由岐人のお正月・・・前



 よく分からない、溶けた砂糖に頭から埋もれている様な、そんな夢を見た。
 ふっと、目が醒めてその夢に理由が分かった。僕は剛の腕に包まれて、寝ていたらしい。目の前に剛の顔があった。
 昨夜はカウントダウンをこの部屋で過ごして、新年を剛と迎えた。"あけましておめでとうございます"と、言葉を交わして、年越し蕎麦を一緒に食べた。日付が変わるころに始まった若手芸人のネタ番組を見ながら、もらい物の焼酎をちびちびと飲んでいた。
 ――――いつまで?
 3時までは覚えている。時間が気になって剛に聞いたから。けど、それから僕は一体どうしたのだろう?
 なんだか記憶が曖昧で、あまり覚えていない。
「―――ふっ・・・」
 見上げたら見えた剛の顔に、少し笑ってしまった。
 だって、なんでこいつはこんなに幸せそうな顔で寝ているのだろう。生意気に僕の事を抱き締めて、むかつく事にその腕が、嬉しくなっている自分がいて、余計にむかつく。
 布団がびっくりするくらいあったかいのは、こいつの子供体温の所為だろうか?
 あんまり暑くなってるし、それにすやすや眠る穏やかな顔を見ていると、なんだかベッドから蹴落としてやりたい衝動に駆られる。けれどそうすると、きっと布団が動いて寒い風が入り込んでくる事になるから、出来ない。ならいっそ、思いっきり頬をつねって起こしてやろうか?きっと吃驚して飛び起きて、きゃんきゃん文句を言うに違いない。―――おもしろうだね。
 ・・・ああ・・・でも、そうするとやっぱり布団が動いて寒い事になってしまうのか?
 ―――ふんっ・・・面倒な男だなぁ・・・ん〜どうしようかなぁ?この生意気な顔はむかつく。この態度もかねがねむかついていたのだ。・・・一体、どうしたらギャフンと言わせる事が出来るのだろうか?言わせたいのに・・・
 きゃんきゃんと怒る顔が見たい。子供っぽく少し拗ねている、そんな顔が。
 真っ赤になって怒って、・・・どっかへ行きそうなのに行かない。そんな剛が見たい。
 そんな時のなんとも言えない、あの顔が見たい。

