次の日の衣装合わせは悲鳴と怒号の中で行われたと言っても過言ではないだろう。ただ綾乃はそのどちらにも属さず、ただただ深いため息をついていたけれど。 綾乃が渡されたのは真紅のチャイナ服。といっても上下にわかれているタイプで、上は身体にフィットするようなラインでお尻の途中くらいの丈になっている。問題は下。それはかなりボリューム感のあるフリルたっぷりのスカート、しかも膝上だったのだ。上とおそろいの赤のスカートの中は淡いピンク色の生地で、たっぷりとしたフリルがあり、はけば大きく広がるかなりラブリーなものだった。 「いいよ〜いいよ〜夏川くん!想像以上のできだ!!」 試着した綾乃に矢口と長谷川の興奮気味の声を上げて、綾乃は力なく笑い返すしか出来なかった。何故かクラス中もその一瞬だけは沈黙につつまれていたのだが、脱力して諦めの境地にいた綾乃には、その空気に気付く事はなかった。 唯一つ、綾乃の脳裏によぎったのは、これを着た姿を雅人に見られたくない、という事だけだった。その時の反応を考えるだけでも、気が滅入ってくる。 一方翔の衣装もやはり上下に分かれていたのだが、ややゆったりめのラインになっていて、下もキュロットパンツになっていた。丈は膝下くらいで、これはまた違う意味でえらくかわいらしく仕上がっていた。色は青緑のような綺麗な色に黄色のステッチがどこか子供っぽさを出している。 「いいよねぇ、薫は」 さっさと脱いで制服に着替えなおした綾乃は、傍らに立つ薫に目をやる。 「まぁ、ね」 薫は背もあるしその綺麗顔なので、あえてシックな黒のスーツにしようということになって。それがなんだか宝塚の男役っぽい雰囲気をかもし出していてかなりカッコイイのだ。 衣装合わせをしてキャンキャン文句を言っている翔を見ながら、綾乃は深いため息を漏らした。まだあっちの方がましだよ・・・と思いながら。 その解散際に今度渡されたのは、文化祭当日に作って持ってくる個々のレシピ。 綾乃は『そば粉のミルクレープ』を作って来る事になった。 もらったレシピを綾乃はジトっと見つめる。 『そば粉‥50g 小麦粉‥50g 卵‥3個 牛乳‥150ml サラダ油‥適量 <小豆クリーム> 生クリーム‥200ml 砂糖‥大2 小豆(炊いたもの)‥60〜80g イチゴ‥15粒くらい 粉砂糖‥適量』 ――――そば粉って・・・スーパーで売ってるのかなぁ。 もらったレシピを見ながら、作り方はなんだかそんなに難しくないようだとホッとしながらも、小豆を炊くというのに首を傾げる。 炊くというのが今ひとつわからないのだ。 元々お菓子などというものは早々作った経験がないのだ。綾乃は、レシピを眺めながらため息をついて帰り道にスーパー寄った。 売り場をぐるぐるしながら"苺"を手にし、店員さんに聞いてなんとか"そば粉"とホイップクリームを見つけ、そして教えてもらった"煮てあるあずき缶"を買って帰ったのだった。 「松岡さん・・・あの、夕飯の後で台所借りてもいいですか?」 「はい、いいですよ。何を作るんですか?」 「そば粉のミルクレープです。本番は金曜の夜作るんですけど、とりあえず1回作ってみようと思って」 「なるほど。たしかに1回作っておくのは大切ですね」 松岡はにこりと笑って台所から、台所を見ることのできるテーブルへと場所を移した。 変わって綾乃が台所に入り、材料を広げていく。そして作り方を書いた紙を広げる。 ――――まずは・・・ボールっと。 キッチンの下の戸棚をいくつか開けて、綾乃はボールを二つ取り出してレシピ通りに卵、小麦粉とそば粉を入れて。牛乳を半分くらい入れてかき回し、混ざった頃を見計らって残りの牛乳を入れた。 今度は探し出したフライパンに・・・・・ 「えーっと・・・・」 ――――サラダ油ってどれ? 棚の中には透明な容器に似た色の油がいくつか並んでいる。 「・・・・・・あの、松岡さん」 「はい、なんでしょう?」 「サラダ油はどれですか?」 「これです」 たくさんある油の中で一番手前の少し大きめの容器に入ったものを松岡が一つを指差す。 「あ、ありがとうございます」 「いいえ」 サラダ油を無事に手にした綾乃はそれをフライパンに薄く延ばす。 ――――ゆるく絞った布巾に乗せて冷やす?・・・・何を? 一瞬考えた綾乃だったが意味がよくわからなくて、まぁいいかととりあえずその先へと進む事にする。生地をお玉にすくってフライパンに流しこむ。 ――――・・・・あ、火つけてないっ ジュワとも、ジュッとも言わないフライパンに首を傾げると、火をつけるのを忘れていた。慌てて火をつけたのだが、流された生地はなんだか真ん中でだまになっている。 とりあえず伸ばしてみようと、若干慌てて、クレープ屋さんでみかけたようにお玉の縁で伸ばしてみる。けれど、中々うまく均一には伸びなくて、お玉にひっついて、生地がはがれたりしてしまった。 ――――えーっ・・・・どうしよ・・・・ なんだかぐちゃっとなっている生地を眺めていると、端の方や生地の薄い部分がブツブツと泡だって黒くなっていく。 ――――やばい、焦げる!! 「熱っ!」 綾乃は慌てて生地を剥がそうと思わず手を持っていってしまい、フライパンの縁で指をやけどしてしまった。 