海の上の籠の中で 後編29





「上―――――どうなってるんだろう・・・」
 小さな灯りを前に、アオイが小さく呟いた。
「さぁ・・・。声は全然しないけど、砲撃音はしてるわ」
「うん・・・」
 ドンドンという、球を打ち出す音は聞こえるのだが、大きな揺れや衝撃はあまり感じなかった。それは船底という影響もあるのかもしれないが。
「まだ、戦ってるのかな?」
「―――――」
 不安なのか、アオイの体が小刻みに揺れる。
「ねぇ?上行って見ない?」
「アオイ。ヒデローに言われたでしょ?」
 さっきから3回も繰り返した会話。少しナナの語尾がきつくなってしまうのは、仕方が無いだろうか。
「でもさ、もしみんな―――――」
「アオイ!?」
「っ、ごめん・・・・・・」
 ナナの恐い顔に、アオイは首をすくめた。確かに今口にするにはいささか不謹慎な言葉だ。
 不安なのは、アオイだけじゃないナナも同じなのだ。ナナも、ケイトの無事を皆の無事をただひたすら祈っていた。
 この時ばかりは、神様――――と呼びかけてしまう。どうかどうか、あの人を守ってください、と。
 皆を守ってください、と。
 その時だった。
 不意に、音が止んだ。





「白旗―――――?」
 中央だけの船になったと、ミヤとトウヤが砲台をそちらに向けたときだった。甲板に、大きな白旗がはためいた。
「おいおい、どういう事だよ?」
 口の端を持ち上げてヒデローが揶揄するような声で言った。ケイトも、不審気に眉を寄せチラリとデュークに視線を向ける。
「白旗を持ってるのは、随分年のいったやつですぜ」
「どれ」
 ケイトが双眼鏡を受け取って確認すると、確かにそこには初老の男性が見て取れた。
「どういうことだ?」
「――――あれが、側近か?」
「どうする、アオイに面通しさせるか?」
「いや、まだだ」
 じっと黙って前を見据えていたデュークが、口を開いた。その顔は、何かを思案するように厳しい顔をしていた。
「相手がいったい、何を考えているのか・・・。ミヤ、トウヤいつでも打てる準備をしていてくれ」
「はい」
「了解っす」
「ケイトとヒデローも、いいな?」
「ああ」
 ケイトは静かに頷いた。
 いつでも相手の船に乗り込んで、斬り込む準備は出来ていた。
 その、心構えも。
 その瞳はまっすぐ、相手の船を射抜いていた。





「どういう事です!?白旗って!!」
 艦長は驚愕と怒りのぐちゃまぜにした顔で、アイディーニを睨みつけた。もう、立場など忘れているらしい。
「腕ずくでと思ったが、こんな体たらくでは仕方が無いだろう。作戦変更だ」
 ギリっと思わず歯が鳴った。艦長にとって、その言葉は屈辱以外何物でもなかった。長年培ってきた経験とプライドが、彼にだってある。
「相手を油断させておいて、近づいたら乗り移って一気に攻めるんだ」
「そんな――――そんなルール違反な行為出来ません!!」
 彼は、良くも悪くも実直な人なのだ。今の海軍という仕事に誇りも持っている。自分達が、海のルールと安全を守っているんだという自負が。
 その自分達がそんなルール違反を犯すなど、犯せというなど侮辱以外ない。。
 しかし――――――
「ルール違反!?いいか、相手は海賊だ!!ルールも何も無い。お前達はあの子を取り戻しさえすればいいのだ」
 アイディーニ伯は、おぎゃあと生まれた瞬間から選ばれた人間として育ってしまった。彼は、自分は上に立つ人間なのだという事を疑問に思ったこともなければ、深く考えた事すらない。
 命令する事が当たり前で、彼らは手足なのだ。
 そうして自分の命令は絶対。今までそうで無かったこと等無いのだから。
「―――――っ」
「黙っていう事を聞けばいい」
 彼にとって、それが当たり前だった。
 それは、白旗を揚げておいて攻め入るなどと厚顔無恥な事は死んでも出来ないと艦長が思っているのと同じくらい、当たり前だったのだ。





