その週末の土曜日のホームルーム。 「またイベント事なんだ?」 綾乃は思わず呟いてしまった。黒板に大きく書かれた『文化祭』の文字。体育祭が終わって、テストがあって夏休み。それが終わってテストが来て、今度は文化祭とは。 「まぁまぁ、今度は運動じゃないし」 ちょっと呆れ顔の綾乃に、薫は苦笑を浮かべる。そういう薫もまた生徒会の手伝いに借り出されて忙しい日々が始るんだろう。 「だいたい学校なんてそういう事でもなかったら何の楽しみもないだろっ!」 真剣に言う翔は、兄である生徒会長に実力テストのことで連日たっぷりしぼられているらしい。そんなこともなければやってられないと言ったところだろう。 「まぁね―――でも何するんだろ?」 「さねぇ。うちの文化祭はね収益をボランティア団体に寄付する事になっていて、毎年どのクラスが1番収益を上げたか競うんだよね」 「・・・・また競争なの?」 「まぁ・・・ね」 体育祭の時といいどうも競う事が好きらしい校風に綾乃はさらに呆れた顔になる。 この綾乃の言葉には薫も苦笑を禁じえないのか、堪えきれない笑いに肩を揺らしている。どうやら自分もそう思っていたらしい。 「そこっ!樋口っ。何を笑っている?いいアイデアでもあったのか?」 すると議長を務めているクラス委員長の長谷川の声が飛んできた。どうも中々良い案が出なくて苛立っているらしい。 綾乃などはマズイと肩をすくめたのだが、薫はまだ笑みを浮かべたままに。 「かき氷屋」 一体いつ考えたのか、こともなげにするっと言い放つ。これには綾乃も吃驚してしまって。 「なんでかき氷?」 綾乃が小声で尋ねると、答えはシンプル。涼しそうだから、だった。確かに残暑厳しい昨今、涼しいのはいいかもしれないがそんな簡単で適当でいいのかと綾乃が肩をすくめたのだが。 「意外にいいかもな。でも時期が9月末だし・・・アイスの方がよくないか?」 「アイス!全員水着でアイスを売るってのはどうだ?」 「水着!?」 「そうだ。きれいどころは女物でいってみて」 「おお〜いいかもー」 薫のかなり適当な発想が、思いも寄らぬ方向へと走り何故かクラスが盛り上がり出している。 ―――水着買ってもらっておいて良かったかも。 なんだかこれで決まってしまいそうな雰囲気に綾乃がホッとため息をついていると、議長が黒板の真ん中に縦に線を引く。うえに、男・女と書いて、クラスの名前を振り分けていくと。 綾乃と翔の名前は女の方に入っている。 「こっちの"女"の方に名前があるやつが女物水着着用で!」 「えっ!?」 「はぁ!?」 綾乃はめったに上げない大きな声を上げて、翔にいたっては椅子を派手な音をさせながら立ち上がってしまう。他の女分けされた生徒も口々に不満の声をあげる。 「ちょっと待て!!なんで俺が女なんだよ!!」 「だって朝比奈小さいし」 「なっ!!はっ!?」 議長のたった一言の言葉に翔は一瞬言葉が続けられないのか絶句して、顔を真っ赤にして怒りを表しているけれど、クラスのほとんどは納得してしまっている。 「ちょっ、ちょっと待って。女物なんか持ってないよ!?」 「そーだそーだ!!」 綾乃が慌てたように言うと、女役に指名された数名も一斉に声をあげるも、議長の「買え」の一言に却下されてしまい。 この桐乃華において、買うお金がないなんて言葉は通用するはずもなく。 民主主義らしい横暴、多数決で押し切られてしまった。 しかし、話はこれでは終わらなかったのだ。 これには意外な伏兵が登場して、結局この出し物は中止になってしまったのだ。 それは翌月曜日の放課後の事。 理事長室でいつもの様に仕事をしていた雅人の元へ、生徒会長である朝比奈透がやってきて、"文化祭の出し物一覧"とかかれた数枚の束ねられた紙を差し出す。 ああそんな時期かと雅人は頷いて、全ての出し物にチェックを入れて行こうとページをめくって思わず固まってしまった。 1枚目は1年生のクラスによる催し物がずらりと書かれていて。 「なんですこれは?」 思わず声がとがってしまうのは仕方ないだろう。 