VALENTINE









恥ずかしがらずに学ぼう!



 始業のベルと共にがらりとドアが開く。すらりと白い美脚に白衣の裾を絡げながら現れたのは、保健体育担当の魔女先生だ。
「はいみんな、席に座ってー」
 生徒が着席したのを確認すると、魔女先生は形の良い唇から良く通る声を発する。
「今日は男女の体の違いについて勉強します。恥ずかしいことじゃないから、しっかりと学習するようにね。君達ももう十六歳なんだから、全く何も知らないってことはないだろうけど……正しい知識を身につけることは大事よ」
 グレンは忽ち緊張した。大切な授業との認識はあるが、クラス全員で学ぶなんてあまりに恥ずかしいではないか。せめて男女別であったらと、思春期の少年の苦悩は深い。
「では教科書の四十二ページ。グレン、項目一から読んでくれる?」
「は、はい!」
 グレンは椅子を蹴立てて立ち上がった。逆さまだった教科書を持ち直そうとし、手を滑らせてばさりと床に落とす。クラス中の不審な眼差しが益々彼を焦らせた。
「……どうかした?」
「だ、大丈夫であります!」
 グレンはがくがくと頷き、一刻も早くこの重責を果たそうと教科書を読み上げ始める。
「みなさんもお気づきでしょうが、赤ちゃんはこうのとりが運んでくるわけではありません。赤ちゃんは……」
 そこでグレンの言葉が途切れる。既に顔はトマトのように赤く、流れる汗は滝のようだ。
「男女、の……」
「……?」
 魔女先生が不審そうに顔を上げる。
「どうかした?」
「男女……」
 唇を引き結ぶこと数秒、グレンは教科書を机に叩きつけ、息も絶え絶えの風情でかぶりを振った。
「ダメです! 僕にはこんな破廉恥な文章を朗読することは出来ません!」
 純情が過ぎる少年の絶叫は、クラスに海底のような沈黙を齎した。


「ええ……と、それじゃあそのページはあたしが読みましょうか。グレン、もう座っていいわよ」
 教師たるもの生徒のフォローが大切だ。魔女先生の力尽くの立て直しに、それでもクラスのざわめきは治まり、グレンは速やかに着席した。
 魔女先生はぱたりと教科書を置くと、机に両手を突き、それに体重を移して僅かに身を乗り出すような体制になる。
「うほっ、いい胸……!」
 大きく開いた襟ぐりから白い胸が零れ落ちそうで、ケインの視線は釘付けになる。グレンとは別方向で思春期真っ盛りな彼は矢も盾もたまらず、傍らのアレンの腕をぐいぐいと揺さぶった。
「おい、おいあれ見ろよ」
「何を?」
「先生の胸! 何時みてもすっごいよな、ぷるんぷるんだよっ」
「……馬鹿言ってんじゃねーよっ」
 アレンは怒ったようにそっぽを向いてしまった。ことさら不機嫌そうな横顔は耳まで赤い。
「何だよ、別に怒んなくたってさあ……」
 不平を零しながら、何気なくページを捲ったケインの動きが止まった。次ページには体格差を示すため男女の裸像が図解されている。拙いイラストでも不意打ちの興奮度は大きい。家で教科書を開くことなどないので、こんなところにこんなものがあるなんて、ケインはこの瞬間まで知らなかったのだ。
「おいアレン、裸裸、裸乗ってるぞ」
「さっきからうっせーなお前、いいから黙ってろよっ」
「何だよー、お前興味ないの?」
「お前に関係ねぇだろっ」
「冷たいなぁ」
 素っ気ない態度に頬を膨らませて、ケインは次なるターゲットをコナンに定めた。身を逸らせるようにして、斜め後ろのコナンに囁く。
「おいコナン、四十三ページ」
「?」
 教科書を一枚捲り、コナンは小さく頷いただけだ。アレンのように拒否されたわけではないが、無反応に近い反応もそれはそれで寂しい。
「反応薄いな」
 するとコナンはふっと伊達めがねをはずし、余裕たっぷりの目線でグレン、アレン、ケインを順に見回した。
「君達にはまだ分からないだろうが、本物のレディの美しさはこんなものではないよ」
「……」
「……」
「……」
 三人が石化するのとほぼ同時に、少し離れた席に座るナナがうんざりといった風に手を上げた。
「せんせー、さっきからそこの男子達がうるさいです!」
 板書していた魔女がじろりと剣呑な瞳で振り返る。硬直したままの少年達に一瞥をくれると、有無を言わさぬ口調で命令を下した。
「大事な話だって言ったでしょう? 授業を受ける気がない人は廊下に立ってなさい」


 二月の廊下は寒い。壁や床に浸透した冷気が、足元からじわじわと這い上がってくる。
「お前のせいだ」
 アレンがじろりとケインを睨む。グレンに至っては自己嫌悪で口も聞けない有様だ。アレンやケインと違って、真面目一筋のグレンはこういう処遇には慣れていない。
「うん、俺が悪い。謝る」
 素直に頷いてから、ケインは首を捻った。
「でも何でコナンだけ先生の目を逃れたのか、納得出来ないな」
「あいつってそういう奴なんだよ」
「そうなの?」
「そーだよ」
 アレンがきっぱり頷くのに、ケインは妙に納得した。


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