VALENTINE









今日も元気に!



 教師が訪れる前の教室は何処も騒がしいが、やんちゃ揃いの高等部一年一組の喧騒たるや大変なものである。
 その騒ぎに気圧されながらも、おずおずと入り口から教室内を伺う少女がいる。廊下側の席で早売りジャンプを読んでいたアレンがそれに気付いた。
「ローラ先輩、何か用?」
「ええ」
 ほっとして頷くのは高等部三年三組に所属するローラ。アレフガルド学園理事長の娘であり、由緒正しき華族の血を引く正真正銘のお嬢様だ。そのおっとりと優雅な物腰故か、一部の近しい人間からは姫という愛称で親しまれている。
「グレンを呼んでもらえる?」
「グレン?」
 ローラの視線は既に、一人黙々と自習に励むグレンを捕らえている。彼を見つめる彼女の眼差しは恋心を隠していない。
「グレン、ローラ先輩だぞ!」
 デリカシーの欠片もないアレンが声を張り上げると、周囲の喧騒がぴたりと止んだ。教室中の視線がグレンとローラを見比べるうち、先程までとは違ったざわめきが潮騒の如く広がっていく。
 彼らの仲は周知の事実だ。この平成の世に番長を気取っている竜王(初代)がローラに横恋慕しているのもあって、とかく噂の絶えない二人である。
「ひ、姫」
 グレンは真っ赤になって席を立ち、ぎくしゃくと怪しげな歩行で戸口に進んだ。グレンを迎えたローラは喜びに頬を染める。
「おはよう、グレン」
「おはようございます!」
 背中に定規でも差し込まれたかのように、グレンは直立不動である。
「今日のお昼休み、一緒にお弁当食べましょう。渡したいものがあるの」
「……渡したいもの、ですか?」
「ええ。中庭で待ってるから」
 グレンが頷くのを確認してから、ローラは踵を返して教室へと向かった。背中に恋の翼でも生えているのか、その足取りは弾むように軽やかだ。


「いいなあ……」
 空気を薔薇色に染める二人に、羨望の溜息をついたのはナナである。
 料理好きの彼女は大量の義理チョコと友チョコの他、宛てのない本命チョコを鞄に忍ばせてきている。もしもの出会いがあったらと期待を込めての行為だが、結局毎年自分で食べるという虚しい結果に終わる。今年もそうなのかともう一度吐息を漏らした時、すっくと人影が立ちはだかった。
「彼氏がいない人のバレンタイン程空虚なものはないわね」
「ベリアル……」
 意味もなく腰に手を当てて仁王立ちになるは、高等部一年二組のベリアルだ。小等部の入学式で初めて視線を交わした瞬間から、二人は魂のライバルとして対峙している。これといって争う理由はないのだが、互いの顔を見ていると負けん気がむくむくと湧き上がるのだ。
「何よ偉そうに、あんただって彼氏いないじゃないの」
「お生憎様! わたしは今日で彼氏いない暦を卒業するのよ」
 そうベリアルが得意げに振り翳したのは、燦然と輝く本命チョコである。真っ白い包装紙に赤いリボンが一際良く目立った。
「……」
 ベリアルが何処ぞの誰かに恋をしているのはナナも知っている。このバレンタインという日に、彼女はチョコと共に想いを告げるらしい。その際失恋するかもとか振られるかもとか言った懸念は彼女にはないようだ。
「わざわざ見せにこなくたっていいわよ、そんなもん! 隣のクラスなんだからさっさと帰れば!」
「お望み通り、今は消えてあげるわ。でも忘れないことね、このバレンタインはわたしが完全な勝利を収めるということを!」
 まんま悪の台詞を吐きながら、ベリアルは高笑いと共に去っていく。
「ホンっトに性格の悪い女!」
 ナナはいらいらしながら一時間目の準備を始めた。机に叩きつけられる教科書やペンケースが哀れなことこの上ない。ドス黒いオーラを放つナナから、クラスメイト達はそそくさと距離を置く。
 ぐるりと開けた危険地域に、空気の読めない男が意気揚々と踏み込んできた。一際背の高い彼は、長年の引きこもりから立ち直ってようやく通学を始めた竜王(次代)である。
 隣のクラスのアトラスにいじめられていたのを助けて以来、ナナはすっかり彼に惚れ込まれている。よく懐いた大型犬のように日々構ってくれ光線が凄まじい。
「ナナ。今日はバレンタインじゃ」
 ぎろりと睨み上げる剣呑な眼差しにも気付かぬまま、竜王(次代)は嬉々として続ける。年が明けて以来、チョコくれチョコくれと付き纏われるのに辟易して、ナナは今日のこの日にチョコを渡す約束をしているのだ。
「チョコをくれ」
 図々しい態度に悪気はない。もももコーポレーションの御曹司である彼は、母親からそれはそれは大事に育てられた生粋の箱入り息子なのである。
「後にして。あたし今、最高に気分悪いの」
「だがバレンタインじゃ。チョコを渡すとあれ程固く約束を……」
「分かってるってば! 後にしてって言ってるの!」
 噛みつくばかりの勢いで怒鳴られて、竜王(次代)はようやくすごすごと席に戻った。


 桃色だったり黒だったり、そこここで空気が様々な色に染まるのを眺めながら、アレンは隣席のコナンに尋ねた。
「何か騒がしいけど、今日って何かあったっけ?」
「愛の記念日を失念するとは、君は相変わらずぼんやりしている」
 コナンはぱたりと詩集を閉じ、気障ったらしく伊達メガネを外した。
「今日は愛らしい乙女達が甘く蕩けるチョコレートに、けなげな恋心を秘める日だ。僕も既にたくさんのレディから嬉しい気持ちを受け取った」
 ふと視線を落とせば、机の両側に大きく膨らんだ包みがぶら下がっている。ごつごつと突き出す隆起は幾つもの箱の角だろう。
「だが悲しいかな、僕という存在は一つしかない。どうすれば数多の乙女を不幸にせずに済むのか、幾ら考えても答えが出ない。僕にとってこのバレンタインは、喜びと苦悩に満ちた試練の日なのだよ」
「バレンタイン……?」
 コナンの長台詞など半分も耳に入らない。さあっと音がする勢いで、アレンの顔から血の気が引いていく。
 中等部から幼馴染が押しかけてくる。怒涛の恋心と痛みを伴う愛情表現を全身で示しながら。バレンタインともなれば、通常以上の気合が伴うことだろう。
 急激に目の前が暗くなった気がして、アレンは机に突っ伏した。


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