいヒデローの態度に、アオイは思わすきかずにはいられなかった。そしてその腕を、引き止めるように掴んでしまう。
「いや、風の流れがちょっとな。それで」
「だって港はもうすぐだって」
「そうは言っても、初めて行く港だからな」
 不安を顔中に表しているアオイをデュークは宥めるように囁くと、そっと腕を振りほどいた。そして、アオイの髪をゆっくり撫でて笑みを浮かべた。
「寝ておけ。起きたら―――――港だ」
 デュークはそう言うと、身体を軽く滑らしてベッドから抜け出て、乱れた布団をそっとなおしてもう1度アオイの頭をゆっくり撫でた。
 そして軽く頷くと、足音も無く部屋を出て行った。
 その背中を、アオイは付いて行くことも引き止める事も出来なかった。身体が、不安と恐怖で小刻みに震え出していて、無意識に自分で自分を抱きしめて、暗闇で息を潜めた。
 どうしてか。何故こんなにも無性に不安になるのか。
 一方廊下に出たデュークの顔からは、一切の笑みは消え去っていた。
 もちろん、ヒデローも。
「どうした?」
「一瞬なんだが、右手の岩陰に灯りが見えた」
「なに!?灯りだと!?」
 そんなばかな、とデュークは足早に甲板に向かった。すると甲板に灯されていた灯りは全て消されていた。
「デューク」
 闇に目の慣れたケイトがすぐさま声をかけた。
「どうだ?」
「あれ以来灯りは発見出来ないが――――――たぶん、いる」
「一艘か?」
「わからないが・・・、たぶんもっと」
「バカなっ!今の今まで追っ手の気配などまったく無かったぞっ」
 大海原、朝も昼も晩もその海上に船の姿を1度たりとも見なかった。デュークはケイトの言葉に思わず声を荒げてしまった。
 こんな岩場の多い場所で、しかも外海目前で―――――何艘の船に囲まれている!?
「敵は誰だと思う?」
 ヒデローが腕を組んで、暗闇の前方を見つめながら言う。
「――――わからん・・・が、海賊ではなさそうだな」
 何艘も船を用意して準備できる海賊なんて早々いない。大概が、個人主義なのだ結局は。そして大体、作戦よりも力勝負。
「俺もそう思う」
「どうする?」
 ケイトの言葉にデュークは一瞬空を見上げて、帆を見た。風が少し強くて、帆は全部をおろしていない。
「帆を張れ」
「マジかよ。この岩場だぜ?一歩間違えば岩場にぶつかって自滅するぞ」
「そうなのか、ケイト?」
 お前の腕は、その程度か?とデュークがケイトにその視線を向けると、ケイトが肩眉をきゅっと吊り上げた。
「とりあえず夜明けまで逃げ切るか?」
「そうだな」
「了解」
 ケイトはそう言うと、笑みを浮かべて操舵室へと向かった。その後ろ姿に肩を揺らしたヒデローは無言で帆を降ろすべく身体を反転させた。
 デュークは再び船内に戻り、まずナナを起こすべく部屋に行くとやはり彼女は既に起きていた。
「何かあったのね?」
「ああ。どうやら囲まれた。俺の部屋に行ってアオイと待機していてくれ。もし船が激しく揺れ出したら、下へ」
「わかったわ」
 ナナは即座に頷くと、小ぶりの剣を片手に部屋を出て行った。その姿は、正直アオイよりも勇ましく見えてしまった。
 その事にナナには申し訳ないがほっとしながら、デュークはトウヤとミヤを起こしに行った。

 長い1日の始まりが、幕を開けた。











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