VALENTINE









こっそり食べよう!



 体育の後はとにかく腹が減る。
 アレンは意気揚々と机の上に弁当を取り出した。ただ巨大なだけで何の色気もない弁当箱には、母の手作り料理と愛情が詰まっている。アレンの家では、腹を空かせることは家訓で罪悪とされていた。男子なるもの、力と気力を失う状況に己を追いやってはならぬのだ。
 この時間アンジェリカは教室移動のため、高等部校舎まで足を伸ばす余裕はないはずだ。心行くまで早弁を楽しめる安らぎの一時である。
「いただきまーす」
 箸を手にするや否や、かつかつともの凄い勢いで中身を平らげていく。お茶を取るため一瞬弁当箱から離れた瞬間、横から伸びてきた手がたこさんウィンナーを攫って行った。
「てめえ、俺との勝負を放り出して早弁とはいい身分じゃねーか」
 ウィンナーを咀嚼しながら聳え立つのはアトラスである。
「人の弁当摘むんじゃねぇよっ」
「いいじゃん。その肉団子も美味そうだな」
「やんねーよっ」
 弁当を守るように両腕で包み込む。アトラスは少し悲しそうな顔をしたが、すぐに虚勢を張って踏ん反り返った。
「それにしても今日のお前は一段と腰抜けだな。逃げてばっかで勝負になんねぇよ」
「お前から逃げてんじゃねーよ馬鹿」
「ん? ……あ、そっか。お前を追い掛け回してる中等部の女子か。女子から逃げるなんてガキだねぇ、お前」
 アトラスは勝ち誇ったように鼻を鳴らした。腕を組み、頭を逸らし、蔑みの眼差しでアレンを見下ろす。
「俺なんか女子の手を握ったことあんだぜ、凄ぇだろ」
 アレンはぐっと言葉に詰まった。アトラスにそのような女性経験があったとは驚きであるし、この方面で攻められるとアレンは太刀打ち出来ない。このままでは勝負に負けてしまう。
「へえ、ちなみにそれは何時の話?」
「幼稚園のフォークダンスで……って、何だよお前!」
 椅子の背もたれを抱えるようにして座ったケインが、にやりとアトラスを見上げた。
「幼稚園のフォークダンスだったらアレンだって手ぇくらいに握ってるよ。そうだろ?」
「ん〜、と。そういうこともあったかな……」
「俺なんておままごとの最中に結婚の約束しちゃったもんね。あーあ、あの頃が一番モテたなあ……」
「てめぇの幼稚園時代なんてどうでもいいぜ」
 アトラスは音高く舌打ちし、覚えてろよ、と捨て台詞を吐きながら去っていった。二組の四時間目はダグラス先生の道徳だ、そろそろ教室に戻らないとまずい頃合なのだろう。
 足音やかましく駆けて行くアトラスに、アレンは思い切り舌を出す。その鼻先を掠めるよう、ぬっと掌が突き出された。
「何だよ」
「助太刀代。卵焼きちょうだい」
「……ちゃっかりしてんなあ」
 アレンは出汁巻き卵をケインの手に乗せる。ケインはにっと笑って、それを美味そうに咀嚼した。


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