佐為は何故こっちとあっちが近づいたのか分からないと言ったけど、オレには分かる気がする。
……オレがオマエを呼んでいたんだよ……佐為。
軽く合わせるだけの口付けの後、オレは佐為の意向を窺うようにその瞳を覗き込んだ。佐為もまた、逃げることなくオレと視線を合わせてくれる。煙るような長い睫の間から覗く婉美な双眸が、確かな欲を孕んでいるのを見て鼓動が跳ね上がった。おかしなものだ、今のオレは肉体を持っていないというのに。
逸る気持ちを抑えるべく頭を振ってから、オレは彼に改めて向き直った。
肌を合わせるために、まずは邪魔な衣服を取り払わなくてはならない。……筈だ。経験のないオレでもそれくらいの手順は分かっている。半ば挑むような気持ちで佐為の衣服に手を伸ばした。彼の気が移るのが怖くて、とにかく早く衣服を緩めようと躍起になった。羞恥など感じている余裕すらない。
しかし彼が纏う衣装は、現代のものとは作りが違っていた。脱がせようにも勝手が分からないのでは梃子摺るばかりだ。霊魂なのだから気分次第で一気に消えてしまっても良さそうなのに、しっかりと紐や帯で着付けられている。まるで実体があるかのような衣服は、幾重にも纏った彼の心の壁のようだ。佐為本人が薄く笑みを浮かべるだけで、抗うこともしなければ手伝おうともしないのだから尚更困難だった。
「大丈夫ですよ、ヒカル。逃げませんから」
「じゃあ協力してくれよ!」
焦燥感に駆られ語気を強めたオレに、佐為は愉しげに切れ長の双眸を細め態とらしく小首を傾げて見せた。
「そうですねえ……私はあなたのそんな姿を眺めているのも楽しいのですけれど」
眉根を寄せて思案げな様子を見せたところで、続く言葉には愉悦の色が滲んでいる。揶揄うつもりなのかこれが佐為の本性なのか、どちらにしろオレの羞恥を煽るには十分だった。
「悪趣味!」
目角を立てたオレの不意を突いて、佐為が笑みを形作ったままの唇を重ねてきた。まんまと気勢をそがれたオレは、紅潮した顔を隠す為に俯くばかりだ。掠めるだけの口付けで動揺するようでは、事を成し遂げる前に羞恥心に耐え切れなくなってしまうのではないだろうか。
ずっと佐為を想い続けて、彼以外の人間を恋愛対象で見る事などできなかった。当然色恋の経験なんて皆無だ。
佐為はどうなのだろうか。ふと思い浮かんだ疑問を益体もない事だと振り払う。子供じみた振る舞いを見せる事もあるが、本来の彼は成熟した男性だ。それも端正な容姿と天性の資質を併せ持つ、極上の。当時の女性たちが放っておく筈もないだろう。
ちりちりと心を焦がす嫉妬を勇気に変えて、オレは自分からも佐為に口付ける。不慣れ故に無駄な勢いのついた唇を、佐為はたじろぐことなく受け止め優しく主導権を奪った。何度も角度を変えて重ねる濃厚な口付けに、応えるどころか息継ぎすらまともに出来ない。惚けたオレの口端を伝う唾液をそっと指先で拭ってから、佐為は静やかに身体を離した。
ぎこちない自分に興が醒めたのではと慌てるオレに構わず、微かに衣擦れの音をさせながら佐為がその場に腰を下ろす。次いで促すようにオレの手を引いた。どうやら先の不安は杞憂に終わったようだと安堵の息を吐き、オレも佐為に続いて腰を落とした。群生した華が振動に合わせて揺れて、そしてまたあの芳香が鼻腔を蕩かす。
衣の裾を払い胡坐をかいた佐為の眼前へ、膝立ちににじり寄って距離を詰めた。彼は黙ったまま少しだけ顔を上げてオレと視線を合わせてくれる。
佐為が拭ってくれた唾液の痕跡を確かめるように自分の唇に舌を這わせてから、オレは震える指先を再び彼の衣服に伸ばした。今度は意図を汲んでくれたのか、佐為も倣うようにオレの上着を肩から落とし、流れるような所作でパーカーの裾から白い手を差し入れ捲り上げてくる。ぞわぞわと肌の上を這い上がる櫟ったさとそこに確かに混じる快感に肩を竦めれば、好機とばかりに一息にパーカーを剥ぎ取られた。
