『ハツヒノデ』
それは毎年恒例のことだそうだ。
スタンとルカが新居を構える村では、
年越しの夜は、村の広場に据えられた篝火のまわりに住民が集い、
盛大に新年を祝うということになっていた。
ルカにせがまれてしぶしぶ参加することにした魔王であったが、
人込みの中ではぐれないよう、手をつなぎ歩いて回るのは存外楽しめるものだった。
食べ物や飲み物を出す様々な店を前にして、
どれにしようか、あれもいいなあ、などとはしゃぐ恋人を前に、
スタンはこれはこれで悪くないな、とまんざらでもない笑みを浮かべ。
ふたりがこの村で体験するはじめての年越しはこうして過ぎていった。
そういうわけで、帰宅し祭の興奮さめやらぬまま床についたのは、
真夜中を過ぎたかなり遅い時間になったはずなのだが。
「起きろルカ、そろそろ行かんと間に合わんぞ」
「…ふぁ…?」
なぜか、少年は魔王にさほど眠る間もなく叩き起こされることになってしまった。
まだ、一番鶏すら鳴かない時刻、外は真夜中と変わらぬ星のまたたく暗さである。
当然のことながら、一介の人間であるルカにはもはや眠いとかいうレベルの話ではなく、
まともに目を開くことも、意識を保つこともできない状態で。
ベッドのうえにぺたんと座りこんだまま、時折ななめにかしぐ少年に対し、
しかし、おもむろに魔王が取り出したものはルカの防寒着一式と何枚かの毛布。
有無をいわさず、まず強引に防寒着に着替えさせられ靴もはかされ、
さらには毛布でぐるぐる巻きにされ。
あっというまに過保護な親が用意した赤ん坊のおくるみのような姿にされてしまったルカだったが、
この頭と舌のまわりきらない状態では、抵抗することもおぼつかず思い付かず。
そのまま抱えられてどこかに猛スピードで運ばれたようなのだが、
あたたかく頼りがいのある腕にしっかりと包まれていたので、
いつものように安心しきってうとうとと再度まどろみに突入してしまい。
「…ん」
次にルカの意識がゆらめいたのは、まぶたに強い光を感じたからだった。
まぶしくて、でもやっぱりまだ眠くて、眉根をよせてかぶりを振り。
おぼつかない動きで手を伸ばし、いじわるな光を払い除けようとするかのようにばたつかせたが、
閉じたまぶたの裏まですら、まっすぐに貫いてくる白くするどいそれを遮ることはかなわず。
(…ん、もぅ…な、に…?)
不快感と不審さにきつく眉をしかめると、ゆさり、とかるく身体が揺すられる感覚がした。
「…いいかげん起きんか、ルカ。
全く…ひとがせっかく急いで連れて来たというのに、眠っていては意味がないだろうが…」
ぼそぼそと、拗ねたような魔王のぼやきがすぐ上から聞こえてきくる。
「…ふ、え?」
寝起きの頭ではなんのことやらさっぱりわからなかったが、
とりあえず起きてみたほうがいいのかもしれない、と思い、細く目を開けてみる、と。
「!!」
とたんに飛び込んできたまぶしさに一瞬目がくらみ、たじろぎつつ周囲を見渡す、と。
最初はただ白一色にしか見えなかった。
塗りつぶされた視界の中で、涙をこらえつつ必死にまたたいていると、
徐々に目が慣れてゆき、だんだんと詳細がわかるようになっていった、のだ、が。
(…なにこれ)
ルカは見えて来た景色に呆然となった。
既に昇りきった太陽が、とおい水平線から波打ち際までに惜しみない光を振りまき、
きらきらと乱反射する光が目にまぶしく届く。
足下の砂は、波が引き打ち寄せるごとに海中へと運ばれ、また押し寄せる。
どことも知らぬ海辺の、白く美しい砂浜の波打ち際。
そんな場所のど真ん中に、いつのまにか自分たちは佇んでいたのだった。
「…ちょ…っ、すたっ、なに、ここ、どこ!?」
自室の寝台の上でぐっすり眠っていたはずなのに、
目が覚めたらいきなり見なれない風景の直中。
「なんでいきなりこんなことになってるわけ!?」
動揺のあまり少年の声が、食って掛かる調子になってしまうのも無理はなかったのだが。
「なにい?人がせっかく連れて来てやったのに何なのだその言い種はっ。
そもそもこれが見たいと言ったのはおまえだろうが!」
どうやら不機嫌な魔王をさらに怒らせてしまったらしく、すごい勢いで怒鳴られてしまった。
「え、えええ!?だ、だからなんの話だよっそれ!?」
しかし怒られる理由が全くわからないルカが、困惑しつつ抗議すると、
「かあっ、忘れたのか貴様、どういう記憶力しとるのだ全く!
