VALENTINE









試してみよう!



 始業のチャイムと共に現れたのは魔術の教師であり、コナンの父親でもあるハーゴン先生である。
 整った顔立ちと柔らかな物腰で、教師の中ではダントツの人気を誇る。女生徒のみならず同僚や商店街の若奥様からもよくもてたが、生憎彼は妻一筋だった。
 分厚い魔術書を教卓に置くと、彼はぐるりとクラスの面々を見回した。小さく咳払いしてから一声を発する。
「それでは教科書六十二ページ。前回のルカナンに引き続いて、今回はモシャスの定義を学ぼう。モシャスとはどんな魔術か……ナナ、答えられるかな?」
「はい。対象物そっくりに自分の姿を変える魔術です」
 魔術はナナの得意科目だ。成績優秀者らしく意気揚々と応えると、ハーゴンはよろしいとばかりに頷いた。
「そうだね。対象物の影を呼び込み、肉体の上からそれを纏う術だ。この原理は変化の杖にも応用され……」
 ハーゴン先生の美声は耳に心地良い。心地良過ぎて、ラリホー並みの圧倒的な睡魔を呼び起こす。甘い春の風、優しい小鳥の歌声、降り注ぐ月明かりにも勝る凄まじい催眠効果だ。
「……」
 何事にも真摯なグレンにまで抗い難い眠気が訪れる。不甲斐ない自分を叱咤するよう目を擦った拍子に、思い切り机に突っ伏しているアレンの姿に気付いた。
 申し訳程度に教科書を立てているが、それで彼の全身が隠しきれるはずもない。机に組んだ腕に頭を乗せ、くうくうと寝息を立てる様は幸福を絵に描いたかのようである。
 サッカー部の朝練で疲れているのは分かるが、あまりに大胆な居眠りっぷりである。グレンは我がことのように胸をどきどきさせた。
「アレン……アレンっ」
「……ん」
 消しゴムを投げつけたくらいでは、アレンは目を覚まさなかった。
「授業中だよ。先生に見つかっちゃうよ」
「もう食べられねぇなあ」
「……」
 何というお約束か。寝言にしても工夫は必要なのではないか。グレンが呆れ返った時、ハーゴン先生の穏やかな、だが少しも笑っていない目がこちらを向いた。殺気に似た微風が一瞬頬を撫ぜたような気がする。
 ハーゴン先生はすっと形の良い指をアレンに突きつけた。
「イオナズン」
 アレンの頭上で爆音と火花が弾けた。


「……さて、仕組みは今説明した通り。成功するか否かは詠唱の構成と魔力の兼ね合いによるところが大きい。高度な魔術なので成功の可能性は低いが、実際に試してみることにしよう」
 ハーゴン先生はぐるりと周囲を見渡し、生徒の中から二人の代表者を選出した。クラスの中で最も高い魔力を持つ者……ケインとナナである。
「あのようにちゃらんぽらんな性格ではあるが、彼の魔力の高さは素直に羨ましい」
「性格と魔力は関係ねーんじゃねーの?」
 アレンが小さく首を捻った。まだ少し焦臭い頭から、白い煙がゆらりと上がる。小規模とはいえイオナズンを食らって焦げる程度で済むアレンの丈夫さは、凄いとは思うが羨ましいとは思わないコナンだった。
「お互いに向かい合い、相手のイメージを掴むこと。その姿を内側に取り込むことを意識しながら詠唱してみよう。まずはナナ」
「はい」
 ナナはじっとケインを見つめた。
 自慢じゃないが、女の子から見つめられる経験など皆無のケインである。照れ臭いやら恥ずかしいやら嬉しいやらでにやにやすると、ナナの柳眉が険しく吊り上った。
「にやにやしたらイメージしにくい!」
「う、ごめん」
「ちょっとじっとしてて」
 肉食獣さながらの眼差しでケインを睨みつけ、ナナは口中で詠唱を始める。最後の発動詞と共に一瞬輪郭が揺らいだが、結局ナナの姿がケインのそれに変化することはなかった。
「惜しいところだった。もう一息だね」
 不発に落胆するナナをハーゴン先生が慰める。穏やかな眼差しがついと持ち上がってケインに向けられた。
「はーい」
 ケインは言われた通りナナの姿を焼きつけ、詠唱を始めた。とかく女の子好きな彼のことだから、そのイメージは完璧である。その豊かな想像力……妄想力ともいう……が拙い詠唱を補ったか、淡い光と共にケインの姿が揺らいだ。
 数秒立たずしてそこにはナナと、鏡で写し取ったように同じ姿をした少女の姿があった。教室中が驚愕と賛美にどよどよと揺れる。
「これは素晴らしい。君の魔術は大したものだ」
 ハーゴン先生が何の虚飾もなく感嘆する。ナナに化けたケインは嬉しげに後頭部を掻いた。
「実験は成功だ。それでは二人とも席に戻りなさい」
「……あの、俺は何時までこの格好なんですか?」
「初心者のモシャスだからね、三分ともたないだろう」
「あ、放っておいてもいいんですね」
 すうすうと風通しのよい足元が落ち着かない。制服のスカートをぱたぱたやりながらケインは頷いた。


 自らの姿を取られるのは奇妙な気分だった。早く術が解ければいいなと思いながら、ナナは踵を返して席に向かう。二歩踏み出したその時、ケインの独り言が小さく、だがはっきりと耳朶を打った。
「うわ、ぺたんこ」
 かっと白い閃光が弾け、術の解けたケインが窓から校庭に吹っ飛んでいった。


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