「ふはっ!ちょ、佐為!」
「上手に出来ましたね。ではもう一枚」
「何だよそれ!って、待っ!」
息継ぎのように不器用な呼吸を繰り返すオレに、佐為の態度はまるで子供相手のそれだ。抗議する間も有らばこそ、息つく間もなくアンダーシャツまで剥がれてしまえば、生白く厚みのない上半身を隠すものはもう何もない。
手間取るオレとは対照的に佐為は驚くほど手際が良かった。気が付けば、オレは粗方肌を晒してしまっているのに、佐為は未だ 帯すら解いていない。彼との落差をまざまざと見せ付けられたようで悔しかった。
「ちょっと待ってよ、佐為!なんでオレばっかり……」
「あなたも遠慮は要りませんよ?私は抗ってはいませんし、むしろ……」
途中で一度言葉を切った佐為は、わざわざオレの耳元に唇を寄せて吐息混じりに続けた。
「あなたに暴かれるのを、待っているのに」
艶かしく潜めた男の声で囁かれて、耳朶から駆け巡る痺れがオレの体の自由を奪う。
笑みを含んだ唇は返答を待つ事もなく、慰撫するようにオレの髪に口付けを落とした。細い毛の一本一本が佐為の吐息に反応して快楽を拾い上げる。神経など通っている筈も無いのに。
緩く与えられる髪への愛撫に気を取られていると、佐為の手がオレのジーンズの前立てに触れてきた。狼狽も露わに制止しようとするのをすでに見越していたのか、佐為は即座にオレの口を覆うように己の唇で塞ぎ、抗議の声も動揺に上がる悲鳴も全て吸い上げてしまう。細い金属音と共に開放された下腹部が、冷やりとした外気に晒される。温度差は浅ましく熱を持った己を自覚させて羞恥に視界が歪んだ。
「……腰を上げて?」
僅かに顎を引き解かれた唇は容赦のない要求を告げてくる。
耐え難いほどの羞恥に襲われながら、それでも艶麗な佐為の声と触れ合うほど近い唇の動きに酔って逆らうことが出来なかった。戦慄く掌を華の中に埋めて身体を支え、緩々と腰を持ち上げる。佐為はご褒美とばかりに唇を啄ばみながら、背筋に滑らせた手を下衣の隙間に差し込み引き下ろした。彼の手が臀部を過ぎて太腿に辿り着くまで自重に耐え、詰めていた息と共に再び腰を落とせば、素肌に柔らかい花弁が触れる。
「寒くはないですか?」
「だい……じょぶ」
分かっている。冷やりとした感触はオレの熱が上がっているからで、身震いは渇求と昂奮が背筋を走るからだ。
両足から下着まで抜き取って、最後にスニーカーと靴下を優婉な手つきで脱がせれば、現れた素足の爪先に佐為が唇を寄せてきた。恭しく捧げ持ち躊躇いもなく舌を這わせ音を立てて吸い上げる。
時折、爪先から繋がる光の糸に歯を立てるような素振りを見せられると、オレの身体をぞくりとした痺れが駆け上った。現世への唯一の繋がりを断ち切られる恐怖ではない。紛れもない歓喜だ。綺麗に並んだ陶器のような歯で、他ならぬ佐為の意志で、オレを此処に堕として欲しかった。
だが佐為の唇はオレの希求に応えることはなく、爪先と踝に甘く歯を立てるだけで直ぐに離れてしまった。無意識に不満を歎息に乗せて零せば、見透かしたように細められた佐為の瞳が此方に向けられる。
「焦る事はありませんよ。時間は沢山あるのですから……」
脹脛を滑る手が太腿から脇腹へと遡り、辿り着いた腰を掴んでそのまま抱き寄せられる。傾いだ背中を流れるような所作で華の上に横臥させられる寸前、オレは必死に彼の腕を掴んで抗った。佐為は不思議そうに瞬きながらも、不自然なオレの体勢を支えてくれる。
「オレも佐為の体が見たい」
「私の?そうですねえ、あなたの期待に添えるかどうか分かりませんが……」
「別に期待とかしてねえよ。そんなんじゃなくてさ、オレばっかりこんなの……なんかズルいじゃん……」