いいか、良く聞け、おまえから言い出したことなのだからな!?」
びしりと指を突き付けられたあげく、とうとうと罵声まじりの説明が始まったのだった。
それは3日程前、新居の大掃除中のこと。
かわるがわるにバケツで雑巾をすすぎ、窓や床を拭いてまわりながら、
『そうそう、こないだ、パン屋のおばさんに聞いたんだけどさぁ』
『む、なんだ?…と、こっちの窓は拭き終わったぞ』
『あ、ありがと。じゃ僕、こっち側をやるから』
などど他愛のない会話を交わしていた時に、そういえばこんなやり取りがあったのだ。
『ここから少し遠いんだけどさー、海の方まで行くと初日の出がきれいなんだって。
ちょっと見てみたくない?』
『ほう。“ハツヒノデ”…新年の最初に見る日の出というやつのことか?』
『あ、うん、そうそう、それのこと』
『ふん、人間どもというのは全く妙なものを有り難がるものだな。
だが、まあ、それは確かに海辺の方が見ごたえがありそうだが…』
『そのぶん海風で寒そうだけどねー』
『なに、着込んでいけばいいだけの話だろう』
『あはは、そっか。行けたら、行ってみたいね』
『うむ、まあ、悪くない提案だな』
「…というわけで、おまえが是が非にも“ハツヒノデ”とやらを見たいというから、
余自らわざわざ準備万端整えて連れて来てやったというのに!」
「え、だ、だって、そりゃ、そう言いはしたけどさあ…」
まさかこの状況下でそれを実行にうつすとは思っていなかったルカは、困り果てて言葉尻を濁らせる。
その会話を交わした時は、まだ年越しの祭りに参加するかどうか、決めかねていた状況だったのだ。
ルカとしては当然、睡眠時間なども考慮すると、祭りと海の両方に行くことは難しいから、
どちらかを選ばなければならず、その結果海はまたの機会に、と解釈していたのだが、
どうも純然な魔族たる魔王はそうは思わなかったらしい。
「見ろ、すっかり朝になってしまったではないか!一年に一回の機会だというのに、
まったくおまえはぐうすか寝こけおって!!」
「だ、だけど無理だってば!きのう寝たの何時だと思ってるんだよ、僕はスタンみたいにはいかないんだからさあ…」
「何おぅ!?」
その後しばらく、ぎゃあぎゃあと不毛な押し問答が、静かな砂浜に響き続けた。
勢いよくざくざくと、
続いて、少し遅れて、さくさくと。
砂を踏む音がふたつ。
ようやく静けさを取り戻した、まぶしい光きらめく朝の砂浜を、
スタンとルカは歩いていた。
あの後、妙に気まずくなってしまった二人は、珍しく距離をとっている。
肩を怒らせて大股で歩くスタンのあとを、
毛布を濡らさないようまくって、ぎこちなく歩くルカは大分遅れ気味で、
二人の距離は歩けば歩く程開いていく一方だった。
(…あーあ)
新年早々、ささいな行き違いでケンカになってしまった。
遠ざかる背中を見つめながら、ルカは内心で、ふかく溜息をついて肩を落とす。
こんなはずじゃなかったのにな。
ほんとなら、いまごろ新年のあいさつをして、おいしい朝ご飯を食べて…
いつもみたいに仲良くしていられたのに。
それとも、今日ここに来ることがわかっていたなら…
きれいだね、連れて来てくれてありがとうって、やさしい気持ちで一緒に歩けただろうに。
とてもゆっくり眺める気持ちになれないが、
よくよく見ればこの海辺はとてもきれいな景色で、
しかし今となってはなおさらそれが忸怩たる思いを引き立ててしまっていて。
いろいろな意味でもったいないなあ、とルカは思った。
波打ち際にちかい砂は、海水で湿っていて重い。
目線を下に向けたまま、ルカは重い足を引きずるように動かした。と、
「わ!」
けり出した靴が、がつっと砂を掘ってしまい、それに思いきり足をとられて転びそうになる。
毛布を巻かれているせいでとっさに手をつくこともできず、
(…!!)
