目の前でひるがえるタオルを手に取って、からりとした触感に驚く。
「うわ…もう乾いたんだ」
今日は、春にしては日差しが鋭く感じられるほどで、
そのうえ涼しいを通り越して寒いくらいの強い風も吹いていて、だからだろう。
朝寝過ごして、あわてて昼前に干したはずの洗濯物はすっかり乾燥しきっていて、
取り込もうと顔を寄せれば、ほのかな石鹸とお日さまのにおいが感じられて、僕は目を細めた。
快晴の空の下、春鳥たちの鳴き交わす声を感じながら、こうして洗濯物を取り込む心地よさは、
主婦もとい主夫生活をはじめてから知った事。
丘の上に建つ一軒家の傍らに位置する、風通しのいい物干台の周囲には、
潅木がちらほらとあるだけで、とても静かで落ち着くにはぴったりの空間だ。
「…ふう」
だけど、今日はその静けさがどこか物足りない。
洗濯ばさみをはずすと、とたんにどこかに飛んで行こうとするタオルたちをつかまえるのに四苦八苦しながらも、
その感覚は抜けなかった。
風が布地をさばく、ばさばさという音もやたらに強く耳に響く。
今日の午後は、とても静かだ。
だって、彼がいないから。


『今日の午後は君がいない』


(しょうがないよ。お仕事だもん)
室内に戻り、取り込んだものを機械的にぱたぱたとたたみながら、何度繰りかえしたかわからない理由を自分に言い聞かせた。
(それも、僕のために)
そう思って家の中を見渡すと、家具や調度品はある程度実家から持って来たものだけど、この新居に移ってから設えたものも少なくない。
大きめのソファやベッド、クッション。壁際でこちこちと音をたてる掛け時計。
眺めていると、ふたりでお店をまわりながら、ああでもないこうでもないと相談しながらそろえていったのを思い出す。
台所を見れば、天井から吊るしてある玉ねぎや、麻袋入りのじゃがいも、戸棚の香辛料の瓶、といった食材の数々。
それだけじゃなくて、お皿にフォーク、揃いのグラス、寸胴お鍋にフライパン。
こういうもの全部、彼の稼ぎで買っているものだ。

だいたい、あのスタンが仕事に出ることになるなんて、いったいだれが想像しただろう?
最初にそれを聞かされた誰もが…僕も含めて…驚愕のあまり言葉が出なくなってしまったほどに、
「仕事」という言葉は自称大魔王に似つかわしくなかった。

僕が。人間としての生を望んだから。
魔王として暮らすのであれば、なんの苦労もなかったはずなのに。

「おまえに望まぬ生活を強いたくはないからな」
当然のようにそう言って、ぽかんとする僕の頭を撫でてくれた彼を、どうしようもなく愛おしく思ったのを覚えている。

だから、寂しいなんて言ってちゃいけないんだと思う。


夕飯づくりに取りかかる前に、気合いを入れようと紅茶を多めに煎れて飲んだ。
そういえば、主夫ってけっこう忙しい。
昔から母さんの手伝いをしょっちゅうしてて、くるくる動き回る彼女を間近で見ていて、予想はしてたことなんだけど。
やるべきことをせっせとこなしていれば、それだけで時間はどうにか流れていってくれるから、
こういう時はありがたいと思うけど、それでも。

料理が終盤にさしかかって、外もだんだん西日の赤みが消えてゆっくりと暮れていく、
そんな頃合いになると、だんだん所在なくなってきて。
さっきから時計をちらちらと気にしてしまう。

「まだ、かなぁ…」

情けないほど気弱な声がこぼれてしまった。
ことことと煮込んでいた鍋の火をしかたなく落とす。
母さん直伝のシチューはすっかりできあがってしまって、これ以上火にかけても煮詰まるだけだ。
食卓にはサラダと果物、暖めたパンもそろっていて、あとはこの家の主人を待つばかりなのに。

「…」

音が消えてしん、としたリビングに思わずため息がこぼれた。
ひとりではこの家は広すぎて、ただ、がらんとした空間が白々しいばかりで。

「やっぱり、…寂しいよ」

誰もいないから必然的に独り言になる。
沈んだ気持ちでぺたぺたとフローリングを歩いて、なんとなく寝室に入った。
衝動的にばすん、と洗いたてのベッドカバーに顔を埋めて、ほんのわずかな、彼の残り香を探す。

「…スタン」

日なたの甘い匂いの中に、すこしだけほろ苦い面影を見つけた気がした。


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「ルカ、帰ったぞ。すまん、遅くなった…ルカ?」

スタンは帰宅して早々、家のあちこちの扉を開けてまわることになった。
いつもなら、ちゃんと玄関まで出迎えに来てくれる愛妻の姿が見えなかったからだ。
旨そうな匂いの漂う、準備万端整った食堂にも、
きれいに掃除されたリビングにも姿はなく、首をかしげる。

「?…どこだ、ル…」
呼び掛けようとした声が途中で尻すぼんだ。
開けっ放しの寝室の扉の奥、ベッドのうえに人影がある。

「…疲れたのか?」
相手が眠っていてもいいように、小さく呼び掛けながら近付くと、
ぎゅっとベッドカバーを握ったままうたた寝をしていたルカは、わずかに身じろいで。
「すたん…」
目を閉じたまま頑是無くつぶやいた。

「…!」
魔王の目が丸くなり、そしてやわらかくゆるむ。
「寂しかったか…?」
低く、甘くささやきながら、指先で眠る彼の頬をくすぐると、わずかに潤んだひとみがゆっくりと開いて。

「…、すたん、おかえり…」
まだ半分眠りのなかにいるのか、子供に戻ったように舌足らずな妻の呼び掛けに、
「…、ああ」
なんとも幸せそうに、夫は答えたのだった。

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ベタ甘〜な新婚さんです。
ちょっと生活感を出したくて描写にこだわってみましたが、
いかがでしょうかー。
あー。こんな嫁いたら私が欲しいよ…!!。


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