「大丈夫ですか!?」 その声に松岡が慌ててこちらへと向かってきて、綾乃の指を水にさらす。 「ひりひりしますか?」 勢いよくひねられた蛇口から水を落として、松岡は綾乃の手を握って、心配そうに眉を寄せる。 「大丈夫です。ちょっと触っちゃっただけなので」 「そういう時はこの菜箸で、縁からそうっと剥がすんですよ」 松岡はそう言うと、フライパンの上で黒くこげている生地をそっと縁から剥がして、手本を見せてやる。 そして回りに残った焦げを落として、綺麗に油を引き、1枚生地を焼き上げて手本をしめした。 それは、綾乃のとは大違いの綺麗な焼き色のついた、薄い薄い1枚のクレープに仕上がっていた。 「凄い・・・・」 「わかりましたか?」 「はいっ。ありがとうございます」 綾乃に請われるまでは手を出すつもりのなかった松岡なのだが、綾乃の不器用さに手を出さずにはおれなかったのだ。 綾乃はしょげていた顔から、笑顔に変わって今度は自分でなんとか焼きあげていく。 しかし、1回手本を示されたところで、その腕が見違えるほど上達するわけでもない。確かに1回目よりは数段よくなったが、焼き上げられたクレープは均一でない厚みのためにところどころが焦げたり、生地がだまになっていたりしてしまっている。 それでもなんとか、必要な枚数は焼き上げて、今度は中に挟むクリームへ取り掛かる。新しいボールに生クリームと砂糖を入れて。 ――――角が立つまでしっかりホイップ??・・・・・カドってなに? 綾乃はもらったレシピとボールを何度も何度も見比べて。 「あのー・・・・何回もすいません」 「なんですか?」 テーブルに座って優雅にコーヒーを飲んでいた松岡は顔をあげて笑う。 「これなんですけど、カドが立つまでしっかりホイップってなんですか?」 「カドじゃなくて、ツノですね。これで、しっかりあわ立てるんですよ」 そういって松岡は、今度は引き出しから泡だて器を取り出す。 「・・・あわ立てる?」 「そうです。こんな感じで」 松岡は手本を見せてやる。 「ああ、なるほど」 「わかりますか?」 「はい。ありがとうございます」 綾乃は松岡からボールを受け取ってどんどん泡立てていく。するとすぐに腕がいたくなって、中々進まない。休み休み、かなりの時間をかけてなんとかあわ立てた。 ――――こんなものかな? 少し硬くなったボールを見て綾乃は頷く。しかし、それは角が立っているという状態にはまだちょっと届いていない状態なのだが、初心者の綾乃にはそれが分かっていない。 ――――えーっと・・・半分をしぼり袋・・・これかな、に入れて。 残りの半分には開けた小豆缶からあずきを入れて、混ぜ合わせしぼり袋に入れた物と一緒に冷蔵庫に直した。 苺を水洗いして、ヘタをとって縦に切り分ける。その絵がないので、縦というかスライス切りになってはいるのだが。 クレープを1枚置いて、冷蔵庫からとりだした生クリームのあずきの混ざった方を、スプーンを使って薄く延ばしていく。そしてまたクレープを重ねて、今度は生クリームのみの方を搾り出して苺を並べてまたクレープを重ねて。交互にそれを繰り返していく。 「出来たっ!」 まな板の上で重なり合ったクレープは、かなり無作法に崩れかかってはいたが、なんとか形を保っている。 「おめでとうございます」 「ありがとうございます」 「とりあえずこれを冷蔵庫で30分冷やして完成です」 綾乃はそっとラップに包み、それを冷蔵庫にいれ、散らかったその惨状をなんとかするべく洗い物にとりかかった。丁寧に丁寧に洗い終える頃には丁度30分が過ぎていて。 綾乃は冷蔵庫から出来上がったミルクレープを、壊れないように慎重に取り出してテーブルの上に置く。 「あれ〜・・・何してるの?あーっケーキ!?」 「雪人くん」 お風呂にでも下りて来たのだろうか、すっかりパジャマ姿の雪人が目を輝かせてテーブルの上に載せられたミルクレープを見つめる。 「雪人様。これは綾乃様が作ったケーキなんですよ」 「え〜食べたぁ〜い」 「じゃぁ一緒に食べる?今から味見なんだけど」 「うん」 元気良く首をふる雪人に、綾乃は寝る前だから少しねと、小さめに切り分けたミルクレープを皿に乗せる。そして自分の分と松岡の分も切り分けて並べて。 「いただきますー・・・・――――――・・・・」 言うのと同時に口にケーキを含んだ雪人の顔が、固まった。 「まず・・・・」 綾乃も、思わず呟きを漏らす。 なんだかクリームがどろどろしている上に油っぽい。でもどこか焦げ臭くて、べちゃべちゃした食感。それでいて妙に甘ったるい、なんともいえない味に仕上がっていた。 「ちゃんとレシピ通りにやったのに・・・・」 ちょっと不恰好かなとは思ったけれど、まさかこんなにまずいとは想像もしていなかった。 「綾ちゃんが一人で作ったの?」 「うん・・・・」 「松岡に手伝ってもらえば良かったのにっ。それで、僕もお手伝いするっ!」 さすがの雪人もこれには手が出ないらしく、口の中の味を消すようにお茶を飲んでいる。子供の反応はある意味残酷なものだ。 その無邪気な言葉も。 綾乃は困ったように俯いていた。 |