正直なところ、オレは佐為の美醜に過度の期待を抱いてはいなかった……と言えば語弊があるかもしれない。幾重にも衣を纏い殆ど素肌を晒していない彼ではあるのだが、裏を返せば目にすることが出来る僅かな部位の全てが恐ろしく整っているのだ。加えて立ち居振る舞いから描き出される輪郭も洗練されている。装飾を落としたところで、彼の素の姿が美しくあるのは当然だと思っていた。
だが、初めて目にするその姿はオレの想像の域を遥かに超える。
烏帽子を下ろし複雑に纏っていた布地を滑り落とせば、白く肌理の細かい素肌が墨色の闇に浮かび上がった。
透き通るような白磁の肌は朧げに光を放ち、均整の取れた体躯は確かな熱量を持って息づいている。神々しく霞のようであった存在が、世俗と同じく肉の器を持ってその裡に血を巡らせているのだ。何よりも、陰翳の奥で緩く頭を擡げ存在を主張している雄芯が、彼が神ではなくヒトであると明瞭に表していた。
佐為の裸体を眼前にした途端、何処か儀式めいて曖昧だった感覚が紛う方なき淫欲だと自覚して、怒涛の勢いで羞恥が込み上げて来る。
居た堪れなくなったオレは、折角佐為が脱ぎ落とした衣を手探りで掴むと、乱暴に彼の背に掛けて目を逸らした。とてもじゃないが直視できなかった。なんという事だ。貧相な自分の身体を佐為の視線に晒すより、彼の美しい姿態を目にするほうが恥ずかしいだなんて。
「どうかしましたか?」
「いや……その、思ったよりずっとすごくて。いろんな意味で難易度高いって言うか……」
「あなたが脱げと言ったのでしょう?」
「そうだけど……。ゴメン、やっぱこれだけ着てて?」
「ふふ……仕方がないですねえ」
佐為は押し付けられた衣を丁寧に肩から羽織ると、布地に挟まれた艶やかな黒髪を引き出して背中に流した。
そうして改めてオレに上体を近づけ再度押し倒そうと力を込めた彼の指に、今度は逆らう事無く華の上に背を預ける。柔らかで頼りなげな光の華は、それでもしっかりとオレの身体を受け止め支えてくれた。
安堵の息を吐きつつ視線を上げれば、佐為の濃艶な髪筋が音もなく滑って広がり、周囲とは別の闇色でオレを包み込むのが見えた。するすると滑らかな墨染めの絹糸に指を通し、彼の首に腕を絡めて引き寄せる。
「佐為」
「はい。私はここに居ますよ、ヒカル」
呼び掛けも応えも重なり合った唇の間で溶ける。薄い皮膚を摺り合せ軽く噛み、密かな水音を立てて舌先を絡めた。
紅く染まった頬に優しく口付け耳朶を舐り、続く首筋に軽く歯を立てられれば、佐為の首に縋る腕に力が篭った。項を引き寄せる手は同時に佐為の黒髪も引っ掛けてしまったようで、細く走る痛みが行為の妨げになったのか、彼は優しくオレの腕を解き手首に一つ唇を触れさせてからそっと開放してくれた。
縋るものが無くなるのは正直心許無いが、折角彼がオレに与えてくれる愛撫を些細な行為で妨げることなく全て受け入れたかった。震い戦く指は、せめて佐為の衣の端を掴む事で必死に押し止める。
「……あっ!」
胸の先に小さく立ち上がった突起に触れられて、耳を疑う程高い声が漏れた。動転して制止の言葉を続けようとしたが、開いた唇から転び出たのは甘い喘ぎに他ならない。
それなりの時間馴染んできた自分の体なのに、今の今まで全く知らなかった。この小さな肉の粒が、房事において快楽の引き金になるのだということを。佐為は交互に突起を口に含み、舌先で味わうように舐め転がす。片方を唇で愛せばその間もう一方を指先で捏ね、時折悪戯に爪を立てた。
声を殺して快感に耐えていても、慎ましやかだった突起が紅く染まり濡れて光る様を目にすれば限界が来る。オレは佐為の肩を軽く押して制止の意思を示し、弾む息に乗せて懇願した。
「な、もう、さ、もういいから。そこばっか、嫌だ」
「もう少しだけ、ね?」