「ですから、今度の文化祭の出し物一覧ですが」 さらりと言う透なのだが、その声にはやはり苦笑がにじんでいる。 「・・・・却下です」 「どのクラスがですか?」 「え・・・・ああ、そうですね」 あまりの動揺に却下と言ってしまったが他のクラスは問題ないかもしれないのだ。雅人は気を取り直して赤のボールペンを持って、とりあえず綾乃のクラスの横にバツ印を書く。 他のクラスにも目を通して、いくつかの質問や注意事項を添えて透に渡した。 「こんなところですね」 「了解いたしました――――やはり、バツですか?」 透は堪えることを諦めたのか苦笑を浮かべたままに言うと、雅人ははっきりとした口調で、当然ですと言い切った。しかもその瞳は不愉快そうに光っている。 「彼はどうも女物の水着を着せられる予定だったみたいですよ」 透は薫から仕入れた情報を横流しすると、雅人のこめかみがピクリと動く。 「もってのほかです」 水着などを着て人目にさらすのもなんだか破廉恥でいかがわしいと思うのに、さらに女の物を着せる予定だったとは絶対許可できない代物だ。 ――――勿体無い。 自分だってそういえば綾乃の水着姿はあの試着室と、綾乃につけている監視員からの隠し撮り写真でしか見ていないのに、何故そんな不特定多数の人間に先を越されなければいけないのか納得できるはずもない。 そう思うにつれ雅人の顔が段々と不機嫌なものに変わっていって。何を考えているのか知れないがここは早く退散した方がよさそうだと、透は八つ当たりされないうちの退室したのだった。 そんな横槍で却下されて。 「それで結局何になったんだ?」 久々に帰宅してきた直人は、綾乃相手にリビングでのんびりと酒を飲んでいた。つまみには松岡が作ったものが並ぶ。久々ののんびりした時間だった。 「アジアカフェ」 「アジアカフェ?」 直人は思わずなんだそれ?と顔をしかめる。飲茶の事かと思いを巡らすとそうではないらしい。 「ごま団子とか、マンゴーアイスとか杏仁豆腐とか出すんだって。でもお昼にはランチもやるとか言ってたから、飲茶もあるかも」 「料理できるやつなんているのか?」 基本的に桐乃華には金持ちの子息が多いので、普段自分で料理などする人間はかなり限られているはずだ。 「そこは家で作って持ちよりらしいよ。プリンとかアイスとかは家で作って家庭科室の冷蔵庫に保管させてもらったりするんだって。あとケーキとかもね」 「なるほど。じゃぁ綾乃は何を持参なんだ?」 少しせこいような気もするが、それならば外部からの客は思いのほかおいしいものを食べる事ができるかもしれないな、と直人は思う。 そして人気のものをテイクアウトで売ればさらに収益は上がるわけだ。 「ん、まだそこまでは決まってないんだ。けど・・・・僕料理とか全然だし、松岡さんに聞いても大丈夫かなぁ?」 「大丈夫だろ?っていうか、むしろ作ってもらえばいいだろ?」 直人がそれが当然のように言い返すと、綾乃は少し目を見開いて曖昧に頷き返す。そして出てきた言葉は歯切れの悪いものだった。 確かに、薫も翔も家にいる料理人や家政婦に作ってもらうと言ってはいたのだが。 「ん、だって・・・・なんか、それでなくても忙しそうなのに、悪いし・・・・」 「はぁ!?・・・・いや、あいつの場合は」 それが趣味だろう?と直人は思うのだが、どうも綾乃は真剣に困っているらしい。少し唇を噛み締めている。 その言動に、僅かな仕草に直人は眉をひそめた。何か違和感を感じて。 ――――こんなこと気にするんだったか? 「なんかそれに、ズルい気もしないっ、かなぁ・・・・とかさ?」 困ったように慌てて足す綾乃の言葉は、一見常識人的な発想でもあるのだが。 なんだろうか、なんとも言えない様な違和感を感じる。何、というわけではないし、いつもと同じように見えるんだけれど、ほんの小さな小骨の様に。 直人が何か腑に落ちない思いで綾乃を眺めていると、リビングに松岡が姿を現した。 「どうしたんですか?」 てっきり会話が弾んでいるんだろうと思って来てみたのに、それとは対照的な沈黙が流れている事に、松岡は少し驚きの表情を浮かべる。 「あ、いいや。