顔から砂場に倒れ込むことを覚悟して目をつぶった、
瞬間。
一瞬のうちに砂を蹴立てて飛び込んできた人影が、
ぶつかるように肩を抱きかかえ、少年の身を支えることに成功した。
稲妻のような速技であった。
(…あ)
ルカは目をまるくする。
砂浜に、彼と自分以外に人影はなかったが、例えもしそうでなかったとしても、
自分のためにこんな動きをするのは1人しか思い当たらなかった。
おずおずと少年が顔をあげると、なんとも複雑な表情をした男の顔が目の前にある。
不機嫌の残滓と、純粋な心配、安堵、不安、逡巡…いくつもの感情が逆光の中に透けて見えた。
…こんな風に気まずくなっても、ちゃんと、見ててくれるんだね。…僕のこと。
ルカがじっと、相手の黄金のひとみに視線を注ぐと、我に帰ったのか彼はぱっと手をひっこめた。
少年がちゃんと立つのを確認してひとつ息をつき、
その後、どうしたらいいのかわからなくなったらしい。当惑したようなまなざしを向けてくるので、
ルカが首をかしげると、慌てたそぶりで目線をそらした。
きっと、彼から手を伸ばせないんだろう、と思う。
意地っ張りなひとだから、自分から折れるのは苦手なのだということは、ルカにはよくわかっていた。
(…それなら…)
少年は、そっと指先をのばして魔王の手を求めた。
そうすると、不自然に凍り付いていたコートの腕が、少年を受け入れる形で動き始める。
ああ正解だった、と安堵しながらきまり悪そうに笑ってみせたら、
彼も同じように笑ってくれたから。
その瞬間にさっきまでのが途端にどうでも良くなった。
すべては、僕の望みを叶えようとしてくれたことだから。
そりゃ、ちょっと行き違いはあったけど、ね。
「あのね、スタン」
「…。なんだ」
「新年早々、ごめんね」
「…う、む…いや…余も」
悪かったと思わんでもない、とぼそりと告げられたのは、
聴き慣れた意地っ張りな二重否定。
うん、だいじょうぶ。ちゃんと好きだよスタン。君のそういうところも。
「ね、スタン。今年も、よろしくね」
とびきりの笑顔で告げたのは、きっと朝一番に言おうと思っていた、新年のご挨拶。
それはきっと、また一年、彼の側を離れないことを誓う、神聖な契約の言葉。
ぐっと言葉に詰まった魔王が、
「…ああ」
ぐりんと勢い良くそっぽを向いて応えた理由は、
耳が赤く染まっているのを見れば簡単に分かる話で。
少年は、彼に聞こえないように小さく笑って、そっと目を伏せた。
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ぬおお!な、なんとか…1月中に書け…た…っ(バタリ)
そんなわけで皆様、今年もよろしくお願いいたします〜
※このページ、ちょっとCSSを使ってみたのですが…読めないって人、いますか?
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