淫欲に染まった視線を交わしながら態と水音を立てて吸い上げられるのは、オレには刺激が強過ぎる情景だった。短く悲鳴を上げ、佐為の肩に掛けた手に力を込めて引き剥がす。
「こういうのってさ!もっとパッとやってパッと終わるものじゃないの?!」
「どうしてそう事を急くのですか?私は今この時を大切に愉しみたいのに……」
「だって…………もうオレいっぱいいっぱいだもん」
「おや?もう降参ですか?」
「ちが……う、けど」
悔しいが、ここまで経験の差が顕著に現れるとは予想していなかった。
もう子供といえる年ではないのだし、相応に快楽を受容出来ると思っていたのに、佐為の手管に翻弄されるばかりだ。
せめてもう少し手加減をして貰えないかと、苦さを噛み潰して哀願してみたが、佐為は意地悪く口端を歪ませるだけで首を縦に振らなかった。
「駄目です」
「なんでだよっ」
「あなたを想って過ごした長い時間、その間に溜まり淀んだ恋着も劣情も全てを晒せと。そう言ったのはあなたですよ、ヒカル」
「う……」
「私の全てが見たいのでしょう?」
確かに、そう言って頑なだった佐為を煽り唆したのはオレだ。
佐為はたじろぐオレの顎を捉え、視線を逸らすのを許さなかった。笑みの形に弧を描いていても、その眸子の奥に熾火のように煌く光は獲物を目にした獣のそれだ。此方が抗えば抗うだけ燃え上がるのだろう輝きを目にして、未熟なオレが太刀打ち出来る筈もなかった。
「……わ、わかったよ……!」
「ふふ、覚悟してくださいね……可愛い、私のヒカル」
甘い毒を含みどろりと濁った佐為の言葉は、オレにとっては耐え難い麻薬だった。
彼の指や唇が触れた場所が全て、快楽を得る為の器官に塗り替えられていくようだ。執拗に舐られていた胸をやっと開放されたと思ったのに、その頃にはもう紅色に染まった細い体の全てが、胸の突起と同じくらい熱を持って疼いていた。
至る所に付けられた紅い痕は、オレたちを囲む華のように薄らと光を放っている。オレの陰茎はすっかりと形を持って隆起し、鈴口に雫を宿らせては珠になって零れ落ちていた。
「さ、佐為」
佐為の視線を感じて、抗うように彼の名を呼ぶ。声音に含まれた怯えを感じ取ったのだろう、佐為が窘めるように首を傾げて眉根を寄せた。
「駄目ですよ?」
「そうじゃな……い」
「恥ずかしい?」
「そりゃ……恥ずかしい、けど…………」
オレは力の入らない指先を懸命に伸ばし佐為の身体に触れた。だが目的の場所には遠く届かない。
「オレ、も、触りたい」
「……負けず嫌いなんだから」
「オレ、だって。佐為のこと気持ちよくしたい」
「……分かりました。では、一緒によくなりましょう」
「え?」
佐為が身体を起こし、あられもなく開かれたオレの下肢の間に身体を割り込ませてきた。頭上に離れてしまった白皙の美貌の代わりに、驚くほど熱くなった彼の徴が引き寄せたオレの腰に押し当てられる。
細いながらも引き締まった腹部から視線を落とせば、下生えを割ってそそり立つ佐為の陽物を直視してしまった。濃く色を変え張った先端から透明な雫を太い幹へと滴らせている様は、まるで凶器だ。思わず佐為の怜悧な美貌を見上げ、再び視線を戻してみてそのちぐはぐさに唖然とした。
「どうしました?よくしてくれるのでしょう?」
強請るように雄芯でオレの下腹部を突いてくる。そこにはオレの昂ぶった熱が存在を主張しているのだから、当然お互いの情欲の証を擦り合わせることになる。
しとどに濡れ僅かな水音をさせながら触れ合えば、耳殻からも下肢からも響く快感が更に熱を煽る結果になった。
「ひ、あ」
色や形や大きさや、そんな彼との違いに意識を向ける余裕なんて無い。羞恥と快楽に竦んだ体は、視界を閉ざすことも耳を塞ぐことも出来なかった。
佐為は酷薄な笑みを浮かべながらオレの手を取り、互いを重ね合わせた中心へと容赦のない所作で導いていく。
