VALENTINE









朝食後の小休止



 常夏の島ザハンと雖も、午前中は比較的過ごしやすい。
 珊瑚のかけらが打ち寄せる白浜に、太古から変わらぬリズムを刻む潮騒。濡れた貝殻は宝石色に輝き、佇む流木は洒落たオブジェのよう。サマルトリアでは決して見られぬ麗しい南国の風景だ。
 籐を編んだ椅子に腰かけ、砂に直接差し込んだ巨大な傘で白肌を守りながら、コナンは遠浅の海を眺めていた。やや距離を置いた渚では、二匹……もとい、二人の仲間が波遊びに興じている。
「……僕達にはこのザハンで、やらねばならぬことがある」
 自らも南国を満喫していることは棚に上げ、コナンは深い溜息を漏らす。朝食後の一時を浜辺で過ごすのは、ザハンに来て以来末裔達の日課となっていた。
「遊び呆けている場合ではないのだがな」
 尤もコナンのささやかな憂いなど、次の瞬間には吹き飛んでしまう。柔らかな海風に乗って、華々しい少女達の声が聞こえてきたのだ。
「コナン様ぁ〜」
「良かったぁ、今日もいらっしゃっててぇ」
「おはようございまぁす」
「やあ、おはようレディ達」
 賑々しく登場したのはザハン神殿の巫女達だ。この小島に似つかわしくない程巨大な神殿には、数多の少女が巫女として暮らしている。太陽を崇める彼女達は、その恩恵を体現するかのように快活だ。
「君達も朝食後の休憩かな?」
 コナンは顔を上げて微笑んだ。陽光を浴びて、手入れを欠かさぬ白い歯がきらりと輝く。
「違いますよぅ、朝のお務めの帰りですぅ」
「朝のお務めは時間が早いからみんな渋ってたのに、最近は競争率が激しくてぇ」
「コナン様にお会い出来るからって、みんな必死なんですぅ!」
「ハハハハ、困ったレディ達だ、巫女としての務めを疎かにしてはいけないよ」
 少女達が口々と訴えるのに、コナンは額に指を押し当てつつ首を振る。
「だが僕もザハンに来て以来、君達の顔を見ないと朝が来た気がしない。こんなことを言ったら、君達の神に怒られてしまうかもしれないな」
「もー、コナン様ったらぁ!」
 三人娘が顔を赤らめる様にコナンはご満悦である。
 このように乙女に慕われ愛されちやほやされるのがあるべき己の姿である。何しろ彼は生まれながらのナイトであり、全世界のレディの憧れの的なのだから。
「おーい、コナン」
 せっかくの心地良い空間に雑音が入り込んでくる。どかどかと砂を蹴立てて駆け寄ってきたのはアレンだ。
 アレンの日焼けした胸元にはロトの紋章が目立つ。反発して飛び出してきたくせに、幼い頃からの習慣で欠かさず守りをつけている辺り、彼の親や国に対する反抗心は根深いものではないとコナンは思う。
「アレン様、おはようございますぅ」
「今日もお元気そうですねぇ」
「おう、おはよー」
 アレンは巫女達に頷いてから、くるくる動く瞳でコナンを見下ろした。
「三ゴールドくれ」
 何の前置きもなく突き出された掌に、コナンは絶対零度の視線をくれてやった。
「……何に使う?」
「あそこに屋台が出てるだろ? ヤシの実って一度飲んでみたかったんだ」
「喉が渇いたのなら、水筒に冷たい紅茶を用意してある。無駄遣いは美しくない」
「何だよケチ」
 申し出をすげなく却下すると、アレンは不服そうに下唇を突き出した。
「いいよ。そんじゃ、あそこに落ちてるの飲んでみるから……てててっ」
 コナンは素早く立ち上がり、去りかけるアレンの耳を捻り上げた。拾い食いなんてとんでもない。そのような愚行を犯されては、旅の仲間であるコナンの沽券と面子にもかかわってくる。
「みっともない真似は止めたまえ!」
 怒鳴りつけるものの、それでアレンを諦めさせるのは不可能に思われた。やしの実に釘づけになった二つの瞳は、子供のようにきらきらと輝いているのだ。
 コナンは渋々と荷物から財布を取り出し、そこから取り出したゴールドをちゃりちゃりとアレンの掌に乗せた。積み重なったゴールドの数にアレンは眉を跳ね上げる。
「六ゴールドもくれんの? 何で?」
「ナナの分も必要だろう。やしの実が一つしかなければ確実に喧嘩になる」
「あ、そっか。ありがと!」
 嬉しそうに硬貨を握り締めたアレンが駆けていく。途中波打ち際にいたナナと合流すると、二人は子犬のようにはしゃぎつつ屋台に向かっていった。
「やれやれ」
「コナン様ってぇ……」
 溜息混じりにその様を眺めていたコナンは我に返った。一瞬、彼女達の存在を完全に失念していたのだ。世界の騎士としてあるまじき失態である。
「コナン様って、絶対に手の届かない王子様だと思っていましたぁ」
 それは正しい見解である。
「お伽噺の人みたいに、どんなに恋焦がれても手が届かないっていうかぁ」
 それもこの世の真理である。
「でもちょっと認識が変わりましたぁ。コナン様って、アレン様とナナ様のお母様みたいですねぇ!」


「なあ、何で怒ってんだよ」
「君とは当分口をききたくない。話かけないでくれ」
「んだよ、機嫌わりーな。俺、何もしてないのに」
 先刻受けた衝撃と屈辱で、コナンの自称ガラスのように繊細な心は粉々に砕け散っている。アレンに構っている余裕などない。
 コナンは生まれながらの騎士なのだ。全世界のレディの憧れの的なのだ。間違ってもアレンとナナの母親役ではないのだ。ないったらないのだ。
 エプロンが似合うようになる前に騎士の勘を取り戻さなくてはと、決意も新たに拳を握った朝の一時だった。