VALENTINE









熱く取り組もう!



 三時間目の授業は一組・二組合同の体育である。指定の布の服(ジャージ)に着替え、体育座りする生徒達の前に聳えるのは、体育担当のシドー先生だ。
 体育のシドー先生は破壊神の異名を持つ。昨今世間を賑わせる体罰問題など何のその、怒りを買えばその六本の腕から容赦のない鉄拳が飛んでくるのだ。
「今日は男女混合、クラス対抗のドッジボールを行う!」
 シドー先生の胴間声が体育館を震わせる。恰も遠雷が鳴り響くかのようだ。
「ボールに当たった者は死亡とみなし、試合から完全に外れてもらう。復帰は認めん。だれが最後まで残るか、命をかけた戦いと思え! 力こそパワー! ちなみに魔術は禁止だ!」
「ですが先生」
 すっと手を上げて発言権を要求したのはバズズだ。
「アレンやアトラスのような野性動物の剛速球を人の身が受け損なえば、要らぬ怪我をしかねません。何かしらのハンデが必要なのでは?」
 むっと口を尖らせたのは名指しされた二人だけで、他の者はそうだそうだと一様に頷く。
「勿論そのことは考えてある。馬鹿力二人には悪魔の鎧を用意した」
「悪魔の鎧……!」
 アレンとコナンとナナ、アトラスとバズズとベリアルが息を飲む。ケインが首を捻りつつ、傍らのナナを突いた。
「悪魔の鎧って何?」
 悪魔の鎧とは、プロレス部顧問シドー先生が独自に開発した筋肉養成ギプスである。強力なスプリングを肩から腕にかけて装着し、負荷をかけて筋肉を鍛える器具だ。恐ろしい締めつけによって度々体の自由が奪われるため、それを知るものは恐れを込めて悪魔の呼称を冠する。
「センセー、俺らズルしてるわけじゃねーのに、何でそんなもん……」
「だってアレンのボールすごい勢いだもん」
「あんなの受け止められない」
「そうよ、普通にやったらアレンかアトラスの勝ちに決まってるじゃない。勝負にならないわ」
「女子は黙ってろよ!」
 そこここできゃいきゃいと反論が上がるのに、アレンは牙を剥いて吠える。その肩にぽんと手を置いて、ふっと前髪を払うのはコナンだ。
「男子たる僕もシドー先生の案には賛成させてもらうよ」
 芝居気たっぷりに立ち上がると、コナンは周囲の女生徒を見回した。
「美しいレディの体に痣でも残したら大変だ。君は男女別に加減出来るほど器用ではあるまい?」
 コナンの意見は少女達の黄色い歓声によって完全に肯定される。こうなるともう、アレンとアトラスに反論する術はなかった。


 動きを封じられてなお、アレンとアトラスの気合は凄まじかった。
 体中をぎしぎしと唸らせつつ、それぞれ確実に敵を召し取っていく。力の大半を封じられたとは言え、彼らの運動能力は並ではない。
 ブルマの食い込みに目を奪われたケインが呆気なくやられたのを尻目に、コナンはふうと物憂げな溜息をつく。このように野蛮な勝負事は趣味ではないのだ。
 ぽおんと高く弾んだボールがアレンの手に落ちた。敵陣のベリアルを視認した瞬間、その双眸が爛々と輝く。レディを標的にするとは美しくない。
「もらい!」
 アレンが腕を振り上げると同時に、ベリアルは口元に拳を当てて絶叫する。
「きゃああああ!」
「っ」
 耳を劈く絶叫にアレンの力は殺がれた。へろへろ飛んだボールはベリアルに当たったが、そのまま真っ直ぐ上に弾んで結局彼女の腕の中に落ちる。
 ボールを抱えたまま座り込み、ベリアルはぼろぼろと大粒の涙を零し始めた。
「ひどいひどいひどぉい……女の子に向かって本気でボールを投げるなんてあんまりだわっ」
「え、あ、だって……。えっとごめん、んなに強く当ててねぇと思うんだけど、痛いか?」
 おろおろと戸惑うアレンを見上げ、ベリアルがにやりと口元を歪めた。白い腕が翻った次の瞬間、ボールがアレンの顔面を直撃する。嘘泣きの効果は絶大だ。
 ころころと転がるボールは、コナンの足元にやってきて止まった。
「バーカバカバカバーカ、女子にやられてやんのー!」
 アレンの撤退に大はしゃぎするのはアトラスである。アレンは鼻血を滴らせながらアトラスを睨みつけた。
「油断したお前が間抜けなんだよ! この勝負は俺の勝ちだな!」
「てめぇだって最後まで残るかどうか分かんねぇだろ!」
「俺が負けるわけねーだろ! お前と違って不意打ちなんかされねーからな!」
 ぎゃんぎゃんやかましいことこの上ない。コナンは眉を顰め、ボールを見下ろし、哄笑するアトラスの後頭部へ思い切りボールを叩きつけた。


 熱い人々が自爆を繰り返した結果、一組側にはコナンが、二組側にはバズズが残った。二人ともろくに参戦していなかったので汗一つ掻いていない。
 周囲の声援が黄色く染まる中、二人の瞳が初めて戦闘意欲を湛えて睨み合う。
「ここで君と見えるとは思わなかった。汗臭い体育館が戦場というのは正直不満だが、理想ばかり追い求めても仕方あるまい。むしろ枯れ果てた大地に咲く一輪の花こそ、美しさと瑞々しさが際立つというもの」
「ならば不毛の地に君臨する花は一輪でよい。日の当たる場所は一つ、残った花は二つ……どちらかが散ってこそ、どちらかの美はより際立つだろう。君には僕が輝くための踏み台となってもらう」
「僕は諾々と他人の踏み台になるようなお人よしではなく、またその程度の人間でもない。僕は太陽の下で咲き誇り、愛らしい蝶と戯れるために生まれてきた。僕が枯れてしまっては、一体どれ程の蝶が嘆き悲しむことか!」
「ならば君の死を悼む蝶を、僕の花びらで包むことにしよう。僕の温もりに癒されて、一瞬の死の痛みなどすぐに忘れることが出来はずだ」
「僕の愛は世界で一つ。偽りの蜜の味などすぐに看破されてしまうさ」
「それはどうかな。君ばかりが真実とは限るまい」
「……なあ、何時になったら勝負始まんの?」
 アレンがうんざりと舌を出すと、ナナも疲れたように肩を竦めた。
「あたしに聞かれたって……あ、チャイム鳴っちゃった」
「あれ、グレン帰んのか?」
「だって着替える時間を考えたら、早くいかないと次の授業に間に合わないよ」
「次の時間何だっけ」
「んーと、保健体育」
 ケインの答えにアレンは鼻に皺を寄せて立ち上がる。
「魔女センセーかあ。センセー怒ったらこえーからな。俺も行こうっと。腹も減ったし」
「俺も早弁しようかな」
 そうしてぞろぞろと人々が引き上げる中、試合を美しく彩るための口上はまだ続いていた。


十分休憩へ→