「ほら、こうですよ」
「う、?、待って」
強張ったオレの指を互いの屹立に添わせてその上から長い指で握りこむと、手習いでも教えるようにゆっくりと上下に扱き始めた。
触れ合った佐為の熱さに歓喜する暇もない。どちらが吐き出したのか分からない愛液に潤いを得て滑らかに動く彼の指は、残酷な程の速さと強さでオレを責めてくる。佐為自身は緩やかに刺激しているつもりなのだろうが、こちらは経験もない……認めたくはないが快楽を享受する器が整っていないのだ。
過ぎた快感はすぐに許容を満たし、逆巻く熱を吐き出そうと口を開く。
「オレ、オレもう」
「駄目ですよ」
「そればっか!なぁ、もう、むりっ」
「一緒に、よくなるのでしょう?ヒカルだけ先に達してしまうのですか?」
拗ねた色味を含んだ言葉と同時に、咎めるように鈴口を爪の先で割り開かれる。ピリッとした痛みを感じても、萎えるどころか極めるための起爆剤にしかならなかった。
察しの良い佐為の指が咄嗟にオレの根元を押さえなければ、あっけなく欲を吐き出してしまっていただろう。だが、達する寸前に堰き止められた熱が行き場を失って内部を焦がす感覚に耐えられず、オレは代わりのように溢れ出した涙もそのままに身体を震わせた。
「ひっ、あ、やあ」
「嗚呼、泣かないで、ヒカル。……もっと苛めてしまいたくなります」
「やだっ!あぅ、も、限界っ!ゴメン!」
「ふふ、仕方がないですね」
焦れる身体を引き攣らせて必死に哀願すると、佐為は愉悦に喉奥を鳴らしてから漸く堰きとめていた指を緩め促すように一気に扱き上げた。開放され導かれるままに欲を迸らせれば、吐精の衝撃で思考が白に染まる。
「あ、あ、あああ」
白濁した熱は全て佐為の掌に受け止められた。佐為は態と指を広げ、粘液が糸を引く様を見せ付けてくる。彼の白く嫋やかな指先に粘性の高い液体が絡んでいる光景は、酷く淫靡で扇情的だった。
「沢山出ましたね」
「う、うう」
「ほら、こんなに濡れてしまいましたよ」
「ばかっ見せんな!」
赤く染まった眦を吊り上げて声を荒げても佐為は気に留めることもなく、吐き出された精に注視したまま何事か勘案している様子だった。
「……これだけ濡れていれば、少しは負担も軽くなるでしょうか」
独り言じみた呟きを落としてから、佐為は改めてオレに向き直った。意味も分からず不安げに見上げるオレに、上体を傾がせて再び覆いかぶさってくる。
白濁を受け止めた片手はそのままに空いた手を華の上に突いて身体を支えると、濡れた指先を中身を零さぬように慎重にオレの下肢に伸ばした。
「香油か何かあれば良いのですが、生憎此処には……。あなたにあまり無理をさせたくはないのだけれど」
「あ、そっか……」
そこで漸く彼の言わんとするところが分かった。男同士なのだから、本来ならば繋がるための器官は存在していない。代用にする場所は、自ずから潤う機能など備えている筈もない。不慥かな知識で潤滑油を使用するのだと記憶しているが、そんなもの此処には存在しない。それなら……と、そこまで考えて己の生々しい想像に怖じ気づく。
こくりと喉を鳴らし身震いするオレに、佐為は困ったように眉根を寄せて、それでも躊躇うことなく口を開いた。
「たとえ辛くても、もうやめてはあげられませんよ」
「さ、佐為……っ」
やめなくていい、そう返事を返そうとしたが叶わなかった。佐為の手が萎えたオレの中心を掠めるように触れて会陰を滑り、辿り着いた奥の窄まりを撫で上げたからだ。
掌に残る粘液を少しずつ塗りつけながら、硬く閉じられた場所を解すように緩々と円を描く指先の、時折掠める爪の鋭さがオレを怯ませた。
佐為は焦慮する事もなく徐々に探る力を強めながら、時間をかけてじわじわとオレの身体を開いていく。
「力を抜いて、息を詰めないで、出来るだけ楽にして……そう、いいこ」
