海の上の籠の中で 後編6








「ジェシカ?」
 アオイが部屋の扉を閉めた音を聞いて、奥の部屋からトルタスが顔を覗かせた。
「なーに?」
「どうかしたのかい?」
 少し心配気な心優しい夫に、ジャシカは少しだけ寂しそうに笑って首を横に振った。
「そうじゃないの。ただ―――――なんとなくね・・・・・・」
「うん」
「あの子は何を抱えてるんだろうって思って」
 ジェシカはその身体をゆっくりとダイニングの方へ運び、寝るために灯りを消していく。その後ろを、トルタスがまるでクマがのっそりと従うように付いて歩いた。
「そういうの、話してくれたらなぁーって、ちょっと思ってね。でもきっと、言葉じゃダメなんだろうなって思って。言えなくなっちゃったのよ」
「そうか」
 頭だけを巡らして、後ろのトルタスを見つめるジェシカの顔は、しょうがないわねと笑っていた。その肩をトルタスがそっと抱いた。
「きっと、簡単には、踏み込めないのね・・・」
「ジェシー」
 トルタスの気遣う声にジェシカはやっぱり笑った。それはやっぱり少し、寂しそうな、何かを耐えているような顔だったけれど。
「それに――――――」
「ん?」
 言いよどんだ言葉の先を促すトルタスの視線に、ジャシカはまたも首を横に振った。そして僅かに階上へ視線を向けた後、吹っ切るようにトルタスを見た。
「いえ、いいの。さぁ、もう寝ましょう」




・・・・・



 町の中に、その姿はあった。海の男の風貌は隠しようがない気もしたが、それでも頑張って少しくたびれた旅人風を装っている風体。
 ふらふらと歩いているように見えて、その眼光は鋭く周辺を見渡していた。売られている衣装に目を奪われている様にみせかけて、腹をすかせて食堂に張り付いているように見せかけて、美味しそうな店頭に並ぶ果物に足を止めている振りをしながら、その奥に探す姿が無いか、その通りに探す姿を見かけないか。ガラスに写る風景に探す姿を見られないかと目を凝らす。
 しかし、小さいといえども町は町。
 写真も絵もなく、公に人に尋ねるわけにもいかない職種となれば、その中からたった一人を中々探せるものではない。
「この町にはいないんじゃないすか?」
「まだ結論を出すには早いだろう」
 生真面目そうな眉を寄せて、その意見を却下する。確かに町を一通り歩いた中にはその姿は見つけられなかったが。しかしだからといっていないとは限らない。まだ家の中にいるのかもしれないし、自分達と入れ違いに外へ姿を現しているかもしれない。
「なぁ、ミヤ」
「はい」
 少し広場風になったその場所に立ち尽くし、どちらの方向へ足を進めるべきかを思案しながらケイトは尋ねた。
「もしお前だったら、こういう場合どうする?」
「え?」
「もしお前がアオイの立場だったら、こういう場合どうする?」
 どうやって、生きていく?
「そうっすねぇー、金も無いし・・・・・・、アオイの性格からするとかっぱらいとか無理だろうし」
 それはお前でもダメだぞ?とケイトの冷たい視線を横顔に感じながらミヤは考えてみる。もし自分が家を出て一人で生きていかなくてはならなくなった時、――――――
「とりあえず、仕事を探す」
「ああ」
「こういう時はとりあえず、いけそうな店を手当たり次第当てって行くかなぁー。住むところが無いから、住み込みで」
「そうだな」
 やはりそうかとケイトは息を吐く。しかし、アオイにそんな知恵があるかどうか。
「うん、―――――ってこの町でそんなところあるかなぁ」
「宿、とかはどうだ?儲かっている宿なら人手を探しているかもしれない」
「そうっすねぇ。後は食堂とか、かなぁ、この町だと・・・、アオイが漁師とかはまず無さそうだし。とりあえず今日の宿とか取ってみます?そこで聞き込む、とか」
「そうだな」
 もしかしたら見かけた人間もいるかもしれないかとも思い、ケイトとミヤは宿屋を探すべく町を遡り始めた。宿屋は、山手の方、街道沿いの方が多いのだ。預けた馬も引き取りに行かねばなならい。もちろん、その道すがらも周りに視線を向ける事も忘れない。
 何も見落とすまいと、ことさらゆっくりと石畳の町を歩く、と。
「あ・・・いい匂い」
 香ばしい、なんとも食欲をそそる香りが漂ってきたのだ。
「ミヤっ」
 見るとその先にあるパン屋からの匂いの様だ。ふらふらとつられて行きそうな足取りに、ケイトの恐い声が飛ぶ。しかし、時刻は既に昼をとうに過ぎている。朝ごはんは港を出るときに軽く食べたきりで馬を飛ばして山を越えてきたのだ。
「おい、パンなどでは腹は膨れないだろう。宿の近所の食堂で―――――、どうした?」
 ビクっとミヤが大きく身体を揺らして足に急ブレーキをかけた。その仕草のおかしさに、ケイトは思わず眉を顰めると、ミヤはずりずりと後ずさりして戻って来た。
「ミヤ?」
「い・・・、ア・・・、い・・・っ」
「いあ?」
 何のことだとケイトが一歩前へ出ようとすると、その手をミヤが強く引いて引き止めた。
「おい?」
「っから、いたっ!」
「何が?」
「ア、アオイが・・・」
「アオイ?――――どこに!?」
 咄嗟に道の向こうをケイトが見るがそこにアオイの姿は当然無い。慌てたケイトがミヤの腕を振り払おうとするが、ミヤはそうはさせまいとしがみ付く。
「違うっ、そっちじゃなくてあのパン屋!」
「パン屋?」
「そう、あのパン屋の中にアオイがいたっ」
「・・・間違い、ないか?」
 驚きとまだ信じられない気持ちでケイトは聞いた。
「間違えるはずないだろう!」
 ミヤはこの距離ではっきりとその横顔を見たのだ。間違いようも無い。
「気づかれたか?」
「いや、たぶん大丈夫。中で、客の相手してたし」
「という事は、ここで働いてるのか!?」
「・・・たぶん」
 それを聞いて、ケイトはほっと肩を下ろすと共に素早く周りを見回した。すると、道を挟んで少し向こうにカフェらしき店があった。パン屋からは少し離れていて見えにくいが、それでもあの距離なら見つかる心配は無さそうだ。
「ミヤ、私はあの店でとりあえずパン屋を見張っている。お前はこのまま取って返して、デュークに知らせて来い」
「わ、わかった」
 ケイトはミヤが頷いたのを見るとカフェに向かい、置いてあった新聞を手に外の椅子に腰を掛けた。新聞で顔を隠せるのと、多少の風よけになればと思ったのだが。
「なんだ?」
 行け、と言ったはずのミヤまでもが隣に腰を掛けた。
「飯。なんか食わねーと港までなんて到底辿りつけねーっす」
 ミヤはそう言うと、素早く親父を呼んでボリュームのありそうなフィッシュ&チップスとサンドイッチを注文したのだった。
 ほどなくして出て来た、大皿にどっかりと盛られたその両方を、もちろんミヤはそれを一人で平らげて、飛び出していった。









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