 だって、そんな顔が・・・・・・・・・・・・

 ・・・ああ、なんか、良い考えはないのかな----・・・・うーん・・・・・うー・・・・・・・・









「・・・きと、ゆきと・・・、ゆーきーとっ」
 ――――ん・・・?るさい・・・・なぁー・・・・
 せっかく人がなんか良い気分になっていたのに、いったい何?
「・・・・あ、つよし・・・」
 耳もとで響くうるさい声になんとか目を開けると、そこにはすっかり起きてこっちを見下ろしている剛の顔があった。服もさっきとは違う。
「はよっ」
 ――――・・・なんで?
「もう昼も回ったぜ。そろそろ起きねえ?」
 え?・・・何、この状況。
 なんで僕はまだひとり布団に包まってるの?剛が起きていて、僕が寝てる・・・?だって僕はさっき目を醒まして、どうやって剛をギャフンと言わせてやろうかって考えていたはずなのに。
「さっき響が来て、おせちのお裾分け貰ったんだ。米は炊いといた」
 ――――もしかして、僕2度寝しちゃった?・・・・ほんとに?・・・信じられない、こんなこと。
「由岐人?」
 何も言わない僕に、剛はちょっと心配そうな顔になる。
 僕はちょっと混乱して、唐突に上体を起こして起き上がった。室内がほどよくあたたまっていて、その分だけ2度寝してしまっていた長さを思い知った。
 頭だってちょっとぼーっとする。寝過ぎの所為だろうか。寝過ぎって事自体があまりに久しぶりすぎて良くわかんないけど。
「・・・起きる」
「お、おう」
 僕は布団をめくりあげて、立ち上がった。
 やっぱり頭がぼーっとしている。あんな風に一度ちゃんと目が醒めたのに、こんなにしっかり2度寝しちゃうなんて。ずーっと不眠気味で寝不足に悩まされていたのが嘘みたいだ。やっぱり信じられない。でも、お酒で無理矢理寝たのとも、睡眠薬を飲んで寝すぎた後とも違うこの気分・・・
 いったい何なんだろう・・・
 僕は息を小さく吐いて、廊下をぺたぺたと歩いた。床暖房なので、僕は冬でも室内は裸足。その足先を見つめる。一体僕はどうしちゃったんだろう?
「顔、洗ってくる」
「おう。じゃぁ用意しとく。おせちと飯しかねーけどな。ひゃあー腹減った〜」
 じゃぁ先に食べてればいいのに。・・・・・ばかな奴。
 剛の待ちわびていたらしい様子に僕は内心毒づいた。けれどもし先に食べられていたら、・・・きっともっとこの胸の中は、もやもやしたのかもしれない。
 剛は廊下を歩いてまっすぐに進んでリビングへ戻ろうと歩いて行く。僕は、洗面所への扉のドアノブに手をかけてその後ろ姿に目をやる。
「待って」
 ふと、一体何を思ったのか無意識に言葉を発していた。
「ん?」
 剛は振り返った。その顔が少し驚いている。そりゃぁそうだろう、呼び止めた僕だって驚いている。この口は、僕から分離してしまったのだろうか?なぜ、勝手にしゃべりだす?
「お餅あるから――――雑煮でも作ろうか?」
 おいおい。僕は何を言っているのだろう?
「まじ!?やった!!」
 そんな僕の戸惑いとは正反対に、剛はとっても嬉しそうに喜んだ。その顔を見ていると、なんだか僕の胸にもやもやが広がっていく。それは、言い様のないなんだか泣きそうなそんな感情で、心の中にどんどん流れ込んで来た。僕は、これ以上何かばかな事を口走ってしまう前に、慌てて洗面所へ駆け込んだ。
 ドアをばたんと閉めて、その扉に背をつける。
 おせちに、雑煮のあるお正月――――?
 こんなの一体何年ぶりなんだろうか。なんなんだろう、この生活は。こんな、おままごとみたいな、自分らしくない生活。どうして付き合ってるんだろう。剛なんて、追い出してしまえばいいのに。鍵も変えて、徹底的に無視でもしたら、きっとそのうち愛想もつきてどっかに行ってしまうのは、わかりきってるのに。
 それなのに、それが出来ない自分がいる。そんな世界を想像して、それだけで泣きそうになっている自分がいる。
剛の何かが、脳まで浸食している。ウイルスみたいな、そんな何か。
 僕は大きく息を吐いて、頭を冷やすように水で顔を洗った。氷の様に冷たい水が、肌を刺した。それでも僕はバシャバシャと水で顔を洗った。だってなんだか心が浮ついていて、道を見失っている様で、そんな自分が恐かったから。
 きっとこんな日は長くは続かない、続けちゃいけない、続くはずもない。だから、期待しちゃいけない。今は少し、夢を見ているだけなんだから。
 そう思って、ごしごしとタオルで顔をこすって、ふいに見た鏡に写る自分の顔に、思わずびっくりしてしまった。だって、なんて顔をしているんだろう。自分で自分の思いに傷付いて、今にも泣き出しそうだ・・・
 ばかだな・・・本当に、ばかだ。