あ――――そうだ、綾乃今言っとけよ」 「えっ・・・あ・・・」 突然ふられた言葉に、綾乃はピクンと反応して顔を上げる。その表情には、戸惑いの表情がありありと見えるけれど、直人はお構いなしに言葉を続けた。 「綾乃から松岡にお願い事があるんだって」 「私にですか?なんでしょうか、綾乃様」 まさかこんな話の展開になると思っていなかった綾乃は、思わず背筋を伸ばして松岡を見上げる。 どう話したものかと、慌しく目をパチクリとさせて、それでも言葉をつむぎ出した。 「あ・・・・のね。今度文化祭でアジアカフェっていうのをやるんです。それで、その時出すお菓子類の食べ物を各自作って持っていかなきゃいけないんですけど・・・・台所使ってもいいですか?」 「もちろんよろしいですよ。けれど綾乃様、お菓子作り出来るんですか?」 「え・・・っと。レシピ通りにすればなんとかなるかなぁ・・・と。あっでも、わからないところもあると思うので聞いてもいいですか?」 文化祭のものを人に作ってもらうのはずるい様でもあって作って欲しいとは到底言い出せず、手伝って欲しいともなんだか図々しいようで、結局綾乃が選んだ言葉はこれだった。 「もちろんです」 そんな綾乃の思いを知ってか知らずか、松岡は問題ないとにっこりと笑った。 「ところでそろそろ11時ですよ。綾乃様は寝る準備をなさってください。お風呂まだですよね?」 「あ、はい」 「うわぁ〜〜もうそんな時間かぁ〜久々にのんびりしたわ。さんきゅな、綾乃」 松岡の言葉に、直人も大きく伸びをして綾乃に目をやる。 「ううん。じゃぁ、お風呂入ってくるね」 綾乃は松岡にぺこっと頭を下げて、パタパタと着替えを取りに階段を上がっていく。その音を聞きながら直人は松岡を見上げた。 「手伝ってやってくれるよな?」 「綾乃様がそうおっしゃれば」 「松岡?」 綾乃がなかなか自分からそういう事を言い出せないのを知っているだろうに、苦笑を浮かべて言う松岡に直人は思わず声をあらげる。 「先日、まつたけづくしの夕食にしたんです」 「はぁ?」 いきなり変わった話題に直人は思わず意味がわからないと眉をしかめて松岡を見上げる。 「綾乃様はとても喜んでくださいました。その後は栗ご飯も作りました。それもすっごく喜んでくださいました。後から聞いたのですが、今まで食べた事がなかった様です」 「あ、ああ」 「それならそうおっしゃってくれてばいつでもお作りしますのに。綾乃様はいつも、こうして欲しいとかこれが食べたいとか自分からはほとんどおっしゃいません」 そこまで言われて、やっと直人は松岡が何を言いたいのか察しがついてきた。 「あなたも雅人様も甘すぎます。して欲しい事はちゃんと自分から手を伸ばして望まないと。与えられるのを待つだけでは何も進展しませんよ」 たしなめるように松岡は冷静に言った。 そんな松岡の横顔を、今度は直人は無言で見つめた。 さきほどの表情は影を潜めて、その顔からは何を思っているのか読み取れない。ただわずかに、その瞳は何かを告げようとしている様に見えるのだが。 「・・・・なんですか?」 自分をずっと見つめる直人の視線を感じて、松岡はそちらに顔を向けることなく尋ねた。 「こっち向けよなぁ・・・・。まぁいいけど。――――なぁ、それってさ望めばなんでも手に入るって事?」 直人はさっきとは打って変わって、声のトーンが低い。一言一言噛み締めるように言葉を発して、その顔に笑みもない。 「手に入るのか?」 そしてもう一度言葉を繰り返す。 「―――時と場合によるでしょう」 そんな直人に松岡は視線を合わせる事無く言うと、くるりと身体を反転させてリビングから出て行こうとする。こちらもまた、その表情からはその真意を読み取るのは不可能だ。 「ずるいな・・・」 その後ろ姿に直人の自嘲めいた笑いを含んだ言葉は放った。その小さな呟きは果たして松岡に届いたかどうか、直人に確認するすべはない。 なぜなら松岡は、何の言葉を返すことなくその場を立ち去ってしまったから。 それは、直人が次の言葉をつむぎ出すのを拒否するように。 そして、直人は一人グラスに残る酒を煽った。 |