VALENTINE









歌を歌おう!



 二時間目は音楽の授業である。
 一年一組の面々は一階の音楽室に移動する。教室に一歩踏み入った途端、音楽室独特の匂いが……少し古めかしい香りが……ぷんと鼻腔を刺激した。
「なあ、あのベートベンの絵、夜になると抜け出すんだってさ」
「ホントかよスゲーな!」
「んでピアノ引きながら『素敵だね』歌うらしいよ」
「えー、この道わがたびじゃねーの?」
「そして伝説への方がかっこよくない?」
「だってあれ、歌詞ねーじゃん」
「いや、あるんだよ、一応……」
 くだらないやりとりを交わすアレンとケインの傍らで、コナンが苦悩に満ちた溜息を一つ零した。そのあまりに重々しい響きに反応したのはケインである。
「腹でも痛いのか?」
「……今この瞬間に、そのように能天気でいられる君達が羨ましい」
「どういう意味だよ」
 ケインがむっとして身を乗り出す。コナンは大仰にかぶりを振った。
「今日は歌のテストだ。このクラスにおいてそれがどれ程の脅威か、頭が常春な君達にも分からないはずはあるまい」
「歌……」
 ケインとアレンは顔を見合わせ、それからほぼ同時に同じ方向へ目線を向けた。
 窓際の机に腰かけて、友人とおしゃべりに興じるナナの姿がある。冬の薄い日差しが彼女の髪を透かし、すみれ色の縁取りとなって華奢な肉体を覆っている。その可憐な容姿からは想像もつかない程、彼女の歌声は凄まじいのだ。
 コナンの苦悩にようやく得心がついて、アレンとコナンはごくりと喉を鳴らした。以前彼女の歌声を聞いた生徒の大半が不調を訴え、保健室がぎゅうぎゅう詰めになったという悲惨な過去がある。
「俺、ナナに会うまで、歌で人を卒倒させるなんてドラえもんのジャイアンくらいだと思ってたよ」
「ホントにホゲ〜って言うもんな」
「あれも一種の才能だ」
 コナンは眉間の皺を益々深め、
「更に我がクラスには、ナナ以外にももう一人問題児がいる」
 タイミングを見計らったように扉が開き、竪琴先生を抱えたグレンが入ってくる。竪琴先生は何せ竪琴なものだから自力では動けない。各クラスの学級委員が迎えに行く決まりとなっている。
「あ、グレンもいたか……」
 ナナに勝るとも劣らぬ歌唱力の持ち主がグレンである。訓練すれば兵器にすらなりえるだろう二人が、教室で毎日顔を突き合わせているわけだ。世の中は案外狭い。
「お前ら席に着けー。授業を始めるぞー!」
 竪琴先生の一声で、それまでばらばらに散っていた生徒が席に戻る。
「なあグレン、お前も歌のテスト受けるの?」
「え? うん、受けるよ」
 着席したグレンの背にケインが尋ねる。振り返ったグレンの笑顔はあくまで爽やかだ。
「僕、音楽の成績があまり良くないからがんばるよ」
 悪意のない加害者程始末に終えないものもない。あっさりさっぱり他意なく頷かれては、ケインもそれ以上何も言えなかった。


 緊張に満ちた時は流れ一人、また一人と無事に歌を終えていく。そうしていよいよ運命の少女、ナナの出番がやってきた。
 にこにこと前に進み出るナナは歌うことが好きだ。だがその純粋な気持ちを肯定してやれる猛者はいない。
「んじゃまー、適当に一曲行ってみろ」
 昨年の春に着任した竪琴先生は、未だナナの歌声の真髄を知らない。のんびりとした口調で恐ろしいことを平然と促すので、生徒達はみな震え上がった。
「あ、せ、先生!」
 ケインが俄かに椅子を蹴立てて立ち上がる。何事かと視線が集中する中、ケインはあたふたと横笛を取り出した。
「俺、妖精の笛を練習したから聞いてくれませんか?」
「妖精の笛……?」
 お決まりの曲を奏でるもののすぐに終わってしまう。ケインはそれしか吹けないので時間稼ぎにもならない。微妙な沈黙と落胆を破って次はアレンが挙手した。
「センセー、次は俺!」
「今度はアレンかよ。何だ?」
「俺……っ!」
 言いかけて、アレンは山彦の笛を家に置き忘れたことに気付いた。一秒たりとも時間稼ぎの出来ない我が身が呪わしい。
「何なんだお前ら」
「アレンもケインも邪魔しないでよ! あたし、一生懸命練習してきたんだから!」
 不審な二人をそれきり無視すると、竪琴先生は再びナナを促した。ナナは頷き、胸の前に手を組んですうと息を吸う。もうだめだと誰もが思った瞬間、コナンがすっくと立ち上がってドアを指差した。
「背に腹は変えられない。全員退避しろ!」
 コナンの号令一下、事情が飲み込めないグレンを残して一組全員が退避にかかる。最後尾のアレンがドアを力いっぱい閉めるとほぼ同時、防音が施された戸板が内側からの衝撃にびりびりと震えた。
「……イオナズン並だな」
 周囲を満たす沈黙にコナンの呟きが落ちた。


「竪琴先生、今日から一週間くらいお休みするんだって」
「え、あんなに元気だったのに……。何かあったの?」
「僕も詳しいことは聞いてないんだ」
「そっか……。早くよくなるといいね」
 音楽室から戻ってきたグレンとナナが、のんびりとそんな会話を交わしている。音感が似ているせいか、ナナの歌を聞いたグレンにダメージの形跡は見られない。
 そこはかとない恐怖を覚えながら、誰もが遠巻きにそんな二人を見守っていた。


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