・・・・・




「凄い人だね・・・」
 僕は目の前の光景に思わず呟いてしまった。だって、そこら中人・人・人の、人だかり。正月の元旦にこんなにも本当に人が出歩くなんて、知らなかった。一体どこからこんなに集まってくるんだろうか。
「正月なんだから、神社に人が多いのは当たり前だろ」
 剛はさも当然に事のように言って笑う。その言い方が、ちょっとばかにされた感じがしてむかついたから、僕はぐーで剛の背中を殴ってやった。
「っ痛!」
 ふん。ざまあみろ、だ。大体僕はいつも正月は寝正月なんだ。元旦から初詣になんかにわざわざ来ない。だからこんなに人がいるって事を知らなくたっていいんだ。本当は、今年だって寝正月のつもりだったんだから。
 それを剛が初詣に行きたいって騒ぐから、仕方なく付き合ってやっただけ。
「お前なぁ、ちょっとは力の加減しろよ!」
「うるさい」
 僕は、ちらっと横目で剛を睨んでやった。すると剛はまた苦笑を浮かべて、少し肩を揺らした。
「とりあえず行こうぜ。人多いからはぐれるなよ?」
「・・・・・・」
 ――――それ、もしかして僕に向かって言ってる?
「なんだよ?」
 僕の冷たい視線に、さらに剛は口元をおかしそうに歪めている。ったく、この態度どうだろ。
「・・・ガキのくせに」
 僕の方が年上なのに、なんとなく剛に年下扱いされているようでおもしろくない。僕は、両手をポケットにつっこんで歩き出した。すると剛がさらにくすくすと笑いながら、後を付いてきた。ったく、人が不機嫌になっているのになんだろう、その態度。
 僕がすたすたと歩いて、神社へと続く道の角を曲がると。
「・・・屋台がある」
 神社に近づくにつれて、人がさらに増えたのは言うまでもないのだが、それ以上にびっくりしたのが屋台だった。道路の両脇にずらりと並んだ屋台の数々。まるで夏のお祭りの様だ。
「なぁ由岐人・・・もしかして初詣来るの初めて?」
「まさか」
 剛の言葉を僕は即座に否定した。それはありえない。ただ、かなり久しぶりなのは事実で、以前に行ったのも近くの小さな神社で、こんなところじゃない。
 だから、この風景にはちょっと驚いた。
「ふーん。まぁいいか。じゃぁとりあえずお参り先に済ませようぜ。屋台は後で」
 剛の言葉に僕はちょっと上目遣いで見たが、まぁ確かのそれもそうだ。あのたこ焼きを片手にお参りするのはちょっと不心得かもしれない。でも、おいしそうだなぁー・・・
「うわっ」
 ちょっとたこ焼きを見ていたら、後ろから来た人に思いっきりぶつかられてしまった。痛い。だから人ごみは嫌いなんだ。
「大丈夫か?こんなとこで立ち止まるからだろ。ほら、行くぜ」
 僕は再度剛に促されてしまって、なんとか人の流れに乗って前に歩き出した。だいたい何度も言うけど、僕は人ごみがあまり好きじゃないんだよね。
 のろのろとした人の流れに乗って、なんとか本殿までたどり着いては見ると、またずらりと人が並んでいた。その先が賽銭箱らしい。
「寒い・・・」
 のろのろと動くスピードに風がまともに吹いてきた。
「え?大丈夫か?」
 今年の正月は急に冷え込んだ。風も急に冷たくなって、マフラーを巻いてくれば良かった。
 そう思った瞬間に首に暖かいものが触れて。
「・・・・・・えっ」
「だから出る前にマフラー巻いて行けって行っただろ?」
 僕に巻かれたのは僕愛用の、マフラー。・・・なんで?
「こんな事もあろうかと、鞄に入れて持って来ておいて良かった」
 そう言って笑う剛が、ちょっと胸を張って威張ってる。・・・威張ってる。・・・・むかつく。
だいたいこういう時は、自分の巻いてるのをさり気なくはずして巻くのがいいのに。それだけで、女はうれしそうに笑うモノなのに、まだまだわかってないね。お子様剛にはそんなことはまだわかんないんだろうね。
 ふふっと笑ってやると、剛は何を勘違いしたのかうれしそうだ。別にマフラーを喜んで笑ったんじゃないのに、ばかな奴。でもまぁ、マフラーはあったかかったし、剛にしては上出来かな。
 そんなことを思いながら、境内の端で売られる絵馬やお札などに目をはせながら、のろのろと歩いていると、いつの間にかだいぶ僕らは進んでいた。
「由岐人、はい5円」
「・・・5円ねぇ・・・」
 剛に手渡された5円を受け取って、ちょっとため息が出た。今のこのご時勢でこの物価で5円って。5円くらい入れたところで、神様は願いなど聞き届けないと思うよ?
「いいんだよ。ご縁さえあればいいんだから」









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