VALENTINE |
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そちらの廊下の端で、こちらのホールの椅子で、幾人もの少年少女がいちゃこらと語り合っている。バレンタインに相応しい甘い光景だ。 「愛しのサブリナ、将来結婚しよう。君と住む家ではぜひ猫を飼いたい」 「私のカルロス、勿論よ。私は馬を飼いたいわ」 そう仲睦まじく将来設計を立てるカップルもいれば、 「タニア! チョコに黒胡椒は合わないよ!」 「黒胡椒を否定するなんてひどいわ、グプタ! あたし達もう終わりね!」 意見の食い違いから破局も迎えつつあるカップルもいる。 「賑やかねぇ」 そこここで繰り広げられる悲喜劇に目を細めるのは魔女先生だ。彼女自身バレンタインにはしゃぐ年齢ではないが、だからこそ観客席の目線からイベントを楽しむことが出来るらしい。 「これも青春の一部だ」 「そーね。恋愛にも経験値は必要だわ」 傍らを歩くダグラス先生に頷いてから、魔女先生は意外そうに首を傾げた。 「案外寛大ね。生活指導担当として、片っ端からチョコを没収するかと思ってたのに」 「私はそう堅物ではないつもりだがな」 「あの子達に若い頃の我が身が重なるのかしら?」 「さあ。それはどうかな」 顎に手を当てて苦笑する様には、成熟した男の魅力が溢れている。背伸びしたい年頃の少女の中には、その色香に憧れる者もいるだろう。実際魔女先生の視界の隅には、遠巻きにこちらを伺う女生徒の影が幾つも過ぎっている。 「今でも十分人気がおありのようですけど」 「からかうな。バレンタインに参加する年じゃない」 「あらそんな。幾つになっても恋は必要よ。でもまあ流石に、あなたに実際にチョコを渡す勇者はいない……」 その台詞が終わらぬうちに勇者が現れた。 校則通りの長さのスカートを緩やかに揺らしながら、真っ直ぐにこちらへ向かってくるのはローラだ。衆目の中いささかの躊躇いもなくダグラス先生の前で足を止め、両手に持ったチョコを差し出す。 「ダグラス先生、これを受け取ってください」 「あ……いや」 虚を突かれたダグラス先生が目を丸くするのに、魔女先生は声を上げて笑った。何時も冷静な同僚の、こんな間抜け面は始めて目にした。 「教師への敬愛チョコなんだからありがたく頂けばいいじゃない。心配しなくても、ローラの本命はグレンなんだし。ね?」 「はい」 僅かに頬を赤らめたものの、ローラは何の躊躇いもなくはっきりきっぱり頷いた。 「先生にはこの間、竜王君に絡まれたところを助けていただきましたし……どうか召し上がってください」 「しかし」 「チョコはお嫌いでしたか?」 「いや、そういうわけでは……。ありがとう」 何の疑問も持たぬ少女の眼差しに負けて、ダグラス先生は差し出されたチョコを受け取る。名だたる悪ガキ達を一睨みで黙らせるダグラス先生に、こんな表情をさせるのは恐らくローラだけだ。 「あーあ、バレンタインにラーミア小屋の掃除かあ……」 掃除具片手にとぼとぼと廊下を進んだケインは、西玄関口でクラスメイトのロッコに会った。 「あ、ケイン。ナナ見なかった?」 ナナはナナでも、ロッコの彼女は一年四組に在籍するナナだ。中等部の頃から付き合っているこの二人を、学園の生徒達は擦れ違いカップルと呼ぶ。 「さっき東門のところで見たけど?」 「うわ、マジで? また待ち合わせ場所間違えちまった!」 ロッコが額に手を当てて呻くのに、ケインはやれやれと腰に手を当てた。 「お前達ホントにいっつも擦れ違ってるな。俺だったら彼女との待ち合わせ場所なんて絶対間違えないよ」 「大丈夫、俺達の愛は不変だから。これも長い長い擦れ違いの重みだね、じゃあな!」 ロッコがのろけたっぷりに走り去ると、靴箱に囲まれた空間は先程よりも寒々しい静寂に満たされた。 「デートかあ、いいなあ」 不甲斐ない我が身を恨めしく思いながら、ケインは重い足を引き摺って目的地へ向かう。 アレフガルド学園の裏庭には巨大な鳥小屋があり、天然記念物のラーミアが飼育されていた。ラーミアは本来人に媚びない生き物だが、唯一の例外としてケインだけにはすこぶる懐いている。卵から孵った瞬間たまたま通りかかったケインを見て以来、彼を親と思っている節があった。 「くるっくるっくるっ」 「うわっ」 小屋に足を踏み入れた途端、でっけぇ鳥が止まり木から急降下してきた。 ラーミアはケインを押し倒し、巨大な嘴でキスの雨を降らせる。学園内のどのカップルにも引けを取らぬ熱烈な愛情表現だ。 「いたたたっ、分かった、分かったって!」 愛情を押しつけることしばし、ラーミアはようやく満足したようにケインの上から退いた。ボロ雑巾と化したケインはやれやれと身を起こし、床に胡坐を掻いてラーミアを見上げる。 「あーあ、お前が人間の女の子だったら良かったのになあ」 少年の苦悩に満ちた溜息は、冬の空気に虚しく溶けていった。 下校のチャイムが響いて数分経つと、ざわめきと共に生徒達が吐き出されてくる。みなが元気良く下校していく中、どんよりと雲を背負って歩く生徒の姿があった。 竜王(次代)である。 催促する度悉く邪魔が入り、結果ナナからチョコをもらうことは出来なかった。放課後こそと一縷の望みをかけたものの、用事があったようで彼女は既に下校してしまっていた。竜王(次代)は空っぽの鞄を抱えたまま、虚しく帰路についている。 校門に黒光りするリムジンが止まった。そそくさと運転席の男が下車し、後部座席のドアを恭しく開ける一瞬の間を置いて、白くて丸い物体が車から降りてきた。 「は、母上……っ」 「もっ」 それはもももコーポレーションの会長であり、竜王達(初代・次代)の母親であるモモだ。身寄りのない兄弟を引き取り、育てながら一財産を築いた女丈夫である。 モモは何も言うなと言う風に首を振り、そっと手を差し出した。彼女の小さな掌には、手作り風の素朴な包みが乗っている。紛う方なき愛情チョコだ。 「も」 じっとそれを凝視した竜王の目から、ぽろりと涙が零れ落ちた。 「母上―!」 「も」 母の愛情に触れた途端、それまで堪えていたものが一気に吹き出す。竜王は母に縋り、噴水の如く涙を飛ばしながら号泣した。 感動的な親子の姿を、下校途中の生徒達が不審な目で眺めていく。彼がマザコンである事実は、明日中に知れ渡るだろう。 |