「んっ!ああ……く、ふぅ」
漸く最初の指が収まると、それに添う形で新たな指が増やされる。何度も抽送を繰り返しながら、気が付けば自分ですら触れた事のない奥深い場所で彼の指が蠢いていた。
慣れぬ行為だというのに、オレの後孔は佐為の与える感覚を快感として拾い上げている。一度吐精して力を無くしていた陰茎も再び張り詰めて、壊れた蛇口のように引っ切り無しに蜜を零していた。幹を伝った雫は奥まで濡らし、佐為の指が潤いを得て滑らかに動く。指の腹で早々に目星をつけた内壁の膨らみを押し上げるように捏ねつつ、中で指を広げて隘路を開こうとする。
過ぎた快楽に視界を潤ませ未知の恐怖に竦みながら、それでも彼の衣を必死に掴んで逃げ出したくなる自分を抑えた。
「苦しいですか?」
問われて首を横に振る。勿論それが虚勢でしかない事を、佐為は見抜いているのだろう。
「でも、苦痛だけじゃないでしょう?随分と馴染んできましたよ。……ほら」
ぐるりと弧を描くように内壁を撫で上げられて、浮いた背中が弓形に反った。は、は、と短い呼吸で衝撃をやり過ごせば、佐為が宥めるように内股に唇を寄せてくる。些細なその感触すら、今のオレには堪らない快楽に変換されてしまう。
「佐為、もう、お願いだから……」
「この具合ではまだ痛みが勝るかもしれませんが、それでも?」
「ふ……っ……が、がんばる、からっ」
「嗚呼、駄目ですよヒカル。泣かないで、と言ったでしょう?あなたに意地悪なんてしたくないのに……」
言葉とは裏腹に愉悦に弧を描く瞳は、朱を刷いた目尻と同じ色に染まっている。
佐為は内部を探っていた細い指を引き抜いて見せ付けるように舐め清めた後、彼の妖艶な姿に当てられ言葉を失ったオレの唇に強引に差し込んできた。濡れた指先はオレの歯列を抉じ開けて、その奥で萎縮している舌を引き出すように触れてくる。
「声を殺さないで。辛かったらその指を噛んでください」
「ふぅ……んぐっ!」
無理だと、そう言おうとしたのに、言葉を紡ぐ為に動く歯列が佐為の指を傷つけるのが怖くて、意味を成さない呻き声を零す事しか出来なかった。
佐為はオレの様子に満足げに頷くと、もう一方の手を己の怒張に添えて狙い定めるように腰を合わせる。潤んだ孔に触れた丸く張った先端が幾度かオレの奥を探るように撫でた後、ゆっくりと肉を割って潜り込んできた。
「ふぁ……あ、あ」
入ってくる。佐為が、オレの中に。
ぴんと引き伸ばされた襞が引き攣れた痛みを伴いながら、それでも懸命に佐為の熱を飲み込もうとうねる。硬く閉じられた瞼の裏にちかちかと光が散った。
熱い、苦しい、痛い……けれど苦痛を凌駕してオレの身体を駆け巡るのは歓喜だ。
そうだ。オレはずっとこうして彼を、佐為を確かめたかった。こうなることを望んでいた。彼を此処に縛り付けるほどの貪欲な恋着で。
焦れったくなるほどの時間をかけて先端部分を収めると、佐為は用済みとばかりにオレの咥内から指を引き抜いた。
そこで漸く無意識のうちに彼の指に噛み付いていたことを知る。佐為の白い指先にはオレの歯形が紅く残っていて、うっすらと血すら滲ませていた。その紅を見て、オレはあろうことか罪悪感ではなく安堵を感じているのだ。あんなに傷つけまいと思っていたというのに。
「ゴメン……痛い?」
「いえ、大丈夫ですよ。むしろあなたのほうが……」
「ん、オレは……へい、き。続けて、いいよ」
佐為は一度だけ目を眇めて躊躇う様子を見せたものの、行為を中断しようとはしなかった。
労を労うように、赤を纏った指でオレの額に張り付いた前髪をそっと払ってくれる。額から輪郭を確かめるように掌を滑らせ腰に辿り着けば、その手で改めてオレの足を抱えなおし、硬い楔を一息に根元まで打ち込んできた。
「あ!」
「ヒカル、息を吐いて」
「ふ、ふぅ……は、入った?」