 船がゆっくりと近づき、それは互いの船に乗り移るのが可能なほどまで寄った。
 砲台から離れたミヤは、後方に移って注意深く矢を構えていた。通常、矢を打ったりしないトウヤも同様に相手に狙いを定めている。
 デュークは一歩たりとも動かず、相手を見据えていた。
「貴方が、その船の責任者ですか?」
 初老の男性は、静かに声を発した。それは年寄りのわりによく通るしっかりした声だった。
「ああ。そちらは?」
「私は、アイディーニ家仕える執事でございます」
 デュークの頬が僅かに反応した。"執事"の事をアオイから聞いていたからだ。
 ―――――なるほど・・・・・・こいつが。
「そちらに我が当主が囚われていますね。お返しいただきたい」
「囚われていたのは、そちらにいる時だろう?」
「―――――っ」
 執事の顔が一瞬こわばった。そこまで知っていると、思っていなかったのだろうか。
 それとも予想外の返答だったのか。
 しかし、それを態度に出すような事は流石にしない。
「何をおっしゃってるのかわかりませんな。お返しいただけないのですかな!?」
「返すも何も、俺はそんな者は知らない。知っているのは、船底に鎖で繋がれていた名も無い少年だけだ」
「――――――鎖?」
 艦長が二人のやり取りに眉を顰めた。
 チィッと小さく、アイディーニの舌打ちが重なる。
「もういい!!早くやれ!!」
 操舵室から怒鳴り声を上げた。
「おい、あれ―――――」
 ヒデローが一瞬デュークに視線を向けて、その顔に思わず息を飲んだ。
 デュークは、笑っていた。
 壮絶に。
 それと同時に、執事がサッと後ろを振り返った。
 ヒデローとケイトが剣の柄に手をかける。
 ミヤとトウヤが弓を絞った。
「――――!?」
 しかし、相手の船員は誰一人として動かない。
「何をしている!!早くかかれ!!」
 アイディーニが声を荒げて、操舵室からその身を見せた。
「何をしているんですか!?」
 執事の声。
「彼らは動きませんよ。この船の責任者は私です。私の命令無しで彼らが動くと、本気でお思いですか?」
「ならば早く命令しろ!!」
「お断りです。こちらは白旗を掲げた。それは降参を意味します。それで攻撃したとあっては、海軍第4師団の名が穢れる」
「―――――なんだと!!」
 艦長はゆっくりと階段を降りて、甲板に立った。
 その後をアイディーニは立ち上がって、手すりに凭れるようにして階段を降り出した。執事は慌てて駆け寄る。
 甲板では、艦長とデュークが真っ直ぐに視線を交わした。
「外海に出る、か」
「ああ。その予定で」
「フッ、ダール爺さんの秘蔵っ子の顔を拝めた私は幸運かな?」
 デュークが驚きに、僅かに片眉を上げた。
 しかし、その驚きを問いに変える時間は無かった。
「おい!!」
 その二人の間に、無粋な声が割って入った。執事に支えられるように立っていた、アイディーニ伯だ。
「あの子、あの子はどこだ!?」
 デュークは再び艦長に視線を向けてから、ケイトを振り返った。
「アオイを」
「え!?」
「デューク!?」
「これはアオイの問題だ。アオイにはちゃんと見届けて終わりにする責任がある」
「けどっ、―――――大丈夫かよ?」
 ヒデローは思わず、じっと動かない船員達を見る。別に負けるとは思わないが、誰かを守りながらになれば危険が増すのは言うまでも無い。
 しかし。
「彼らはそんな事はしないさ」
 ケイトはそう言い切ったデュークの背中を数秒見つめてから、踵を返した。
 アオイを呼ぶために。

  全ての決着を、今、つけるために―――――――――――













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