「はい。最後まで」
「よ、かった……んっ!さ、佐為っ!」
「はい」
オレの上に覆いかぶさって美しい弧を描く彼の背に、力無く震える腕を必死に伸ばす。形振り構わずしがみ付けば、佐為は抗う事無く身体を寄せ、頬を擦り合わせてくれた。いつの間にか纏っていた衣も落とし、晒された彼の素肌に纏いつく黒髪はしっとりと水気を含んで艶を増している。その漆黒の一筋すらも愛おしかった。
オレの孔が佐為の形に馴染むのを待っているのか、それともオレを焦らしてるのかは分からないが、彼は暫くそのまま動かなかった。
だが大きく穿たれる事が無くても、ほんの僅かな身じろぎでさえ無理に開かれた器官がちりちりとした痛みを訴える。その度に皺が刻まれるオレの眉間に佐為は優しく唇を落とす。珠のような汗の浮かぶ蟀谷にも、上気して火照る頬にも、荒い呼吸を繰り返す唇にも。舌先で突き零れた吐息を唾液と共に舐め取っては、啄ばむような軽い口付けを繰り返すうち、徐々にオレの強張りが溶けていった。
「……幾らか、楽になりましたか?」
「ん、うん。ちょっと痛いけど……へーき……だから、もっと」
佐為に気遣われるのは嬉しいが、それよりも今は彼の唇が離れる方が嫌だった。強請るように顎をあげれば、直ぐに与えられる彼の熱がたまらなく嬉しい。
角度を変えて貪りあう口付けの合間、高まる熱を深い息で逃がしたオレを頃合と見たのか、佐為が徐に律動を始めた。
「ひ……んんっ」
「辛いなら、声を出して、ヒカル」
「う、うう。だいじょ……ぶだってばっ」
「……じゃあ、可愛く啼いてみせて……私があなたに優しくできるように」
「ばかっ!あっ!あぅ」
熱く硬く張り詰めた彼の屹立が、どろどろに蕩けたオレの内壁を擦り上げてくる。
揺さ振られる度に伝わる振動で、周囲の華からあの芳香が立ち上った。馥郁とした甘い香りに青臭い精の匂いが混じりあって鼻腔に広がれば、酩酊したように思考が溶けていく。
滲む視界を必死に凝らせば、水の膜を通して余裕を無くした佐為のかんばせが見えた。初めて目にしたしなやかな雄の獣のようなその姿は、紛れもなく佐為自身で、オレが暴きたかった彼の本性なのだろう。
肉の器を無くしたオレ達は、朧な闇の中で肉欲そのものの行為に耽溺している。皮肉なこの事実がどれほど愚かで滑稽だとしても、それでもオレは確かに満たされていた。……恐らくは、佐為も。
「私のもの。私の、ヒカル」
「っ!そうだよ!ていうかずっとそうだったよ!ばか!」
「ふふ、そう、ですね。……嬉しいです」
無意識に毀れたらしい佐為の言葉に噛み付く勢いで肯定すれば、彼は束の間瞠目した後、幸せそうに目元を綻ばせた。
そのまま早くなる呼吸と汗ばむ肌を合わせ、二人で同じ極点を目指し官能を高めていく。佐為の動作が手加減を抜いた容赦のないものに変わって、オレはただ振り落とされまいと無我夢中で取り縋る事しか出来なかった。
「すきっ!好きだ……佐為!」
「ええ、私も。……愛しています、ヒカル」
惜しげもなく与えられる甘い言葉と愛撫は逆巻く熱の堰を切った。オレは成す術もなくその奔流に身を任せる。
不思議な感覚だった。
初めて身体を繋げて、初めて快楽を分け合っているのに、どこか懐かしいと感じている。そして同時にもどかしかった。昔はもっと心も身体も一つに解け合って、しっかりと繋がっていたような気がして、歯痒い気持ちのまま佐為の背中に爪を立ててさらに距離をつめようとした。これ以上深く交わる事など出来ないと分かってはいても。
どれだけ深く佐為の楔がオレを穿っても、どれほど強く掻き抱いても一つになれないのなら、いっそこのまま二人でこの虚ろな闇に溶けてしまいたい。
最奥に佐為の迸りを受け止めながら、白く濁る頭の片隅でそう願った。
身体を繋げることで、得られたものと、失ったもの。